カッコ良かったです!!
小柄な老人に連れられて、時雨は彼の住まう家へとやってきた。
元・鳴柱だという桑島慈伍郎は、暖かく時雨を迎え入れた。小さな体躯の中には雷の獅子が眠っているようにも見えた。
眠れない夜だった。
鬼殺隊に入ってからというもの、昼夜逆転の生活が続いたからだろうか。それとも初任務が上手くいったことに、絵も言われぬ興奮を抱いたからであろうか。時雨は布団を抜け出すと、刀を持って月明かりの下で散歩を始める。
服の上から風を感じる。
ふとその方向を見ると、まだ十五かそこいらであろう金髪の少年が、鯉口を鳴らし、居合、それも極端な低姿勢で臨戦態勢に入った。
話には聞いていたが。あの構えは、神が宿ったような速度と捨身の姿勢からなる、文字通り一撃必殺の型だ。
「雷の呼吸 壱の型」
その一撃は、遠雷の如し。
「霹靂一閃!」
激しく光る稲光が少年の体を包んだかと思えば、目にも止まらぬ速さで大木に突っ込んでいった。そのまますれ違いざまに巨木を両断する──かと思いきや、狙いがズレたのか、刀を抜く事すら叶わずにそのまま正面衝突した。
その衝撃音に、時雨は身体を震わせる。
そして同時に善逸の練度不足にやきもきもする。惜しかった。もしもあの一撃が決まっていれば、あの木は豆腐のように容易く分断されていただろうに。
「うう、うまくいかないや……」
「善逸くん?」
「はひっ!?」
幽霊とでも間違えられたのだろうか。
善逸は目をかっ開くと、首から上を真っ青にする。しかし時雨の端正な顔を宵闇の中で視認すると、顔の色は青から紅葉のような赤に変わった。
「し、時雨さん!こんばんは、こんな夜更けにどうしたの?………まさか俺に会いきたのォーー!?」
「いや違うけれど」
「あ、そう……」
「露骨に落胆している……まあいいや。善逸くんは修行?」
「うん。爺ちゃん、俺が修行きついからってこっそり抜け出しても根気強く追ってきてくれてさ。俺のこと絶対に放ったり諦めたりしないんだ。それが嬉しくて、爺ちゃんの期待に応えたくって」
「ふふ。爺ちゃんのこと大好きなんだね」
「うん!」
時雨は微笑した。
少年にある意味での共感と、そして興味を抱いていたのだ。彼女もまた、人の為に己を投げ打ち、努力できる人間だ。
「私も負けてられないなぁ。私の嵐の呼吸はまだまだ未完成だし。どうも上手くいかなくてね」
「そうなの?時雨さんの、えと、初烈嵐斬りだっけ?俺、あれに影響受けてさ」
「え、あれに?」
「直線に進んで斬り結ぶ一連の流れが、雷の呼吸の霹靂一閃に似てたんだ。踏み込む時の音、刀を抜く時の僅かな金属音。その音に近づけさせれば、俺のただの直進も、霹靂一閃に成るはずだから。これで俺も漸く基本の壱の型ができそうだよ」
なんともはや。
あの技を一回見ただけで自分の技の中に取り入れ、模倣してみせたというのか。
しかも特筆すべきは、時雨の出す音や衣服の擦れに着目(着耳?)して真似ているという事だ。何を努力すれば良いか、そしてどう動けば最も速いのか、彼は無意識のうちに理解している。
稀に見る天才というやつか。
しかしそんな少年に技を真似られるとは、なんというか、照れ臭い。
「えへへ、あれもまだ改良の余地があるなと思っていたんだけれど、そう言ってもらえると嬉しいな」
時雨は、姉である千雨を守る為に戦っている。
今まで姉に頼りっぱなしの、守られっぱなしの人生だった。
鬼が出た時、一目散に手を引いて逃がしてくれた。
熊が出た時、石を投げて注意を逸らしてくれた。
彼女がいなければ時雨は何度も死んでいる自信がある。たとえ鬼を殺す力には長けていなくとも、時雨にとって千雨は尊敬すべき姉であった。
だからこそ、喪いたくない。
大好きな姉をもうこれ以上危険な目に遭わせたくない。
時雨は、千雨の笑った顔を思い浮かべると、いくらでも勇気が湧いてくるのだ。
だから。
善逸少年にその守るための力を褒められた時は、本当に嬉しかった。
「ふおおおおおっ!?か、可愛い!月光が黒髪を照らして眩いよォォォ!やっぱり美人だよ眩しいほどにさあ!街行ったら絶対男に声かけられるような顔をしてるもの!そんな顔だもの!」
「うん、善逸くんは一回落ち着こっか」
先程までの純朴さは何処へ行ったのか。
聞く限りこの少年の価値観は普通だし、人と会話も通ずる。顔だって悪くない。しかし異常なまでに反応が煩いし、見ていてとてもみっともない。
女の子に声をかける以前に、女の子が寄ってくるような人間になれるよう努力するのが先ではないのか。
優しく白き心の持ち主だというのに、それを墨で帳消しにしたかのような男だ。
