「五月、寝不足?」
教室に入って来た三玖の声が聞こえてました。
急いで、口を塞いで欠伸を隠そうとしましたが、間に合いそうにはなかったでした。は、はしたなかった……ですね。これは……。
「すみません、三玖……昨日は遅くまで勉強をしていましたので」
「塾の先生大変?」
「いえいえ、そんなことはありません!寧ろ、勉強になることばかりなんです!」
思わず、立ち上がってしまう。
これでは無理をしているのを認めてしまうものですが、ようやく得た目標です。
お母さんの背中を追いかけるのではなく、なりたい教師を実現させる。
そのためには、少しの時間も惜しいものです。
「すみません、三玖」
「大丈夫、五月。無理し過ぎないで」
「あ、ありがとうござい……抹茶ソーダ?」
机の上に置かれてたのは珍しい飲み物……。
最近、三玖がこういう飲み物を飲んでいるのは知っていましたが……果たして美味しそうのでしょうか?開けてみて、とりあえず一口飲んでみることにします。いただいたものですから、遠慮するのもおかしな話です。
「意外といけますね、三玖」
「ありがとう五月」
飲んでみて思ったのは……本当に意外というものでした。
抹茶と炭酸というあまり組み合わせ的によく無さそうなコラボレーション。
しかし、実際に飲んでみれば抹茶のほろ苦い後味と少しばかり刺激の強い炭酸がいい感じにマッチしているのです。これならば、幾らでも飲んでみたいですね。
「ところで一花の姿が見当たらないのはともかく……四葉は遅刻ですか?珍しいですね」
開けた缶を手で軽く握りながらも言います。
教室にいるのは三玖とそれと……。
「違うわよ、あの子は……あっちよ」
教室の中で、友人と話していた二乃が一旦話を切り上げてこちらにやって来ています。
それからして、すぐ指差していて私は「あっち?」と声に出しながらも、外の方を見て見ることにしました……。
「四葉……?」
グランドの方には確かに四葉の姿がありました。
それ自体は珍しい光景ではありませんでしたが……。
「隣にいるのは……陸上部の部長さん……でしたよね?」
私の方はあんまり関わりがなかったと言いますか、彼女の前で四葉のフリをしただけなので……。印象には残っているんです。しかも、変装を物の見事に見破られましたし……。
あのときのことをどうしても思い出していると、二乃が私の机の上に「午前の紅茶」と書かれてあるペットボトルを机の上に置いています。此処は、私の机なのですが……。いえ、今はそれよりももっと四葉のことを知る必要が……。
「どうして四葉が?またなにかあったのですか?」
「ええ、あの子あの部長に声を掛けられて手伝っているみたいよ」
「え?あ、あの……大丈夫なんでしょうか?」
思わず、二乃の方に視線を向けて確認してしまいます。
「知らないわよ、あの子がまた首突っ込んだんでしょ」
二乃が靴をこちらの机の方に軽く当てながらも言います。
あの陸上部の部長さん……。
名前は江場さんでした……でしょうか。
前にも、四葉のことを陸上部に是非入れたいとかなり強引の方だったとのを覚えています。
「全く、風太郎もソラもなに考えてるのよ。四葉が大変なときだって言うのに……あの子もあの子もよ」
二乃なりに四葉のことを心配してくれているようです。
四葉も修学旅行を得て、何か変わったようにも見えています。私もそれ自体はかなりいい兆候だと思っていますが、四葉はまだ彼のことで思い詰めていないか心配になるんです、四葉のことを……。
「あーすまない、お前ら実は四葉について話しておきたいことがあってな」
私達が四葉のことをどうするかで話していると、彼らが教室の中に入ってきました。
上杉君とその隣には脇城君がいます。
「上杉君、話したいこととはいったい……?」
上杉君は何処か言いづらそうしている様子……。
やはり、四葉は断れなかったということでしょうか……。四葉の性格ならば、全然考えることはできますから。もしそうでしたら、私達がなんとかしなくてはなりません。
「実は四葉には東町のマラソン大会に出ないか?って言っててな」
なんとかしようと覚悟を決めた矢先。
