五等分の花嫁 心の傷を持つ少年   作:瀧野瀬

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四女は選ぶ

「上杉さん、おはようございます!」

 

「ああ、四葉か……」

 

「知ってますか?上杉さん、今日の牡羊座は忘れ物に注意らしいですよ!」

 

 昨日からずっとそうだった。

 風太郎の声を掛けるのに、勇気なんて必要なかった。

 

 掌を挙げれば、自分の心が身体に追いついてくれている。

 こんなふうに意識をするのは初めて……。

 

「忘れ物?まさか、俺は万年忘れ物なんてしたことがないぞ」

 

「流石、上杉さんですね!」

 

 やっぱり、こういうところはいつまで経っても変わらない。

 

 この学校に転校してからもそうだけど。

 京都で出会った頃から、風太郎がこうやって胸を張って語ってくれる姿がどうしても好きだったり……する。

 

「あ、あの……」

 

 深呼吸をしないで、一旦風太郎に話しかけてみる。

 勢いよく、声を出してみたものの自分の中では感情が浮かんでしまう。

 

「ふ、ふうたろ……上杉さん!!」

 

 ダメダメ、ダメ……!

 やっぱり、いざ上杉さんを目の前にしてみたら、風太郎呼びなんてできないよ。

 

「……どうした?四葉?」

 

 いきなり慌て出した私を見て、上杉さんは微妙に困ってる。

 いつもなら、無表情でいることが多いのに話を切り上げてしまったから上杉さんもなんかこう……混乱しているんだと思う。

 

「え?あーえっと……そ、そうですね!!」

 

「上杉さん、喉渇いてないですか!?ちょっとコンビニ行ってきますね!!」

 

 上杉さんが何かを言おうとしていたのを振り切った。

 偶々、都合よく目に入ったコンビニに逃げ込んでしまう。聞こえて来る入店音は何も耳に入らなくて、ひたすら飲み物を目で追っているのがやっとだ。

 

「ダメ、ダメだよ私……!」

 

 こんな土壇場で意気地なしになるなんてよくないのは自分でもよく分かってる。

 このままじゃ、一花と同じ土俵に立つことすらできない。

 

「やっぱり、恥ずかしいよ……」

 

 私にとって、上杉さんは今も昔も変わらない。

 あの上杉風太郎君が高校生になって、すくすくと育った姿に見えてしまう。自分の中で過去は過去だと踏ん切りがついているはずなのに……。

 

「呼べないよ……名前でなんて」

 

 手に取ったペットボトルの感覚が弱くなってしまう。

 レジでそれを払って、一花や二乃を見習ってブラックコーヒーを飲んでみることにしてみた。気分転換も兼ねて……。

 

 機械の前に立って、コーヒーが出来るまで……。

 気長に待ちながらも、私の中で安定しない心臓の音だけが鳴り響いてしまう。何か自分の声を誤魔化す為に、私は壁に何か集中できそうなものがないかなと目で追っていると……。

 

「東町マラソン大会……?」

 

 たった一つのビラが気になる。

 東町マラソン大会、多分街中を走るとかそういう系のよくあるマラソンだと思う。ああいうのは何処の市内でもよくある奴だし、この季節になったら耳にすることは偶に……あった。

 

「マラソンか、出るのか?」

 

「えーいや、私はその……って上杉さん!!?」

 

 此処にいないと勝手に思い込んでたあまり、私は驚いてしまう。

 周りの人達がなにかあったんだろう?という目を向けられて、私は思わず自分のスマホで顔を隠したくなってしまう。

 

「なにしてるんだお前?」

 

 いつも通りな上杉さん。

 それが今日に至っては余計眩しい……。

 

「いや、その……マラソンですよね?」

 

 出来立てのコーヒーを軽く飲むはずが、一気に飲んでしまう。

 口の中は苦みで広がっていて、自分の喉を苦しめてしまっていた。

 

「お前、走るのは嫌いじゃなかったろ?」

 

「そうなんです……けど」

 

 自分の手で自分の手を触れてしまう。

 出たくないという気持ちはない。寧ろ、こういうものに出て自分の気持ちを発散してみたいとかは割とあったり……するのかもしれない。

 

「あっ、その……上杉さんは走ってるところ見たいですか?あんまりお見せしたことないですよね?」

 

 咄嗟に思い浮かんだことを口にしてみると、上杉さんは「確かにそうだが……」と言ってくれた。この話も終わって、上杉さんにこのポカリもようやく渡せると信じていたそのときだった……。

 

「そこはお前が決めるところじゃないのか?」

 

「……え?」

 

 あんまりにも予想していなかった言葉……。

 自分で持っていた紙コップを落としそうだった。

 

「私の気持ち……ですか?」

 

「ああ、俺が見たいって言うのは重要なことかもしれないが、こういう大舞台ってのは自分が出たいかどうかが重要なんじゃないのか?」

 

「大舞台……」

 

 市内のマラソン大会なんて正直、箱根駅伝とかに比べたら全然見劣りするもの。

 町おこしとかそういう意味合いもあるものだから。

 

 上杉さんの言っていることは大袈裟。

 それでも、決めるのは自分だと言われてなんとなく考えてしまう。

 

「俺から言えるのはこれはある意味ではチャンスなんじゃないのか?ってことだけだ」

 