「ほら善逸くん、落ち着いて?そんなだと女の子も怖がっちゃうよ。それに育手の下で修行しているって事は、近い将来、鬼殺隊の看板を背負って立つのでしょう。鬼に襲われた人を不安にさせるような行いは、しちゃいけないよ」
「正論でザクザク刺すのはやめてよォオオオーー!でもそっか、近い将来……俺は鬼と戦って………俺の力なんかじゃ通用せずに返り討ちに遭って………死……死ぬ……イヤアアアアアアアア死ぬうううう!!」
「ぜ、善逸くん?」
「死ぬよ死ぬ死ぬ俺死んだよォー!鬼と戦って死ぬんだ俺はァー!目標だった柱にもなれず人知れず鬼に喰われて死ぬんだアアアアアア!!」
逆効果だったらしい。
少年が撒き散らす騒音は森の中にもよく響く。桑島慈伍郎老人を起こしてしまうのも忍びないし、このまま放置するわけにもいかない。
時雨は散々迷って、己の内から人を安堵させるような話題を絞り出した。
「………善逸くんは、目標にしてる人はいるかな?」
「えっ?……爺ちゃんと、今は出かけてるけど、俺の兄弟子の獪岳ってやつ。嫌なやつだけど、すっごい嫌なやつだけど。俺と違って真面目にコツコツ努力するのが得意だから尊敬してる」
「じゃあ、善逸くんにおまじないをかけてあげるね。立派な鬼殺隊員になれるおまじない。善逸くんが、将来、兄弟子の獪岳くんと肩を並べられる男になれるように」
時雨は善逸の、まだ子供特有の小さな、それでいて皮の擦り剥けた厚い掌をそっと握った。善逸が変な声を出したが無視する。
「爺ちゃんに、柱になった善逸くんを見せられるように。獪岳くんが辛くて困っている時は、彼を助けてあげられる男になれるように。……いつかまた私と、無事で会えるように頑張ってね。その時はもう少し、大人になってくれていると嬉しいな」
「ハイ!!!」
善逸が顔の穴という穴から蒸気を吹き出し興奮している様は、列車を連想させた。
だが時雨は知らない。
しばらくの後、修行の辛さに耐え兼ねた善逸が桑島慈伍郎の下から逃亡しては捕まえられるのを繰り返すことを……。
時雨が知る事はなかった。
▽▽▽▽▽▽
「───なんでもっと早く来てくれなかったんだ!!!」
啜りなく声。
浴びせられる罵詈雑言。
怒号。
それら全てが、千雨の心を突き刺した。
妹を追って、一年遅れで鬼殺隊に入隊したまでは良かった。しかし初任務の際、千雨が鬼の所へと駆けつけて苦戦しつつも何とか討伐した──ものの、一人の尊い子供の命を救う事はできなかった。
息子を喪った哀しみからか、父親は錯乱した様子で石を投げつける。涙塗れで、苦悶の顔を浮かべながら。
「巫山戯るな、巫山戯るな!女房はこの子を産んだ時に死んでしまった!身体の弱い女性だったんだ!せめて俺が、俺がその子を一人でも育てなければならなかった!なのに何故、何故俺から奪っていくんだ!神は俺のこのざまを見てそんなに面白いというのか!神は、何故お前を遣わした!巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな──うわああああああああっ!!!」
所詮は運命と、切り捨てる事はできない。
家族を喪くした喪失感も、苦しみも、世界に対する怨嗟も、全て味わったからだ。
自分に力があれば。
自分がもう少し早ければ。
そんな後悔が波のように押し寄せる。
隠の者が仲裁に入ってくれるまで、千雨は一言も発さなかった。
否、発する事すらできなかったのだ。言葉を交わす事、それすらも罪だと感じた。
生きている事が、立っている事が、自分が弱い事が、罪。
千雨は無情な現実に──そして無力な自分自身に打ちのめされそうだった。
「やい、やい。……大丈夫かお前、ひっでえ顔だぞお前」
「………ぁ………すみません………」
「まあ気にするなってのも無理な話だろうが、あんまり引き摺っても仕方ないぞ。人は神様じゃないんだ、救える命の数には限りがある。子供の命を救えなかった事を嘆くよりも、親父の命を救った事を誇れよ」
「………はい………」
救える命の数には限りがある。
その数はあといくつ残っているだろうか。
その中に時雨は入っているのだろうか。
これから先、何百、何千の命と向き合った時に、あといくつの命を救えるのだろう。
救った時の事など、死んでいった者達の絶望の表情でいくらでも塗り潰される。そして千雨が救えなかった命の数はきっと、いくらでも数えられるのだろう。
私は無力だった。
どこまでもどこまでも、無力だった。
しかし時雨は違った。
彼女を守らんと追いかけた先。そこには既に昔の面影は粒ほども残ってはいなかった。
時雨は嵐柱になっていた。