私は次女なので我慢できない【完結】   作:悠魔

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彼女の覚悟

 

「千雨姉さん!」

 

心を打つような声だった。

振り返ると、そこには妹の時雨の姿があった。無事だ。生きている。

そんなごくごく当たり前の、自然なことが今はただ嬉しい。妹と抱き合うと、涙が溢れ落ちた。

彼女は三ヶ月前に目を覚ましたらしい。

ギョッとして、あれからどれだけの時が経ったのかと聞けば、なんと半年も経過していたらしい。恐らく、余りにも衝撃的な出来事だった故に脳の処理が追い付かず、回復が遅れたのだとか。

医者のしのぶに聞いたというのだから、まあ、間違いは無いのだろう。

 

「良かった、無事で、私てっきり、もう目が醒めないのかと」

「ごめんね、時雨、ごめんねぇ──不安にさせてごめんね、独りぼっちにさせてごめんね」

 

実のところ、大きな不安を抱えていたのは私の方だと思う。

様変わりした日常は、時代に置いていかれたような錯覚を見せた。

時雨は髪を切っていた。

顔つきも、幼子のものから、美しい女性のそれに変わりつつあるようだった。

どうやら蝶屋敷でしのぶの手伝いをしていたようで、中々目覚めぬ千雨の代わりに二倍も働いていたのだとか。

それを聞いた時はひどく落ち込んだ。あの世らしき所で家族から妹を託されたというのに、反対に妹が姉の千雨を支えてくれていたとは思いもよらなかった。

嬉しい反面、申し訳無さがあった。

妹に助けられるなど姉失格だ。

 

(私、私が、今この子の心の拠り所になっていたんだ)

 

背丈が伸び、容貌が変わっても、記憶の中にある時雨と同じように、あるいは退行したかのように、ぼろぼろと涙を流す彼女を見ると──己に対する、どうしようもない無力感が千雨を襲った。

 

(今、私に出来るのは、ひとえに時雨を支えることだけだ。時雨はもう私しか頼る相手がいないんだ。私、私が、しっかりしなければならないんだ)

 

その想いが千雨を突き動かした。

アオイという少女から、機能回復のための訓練を受ける。(といっても隊士が行うような過酷なものでは無く、飽くまで一般人向けのものだ)

その間、時雨は実に献身的に千雨を支え続けた。通常の業務と並行して、暇さえあれば千雨の元に来て彼女の手伝いをする。

たった半年の間に、あの泣き虫が随分と変わったものだ。

そんな日々が一週間ほど続いた。

半年振りに動かした身体は、やはり鈍っているとの事だ。なるべく早く復帰して、時雨と共に蝶屋敷の一員として働く。それが千雨の思い描く、最善の選択だと思った。

──だが、時雨にとっての最善とはそれではなかった。

 

 

 

▽▽▽▽▽▽

 

 

 

千雨が機能回復訓練を終え、未だ慣れぬベッドに潜り込もうとした所で、時雨が声を掛けて来た。曰く、話がある、と。

彼女に案内された部屋で正座する。

板張りの多い蝶屋敷で久方ぶりに感じた畳の感触は、思いの外優しかった。毎日柔軟をやったお陰だ。

時雨が目を細める。

彼女が言い出し辛い事を考えている時の、無意識の癖だ。途端にーー嫌な予感が脳裏を過ぎった。

これ以上は聞くな、と、普段は感じぬ本能が告げているように思えた。

 

「鬼殺隊の剣士になろうと思うの」

 

質問したい事は沢山あった。

けれどもカラカラの口からは、有り体の言葉しか出てこなかった。

 

「────誰が」

「私が、よ。姉さん。専門の訓練を受けないといけないから、暫く此処から離れる事になると思うけれど──」

「────なん、で?」

 

どうして、だ。

妹の思考回路が異常を起こしたとしか思えなかった。

このまま全てを忘れた気になって、市井に戻って日銭を稼ぐことは不可能だということは理解している。千雨達には身寄りがない。親戚とは疎遠だし、誰の助けを借りる事もできない。姉妹二人で慎ましく生きていくことすら、今の時世では難しい。

それに何より──あの鬼の恐怖を知ってしまった以上は、もう、安心して眠ることはできないのだ。

だから、藤の花と鬼殺隊士に守られた蝶屋敷で働くのが最適解の筈なのだ。鬼と近い存在故に、最も鬼から遠くいられる。叢雲姉妹が生き残る道はそれしかない。

 

