落ち着いた場所……。
こういう場所に来るのは久しぶりってほどでもなかった。
前に一度、三玖とあいつがよく行く喫茶店で話したこともあったし。
あのときは三玖の口から「浮気してるの?」と揶揄われるのは全く想像していなかったが、三玖の言う通り俺がしていることは結果的に浮気なのは間違いなかったかもな……。
二乃に許可を得ていたとはいえ。
「で、今日はこれだもんな……」
「どうかしましたか?脇城君?」
「いや、なんでもねえよ……」
俺のペンが止まっていることに気づいたのか、五月が顔をあげてこっちの様子を窺ってる。
五月の方のノートは、かなり進んでいるようだ。
「流石は下田さんだな」
もう大体数ページぐらいは進んでいるだろうか。
俺の方は下田さんに頼まれて、生徒たちの課題等に丸をつける作業をしているが、五月の方は普通に勉強をしてる。こいつの進み具合だけで、前よりもかなり詰まることなく自分だけで考えることはしないようにしているのは明白だな。
「はい、下田さんの教え方は物凄く分かりやすいんです。公式の教え方とか、それは勿論のことですが私のようなその……夢見がちな生徒でも教えてくれるんです」
「あんま、自分のことそう悪く言うなよ」
「す、すみません脇城君。ですが、その……あまり過大評価もよくないと思いまして」
教師という職業を目指す以上、五月としてもあまり自分ができると判断するのはよくねえと考えてるんだろう。それ自体は、全く問題じゃない。寧ろ、そういう側面がありゃ、もっと伸びるのも事実だ。
俺としても、正直五月がこうやって向上心があるのは嬉しいからな。
二乃になんてどやされるかは知らねえが、そもそも家庭教師の仕事なんだから我慢してくれとしか言いようがねえ……。
「だから、四葉達との食事も行かなかったのか?」
「そ、そうですね……マラソン大会での商品券での食事」
「ほ、本当は行きたかったのですが……自分の勉強を放置するわけにもいかず」
マラソン大会の参加賞である商品券。
その行方は、四葉が三玖を誘って食事をするという話で決まったみたいだった。今頃、二人で何かを食べているのかも……な。そんなことを考えていると、五月の腹の虫が……。
「す、すみません脇城君!!」
「何か食べに行──「いいんですか!?」」
「……ああ」
机の上から飛び上がって、俺の方へと顔を近づけて来る五月。
飯の話をしただけで飛びついてくるこいつの姿に俺は戸惑いながらも、立ち上がる。
「ほら、行くぞ。わざわざ昼休憩で勉強までしてたら、頭まで固まり凝るからな」
「は、はい!!」
あんま末っ子ないけど。
こういうところは末っ子だよな、五月……。
ペンが進む音がどんどん途切れていっている……。
疲れと頭の中で考えが追いついていない。そろそろ、フータロー君に怒られそうかな……。
「フータロー君、休憩してもいい?」
わざとらしく欠伸をしてみると、彼の額には血管が見える。
ああいうのって普通に見えたりするんだ。そんなことを呑気に考えながらも、コーヒーを一口飲む。
「悪いが、やってもらうぞ」
今にも私の腕ごと、掴んでペンを進めさせようとしてくる。
容赦ないなぁ、フータロー君は……。
「フータロー君も根気強いよね、ちゃんと律儀に勉強を教えてくれるわけだし」
「当たり前だろ、五人揃って卒業するんだろ?」
一瞬だけ彼の方から視線を逸らす。
逸らした先にあるのは、彼の顔じゃなくてこの休憩所の真っ白な空間……。
「卒業か……」
五人揃っての卒業……。
勿論、忘れてたわけじゃない。フータロー君が決めた目標、私が引き受けた。そもそも、彼を引き入れ直したのは私達の方……なんてことは前に真剣に説得されたときに言われたっけ。
「……そうだね」
少し間が空いた後で目標という餌を吊り下げられて、頑張るしかないかぁ……。
改めて、机の上に転がって行くペンを手で掴んでみる。
「そういえば、なんだが……あいつらの夢見つかったぞ」
「みんなの夢?フータロー君、そういえば進路相談みたいなのやってたんだっけ?」
似たようなことをフータロー君の口から聞かされたことがある。
家庭教師として、次なる段階はお前らの夢を見つけることだとか息巻いていたよね。あれ?でも、そういう話を直接私にしてくれたのか、してくれなかったのか?全然覚えてない、どうだったっけ……?
