余滴は星彩に溶けて   作:沖縄の苦い野菜

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そのご期待、評価を裏切らぬように、精進しながら書かせていただきますので、どうかこれからもよろしくお願いいたします

それでは、本編をどうぞ




第十話 純粋な心

 決めていたつもりの覚悟も、劇場の前に来ると足がすくんで動きが止まる。楽な方に逃げようと、悪魔が頭の中で囁きかけてくる。

 まるで、繊細な飴細工を炎に近づけているようだった。劇場に近づけば近づくほど、胸が痛くなって、思考が乱雑に散らかってまとまりがつかなくなる。

 

 これを胸にしまい込んで、すべて諦めてしまえればどれだけ楽なことか。

 そんな考えが頭の片隅にチラついた途端、エレナは首を横に振って前を向いた。胸を張って、いつものように堂々と劇場の入り口を通り抜ける。

 

 劇場の中に入ると、また一段と肩に重荷を乗せたような重圧を覚えた。そんなことはないはずなのに、エレナには劇場の空気が鉛のように重く感じた。水中で体を動かしているような動きづらさを覚えた。まるで、海の中にいるように。息が苦しくなって、胸に鈍痛が走って。

 

 それでも、エレナは背を伸ばして前を向いて歩き出す。

 

 

 

「あっ、エレナ。話したいことって言ってたけど、どったの?」

 

 休憩室では恵美が、いつもの様子で待っていた。メッセージを送ったのは今日の朝のことで、時計は予定通りの時間を示している。首をかしげて不思議そうにエレナを見つめている。あまりにも普段通りで、陽だまりのように心地の良い日常的な光景だ。

 

 だからこそ、エレナは喉に言葉を詰まらせた。

 この言葉は、そんな日常すべてを壊し得る爆弾だった。恵美との関係が完全に壊れて戻らなくなるかもしれない。良悟との関係もこれから修復不可能なほど、ズタズタに引き裂かれてしまうかもしれない。

 

 ――何より、恵美を悲しませる、辛い思いをさせてしまうこの言葉を吐き出すことに、エレナは躊躇した。

 

 エレナの視線が下を向いた。

 そんなエレナを前にしても、恵美は何か催促するわけでもなく、ただ静かにその場に佇んでいる。エレナからの言葉を待ち続けている。

 

 その沈黙が、エレナの喉に詰まっていた空気を吐き出させた。安堵するように、ホッと息が飛び出たのだ。そのことに、思わず驚いたのはエレナ自身で、目を丸くして弾かれるように顔を上げると――

 

「――メグミ」

 

 そこには、包み込むように静かに微笑み佇む、恵美の姿があった。

 心地がいいのは、当たり前だった。

 

 だからこそ、エレナは今度こそ、恵美のことを真っ直ぐに見つめて言葉を口にした。

 

「ワタシはネ、リョーゴのことが大好きだって……ううん、愛してるノ」

「――うん」

 

 恵美は、エレナからの爆弾発言に表情を崩すことなく、微笑んだまま頷いて見せた。

 

「今は、メグミがリョーゴのガールフレンドだけどネ」

 

 でも――とエレナは覚悟を決めて表情を引き締め、その言葉を言い放った。

 

「リョーゴのファミリーになるのは、ワタシだヨ」

 

 それは、エレナから恵美に対する最大の挑戦状だった。

 同時に、恵美に対して最大限の信頼でもあった。

 

「……ね、エレナ。どうしてアタシに正直に、まっすぐに、話してくれたの?」

 

 恵美は包み込むように微笑んだまま、エレナの瞳を覗き込むように聞いた。

 エレナはそれに対してただ真っ直ぐに視線を返すが――

 

 くしゃり、と途端に引き締めていた表情が崩れる。瞳に涙が溜まっていき、抑えていた感情が胸の内側から決壊した。頬に伝う水滴、濡れていく自分の顔を自覚して、思わず俯きそうになるのをグッと堪える。涙を拭う手も今はいらない。涙を隠す必要もない。ただ彼女は、恵美に自分の本心を伝えるためだけに、口を開いた。

 

「メグミに嘘は吐きたくないヨ……!」

 

