ある日の工房。出入りはおだやかで、人気の少ない路地らしい静かな時間が流れる。
休憩時間同然の落ち着きだったが、不意に響いたドアベルがだらけた空気を打ち破る。
「いらっ――あれ」
いつものように挨拶しようとして、和己は異変に気付いた。人間の人影はそこに無く、ドアの枠に小さな人影があるだけだった。
人影は神姫だった。神姫のパワーならば多少のドアは開けられるし、人影がいやに小さいのも理解できる。
「……」
入店し、陳列棚を見上げる神姫。素体にはオールベルン型のミレイユに似た意匠があったが、色は黒。切り揃えられた薄紫のセミロングヘアがよく映える。
「ジールベルン型のお客様は珍しいですね」
ミレイユの反応がやはり早かった。床に降り立った彼女は、来店した神姫を見て語る。
ジールベルン型といえば、オールベルン型の姉妹機だ。対称的な黒を基調にしたボディで納得がいく。表情には乏しいようで、じっとりとした視線を向けるだけ。
ジールベルン型はかなり気難しいAI設定であるらしく、来店した“彼女”を見れば一目瞭然でもあった。
「マスターは一緒じゃないのか……?」
カウンター越し、和己が問うと黒い神姫は彼を見上げる。
「一緒じゃない。あたし一人」
神姫用に組まれた足場を見つけると、神姫は跳躍で飛び移り、カウンターへ上る。
「あなたが店主?」
着地と共に、神姫は赤い瞳を和己へ向けて訊ねる。
「そうだけど……」
「和己さん、人気ですねぇ」
ようやく話を差し込む部分を見つけたのか、三奈も溜め息交じりに会話へ加わった。
首をかしげる神姫。
「人気……? 否定」
次いで出てきたのは言葉通りの否定だった。
会話が噛み合わない。ジールベルン型を相手にするのに、ここまで苦労するとは。神姫の相手に手慣れた筈の和己も頭を抱えた。
「なら、君は服を見に来たのか?」
また神姫は首をかしげた。とはいえ、服を見に来たとしても買い手にはなり得ないだろう。金銭を要求すべきマスターの姿がない。
無論、電子マネーの類いを持っていれば話も変わるが、どうやらそうではないらしい。
「あたしは服装の変更に利点を見出だせない。……でも憧れは、確かに否定できない」
斜を向き、頬を赤らめる。
伝言がある、と神姫はそれから続けた。恥じらいからの切り替えは早かった。
「アーティル型の神姫は?」
「今、奥で在庫を見てるけど」
「……そう。彼女について知りたければ、ヴァルハラに行け。マスターからの伝言」
直接ルーシィに話があるのではないのか。和己が返そうとしたが、それも待たずにジールベルン型の神姫はカウンターから飛び降りた。
綺麗な前転と共に着地した神姫は、後ろにいた和己へ振り返って静かに告げる。
「次は、服を見に来る」
手を触れてなどいないのに、まるで彼女がそうしたかのように、開いていたドアは閉まっていく。
小さく鳴ったドアベルと、もはや置いてけぼりな人間たちが店に残される。滞在していた時間は五分もないだろう。
「ヴァルハラって……前、違法賭博で摘発されたバーですよね」
神姫が残した手がかり、ヴァルハラ。その名前は少なからず衆目に触れていた。当然、三奈の目にも。
違法改造神姫やマスターによる違法賭博で警察に一斉摘発を受けたバー。それが、そのヴァルハラだった。
「……まだあるのか、あの店」
摘発にはおとり捜査が使われたと噂が絶えない。公式に許可を得ない神姫バトルをあえて行わせ、人を集めて一網打尽だとか。
噂、噂、噂。どんな話も事実を確認しなければ噂の域を出はしない。そして和己にとっては不幸にも、ヴァルハラとは知らない存在ではないのだ。
違法賭博に関与したことは無論無いが、工房を開けるようになる前はよく出入りしていた。それを三奈には話をしたことはなく、彼の中では消し去りたい過去の一つ。
しかし、過去とは消えてくれないらしい。ルーシィの情報も出ない上、まるで狙い澄ませたように招待まで貰っては、無関係ではいられない。
「まあ、今日見に行ってみるか」
目的はルーシィの手懸かりだ。マスターがいるなら、少しでも早く元の生活に戻してやりたいと思うのが神姫マスターだ。
少しの危険で彼女について前に進むのなら、その招待は呑むしかないとも言える。
カラスの鳴き始めた外をカウンターから眺め、和己は一度大きく伸びをした。
十話にして、いよいよ2000文字切りました。
ただ一旦の繋ぎにはちょうどよかったので、もうこのまま投稿しますです。