信じられない。
パパからは、今度はみんなで一緒に食べたいなんてことを聴くことになるなんて……。
目の前に広がってる現実のせいで、頭痛がしてくる。
聞き返すことすらできなくて、私は信じられなかった。
「味の方、どうでしたか?」
「ああ、悪くはないとは言ったはずだよ」
何を想って、何を思い出しているのか。
それすら、はっきりとしていない。
「そう、そうだったのね……」
「二乃?」
「なんでもない、なんでもないわ」
膝に乗せていたはずの手が徐々に指先と指先同士で絡み合って行く……。
黙々とパンケーキを食べてくれるパパの姿がある。心の底じゃ、嬉しくて仕方なかったんだわ。あの子に何度も、今度こそと期待されるようなことを発言されても響かなかった。
こうして、自分が心を動かされてる。
馬鹿みたいなようなことだけど、目の前にある出来事が本当にこの馬鹿に連れられてやってきてよかった。
そうとすら、思えてたんだわ。
「二乃君」
「なによパパ?」
「パンケーキの方、とてもよかった」
「それはさっき聞いたわ」
「それは失礼したね、二乃君」
指先が擦れる音がする、隣にいるソラの表情が緩む。
まるで、親子らしい会話ができたことを部外者のくせして喜んでくれる。
ここにいる誰よりも、保護者みたいでちょっと鬱陶しいわね……。
「脇城君」
「はい、なんでしょうか?」
お父さんはテーブルの上に皿をゆっくりと置いていた。
物音すら立てずに……。
「先ほどキミが言っていた、一緒にというのは恐らくは二乃君と共に未来を作るという認識でよろしいのかい?もし、それが本当なら僕に何の事前報告もなく誓い合ったということになる」
「パパ、それはその……誓い合ったまでは言っ「はい、その認識で構いません」」
助け舟を出そうとした瞬間、遮られる。
止めて来たのは、ソラだった。言い切った彼に、私は驚きの声すら出せない。
というか、こいつ何考えてるのよ。この土壇場で、パパに自分から喧嘩売りに行くとは正気の沙汰じゃないわよ……!表情は読めないけど、パパだって眉間に寄せてるはず。
なのに、こいつと来たら……!!
◆◆◆◆◆◆
『はい、その認識で構いません』
頭が真っ白になりそうだ。
自分の口から出た言霊とも捉えることができるもの。愛の告白以上に、重いもの。
あの中野の父から投げかけられた重圧から、解放されることなんてなかった。寧ろ、自分から尻尾を掴ませてしまった発言ですらある。
「脇城君、キミはあの脇城先生のご子息だ。その子供が突発的に行動としたというのは、些か早計かもしれないがもしキミがただの一言で済ますことができると考えているならば、僕は了承しかねる」
「承知しています。後からの御報告になってしまったことは、こちらから改めてお詫びさせていただきたい」
頭が床の方へと落ちていく……。
汚れ一つない床が、まるで相反する俺の心を表しているようだった。
「しかし……」
次の瞬間、俺の頭は……。
「俺と二乃の間であるのは一言で済む関係ではありません」
喉を鳴らす音などしなかった。
震えもなかった。あるのは真実を話すためだけの言葉でしかなかった。
中野父からは真剣の眼差しを送られている。ここから先だ、此処から先が重要であると教えてくれているみたいだった。まるで、教師のように……。
「二乃との関係は、貴方も知っての通りクラスメイトからでした。俺は元々、家庭教師ではなかったですし、最初はやる気はありませんでした。俺が家庭教師をやろうと言い切れたのは、五つ子のおかげでもあったんです」
「それは……初耳だね」
濁すか、それとも何かを発するべきか。
迷っていたようだった気がしなくもない。多分、中野父は俺と父さんとの間で何が起きていたのかは把握はしているんだろう。俺にとっては、その把握は僅かばかり嫌な気持ちもあるけれど、そんなことよりも今は、やるべきことがある。
「例え、裏切られようとも傷つくことになろうとも……」
最初にそのきっかけを与えてくれたのは……。
『それでも信じたいです。好きな人ですから』
意外にも、四葉だった。
あいつは真っ直ぐなものを投げつけていた。自分に言い聞かせてるだけなのかもしれないが、あいつは本当にそう信じたかったんだろう。本当にあいつは漫画の主人公に居そうな性格をしている……。
笑いそうになってるのを堪えながらも、俺は目の前のことに集中する。
「二乃達となら、進むことができるんじゃないのか?そうはっきりと意識できるようになったのは俺自身の問題が二乃と三玖によって露見されたからもあります。言いましたよね?人は裏切られようとも、傷つくことになろうともって……」
これらに続くものがあるとすれば。
それは……。
「誰かとの繋がりは、誰かとの関係性に深み増すこともあれば誰かとの関係性を壊すことにも繋がる。俺が優莉や父さんとそうだったように、俺が二乃や三玖たちと同じようなことが起きたように。それらは起きてしまう」
「その答えはキミの中で出せているのかい?」
家族を悲しませたこと。
優莉に辛い日々を送らせたこと。二乃達を苦しませたこと。
全部を綺麗にまとめるつもりもない。
目を閉じて、目を開ければ目の前には現実が広がってるように。
「人が踏み出すということはそういうことなのかもしれません」
渇いた口から出たもの……。
俺は再び優莉と会ったことで、再び二乃とぶつかりあったことで。