しかし──鬼殺隊の剣士になるということは、それらの安心を、安全を、自ら放棄するのと同じだ。

千雨が目覚める少し前に、神崎アオイという少女が蝶屋敷で働き始めた。

真面目で気が強く、誰に対しても物怖じしない彼女の話を聞くと、最終選別の際、運良く生き残ったものの鬼の恐怖と直面した故に心が折れ、剣士の道を断念したのだという。

自分よりずっとずっと強いと思い、半ば尊敬すらしていた彼女の独白に、千雨は少なからず驚いたものだが、彼女の震えた瞳に写る粘ついた恐怖を見ると──あの時の、苦悩と不安の底に投げ込まれたような感覚を味わったのだと理解した。

鬼殺隊に属す者達は須く皆んなそうだ。

千雨達の本質は喪失者なのだ。

 

「けれど──私はこの半年で嫌と言うほど考えさせられた。思い知らされた。何故私達は奪われなければならなかったのか。何故あんな悍しい生き物がこの世に巣食っているのか。運ばれてくる重傷者や死体、そして彼らの事切れる瞬間を見れば見るほどに、私の中の憎悪が燃え上がっていくのを感じた」

 

人智を越えた悪辣で下劣な男──その傀儡どもがこの世を跋扈していると聞いて、反応は二通りだと思う。恐怖を押し殺して立ち向かうか、恐怖に沈んで諦めるか。

時雨はどうやら前者らしかった。

あわよくば、全ての元凶である首魁を屠り為まほし、と、考えているのだ。

それらを語る時雨は、およそ異常で、痴れ者で、痴がましいとしか思えなかった。

 

「ごめんね、姉さん。私は死ぬかもしれないけれど、でも、それ以上に、姉さんをこの手で守りたいの」

「────」

 

違う。

違う違う違う違う。

時雨が守る必要などない。

私が、時雨を、守るのだ。

守らなければならないのは私の方だ。

そこを勘違いするな。

家族と約束したのだ。

姉として、この世のあらゆる理不尽から時雨を遠ざけて、見合いをして、子供を産んで婆になるまで生き存えさせなければならないのだ。

それが、今までロクに果たしてこなかった姉としての役割なのだ。

 

──そう、頭の中で反駁するも、時雨の顔を見れば既に腹は決まっているのは確かであった。

時雨は外見も、内面も、強い女性へと進化しているようであった。

その顔を見ると、自分の主張が、あまりに惨めで、拒否されるべくして拒否されるような下らない物に思えてくるのだ。

──おかしい。時雨のこんな顔を見るのは初めての筈なのに、唐突にどこか既視感を覚えた。

 

(──ああ、そうだ。その顔は、昔、お姉ちゃんが私達を叱っていた時の顔だ)

 

昔──親が古物商から買ったという左右非対称の壺を割ってしまった時、千雨、時雨、雨打の三人で証拠を隠滅しようと思ったことがあった。

だが姉は彼等の嘘を見抜き、破片の隠し場所を言い当て、三人に掃除させた。

粛然とした厳しさと、包み込む優しさとが同居した顔だった。

その時と同じ顔が目の前に浮かんでいた。

 

(──なんであなたがその顔を──)

 

本来なら逆でなければならなかった。

鬼殺隊の剣士になる、などと言い出すのは寧ろ千雨であるべきだったのに。

千雨は剣士にならず、医療に従事する生活をしていこう、という姿勢であったから、時雨も姉に倣ってそんな道を辿るべきだったのに。

足元が瓦解していく。

妹が鬼殺隊として働く中、自分だけがのうのうと鬼から離れたところで生きていけるだろうか?

このままでは、妹に守られ続ける日々が続くのではないか?

──それは果たして姉と言えるのか?

──姉らしい言葉をひりだせ。姉らしい態度でいろ。こんな時姉ならどうする。どんな言動をする──

 

「──奇遇だね。私も、鬼殺隊に入ろうと思っていたの」

「え………」

「市井の、無辜の人々が鬼に喰われていくのは見ていられない。私達のような人をもう生み出してはいけない。何より、時雨が死地に赴くのに、むざむざ屋敷で待っているわけにもいかないでしょう?」

「姉さん……!」

 

時雨は感極まったようだった。

これが正解だった、筈だ。

妹が逆風吹き荒れる場所に行くなら、彼女の前に立ち風除けくらいにはなる。

それが姉としての、務めなのだ。

 

(これでいいよね、お姉ちゃん)

 

天国に居るはずの姉に問いかける。

 

(──私がお姉ちゃんになる──私が、これから時雨を守るんだ──)

 

 

 

 

 

私は次女だ。

どう足掻いても、もがこうとも、その事実は変えようがない。

姉や兄の代替品でしかない。

私の──人より小さい背中では、この子を安心させる事などできやしない。

それでも。

やるしか、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──だが、現実は残酷だ。

 

──千雨が時雨を守る事など、土台無理な話だったのだ。

 

──彼女がそれに気付くのは、数ヶ月後…

 

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