「上杉君と一花君の関係の話、本当なのだろうか?」
五月の目の前を通り過ぎてから、また声が聞こえて来る。
まるで何も知らないかのような中野父の声。そりゃあ、当然だ。
俺から話したのは俺と二乃のこと。
そりゃあ、知る訳が……。
「……あっ」
ってことは……。
つまり、五月があの野郎に話してるのを聴いて、初めて衝撃の真実を知ったことになる。
「やっべ……!?」
このままだとあらぬ誤解を生むことになる。
あいつらが付き合ってるのは本当のことだが、このままだと五月が……。止まっていた自分の足を五月の方へと急がせる……。
「キャパオーバーしちまう……!」
◆◆◆◆◆
「五月君、先ほど先生に話していたことをもう一度確認したい」
「もしかして上杉君から聞かされてないん……ですか?」
「ああ、どうやら彼は僕に肝心なことを教えなかったようだね。家庭教師の範疇を随分と越えていたことには驚かされるばかりだよ」
上杉君、話していなかったのですか!?
もう、てっきりお父さんとは話し合いをしたとばかり思い込んでいたのですが……。
それよりも、お父さんをどうにかしなくてはなりません。
話し方的に上杉君にご立腹の様子ですし、このままでは上杉君の命の危機に関わる問題に発展してしまいます。そもそも、お付き合いする以上すぐにでも家族に話すのが筋というものでは……!?
「い、いえ……今は学園祭です。それに、昨日は上杉君も一花も忙しそう……でした」
私だって、知ったのは学園祭初日が終わってから……。
一花の口から聞かされて、耳を疑いましたよ。あの上杉君と付き合うなんて……。今になってみれば、そういう感情がないとは言い切れなかったのが一花の行動ですが……。
「な、なんて説明をすれば……」
威圧されてるわけではありませんが、まるで試験を受けてるかのような緊張感すらあります。
無堂さんとの話を終えたばかりで、別の意味で汗をかいてしまう。しかも、それが冷や汗……。このまま上杉君に直接お話をさせるのが筋……?
確かにそれはそうですが……。
何も準備していない状態のまま、報告をさせるのもそれは、それでいけません……。
「五月、俺から説明する。後は任せてくれ」
空君、戻って来てくれたんですね……。
「すみません。風太郎と一花のことなんですが……」
「脇城君、キミは僕にどうやら一つ、いや二つほど説明をしないままあの日帰ったようだね」
「え?二つ……?」
「一つ目は上杉君と一花君のことだ。自分のことを打ち明けるのは構わないが、二人のことを知っていたのであれば教えて欲しかったものだね」
空君が何も言えなさそうに口を閉じています。
ここで口をつぐんでいたら、お父さんが……。
「もう一つは、僕の間違いでなければ五月君はキミのことを脇城君と呼んでいたはずだが。この短い間の中で二人の関係がより近くなったということかな?二乃君というものがあるのにも関わらず」
「え!?お父さん、それは違くてですね……!!」
今度は私と空君との関係が疑われている……!?
いえ、私は別に二乃との関係を壊したい訳ではないです。空君とはこれまで何度も問題を乗り越えて来たからこうして呼び方を変えるという変化もやってみただけなのですが……。
「ハハハッ、あんまり二人を困らせるなよマルオ。にしても、風太郎の奴が女の子と付き合ってるなんて今日は祝い酒だな。明彦先生もどうよ?」
「僕もお願いしたいかな、息子がいつの間にか二乃ちゃんと恋仲になっていたなんて何も聞かされていなかったからね」
「そういや、俺親父には話していなかったな……」
「それは駄目だと思いますよ……」
微妙に窓の方に視線を向けて、思い出したかのように微妙に茶を濁そうとする空君。
そんな姿に空君のお父様が苦笑いを浮かべています。
「直接、本人たちに聴くのが一番早い、だろうね。僕は此処で失礼させていただくよ……。五月君」
「なんでしょうか、お父さん?」
「教師としてこれからも励むといい」
お父さんからのたった一言……。
そのたった一言が、私の中で渦を巻いてしょうがなかった。
父から言われたこともなかった言葉ということもありますが……。
「はい、ありがとうございます!!」
母とは違う先生になる。
私自身が、私の手で教師という形を作り上げていきたい。
その一歩を踏み出したなんて表現はあまりよろしくはないのかもしれませんが……。
父からの一言が証明の一歩に繋がってるように見えていたのも間違いなかったんです。
◆◆◆◆◆◆
『私達が母の後悔や父の後悔を……もしそれが本当ならば肯定することだってしていいはずです!!』
五月君、先生は後悔などしていなかった。
少なくとも、あの人は教師という道においては『後悔』の二文字は存在しなかった。キミ達を生んだことも、含めて。あの男と出会ってしまったことは全ての悲劇の始まりであろうとも、結果的にキミ達と出会えたことが彼女にとっての『宝』。
僕も見極めなくてはならない。
上杉君が、一花君と関係があるというのならば僕自身の目で確かめなくてはならない。彼に資格があるのか?彼に歩みを進める力があるのか?勿論、僕がよく知っている。
キミは脇城君と共に。
将来という道を突き進んできたのだから。僕が聞きたいのは……。
「え?お、お父さん……?学園祭来てたの?」
「お父さん……?ま、まさかな……」
隣同士にいる。