「チャンス……ですか?」

 

「ああ、お前がもし勉強と学業の両立を成立させてるところを誰かに見て貰いたいとか考えてるなら、大きな機会になるかもしれない。勿論、俺から強制なんてことはしないし、俺はどちらかと言うとお前らの学業を優先して欲しいからな」

 

「上杉さん……らしいですね」

 

 くすっと声を出して笑ってしまう。

 上杉さんは一花の手伝いと一花の勉強でかかりっきり。そんな中で姉妹の誰かが勉強を疎かにされたら、溜まったもんじゃないって考えていたのかも。そういうところは本当に上杉さんらしい。

 

「上杉さん、さっき言ってましたよね?誰かに見せる機会だって」

 

「ああ、言ったな」

 

「結構いるんです、姉妹もそうですし脇城さんや上杉さんは勿論。ただ、それだけじゃなくて……」

 

 

 

 

「お父さんにも見せたいんです」

 

 上杉さん達だけじゃない、お父さんに私の走りを見届けて欲しい。

 勿論、病院のお仕事で忙しいから難しい……かもしれない。だとしても、私はあの日のことを後悔している。お父さんはあのときの私のことを今でもどう気にしてくれているのか……。

 

 

 割と気になってしょうがなかった時期もあった。

 

「出ます、上杉さん」

 

 

 

 

「このマラソン大会……!」

 

 紙コップに再び力が入る。

 揺れ動く音がしていた。

 

 今度は自分の心を表していなかった。

 

「全力でこの足を走らせたい」

 

 その先に辿り着くものなんて存在しないのかもしれない。

 届くなんて信じてるわけじゃない。流した汗の数だけ、努力が報われるなんて考えてもない。

 

「全力で一位を目指してみたいんです!」

 

 結果だけも響いて欲しい。

 少なくとも、あの頃の自分は乗り越えてるんだってことを……。

 

 みんなにも……。

 

「四葉……」

 

「はい、なんでしょうか!?上杉さん!」

 

 一歩踏み出せば、私の心は溶けていった。

 まだ風太郎と呼ぶことは全然できない。こんなのんびりとしていたら、一花に先を越されてしまう。それなのに、私は気分がよかった。

 

「ちょっと頼みが──「四葉さん、マラソン出てくれるの!?」」

 

 上杉さんの頼みごとを聞こうとしたとき、誰かが窓ガラスに張り付いてた。

 その声の方を耳に澄ませたら……。

 

「え?陸上部の部長さん!?」

 

「お、覚えていてくれたんだね!?四葉さん!」

 

 店内に入って来る部長さん。ど、どうして陸上部の部長さんが此処に……。

 手を握られて、感動しているのか目を潤わせている部長さんの姿に私は思わず上杉さんに助け舟を求めてしまう。

 

「あー悪い、実は元々、江場から頼まれててな」

 

「え!!?そうだったんですか!!?」

 

 コンビニの中にいるとは思えないほど、大きな声をあげてしまって私は急いで口を手で覆う。

 全部遅かったけど……。

 

「ただあんまり無理矢理誘うのもよくないと思ってな、一応お前の意志を確認したかったんだが……そのすまん」

 

「なら、もっと早く言ってくださいよ!!?」

 

「本当に……すまん」

 

 最初から江場さんに頼まれたという形でも、全然受けたのに……。

 どうしても、自分の勇気を振り絞った後だったから何処か顔を隠したくなってしまう。

 

 は、恥ずかしい……。

 

「江場の奴も、お前を部活に勧誘したいとかじゃなくて今回マラソン大会で出る予定だった一年が急遽出るのが難しくなったらしくてな、それで是非お前に出て欲しいと頼まれてってわけなんだ」

 

「そ、そういう流れだったんですね……」

 

 肩の力が抜けてしまう。

 

「ご、ごめんね四葉さん……!どうしても、一年の子で出れなくなった子がいてね。それで、是非四葉さんに出て欲しくて。勿論、部活に入って欲しいとか言わないから、お願い……できるかな?」

 

 だ、誰だこの人……。

 思わず、私は自分の中で突っ込んでしまう。江場さんって、もっとこう部活優先みたいな人で此処まで畏まっていなかったような……。もしかして、二乃のあの誤解まだ引き摺ってるとか……なのかな?

 

 あの誤解は一応解いたはずなんだけど……。

 

「だ、大丈夫ですよ……!」

 

 さっきまでの流れもあって、微妙に変な空気感が残ってしまっている。

 しょうがない、これに関しては……。

 

「元々、出たかったって気持ちは変わらないので!」

 

「ありがとう四葉さん……!」

 

 また江場さんが手を握ってくれている。

 手にあるのは汗の感覚……。

 

 頬を染めている江場さんとどうにも居心地が悪そうにしている上杉さんの姿があって……。

 私は何処か……。

 

 

 

 

 さっきの覚悟が少し軽くなってしまった気がするけれど……。

 このぐらいが一番ちょうどいいのかも。

 

「じゃ、じゃあ……早速学校に行って、部員の子達の様子を見て貰ってもいいかな?」

 

 

 

 

 

 

「はい!喜んで……!」

 

 

 

 

 悪いものじゃなかったんだ。

 

 

 

 

 自分で分かるぐらいにはくしゃっとした笑っていたから。

 

 

 

 

 

 

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