五等分の花嫁 心の傷を持つ少年   作:瀧野瀬

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三女の進む先

 パンの香ばしい匂いがする。

 出来立てのパンを見る度にあの日のことを思い出さないなんて言えば嘘になる。ソラには「気にしないで」なんて言い方をした。けれど、一番気にしているのは私自身。ソラが二乃を選ぶということは心の何処かで理解していた。

 

 なんだかんだあの二人は似ているから。

 後悔はない。私はやれるだけのことをやった。この胸の奥に残っているしこりもいつかは思い出となって消えてしまう。そうなるとき、私はどうなるんだろう。目の前のパンを見つめつつも、ただひたすら集中しようとしていた。

 

「随分と調子良さそうね」

 

「二乃……」

 

 出来立てのパンを見つめていると、二乃が声を掛けて来る。

 お店の中に入って来たのと同時に、壁に寄りかかっていつもみたいに腕を組んでいる。

 

「一名様、いいかしら?」

 

「お客さんが一名様って言うの初めて聞いた」

 

「別にいいでしょ」

 

 ちょっとだけ笑みを浮かべてしまう光景だった。

 自分から一名「様」というお客さんをあんまり見たことがなかったから。居酒屋とかならあり得るかもしれないけど、パン屋はみんなパンを買って行ったらそのまま帰ってしまう人の方が多いから。あんまり店内で食べている人は少ない気はする。

 

 

 

 

「ねえ、三玖……アンタは進路とか決めたの?」

 

 手から指先の力が抜ける。

 進路……。考えていなかったわけじゃない。自分がなにをしたいのかはちゃんと考えている。

 

「お店開きたい」

 

「パン屋開いて、みんなに食べて貰いたい」

 

 そう思う感情の理由はいっぱいある。

 色褪せることは絶対ない。あの言葉だけで私は自分の夢に向かって頑張ろうと前に進むとなれたから。

 

「ソラに美味しかったと言われたとき、心の底から嬉しかった。こんな自分でも美味しいパンを作ることが出来るんだって誇ることができた。そう考えたとき、自分でお店を開きたいって気持ちがあった」

 

 胸を刺すチクリとした痛みはなかった。

 パンだけ……じゃない。背中を押してくれたのは勇気をもって自分を貫くこと。これまでの私には絶対できなかったことだった。自分の好きなものすら自信を持てなくて、必死に隠そうとしてしまう。

 

「っそ……アンタのパンで食中毒とか出ないことを祈るわ」

 

「ちゃんと作る」

 

 もうあの頃の自分とは違う。

 戦国が好きなことを隠そうとする自分はいない。何かが出来なくて、落ち込むことしかできなかった自分じゃない。振られたから前に進めないわけじゃない。それをバネとして伸ばすことなら幾らだってできる。

 

「そんなの当たり前じゃない……全く一応心配してきてみたけど」

 

「……なにか言った?二乃?」

 

「な、なんでもないわよ……!」

 

 二乃が椅子に座って気分を変えている。

 小声で何かを言っていた。二乃のことだから、私が将来の夢が決まってなくて大丈夫か心配しに来てくれていたんだと思う。二乃はやり方はあれだけど、ちゃんと姉妹のことを見てくれている。そんな二乃のことを知っているからこそ、次の言葉もなんとなく分かっていた……。

 

 

 

「頑張りなさいよ」

 

 ティーカップを取ろうとしていた二乃の指先。

 それは私の方へと指先が向けられる。これまで姉妹でもあり、恋敵でもあったはずの二乃から背中を押されるのは……。

 

 

 

 

「うん」

 

 悪い気分じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 全く、我ながら余計なことしちゃったわね。

 

『ソラ、フータローになにか言われたわけ?』

 

『あー色々とな。お前らの進路とかのことでな』

 

 唐突に聞いて来たから何かと思えばやっぱり家庭教師絡み。

 どうせ、ソラのことだから今は三玖とか話しにくいとかくだらないことを言い出す。だから、私が先回りして動いてみたら三玖は三玖でちゃんと進路は固まってる。

 

 余計なお世話……?