 そんな小さな悲鳴が、恵美の固まっていた表情をわずかに動かした。

 エレナはしかし、そんな恵美に気づけない。言葉を言い切ると、俯いて何とか涙を拭き切ろうとする。ここで泣いてしまうのはフェアじゃない。だから、次に見せる顔は挑戦的な笑顔じゃないといけない、そう思い込んで。

 

 嘘は吐けない、という約束を守るための言葉じゃない。

 嘘は吐きたくない。それはまさに、エレナの感情を示した言葉だった。

 

 できるけど、したくない。その言葉が、どれだけ選び抜かれたものだったのか。

 自覚、無自覚に関係なく、恵美には確かにエレナの気持ちが伝わってきた。

 

「エレナ、ありがと。すっごく、嬉しかった」

 

 俯いたエレナを抱きしめて、恵美は子どもをあやす様に彼女の後頭部に軽く手を添えた。

 

「これからも、親友としてよろしくねっ! でも、恋はライバル。それでいいじゃん」

 

 そして恵美は軽い調子で、いつものように言葉を紡いだ。簡単なことでしょ、とでも言いたいように。彼女はその言葉を嘯いた。

 

「うん……うん!」

 

 エレナは恵美の言葉に、涙声で首を縦に揺らしながら答えた。

 恵美はただ、彼女を受け止め続ける。

 

 お互いの表情は、お互いにわからない。抱き合っているために確認する術がない。

 それでも、エレナはきっと笑顔を見せてくれるだろう、と恵美は確信をもっていた。その確信が、胸の内を温かくしてくれる。

 

 だから、恵美は耐えられた。

 

(……ゴメンね)

 

 エレナは自分のことで精一杯で、気づけなかった。

 所恵美という少女のことを知っているのなら、誰もが気づけた違和感に。

 

 エレナが覚悟を決めたように。

 所恵美もまた、ひとりの少女の親友として、覚悟を決める。

 

 その時、彼女が唇の端を噛み締めて、目じりに涙を溜めていることに気づける者は。

 恵美自身を含めて、誰もいないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔、まだ幼い日のことだ。

 子ども心に彼は祖母に聞いたことがある。

 

「どーして、お月さまはどこから見ても同じ場所にいるの?」

 

 祖母は、月明かりの中で優しく微笑みながら、静かに言い聞かせるように答えた。

 

「それはね、良悟のことが大好きだから、見守って、追いかけてくれているんだよ」

「へぇ! じゃあ、お星さまも?」

「そうだねぇ」

「そっかぁ……」

 

 今にして思えば馬鹿な話ではあるが、幼心には不思議と嬉しくて、感動的な話だったことを覚えている。

 難しいことを説明するのではなく、幼心に訴えかける祖母の言葉には、魔法のような力があった。

 

 だから、当時は目を輝かせて月を見て、星を見て、彼はこう言った。

 

「じゃあ、仲良しだね! お月様ともお星さまとも。あっ、お日様ともかな!」

 

 星は、いつも自分のそばにいてくれる。どんな場所にいても、どんな時間だとしても。

 空さえ見えれば、星はいつだって見守ってくれていた。

 

 

 

 

 

 

「だから、落ち込んだ時には星を見に行くんだ」

 

 良悟から聞かされる身の上話に、恵美は思わずポカンと固まった。

 

 恵美からデートに誘って、とにかく話を切り出そうとして、言葉がのどに詰まった矢先のことだ。

 彼はそんな恵美を見かねたのか、それとも何か感じるものがあったのか。唐突に「プラネタリウムに行こう」と言い出したのだ。

 

 突然の申し出に、恵美は言葉を返す間もなくふわりと手を引かれながら。

 彼は歩きながら、恵美にそんな祖母との思いで話を言い聞かせた。

 

「祖母ちゃんが、何でそんなこと言ったのかわからない。だけど、そう考えた方が楽しいなって、そう思えるくらいにはなった」

 

 良悟のそんな言葉を聞いて、恵美は「確かに」とひとり心の中で頷いた。小難しい理論より、恵美にとっては夢とロマンと幼心に満たされたその話の方が好みだった。

 

「……どーして、プラネタリウムに行こうって?」

「今言った通りだよ。恵美を元気づけるには、お星さまのご加護が一番だってな」

 

 良悟は恵美の前にいるせいで、恵美からはどんな表情をしているのかはわからない。だが、その声音は少しおどけたように、軽い調子で口に出されたものだ。

 

