泣いていた声が耳元に残ってしまう。
四葉の泣いている声が私の中でどうしてもあのときのことを彷彿とさせてしまう。
『私はもう皆とは違う、一緒にしないで』
黒薔薇にいた頃の四葉……。
気づいていた、四葉は一人で我武者羅で突っ走ろうとしている姿に……。
『待って、四葉……』
なんて声を掛けることが出来たら、どれだけよかったのかな……。
後悔が降り注ぐ中で……。それでも、確かに言えることがある。あの日のことを後悔していても、四葉と一緒に転校してきたことは何も後悔してない。それどころか、私はこの学校に来てよかった。
それだけで……。
「三玖……」
四葉の前に立つには、充分な覚悟……。
私がよく来る喫茶店のお店。手元にはティーカップが置かれてあって、私は一口紅茶を飲んでみる。二乃が教えてくれたこの味は、今も慣れることができない。
「その……」
「ごめん……!!」
躊躇ってる。
四葉は迷いながらも、頭を下げてくれていた。四葉が頭を下げる必要なんてないのに……。
「私は今まで何度もみんなに迷惑をかけてきた!みんなの前ではへっちゃらみたいな顔をしてた。本当はテストのことは散々言われていたのに、運動で成績を認めて貰えればそんなの大丈夫としか思っていなかった」
「楽観的過ぎるよね……」
泳ぐ視線の先はテーブル……。
綺麗な床を見つめながらも、四葉は自分を見つめていた。そんな四葉を見て、私は視線の先を四葉と同じ場所じゃなくて、手元に置いてあるもの……。
「転校してから結構経ったよね四葉」
懐かしむようにして私は続ける。
「転校して色んなことがあった。楽しかったことばかりじゃない、泣きたくなるときもあった。辛くなるときもあった。大切な何かが砕ける音がしたときもあった。二乃と五月の喧嘩のときも……」
「ソラに一度拒絶されたときも……」
キャンプファイヤーの火のように私の心は灯されなかった、あの日。
拒絶された心は冷たく凍えていて、乗り越えるのは大変。それでも、ソラは戻って来てくれた私達の家庭教師として、私の初恋として……。
「どれもこれが輝いてる日常なんかじゃなかった」
「三玖、ごめん」
「違う、私は四葉に謝って欲しいんじゃない」
「え?」
首を横に振って、四葉に違うとはっきりと伝える。
この場所に来て初めて目を合わせてくれていた。それが心の中では嬉しかった。
「私は……」
「この学校に転校してよかった」
「黒薔薇にいたころ、私達はこの学校で成長して、次の戦に立つことになるかもしれなかった。安定していたかもしれない」
戦いの活路はあった。
勝利条件もあった。誰がどう見ても勝ち続けられる条件。
「お父さんたちが作ってくれた道の上で」
私達は手放した。
「四葉だけが転校してたら、私達はずっと四葉の背中を見続けることしかできなかった」
きっとなんて言葉は使わなかった、断言できるから。
あのまま四葉だけをこの学校に転校させていたら、私達の姉妹の関係は冷え切った関係になっていて……。
『四葉、学校楽しい?』
顔色を窺っていた。
それだけは絶対言える。歪んだ関係だけが続いてた。
「三玖、それでも私は……」
「四葉が自分のことを許せないなら、それでもいい。ただ、これだけはもう一度言わせて欲しい」
「私は後悔していない、転校したことを」
これだけはどうしても何度も言いたかった。
スマホの画面が明かるくなって、武田の家紋が見えている。
『だったら、堂々としてればいいだろ』
ソラが教えてくれた。
好きだったら堂々としていたらいい。彼が教えてくれた感情があったからこそ、私はもう隠すのをやめた。戦国武将が好きであることも、戦国時代が好きなことも。なによりも、胸を張ることができた。
自分なりにも……。
だから、四葉……。
「ありがとう」
この場所で言える最後の一言はそれだけでよかった。
それ以上の言葉は必要じゃないから。
◆◆◆◆◆
三玖の言葉が自分の中で繰り返されてる。
怒られる覚悟もあった。三玖にあのときのことを謝ったからには、怒られる覚悟があったはずなのに私はどうしようもないほどの安心感に包まれてしまっている。
こんなことを思いたくなかった。
自分が惨めでしかないのに、どうしても思ってしまう。
三玖は私のことを許してくれようとしてくれている。
多分、多分…‥どの姉妹に話しても同じことを言われてしまう。姉妹だけじゃない、脇城さんだって。上杉さんだって、そう。なによりも……。
『これ、お前にやるよ』