上杉君の発言を聞いて、思わず「え?」という声を漏らしてしまいます。何故なら、想定していたよりも事態がかなり軽い内容でしたから……です。
「マラソン大会ですか……?町内で一年に一回開催されているものですよね?」
話には聞いたことがあります。
町の活性化を祝うために年に一度行っているマラソンだということを。
「確か、10位以内に入れた人には東町の飲食店で使える商品券が貰えるとも聞いたことがあります」
チラシが配られていて、その内容を拝見したときのことです。
下の方の内容に抽選でと書かれていたのを覚えています。
「詳しいんだな、五月」
さらりと脇城君がそんなことを聞いてくれる。
「え?え?そうですね、脇城君。その……食事でも使えるので私も参加してみようかと思ったのですが、走るのには自信がなくて……って何を言わせてるんですか!?」
気付けば早口になってしまっていて、更には食い意地を張ってるというのを脇城君に誘導された。そんなふうに思ってしまって、思わず抗議の声を向けていると三玖から貰った抹茶ソーダが若干傾いていました。冷や汗を掻きながらも、中身を確認すると特に零れている様子はなかったです。
「悪い、五月」
「い、いえ……」
危ない、危なかったです。
もし、このまま参加賞でも場合によっては商品券がもらえるという話をしてしまったら、食い意地を貼っていると脇城君達から思われるところでした。
「相変わらず、肉まんお化けじゃない」
「なっ!?ち、違いますから!?」
反論しようにも……。
脇城君に「落ち着け」と言われてしまって口を膨らませることしかできませんでした。頬にある熱さだけが逃がしてくれない状況下の中になってしまう。は、恥ずかしいです。穴があったら入りたいです……。
「で?あの子は陸上部に入るとか言うんじゃないんでしょうね?」
「それは違うとは断言できる」
「どうやって「二乃」」
「なによ?三玖?」
「四葉、楽しそう……」
三玖が向けていた目線の先にあるもの。
それは後輩や同級生たちをまるで掛け声を出しながらも、応援しているようにも見えていました。そこに無理矢理という感情はなく、四葉自身も何処か楽しそうであり……。
自分というものを表現できているみたいに……。
「中野さん、マラソンなんだけど距離が大体21kmでね──」
「中野先輩、ちょっといいですか!?」
「え!?ちょっと行ってくるね江場さん!」
「な、中野さん!?あーえっと待ってるね!!」
額にはびったりと汗が流れてる。
隣には飲みかけているペットボトルが置かれてる。まるで、それはこの場所に来てからの時間を表しているみたいに……。
「時間……」
多分、もう数十分は経ったとは思える。
それぐらい時間が経ったような感じはする。
もしかしたら、全然時間が経ったような気がしなくもない。
それでも、私は私なりに頑張ってみたかった。
手の甲で汗を拭えば、まるで努力の結晶を表しているみたいでした。
「どうしたの?なにかあったの?」
茶髪の女子の後輩たちのところに駆け寄ると、足を引き摺ってるみたい。
軽くはありそうだけど、痛そうだった。
「すみません、それがこの子が足痛いとか言ってて特に何処も痛めた様子はないんですけど……見て貰ってもいいですか?」
「あー私はあんまり詳しくないから、お医者さんに話した方が……ん?」
足を引き摺っているその子の靴を、なんとなく目で追ってしまう。
靴紐が、片方だけきつく結ばれているようにも……見える。
もしかして、原因って……。
いや、分からない。分からないけど、本当にそうかもしれないし言ってみる価値はあるかも……。
「間違ってたら、ごめん!靴紐の結び方、きつくした?」
勇気を振り絞ることもなく、一呼吸することもなく私は後輩たちに質問を投げかけてみる。
首を軽く傾けて、ごめんねと言いながらも……。
「え?あ……はい、走ってるときにぷかぷかする感じが嫌で……」
やっぱり、そうだった。
後輩の話を聞いてから、私は「ちょっとごめんね」と言ってしゃがみ込む。
靴紐に触れれば、自分の中である記憶に触れてしまいそうだった。
私は、何も言わずに靴紐を解き始める。そうだったね、これは私の過去に関することでもあるよね……。