 恵美はキュッと胸の前で手を握りしめた。ズルい、と思わず吐き出しそうになる口を慌てて閉じた。

 本当は伝える決心をして誘ったデートであったはずなのに、主導権はいつの間にか彼女の手からこぼれ落ちていた。

 

「どーして、そんなに優しくしてくれるの?」

 

 無意識に出た言葉だった。しまった、と思った時にはもう遅く、良悟の耳には確かに届いていた。

 

「優しい……? そういうもんか?」

 

 しかし、良悟は自らの優しさを自覚した風もなく、恵美の方を振り向くと心底不思議そうな顔で首をかしげてみせた。前をチラチラと確認しながら、彼は言葉を継ぐ。

 

「普通だと思うけどな。恵美だってそれが普通だろ?」

「――えっ」

 

 ドキッ、と心臓が大きく跳ねた。まるで見透かされたような言葉に、背筋が凍るような感覚が走る。

 

「エレナのこと、よく気にかけてる。気遣いができるって、優しいってことだろ? それと一緒だ」

 

 その言葉に、恵美の口から思わずホッと息が漏れた。

 

「リョーゴくんの方が細かいと思うけどなー」

「恵美の方が気遣い方うまいけどな」

「ぶきっちょだもんね」

「自己評価低すぎ」

「それこっちのセリフだし!」

 

『――ぷっ』

 

 お互いに、示し合わせたかのように同時に笑いが漏れる。

 良悟は前を向いて喉を鳴らし、恵美は「にゃはは!」と声を上げた。

 

 冗談交じりに軽口を叩き合う。そんな雰囲気が、楽しくて仕方がなかった。そんな時間だけは、後ろから迫ってくる嫌な何かを忘れさせて、前を向かせてくれるのだ。

 

 

 

 プラネタリウムの中は、真夏だというのにクーラーが効きすぎているくらい肌寒い。さすがにこれは、と良悟は眉をひそめながら恵美の方に視線を向けてみれば、両手を握って少しだけ揺れている姿が映る。だから、良悟は薄手の上着を脱いで恵美の方に渡した。

 

「えっ?」

 

 席に座って、突然渡された上着に恵美はキョトンと首を傾げた。良悟はその顔を見ながらひとつ頷いて見せる。

 

「かけるか、着るか。どっちでもいいけど、気持ち悪くないなら羽織っとけ。寒いだろ?」

「いや、これ着たらリョーゴくんが寒いんじゃ……」

「男の子は風の子元気の子だ。なんたっていつまで経っても子どもだからな」

 

 そういうと、良悟はさっさと恵美から視線を外して、席に背中を預けて天井を見上げてしまった。反論は受け付けない、という姿勢だった。

 

「サンキュ」

 

 薄手の上着といっても、羽織ればだいぶ変わるものだった。足元は冷たいが、肩から腕にかけて、温かさに包みこまれる。まるで、ふかふかの布団にくるまるような柔らかい温度。上着に残った残り火のような熱を肌に感じて、あれ、と恵美はある考えに至る。

 

(……これって――)

 

 そこまで考えて、今度は違う意味で体に熱が走った。頬が紅潮して、顔と胸にじわじわと熱が溜まっていく。寒い、温かい、という以前に「暑い」と思ってしまうほどに。

 

 良悟が恵美に視線を向けていないのは、今だけは幸いなことで。

 開演するまで、恵美は頭を抱えて悶々と、目を回して恥ずかしさにひとり耐えるのであった。

 

 

 

 ――夏の大三角形。

 デネブ、アルタイル、ベガの3つの星を結んで描かれる、細長い大きな三角形のアステリズムのことだ。

 

 注目すべきところは、七夕伝説においてベガは「織姫」、アルタイルは「彦星」に該当することだろう。

 天帝に結婚を許された織姫と彦星は、結婚生活に夢中になって仕事をしなくなり、それに怒った天帝が二人を天の川を隔てて引き離した。最終的には、1年に1回、7月7日にのみ会うことを許される。天の川にどこからか現れたカササギが橋を架けてくれて、二人はめでたく再会を果たすのであった。大雑把にいえば、そんな話。

 

 

 

 恵美はそんなプラネタリウムの解説に、ドキリと心臓を跳ねさせた。プロジェクターが生み出す満天の星空に目を輝かせていた様子は、夏の大三角形の説明に入ると徐々に曇っていった。

 

 逃げるように、恵美は視線を隣にいる良悟の方に移すと――

 

 

 

 ――幼い瞳をキラキラと天の川のように輝かせ、どこまでも透き通った男の子の笑顔が、そこにはあった。

 

 

 

(――ッ!)

