煉獄槇寿郎は炎の呼吸を終わらせる   作:偏イエ

3 / 4
やっと現実に追いついてきた感がある。
でもまだまだです。


3話

 前世ですら人と肌を重ねた事はなかった。しかも今は15の少年である。妻となった瑠火がひとつふたつ年上であっても何だか倫理観が悲鳴を上げる。それでも愛した女に触れられる機会を逃せる筈がなかったのだ。

 こんなにも柔らかな女体に触れるのが刀ばかり握って固くなった自分の手だというのが信じられなかった。あまりに童貞臭い言動をしていた筈だが瑠火とて生娘である。きっと忘れてくれる筈だ。冬だと言うのにあまりに暑く茹るような逆上せるような一夜だった。決して泣く事などないだろうと思えた瑠火の切れ長の瞳から涙が零れるのを見てどこか痛くさせたのかと慌てふためいた。痛いですか、なんて馬鹿な事を聞いた。本当に忘れてくれ。すまない瑠火。

 初夜の翌日己の妻に対してどう接して良いのか分からなかった槇寿郎はとにかくぼけぼけだった。男となったばかりの男なんてそんなもんだ。槇寿郎があまりに大切に大切に抱いた所為か瑠火の方が槇寿郎より体力に余裕があった。ふわふわとした足取りで歩く夫の手を引く妻。本当に申し訳ないと情けなくて穴を掘って埋まりたいと槇寿郎は顔を覆った。

 それでも瑠火は優しかった。笹の葉に乗る朝露のような美しさに温かな陽の光が差し込むような優しさだった。本当ならこんな情けない夫見限ってもおかしくはないだろう。しかしこの年で後家にでもなってみろ瑠火はこの先どうするのだと己の情けなさと妻の優しさを繋げて考えるのはやめておいた。そうでもしなければそこら辺の人を四、五人食っただけの血鬼術すら使えない鬼に食われて死んでいた筈だ。余分な事を考えるな。子を成すまで男児を作るまでこの幸福は終わらないのだから。

 瑠火に昼餉に呼ばれるまで馬鹿の一つ覚えのように刀を振るい続けていた槇寿郎は汗だくだった。道場の近くにある井戸から水を汲み頭から被ってさあ、愛する妻の作ってくれた料理を食べるぞ!と意気込めば冬場に水を被った事を叱られた。

「刀を振るう姿は獅子か虎かと見紛う程に凛々しいのに、こういう所は幼子と変わりませんね」

「情けない男ですまん」

「何を言うのです。私は槇寿郎さまを優しいと思いこそすれ情けないなどと思った事は一度もありませんよ」

「俺は弱い男だ。貴方のように強く美しい女性には不釣り合いな人間だ」

 手ぬぐいでわしわしと犬にするように頭を拭かれ代えの着物を手渡され妻として尽くしてくれる女を見た。

「本当に可愛い人ですね貴方は」

 かわいい。可愛いと言われた。前世では女子と言うのは何に対しても可愛いと連呼する存在だった。けれど今の時代男にそれを言うのは侮辱なのではないだろうか。しかし正当な評価ではあるし、それを面と向かって相手に言える瑠火に惚れ直すような安い男である自覚はあるので槇寿郎はうんうんと頭を悩ませた。

 一体妻はどんな意図でそれを言ったのか。

「先に湯に浸かりますか」

「いや、朝に身を清めたばかりだ」

「……私は」

「貴方が寝ている間に湯を桶に。おろしたての手ぬぐいを温めて、冷める頃にはお湯を入れ直した。湯に浸かりたいなら貴方が先に」

 デリカシーがなかっただろうか。けれど子を成す為に妻を抱いたのだ。疲れて眠ってしまった妻を起こすのは忍びなく、共に湯に入ると言うにはまだ恥ずかしいという気持ちが多かった。夫婦だから良いじゃないかなんて考えが離婚に繋がる。

 肌を重ねる前、槇寿郎と瑠火の二人きりの屋敷で布団の上に正座をしながら語った事を思い出す。

 今はまだ明治の終わりだ。妾が籍に記載されるようなそんな令和の倫理観を持った槇寿郎には考えもつかない事が当たり前にまかり通る時代が今だ。事実父には母の他に外にも内にも妾はいたし、唯一の男児で一人っ子の槇寿郎が柱になれず子も何も為せずに死ぬような事を想定して煉獄の男児を絶やしてなるものかと身籠った女を家へ連れ帰ろうと迎えに行けば煉獄家に目を付けていた鬼に悉く食い殺されていたのだ。

 槇寿郎の弟か妹になるかもしれなかった、生まれてこれなかった幼子たち。

 もう鬼狩りの家になど関わらず平和な世に生まれて欲しいものだ。

「瑠火は知っているだろう俺の母は第二子を身籠った状態で鬼に食われた。煉獄の家系は分かりやすい。下弦など柱の所為ですぐに死ぬ」

 だから十二鬼月に成り上がろうとする鬼は数え切れない程多い。そしてそれらに狙われ続けたのが煉獄の血を引く男たちだった。槇寿郎には叔父がいた。父より先に死んだ叔父だ。柱になる前に死んでしまった情けのない男だと叔父の葬儀で父が漏らしているのを槇寿郎は覚えている。

 父は苛烈な人だった。命を燃やし鬼を狩っていた。鬼に大切な人を奪われる悲しみを怒りという苛立ちに似た感情で鬼の前に、唯一の息子である槇寿郎の前に立っていた。

 令和を生きた少子化を謳われる世代で一人っ子で真綿で包むような愛情しか知らなかった槇寿郎には父の訓練が苦しかった。

 父のようになれるだろうか。父や祖父、叔父のように次代の為にこの命を使いきる事が出来るだろうか。

 そのような教育をこれから生まれてくるだろう息子たちに施す事は出来るのだろうか。

 