『え?これって一花が出てる奴ですよね?』
『あいつから労いとか言われたんだが、生憎映画を見に行く暇も無くてな』
上杉さんはそれ以上言わなかった。
私にそのチケットを渡していただけ。なのに、私はどうしてもその行動が嬉しかった。上杉さんからの贈り物。そして、上杉さんは私のことを考えてくれていた。将来のことがまだ見えていない私、修学旅行のことで傷ついているかもしれないと思った私に気分転換の道を渡してくれた。
目の前の三玖だってそうだ。
気づいているのか分からない。三玖は椅子から立ち上がって、転校したときのことを必死にあれでよかったと言ってくれている。周りの目を気にしていた三玖が、立ち上がって私に語ってくれている。あの三玖が……。
「四葉、最後にもう一つだけ言わせて欲しい」
「……なに?三玖?」
もう肩から息を吸うことしか出来なくなっていた。
そんな三玖が私にまだ話したいことがある。私はその先を聞こうとしたとき……。
「ゲーム譲ってくれてありがとう」
「四葉のおかげで好きなものが増えたから」
あまりにも意外な言葉だった。
続いていた言葉の中で一番三玖らしくもあり、そういえばそうだったと思ってしまう程に……。
『えー?三玖、ゲームとかやるの?』
『興味あるから』
『私はもうやらないからいいけど、三玖はお子様だなー』
ゲームを譲っただけでしかなかった。
勉強に集中するため、子供であることを卒業するため。上杉さんとの約束を果たすために、誇れる自分になろうとした。
『え?結構渋いの選ぶんだね三玖』
声に出すことはしなかった。
三玖が選んでいたのは私がよく分からなくて途中で投げてしまったゲーム。戦国武将が活躍して、結構頭を使うゲーム。あんな単純で日常でしかない過去の出来事の中で三玖は自分の好きなものを見つけられた。
「そっか……」
「そうだっただんだね……」
なんとなく納得してしまった自分がいる。
三玖の好きなものの一つは私の影響。私がもうやらないと誓っていたゲームの中から三玖は自分が好きだと誇れるものを見つけることができた。
「なんでなんだろう……」
どうしてもまた同じことを言い切ることができない。
さっきまで自分のせいだと思ってしまっていて天井を見上げたくなっていたのに、私が向いているのは三玖の方。少し前から三玖の方をずっと見つめていた。私の目に映るのはちゃんと私の目を見て話してくれている三玖の姿。その姿があるだけで、私はもう楓さんが言っていたように前に進もうと思ってしまいたくなる。
自分の夢も何もない。
あるのは過去の後悔と過去の罪悪感。
それでも、私は姉妹のみんなが好きだ。
上杉さんのことが好きだ。
ねえ、一花……。
やっぱり、私は……。
『一花とは本気で戦わせてもらうよ』
あの日のことを訂正することはできない。
だって、私も……。
風太郎のことが好きだから──。
◆◆◆◆◆
向かい合って座っていた四葉の姿はなかった。
『ありがとう、三玖』
いつもの四葉よりも口数は少なかった。
慣れていない紅茶を私と一緒に飲んで、テーブルの上には私のティーカップ以外には何も置かれていなかった。少し寂しくなったこの場所の中で私は一口再び口にしていると……。
「フータローごめん、勝手なことし……ソラ?」
目の前に立っているのがフータローだと思って、声をかけた。
それは違った。私がちゃんと確認すると、そこに立っていたのはソラだった。
「どうして此処に来たの?」
「偶々だ、お前がよく来る店だからな。偶に来たくなるんだよ」
「浮気しに来たの?」
「ちげえよ、ちゃんと二乃には許可は取ってるしな」
口元を緩ませながらも、ソラは座って来る。
多分、この場所に来たのは偶然じゃない。此処の前を通ったのは偶然であっても、四葉が出て来たのを見て私が此処にいるのかもしれない……。
ソラが座ってからというものの、この場所は寂しくなくなる。
こういう小さな幸せを四葉も私から言われたとき、同じことを思っていたんだろうか。四葉が私から勇気を貰った。私もまた、ソラから勇気を貰えた側。なら、ソラに伝えておきたいことがある。
「ソラ……出会ってくれてありがとう」
間を入れることもなく、私が言うとソラは手に持とうとしていたグラス。
それが手から一瞬引いたような感覚が見えながらも、ソラは下を少し向いてから言う。
「こっちこそ、ありがとうな三玖」
返す言葉なんて決まっている。
最初から……。
「私こそありがとう」