 

 不意打ちに、すぐさま恵美は視線を下に向けて俯いた。

 

(なんで……!)

 

 また熱を持っていく自分の顔を自覚して、恵美は歯を食いしばり、拳を強く握りしめた。

 けれど、視線はまた、良悟の方に向いて、すぐに俯いて。

 

(こんなの、こんなのって……!)

 

 肩が縮こまり、膝の上に強く握られた両手が乗る。プラネタリウムの解説は、もう彼女の耳には入ってきていなかった。

 ただ、視線が自分の手元と良悟の顔を交互に行き交う。

 

(そんな顔、しないでよ……! アタシ、覚悟決めてきたのに。言いたくなくなっちゃうじゃん――!)

 

 心の悲鳴をぶつけて、すべてぶちまけて、何もかもを終わらせることができれば。

 それを勢いで実行できるほど、恵美の気持ちは軽くはなかった。

 それらすべてを振り切って独りで歩けるほど、恵美は強くなかった。

 

 何より、泣いている親友を置いて前に進めるほど、恵美は薄情になり切れなかった。

 

 そんな弱い自分が大嫌いで、恵美は目じりに涙を溜めて、それに気が付くとそっと指で拭い取った。溢れてくるほどではないが、それでも悔しさが募るほど目じりに溜まって、また拭い取って。

 

「――恵美? 大丈夫か?」

 

 小さく、耳元を撫でるように柔らかい声音が届いた。

 驚いて、目を見開いて思わずそちらを向いてみれば、いつの間にか良悟が恵美の方に向いていた。あれだけ星のように輝いていた表情は、もうそこにはない。あるのは、ただ優しく心配そうに見つめてくる彼の顔だけだ。

 

「――ッ!」

 

 言葉にできなくて、あふれ出した感情を持て余して。

 恵美は良悟から顔を背けると、席から立ち上がって出口に向かって走り出した。出口から飛び出すと、プラネタリウムからもその勢いで飛び出して。それが彼女にできる、精一杯の抵抗で。

 

「恵美!?」

 

 良悟はその様子を呆けた様子で見ていたが、恵美が会場から出ていったことに気が付くと、咄嗟に立ち上がって恵美の後を追って会場から飛び出した。しかし、その時には既に、どこを見ても恵美の姿が見つからなくて。

 

 ブルル、と良悟のポケットに入っていたスマホが振動する。慌てて取り出して、ホーム画面を見てみると――

 

『恵美:ゴメンね。先帰る。ほんと、ゴメン』

 

「恵美――!」

 

 人にぶつからないように、それでも全力で走って、外に出てみれば――

 

「……恵美」

 

 ――行き交う人々の波にのまれて、恵美を見つけることはできず。

 良悟はただ茫然と、人の波を見ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――プラネタリウムに行った日、その夜のこと。

 

 恵美は自室の電気を消して、ベッドの上で膝を抱えてそこに顔を埋めながら、スマホをジッと見つめていた。虚ろな瞳が、書かれた文面を何度も読み返して、その度に目から光は失われていき。

 

 直接言えない自分に嫌気がさして。

 送信をタップすると、すぐに電源を切って、彼女は丸まって目を閉じた。

 

「……ゴメン」

 

 スマホの画面に、涙が雫となって落ち、雫は落ちた衝撃によって飛散する。

 

 出かけた時の服装のまま蹲った少女は、それ以上動けず。

 彼の上着からも、何も感じることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『恵美:

 今日はゴメンね。

 でも、大事な話があったから、ここで伝えさせて

 アタシたちって

 一応「お試し」で付き合ってたからさ

 

 だから、ね。

 ゴメンね。

 今までありがと。

 

 言いにくかったけど、別れよっか。アタシたち

 

                 さよなら。』

 

 

 




この二人の行方に、エレナと良悟は何を思うのか
恵美は、どんな心境で決意したのか。



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※2020年1月7日10時32分に最後の文章をスマホに合わせて改行、修正しました
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