風太郎に責務の話をしたことで、踏み出せるものがあると断言できるものがある。発掘するまでもなく、本来存在していたものなんだ。
「勿論、これは綺麗なものばかりじゃないです。踏み出すことは、何かを切り捨てることになる。それでも、俺は隣に二乃が居てくれる。二乃は、俺が間違えたら容赦なく引っぱたいてくれるでしょうし、間違ってることは間違ってると怒ってくれます」
「人のこと、アンタなんだと思ってるのよ?」
真剣な話をしているはずだろ。
そんな抗議の目をはっきりとしてくる二乃。そりゃあ、途端にのろけだしたんだからな……。そうなるか……。
「悪かった、俺にとってそういう存在ってだけだ。これからも隣に居続けて欲しい」
「アンタねぇ……何もパパの前でそういうことは……」
「脇城君。どうやら、キミは無自覚なところがあるようだね」
「割と自覚してやってたんですが……」
「余計タチ悪いわよ」と腕で突かれる。
「なによ?なんで笑ってるわけ?」
「いや、なんかお前らしいなって」
「はいはい、アンタはそれっぽいことしてれば私が喜ぶとか想像してるんでしょ?私は安くないから」
「全然、違うんだが……」
「何処が違うって?ソラさっきも似たようなことをしてたでしょ?中身がないじゃない、アンタの発言」
「じゃあ、中身のある言動して欲しいのか?」
「……それはいいわよ、別に」
何故か日和り出す二乃。
多分、この感じだと意識するから止めて欲しいとかそういうのなんだろうが……。
「なるほど、キミ達が仲がいいというのは目の前ではっきりと知ることはできた」
「喜んでいいんですかね?それは……」
「実践して言動してみせた、図らずも脇城君、キミが二乃君をどういう存在として意識しているのかを、ね。喜んでもらって構わない」
色々と日頃から俺が二乃にどういう感情を送ってる。
それを見定められた。嫌、というわけじゃないが実際に指摘されるとどうにも歯がゆくなって歯を立てたくなってしまう……。
「なによりもキミにはこうして、娘と話せる機会を作ってもらった。その点については感謝しておこう。但し、キミが自分で述べた発言を忘れることはないようにして貰いたい。キミが語った踏み出すということはそういうことのはず」
「はい、それは承知してます」
「そうだね、僕から言いたいことは以上だ。これからも、家庭教師として一人の男として……」
「励むといい」
◆◆◆◆◆
踏み出す……。
去って行く二人の背中を見送りながらも、僕は机の中に潜ませていたものを見つめる。
彼はそれを自分から発言をしていた。彼は、二人ならば乗り越えることができると発言していた。何故、あのとき彼のことを了承したのか。それは僕自身がよく知っている。この世でたった一つの写真、僕と中野先生が映し出されている写真。
『私にとって、あの子達は家族であると同時に……』
『自分にとって勇気を与えてくれた存在でもあるのですよ中野君』
『もしも、あの子達に何かあればお願いしますね、あの子達のことを……』
冷徹、鬼教師とまで呼ばれていた中野先生が。
人に滅多に見せない表情だったのを覚えている。普段から、二乃君たちのことを考える母親の顔つきになっていた。
『人が踏み出すということはそういうことなのかもしれません』
記憶の中の脇城君と中野先生の発言。
どちらも、自分にとって重なり合う部分があった。在りし日の鏡がそこにはあるかのようだった。なによりも、あの躊躇いもなく本音を話せる力こそ、かつての脇城先生を彷彿とさせるにはいいものだった。
「懐かしいものですね、脇城先生……貴方もかつては僕にこう言っていた」
「人は変わりゆくものだと……」
かつて教師として教壇に立っていたとき、あくまでも自分の話として話していたこと。
『キミ達も覚えて欲しい。人は変わりゆくものだ』
『だからと言って美しいと語る気はない。人という存在は時に、激しく感情を流し時に何かを語り合う生き物だ。私は人という存在以上に、感情を持つ存在はいないと信じてる』
輝いていた。脇城先生のあの日、教壇の前で大半の生徒がどうでもよさそうに聞いていたこと。
それをあの脇城先生は延々と語っていてくれていた。昔の出来事を振り返ることが出来たから、彼のことを信じたわけではない。そう自分に言い聞かせるわけでもなく、彼は彼なりに……。
自分の在り方を述べた。
そして、それを変える気はないとまで誓っていた。
僕からあれ以上言うことはない。
感情という意味で使うのであれば、僕もあのパンケーキを食べて、彼女のことを思い出したこともある。なによりも、彼はちゃんとあの子達に目を向けてくれているようだからね……。
子が親を見て、成長するのではなく、彼は彼自身で成長した。
そして、二乃君も彼女達もまた……。
「何の用だい?僕とキミは電話するような間柄ではなかったはず」
彼らが去ってから、鳴り響く着信音を無視し続けていたものの……。
僕は出ることにする。
『おいおい、偶にはこっちから声を聴きに来てやったってのに連れない奴だなマルオ』
「それで、何の用だい?僕は生憎、忙しい身分だ勇也」
『あの人が来てる、どうやら間違いはねえみたいだ』
そうか……。
一花君が女優になった以上、あの男が彼女達のことを何処かで知る機会が増える。
何れそのときが来る。警戒はしていたが、まさかこんなにも早いとは……。
『で、お前さんはどうするんだマルオ?』
「そうだね、僕も向かうとしよう」
僕もあの男と……。
「学校に」
会う必要があるみたいだ。