天ぷらの匂いがする……。
背中からは鋭い視線を感じる。集中しようにも、やり辛い感覚だけが残されていて、俺はチラッと後ろを見てしまう。最早、言うまでもない。後ろで腕を組んで、早く実践してみせろと言わんばかりの態度で二乃が立っている。
「お前、人に教えて貰う態度かそれ……」
目を細めて俺は言う。
三玖のことで背中を物理的に叩かれたこと。あいつが俺の彼女であるから言いづらいという気持ちはあれど、どうしても集中できない。
「つーか、お前なんで俺に聞くんだよ。爺ちゃんでもいいだろ」
「ソラから教わるから意味があるんじゃない」
台所の天板に軽く指を置いて、ようやく腕を組むのを辞める二乃。
かれこれ十分ぐらいは腕を組んでいた気がするが……。
「……そういうもんかね」
「そういうもんよ」
即答してくる二乃。
自分の瞳が濁ることはなく、油の熱さも感じることはなくなっていた。こうやって俺のことを頼りにしてくれているということ自体。寧ろ、心がるんるんな気分になりそうなぐらいだ。こんなことを言ったら、二乃にしかめっ面で見られることは間違いないが……。
「なによ、急に笑い出して」
「別に……なんでもないぞ」
言わんこっちゃない。
心の中で感情の羅列をしていれば、そりゃあ堪えていても感情として出るのは当たり前のはずだ。まるで、二乃に言われるのを期待していたような素振りがあった俺の行動。これこそ、二乃の奴に背中を叩かれて怒られてもおかしくはない事案だ。
「ったく……」
自分のことを重症だと実感する。
肩の力を抜いて、引き続き揚げられて行く天ぷらたちを救出して行く……。
「そういえば、二乃は……将来の夢とか決まってるのか?」
天ぷらの作り方を伝授をある程度終えてから俺は手を洗ってから聞き出す。
「なによ、急に家庭教師みたいなことでもしたくなったわけ?」
「文字通り家庭教師なんだがな、聞いておいても別にいいだろ?」
風太郎から五つ子の将来の夢のことについて聞くことは先決だと言っていた。
俺もそれには同意見だ。もう高校三年生で進路が決まってないなんてことが起きたら、それこそ大惨事もいいところ。行き先が決まっているなら、別に構わないがな。
「そうね、私は料理人になろうと思ってるわ」
「料理人?まあ……俺から教わるぐらいだからそりゃ当たり前か」
「ええ、そうよ。私の夢は将来、喫茶店を開いてSNSで映えそうなお店を開きたいの」
「なるほどな……」
こうして俺から料理の更なる追求をしようとしてる。
その時点でなんとなくあいつの将来の夢のことはある程度は想像できた。映えそうってのもこいつなら割と言い出しそうなことだしな。
「理由とかはあるのか?」
「そうね、私が料理できるのはアンタも知っての通りでしょ?」
「そりゃあ、嫌というほどな」
二乃と話すようにもなったのも料理がきっかけ。
あれからの縁と考えたら、これまで色んなことが起き過ぎていてどうにも消化しきれないときの方が多い。起きたことが多すぎるからだ。
「得意なことがあるなら、それを活かして何かをしてみたい。ただそれだけよ」
「なるほどな、俺に天ぷら以外の料理のことも教えてくれと頼んできたのはそういうことか」
返事はしてくれない。
肯定も否定も。あいつのことだから、そういうのを素直にするのを好きじゃないだけ。根っこは変わらず、人から何かを助力を得ようとする二乃の姿は正直驚きの連続ではあった。暇つぶしがてらにあいつが聞き出そうとして来ることは多かったが、こうやって真剣に聞き出そうとしてくるのは何気に初めての出来事。
「前に一度、三玖が頼んで来たのよ」
「三玖?」
「あの子、アンタの為にチョコを作りたいからって教えて欲しいって頼んで来たのよ。あの三玖がよ?」