 そんなわけないわ。こうやって三玖の覚悟を改めて聞いてあげることで揺らいでないのか確かめる必要は充分にあった。もし、パン屋を開きたいけど自分でどうするのか分からないとか言い出したら協力はしてあげなくも……ない。

 

 まっ、今更そんな臆病なことを言い出されたりしたら同じ好きな奴を取り合った。

 その意味では私の価値まで下がる。怒っていた可能性はなくはないわね……。

 

「二乃……どう?」

 

 口の中で広がる確かなパンの味。この時点でもう今までの三玖とは違う。今までのあの子なら、キッチンに立たせること自体私達を殺す行為でしかない。それが今となっては、目を瞑りそうになりながらもちゃんと私の前でパンを食べさせようとしている。

 

「そうね……」

 

 足を組みつつも、私はパンを味わう。

 単なるクロワッサンでしかないわ。正直、味に関しては何処にでもありそうなクロワッサン。特別、美味しいと言いたくなるようなものじゃない。平均点って言い方は私は嫌いだし、付けるとしたら……。

 

「60点よ」

 

「厳しい」

 

「当たり前じゃない、正直このクロワッサン何処にでもあるクロワッサンじゃない」

 

「何処にでもある……」

 

 指先を三玖の方に突きつけて事実だけを伝える。

 握り締めていた三玖の手は徐々に解けつつあった。開いた口がこれだったから、立ち直ることができないのかもしれないわね。勿論、遠慮するつもりはないわ。仮に三玖がどれだけの丹精を込めてこのパンを作ったとしても……。

 

 感想としては単なるよくあるバターの風味とよくある香ばしさ。

 強いて言えば、パリサクとした食感は私好みではあった。ただ、それはあくまでも私の好みでしかないわ。こういうとき必要なのはお客さんにどれだけウケがよくて、どれだけ通じるかどうか。普通なら何処でも食べられるものでしかない。

 

「アンタらしいものがないと駄目ね、言っておくけど味を不味くしてとかそういうことじゃないわよ!?」

 

「それはちゃんと分かってる……ありがとう二乃」

 

「別にいいわよ……それよりも……」

 

 途端に足を組むのをやめる。

 紅茶が飲みたい気分になってきて、一口飲む。この紅茶も三玖が作ってくれたもの。こっちに関してはそれなりにはよく出来ている方。素材の味が元からいいからってのもあるわ。だとしても……。

 

 

 

 

「案外悪くなかったわよ」

 

「なにが?」

 

「……アンタの作ったもの」

 

 聞き返されたせいで余計恥ずかしくなる。

 こういうとき、カッコつけたとか男たちみたいな発想は私にはない。寧ろ、ああいう見栄を張って言うのはダサいだけよ。なのに、三玖に聞き返されたせいで自分の体の内側が熱くなってしまう。額に汗が出て来ないよう、自分でも注意しながらも急いでクロワッサンを食べる。

 

「二乃」

 

「なによ、急に褒めてあげたんだから感謝しなさいよ。アンタのこのお粗末のパンでも──「そうじゃない」」

 

「褒めてくれてありがとう」

 

 

 

 

 

 

「一緒に競ってくれてありがとう」

 

 遮られた後の最初の一つは意外じゃなかった。

 あの子のことだからそういうことは絶対言い出すと想像はできるから。

 

 

 もう一つの方は……。

 もう一つの方は私も三玖みたいな引っ込み思案な奴が妹だったから。私は私のままでいられた。姉妹を私なりに守ろうとした。お母さんが死んでからずっとそうだった。

 

「お母さんが死んでから、か……」

 

 そうね、この子ばかりじゃないわね。

 あの子(五月)がああなって止められなかったのは私にも原因がある。自分のせいだからと思うことなんてことは一度も頭の中で思ったことはないわ。考えたこともなかった、気づかされたってことね。目の前にいる三玖のおかげで……。

 

 

 なら……。

 

 

 

 

「今度こそはアンタらしいもの作り上げてみせなさいよ」

 

「分かってる、二乃を認めさせた上で……」

 

 

 

 

 

「自分だけが作れるものを作ってみる」

 

 全く、本当に苦労ばかりさせられる姉妹ね……。

 気が抜けたのと同時に私は再びクロワッサンを食べる。口の中に広がるのは……。

 

 

 

 

 

 

 何処か甘いもの……。

 

 

 

 

 

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