「……どう?」
自分の感情を一旦、肯定してから靴紐を結び直してあげた。
後輩の子は軽く走ってみると、「あっ!?違う!」という声を出してくれている。
「あっ……なんか、さっきよりも全然楽です!」
ホッとした様子で走っている後輩の子を見つめてた。
よかった、間違いだったら心臓が飛び跳ねそうだったよ……。
「よかった。でも痛みが続くようだったら、ちゃんと先生に話してみてね」
立ち上がると、隣にいた子もほっとしたように笑ってくれた。
「ありがとうございます、中野先輩!詳しいんですね!」
先輩、という言葉が何処かくすぐったい。
呼ばれてみたかった言葉なのに、慣れてなかった。中学時代は幾らでも呼ばれていたのに。
「陸上やってた頃、そのとき似たようなこと言われたんだ。靴がぶかぶかになるのが嫌でキツく縛っていたんだけど、それじゃあ逆効果だって。先輩の人が教えてくれたのを思い出したんだ」
「凄いですね、その先輩……!本当にありがとうございます、中野先輩!」
手を振りながらも、彼女達の前を去って行く……。
グランドを風が通り抜けて行った。思っていたよりも、気持ちのいい空気……。それと同時にやってくるのはさっき触れそうだった過去の私……。
『中野さん、その靴の結び方ダメだよ』
さっき靴紐に触れたとき。
私はあのときのことを思い出しそうだった。
人の話を聞かなかった頃の私のこと……。
『あんまりキツく縛り過ぎていると、走るのときに疲れやすく『ありがとうございます!でも、こっちの方がいいので!』』
修正された、指図された。
やり方が間違ってると、指摘されたような感覚で遮ってしまった。
事実なのに、私は訂正されることを嫌だった。
間違ってるなんて認めたくなかった……。
「江場さん、さっきはごめんね……!」
江場さんのところに戻ると、首を一生懸命に横に振ってくれている。
「足の方、大丈夫だった?中野さん?」
「はい、靴紐の締め方が問題だったみたいで……!」
「よかった……!本当に気が利くね、中野さんって……!」
お礼を言えば、満たされていく感情が……ありました。
心の何処かではこの感情を間違ってると反論したくなってしまう。
「違うよ、私……」
黒薔薇のいた頃の自分を許せない。
こんな自分が幸せそうにしているなんてことは許せないなんてことも…‥。
みんなにも気にしてない。
進んでいいんだよと背中を押してくれてもあっても、私の中に隠れてる影はそれを許してくれない。
「江場さん、それでマラソンの話だけどいいかな?」
肯定してあげたいんです。
時間が掛かったとしても、許せなくても変わりたいと願ってしまう。
過去を否定したくなるのは当たり前……なのも含めて。
「うん、四葉さんよろしくね!」
江場さんが私のことを名前で呼んでくれる。
それだけで私の中では何処か私自身のことを認めてくれたような気がしていた。
なによりも、体までぽかぽかしていました。
そんな私は思わず、「はい!」と力強く返事をしていると誰かが後ろから視線を送られているような……。いったい、誰なんでしょうか?気になって、後ろを振り返ればそこには……。
「脇城さん……」
私のことを軽く見てくれていただった脇城さんは……。
そのまま何も言わなかった。
『頑張れよ』
まるで映画のワンシーンかのように……。
親指を立てて、去って行く脇城さんの姿は力強くも何処か応援してくれている。
「ありがとうございます……!」
口に出して私は伝えれば、脇城さんが手を挙げてくれている。
誰かに背中を押して貰ってばかりの私。
そんな私をいつか肯定できるとしたら、それは可能性を試せたときだけ……なのかも。
それは辛くて険しい道のりかもしれない。
だとしても、私は……。
「江場さん、マラソン頑張ろうね」
「う、うん四葉さん!」
もう過去ばかり見ることは辞めたい。
この手で掴み取りたいから。
──後日。
「東町マラソン大会!会場は此処になります!!」
太陽の輝きが私のことを照らしてくれてる。
この場に立っている私が思おうのは……。
みんながくれたものを自分なりに返したいと思う気持ちのみ。
だから、もう怖くなくて……。
進むだけ……!