「鬼になんぞに食われないでくれ」

 この家に嫁いだから真っ当な幸せなど与えてはやれない。けれどあんな最期を迎えるのだけはよしてくれと震える声で懇願した。妾を持つなんて、と父を軽蔑したのは最初のうちだけだった。愛した女が鬼に食われて死ぬ度に声も出さず、涙も零さずに震える父の背中を忘れる事なんて出来やしなかったのだから。

 父と母が愛し合っていたかどうかは分からない。

 母が死んだのは槇寿郎が七つの時だ。

 任務で家を空けがちな父の代わりに厳しく育ててくれた母が心を休めている姿を見た事がなかったからだ。必要だと分かっているから妾の存在も認め、それでも正妻としてようやく産んだ我が子に厳しく接しなければならない。そんな環境が毒だったのだろう。母の膨らんだ腹を見てようやく兄弟が増えるのだと無邪気に喜んだ幼き自分が憎かった。子を宿した腹を食い破られ、槇寿郎の手を引き美味い料理を拵えてくれた白い手が折れ曲がり、必死に逃げようとしていただろう足を引きちぎられ、槇寿郎がひとつ何かを為せた時優しく綻ぶ顔からは血の気が引いていた。

 見なければ良かったと何度思っただろう。

 母の最期だ見るべきだ。あんな死に方普通じゃない。けれど、その死に方をするのが鬼と出会ってしまった人たちなのだ。

 鬼殺隊に入り母と同じような死に方をした一般人を、仲間を大勢見た。柱の父に連れられ噎せ返る血の匂いに胃の中身を吐き戻してしまうより前にそれに群がる鬼を見た。悍ましかった。悲しかった。苦しかった。この地獄をずっと見続けなくてはいけないと知ってしまったから。

 まだ顔が残っていた母は幸運だったのだと、そこらに転がる肉片が一体誰のものなのか分からない事は何度もあったから分かってしまったのだ。

 恐ろしくて泣きたいのにそれを許される立場にない。何もかもから逃げ出していっそ命を絶ってしまいたいのにそれを許してくれる人はどこにもいない。炎柱さま、炎柱さま、と亡き父や祖父の面影を槇寿郎に重ねてくる鬼殺隊の、藤の花の家紋の人々。

 逃げてはいけない。死んではいけない。誰よりも強く、誰よりも鬼を屠り誰よりも強い子を成して育てて、それでようやく死ねるのだ。

 生まれ変わったのだとはっきり自覚するまで毎日が恐ろしくて仕方がなかったのに、思い出してしまった今は己の立場より己の苦悩を子に受け継がせるのが何より怖い。生まれてくる何も知らない子供の手を引いて共に地獄へ向かわなければいけない事の方が何よりも苦しかった。

 初夜に話すべき事ではないと分かっていた。分かっていても止まらなかった。

 瑠火に死んで欲しくなかったから。

 誰よりも強くあろう。

 きっと君を守るからとそう誓おうとしたのに己の妻はなんと気高い事か。

「ならば、そんな苦しいだけの生き方をせずとも良い、強い子を産みます。槇寿郎さまに似た優しく強い子を私は産みましょう」

 そんな事、出来るのだろうか。可能なのだろうか。

 怯えて震える事すら許されぬ弱い男の子種から生まれた子は本当に強い子になってくれるのだろうか。

 情けなくも震える手を瑠火はしっかりと掴んでくれた。

「私たちが、槇寿郎さまの代で終わるのかなんて想像も付きませんが、きっと」

 そうなると信じましょう。

 その笑みを何と言えばいいのだろう。何と例えればよいのだろう。まだ少女と言って良い年ごろの女がするような笑みではなかった。母のものとも、街ですれ違うあどけなさの残る乙女たちのそれとも違う。男を、武士を支える為だけに育てられた女だけが浮かべる表情だ。

 今までずっと一人で立つ事を義務付けられていた。煉獄の男として生まれたからには何かに縋るような弱さを持つ事は許されなかった。ずっとずっと遠ざけていた、取り上げられていた筈のものが今、ここにある。槇寿郎より余程弱いというのに、少し力を籠めれば鬼に対抗する為に生み出された呼吸を修めている槇寿郎の手によって全身の骨を折る事が出来ると言うのに、心のままに抱きすくめられた妻は何の怯えも見せなかった。

 これを失うなんて考えられない。瑠火が死んだらきっと己も死ぬのだろうと確信があった。例え呼吸を止めずとも立ち上がる力を失うだろう。今まで積み上げてきた全てが根元から折れてその重みで死んでしまうと思った。

 そんな顔をしないでくれ、そんな瞳を向けないでくれ。瑠火がいてくれれば大丈夫だと無条件に思ってしまう。今確かに己は弱くなったと感じたのにそれを心地いいと思ってしまう。嗚呼、恐ろしい。

 ひとを愛するのは、こんなにも恐ろしい。

 




作者のコソコソ噂話

 作者は生まれてから性自認も肉体も戸籍も女ですので男が童貞を捨てる感覚が理解できません。卒業というからにはさっさと済ませたいのでしょうか。元から持っていなかったものを捨てるのがどれだけなのか分からなかったのでもっとリアルにいやらしくなく書きたかったんです。子作り目当ての初夜でしたが大体中学生?と高校生ぐらいの年齢の幼き夫妻の幸福をもっと出したかったです。性差ってこれか。とある意味理解しました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。