上杉君はかき氷を食べていたのか、カップを手に持っているようだ。
一花君の方はパスタを食べていたみたいだ。
「ほら、あそこにいるじゃん。お父さん」
「ど、どうも……お元気そうでなによりです」
「かしこまりすぎじゃない?フータロー君」
「茶化すなよ……」
なるほど、脇城君達と同じ。
彼らに直接語りかけてなくても、最早どういう関係なのかは把握できる。どうやら脇城君と五月君が言っていたことは正しいようだ。
「上杉君、一つ確認したいのだが……脇城君や五月君から聴かせて貰っ「お義父さん」」
「聞き間違えかね?キミにお義父さんと言われる筋合いはなかったはず」
一花君の方は、上杉君の服を一瞬掴もうとしていたが。
彼の方は一歩前に出ている。
「俺は一花のことを我儘だし、自分勝手。その上、部屋が汚いと思っています」
「フータロー君、最後のはいらないんじゃないかな」
日頃の日常会話のような地続きのようなものがある。
一花君が息をついていた。
「勉強も俺が教えないと怠けるし、こいつの女優としての演技力が高いのかは俺もよく知りません。ですが、一花がどうして女優を目指すようになったのかはちゃんと知っています。一花の夢の大元は俺であり、あいつらだったんです」
「何が言いたいんだね?」
わざと彼の発言を引き出すために話を続けようとさせる。
「俺の夢はあいつらに勉強を教えてる過程で見つけだせたんです。最初は漠然としていました、親父やらいはに楽をさせてやりたいって。気づいたら、俺は自分の夢があいつらと共に作り上げていくものだって自分で変わっていたんです」
「思い出や記憶のおかげで、俺は此処まで来れた。まさか、勉強が出来ない奴から学べることがあるなんて考えたこともありませんでしたが、そして一番苦労した一花だからこそ自分を偽ることなく伝えられる。今の俺は漠然としていないって、言えるんです」
「俺の夢は教育をまともに受けられない子供たちに勉強を教えてやりたい。貴方の子供たちやらいはを見て……」
「俺は自分のやりたいことはこれだと言えたんです」
妙な納得感があった。
五月君が先生のように教師を目指すと言ったとき、彼女という存在が呪いになるかもしれない。そんな疑問があったからに違いない。なのに、彼女が教師になると言い切ったとき安心感があったのはこういうことだったんだろう。
「やりたいこと……一花君と付き合うことも一つと?」
「一花を傷つけてしまうこともあるかもしれません」
「穏やかじゃない発言だね」
「そのつもりが無かったとしても、時として人は誰かを傷つけてしまう。何度も経験しました、一花のことですら。だとしても、経験したからこそ何度だって立ち上がることができるんじゃないかなって……俺は信じています。それが人が持つ」
「呪いに打ち勝つ方法って奴だと」
なるほど……。
ああ、そうだ。僕がこうして彼の言葉に耳を傾けようとしたくなるのは……。
『先生なら、大丈夫です。先生ほどの人ならば、治るはずです』
『自分の身体のことは自分が一番知っています。キミに頼みたいことがあります』
医師としてではなく、人間として中野先生のことを助けてあげたかった。
彼女が持つ心の痛みを取り除いてあげたかった。僕の専門外だったとしても、先生が笑ってくれるならば僕は自分の人生を無駄にしてもよかった。
重なっているんだろう。
自分と……。なんとも奇妙なことだ……。
「上杉君、僕から一つ伝えておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「信じることを諦めないこと。僕から言えることはこれだけだ」
一歩ずつ一歩ずつ、足を進めていく……。
背後から聞こえて来るのは上杉君の「ありがとうございます」という声だけだった。
少しずつ、足が速くなっていくのと同時に……。
僕は明彦先生と目線が合う。
「聴いていたんですね、明彦先生」
明彦先生の目は何処か優しかった。
教壇に立っている頃の先生のような瞳をしていた。
「ああ、聴かせて貰ったよ。キミも昔から熱いままだねマルオ君」
「そうでしょう、か?僕は彼に信じて欲しかっただけですよ」
「自分がそうだったように……」
明彦先生に伝えると、先生は軽く相槌を打っている。
軽快なリズムが聞こえて来そうな中で、もう一つ違う方向から声がしている。
「フータロー君、お父さんが来てビビったでしょ」
二人の会話が聞こえて来る……。
いや、三人か。勇也もあっちにいるようだ。
「全く、俺に紹介もなしに彼女を作りやがって。さっきのスピーチ良かったぞ、一花ちゃんが言ってるように震えてたように見えたがな」
「親父……ビビってるわけないだろ、俺はちゃんと話してただろ」
「ええ、そうかな……フータロー君。額の汗凄いけどなぁ、フータロー君のお父さんなら分かりますよね?」
「ああ、額に汗びっしょりだな風太郎」
騒がしい声ばかりがする。
勇也が上杉君の背中を軽く叩いていると……。
「これからよろしくねフータロー君」
「ああ、騒がしいお前の声を聴くのは程ほどにしたいところだが、これからもよろしく頼む」
「うーん、やっぱりそういうところは変わらないよねフータロー君」
不思議と一花君と上杉君の会話を聴いていて。
心地よさがあった。
それは恐らく……。
不安というものが無かったからだろう……。
会話を聴いていて……。