テーブルの上に置かれてある皿を一瞬だけ見つめる。
三玖のチョコの話の裏にそういう事情があったというのは知らないことだった。あいつのことだから、かなりの努力と根気の上で作りあげたんだろう。そして、その教えの相手として二乃を選んだ。
本来、ライバルであった二乃……。
「なにぼさっとしてんのよ」
背中の中心に痛みが生じる。
軽く音がしたのと同時にだった。
「二乃……」
二乃が背中を叩いてくれたということを知ったのは少し遅れてからだった。
「まさかだと思うけど、三玖に現を抜かしてたんじゃないわよね?」
「悪かったな……」
話してきたのはお前の方だろなんて言えるわけがない。
事実、俺は二乃が話していた通り三玖のチョコレート作りの話の裏にはそういう話があったと言うのを此処で知ったのだから。動揺したってよりは、そうだったのかという納得感があったというのが確か。
「アンタの彼女は誰だったかしら?」
「はいはい、お前だろ」
「そこは……二乃って言いなさいよ」
「お前」じゃなくて名前で呼んで欲しかったのか不服そうにする。
そんな二乃とは裏腹に箸を掴み始める。
「それで二乃が……俺に教えて貰おうと思ったのはそれが関係してるってことか?」
「ちょ、ちょっと違うけど……そうね」
また照れ隠しに戻る二乃。
頬を赤くしている二乃の姿が隣から感じ取りながらも、俺は二乃が作った天ぷらを早速口の中へと頬張ることにする。
サクッとしたものが口に広がるのは当たり前だが、此処からが本番。
歯を軽く当てながらも衣がはがれて行く。衣が喉の方へと放り込まれていくのと同時に、かぼちゃ特有の甘さが広がって行く……。
「美味いな」
「当たり前じゃない」
得意げに髪を掻き分けている。
野菜が格別にいいとか、めんつゆがいいとかそんな偏りは全く存在しないに等しい。馬鹿にしているように聞こえるが、天ぷらってのは案外めんつゆは美味いが、その後無言になることだって全然ある。俺だって一時期祖父にそう言われたことすらあったからな。
「流石は姉妹の中で一番料理が上手いだけはあるな」
「なに今更当たり前なことを言ってるのよ」
至極真っ当な反応が返って来るが、事実を返すことしかできなかった。
感想が思い当たらないというよりも、日々進化する二乃の料理の腕の前で感動という二文字だけでは言い表せないものがあった。
「持って行くわよ」
「ああ、悪い」
俺が全部食べ終えると、二乃が皿を持っていく……。
昨日あいつが作ったサンドイッチだってそうだった。たかがサンドイッチかもしれないが、見栄えよし。バランスもよし。味も全てが平均以上であり、舐めて掛かればすぐにでも全部食べたくなる衝動に駆られることの方が多かった。
「アンタもなるんだからね」
「俺も?」
「当たり前でしょ?私の彼氏であるアンタが私の店を切り盛りしなくてどうするのよ?」
「切り盛りねぇ……」
考えたこともなかった。
誰かと一緒に店をやって、食事を提供するなんてことは……。そもそも、風太郎が話していた将来の夢のときも、俺はなし崩し的にも祖父の店を継ぐことが当たり前だろうと勝手に思い込んでいた。どうせ、爺ちゃんには早く出ていけなんて言われるのは目に見えているのに……。
「なによ?嫌なわけ?」
「いや……」
歩き出しながらも、俺は二乃がいる台所の方へと向かう。
その歩き出した後ろの歩幅はまるで自分の決意を示すかのようだったが、何処か自分の中でも二乃の話を聞いた時点でこうなることは読めていたんだろう。
「悪くねえなって思っただけだ」
本当に悪くないことだ。
一緒に店を開いて、来店したら「いらっしゃいませ」の一言。呆然と構えていた俺にとっては、二乃が差し伸べていたものは背中を押す手よりも……。
支えてくれるものだった。