「ああ、あいつらもかなり自主的ではあるが、夢を見つけているようだ」
「五月は言うまでもないが、二乃はソラと一緒に店を開く、三玖の奴は自分で店を持ちたいそうだ」
「そっか、三玖も見つかったんだね」
二乃や五月はちゃんとそういうのがありそうなのは分かる。
五月ちゃんに関しては私達の前でも勉強を頑張っているのを知っているから。
三玖は……あんまりそういうのがはっきりと決まっていなそうだから。
「嬉しそうだな、一花」
「長女として嬉しいと思う反面と、あのときのことがあるからな」
「お前、まだ気にしてるのかな?」
首を横に振る。
修学旅行で私がしたことは何も変わらない。
三玖が許してくれたとしても、私は自分のしたことと向き合う必要がある。
そんなことを思ってしまうからこそ、かな。目の前でフータロー君が居てくれることが当たり前のことのはずなのに、何処かやっぱりこれでいいのかなと躊躇ってしまう。
四葉には「時が来たら、逃げるつもりはないよ」とまで言われたばかりなのに……。
「……四葉も見つかったの?」
ふと気になって聞いちゃう。
三玖以上に気になってたんだ。
「ああ、あいつに関しては色々あってな、スポーツインストラクターになるらしいぞ?」
「色々って?」
フータロー君は話してくれた。
四葉が夢を見つけるまでの話を……。町内のマラソン大会に出て、一位こそ取れなかったけどちゃんとゴールしたことも含めて……。
それを聞かされて、思ってしまったのは羨ましい……だった。
フータロー君から貰ったものがあるというのが……。
「ダメだよ、こういうの……」
自分の視界を疑いたくなる、自分の考えが固まりまくっているみたいで。
真っ赤になっている、目の前の光景を疑いたくなってしまう。
前に似たような感情を抱えて、修学旅行でフータロー君に迷惑を掛けたばかり。
これ以上はよくない。こんな感情ばかりを抱えちゃいけない、一旦深呼吸を入れようとしたときだった。
何かが自分の目の前を通過していた。
なんだろう、何が目の前を通って行ったんだろう。自分でも不安になってしまって、それを目で追うとしたときだった。
「此処間違ってるぞ」
「……え?」
通って行ったのは指先……だった。
男の人らしい指が私の前を通過したんじゃなくて、目に止まっていたんだ。
「まだまだ女優と勉強の両立は難しいようだな、一花」
「根を挙げるなら、今のうちだぞ」
ノートに残る彼のもの……。
少しばかり皺が寄っているはずのノートが今の私にとってはちょうどいいぐらいで思わず、私は……。
「これ、映画として成立するのかな?」
自主制作映画……。
こんな感じの内容で本当に大丈夫なのかなと、心配してみる。
「青春をエンジョイしているという意味では悪くないんじゃないのか?」
フータロー君らしからぬ発言が飛んできて、思わずペンを置いちゃう。
あーダメだな、全然フータロー君にはそういうのが似合ってない。寧ろ、何処か私の背中が痒くなってきてる。
「おい、なんだその顔は?」
フータロー君が頬を掻きながらも言っている。
思わず、私はそれに口が綻んでしまって……。
「……それ」
「フータロー君が言っちゃう?」
直視してくれなくなる。
照れてくれてるのか、それともウザいと考えてるのか目に見えるものじゃない。彼は横を向いてしまってるから。そのまま、ちゃんと顔を見て欲しかったけどね。
「意外と照れてくれるんだね」
「そういうのじゃない、早くノートを進めたらどうなんだ?」
背伸びをしつつも、私はこう答える。
そこにはもう……。
「はいはい、先生」
青春のフィルムが刻まれてた。
悪くないなぁ、こうやってフータロー君から青春を貰うのも……。