何か、悪いことをしてしまったのだろうか。
机の前で立ったまま、自分の行動を顧みて、スマホの画面を見て、また頭を捻らせて。
初デートの際に交換した連絡先も、こんなにも早く無意味と化すとは思わなかった。いや、グループから脱退されていないだけ、まだマシといえるのか。
悪かったのは、何なのか。
突然、爆発するような別れ。ならば日ごろからの積み重ねによるものだと考えられる。
(……いや、日ごろの行い? 本当にそうか?)
――そりゃ、好きな人と一緒にいるんだから。楽しいに決まってるっしょ!
そんなことを言う彼女が、果たして本当に、何か不満をため込んでいたのだろうか。
互いの距離は、会う回数を重ねるたびに縮まっていたと自覚している。最後は、軽口を叩き合えるほどには近くなっていた。
(近く、なってた筈だ。それが嫌だった? 近づきすぎた?)
良悟はもう一度、文面に目を走らせた。
ぶつ切りにして、簡潔に、それでも伝えようとする少ない言葉。
(……もしかして、俺が壁を作ってるって、思われた? 楽しそうじゃないから、ってことか?)
それを直接聞く気にはなれない。
そもそも、恵美が直接伝えず、文面だけにとどめた理由を考えると、何かを問いただそうとは思えなかった。
「でも、だったらよ……」
メールの文面に視線を落として、こぶしを握る。
悔しさに唇の端を噛み締めて、彼は絞り出したような声で口にした。
「どうして、イヤだとか、大嫌いだとか、拒絶してくれねぇんだよ……! 何でお前が謝って、お礼言ってるんだよ……!」
良悟が諦めきれない理由だった。これが、良悟自身を拒絶する文面なのであれば、大人しく引き下がることができた。嫌い、面倒、見たくない、何でもいい。それだけで、彼は諦めることができた。
だが、文面は一言も、良悟を拒絶してくれはしなかった。それなのに、別れようというその文面が、彼女の心を表しているように見えてならないのだ。
それくらいに、良悟の諦めは悪かった。この文面を読んで「はい、じゃあ別れようか」と言えるほど、聞き分けがいいわけじゃなかった。
だが、そのためにヨリを戻す方法も、出会う方法もわからない。
そもそも、別れを告げてきた相手に無神経に会いに行けるほど、良悟の肝は据わっていない。
「俺の、何がいけなかったんだ?」
恵美の昨日の行動を思い出す。彼女が走り出したのは、プラネタリウムの公演途中だ。確か、冬の大三角形についての解説の冒頭くらいだったか。
(いや、そもそも会った時から様子おかしかったぞ。様子がおかしかったのは、別れを切り出すことへの緊張? 俺に原因があるとすれば、それよりも前……?)
そもそも、会う回数自体少ないのだから、その前と言われれば初デートの時しか思いつかない。
その一番の原因として考えられるのは、嫉妬か。
(……あの恵美が? ファミレスで、エレナの昔話聞いて本気で心配していたのに? ありえないだろ、そんなの。無神経だったかもしれないけど、お互いに共通した親友だろ?)
「――言葉にしてくれなきゃ、わからねぇよ……」
机の上にスマホを置いて、彼はうつむいた。黒色の砂時計は、すべての砂を落とし切ってその時を止めている。ひっくり返そうとも、触る気にもなれず、彼は机から離れるとベッドに倒れ込むようにして横になった。
「十年来の幼馴染の気持ちにだって……」
重くなった瞼が完全に閉じられると、彼はそのまま泥のように眠った。
布団もかけず、着替えもせず、うつ伏せで眠って。
その右手は窓の方に向かって投げ出され。
部屋の中はついに、静寂に包まれるのであった。
喉に痛み、鼻の奥に感じるふわっと浮いたような違和感、頭に走る鈍い痛み。肩にのしかかる倦怠感。
寝起き早々に不良を訴える体調を押して家を出た。マスクは着用して、登校だ。体温は37度3分。ギリギリ大丈夫、と自分に言い聞かせながら家の門を抜ければ、示し合わせたかのようにエレナと遭遇した。
「あっ、おはよっ! ……あれ、リョーゴどうしたノ? カゼ?」
「おはよう。喉痛くて、若干だるいからマスクしてる」
「熱はあるノ?」
「37度3分。まだ風邪じゃない。セーフだ」
「……部活は休まないとダメだヨ?」
「わかってる」
倦怠感が仕事をしていた。夏祭りにされた告白の後に堂々としていられるのは、体調不良が原因だ。加えて、恵美の件も尾を引いている。恥ずかしがる余裕なんて、今の良悟にあるはずがなかった。
「――何かあったノ?」
「……?」
漠然とした、突然振られるエレナの質問に、良悟は首を傾げた。エレナの質問の意味を考えるほど頭が回らず、質問の意図が理解できなかった。
「ううん、何でもない」
そんな良悟に、エレナは首を横に振ってそう言った。
結局何が言いたかったのか、良悟はエレナの質問の意図を最後まで理解できないまま、彼女と共に学校に向かうのであった。
「実は、リョーゴくんと別れたんだよねー」
「――え?」
レッスンのために劇場の更衣室で着替えているときのことだった。
ネクタイを緩め、スクールシャツのボタンに手を掛けながら、恵美は隣にいたエレナに日常会話のような軽い調子で言ってのけた。
それがあまりに軽く、彼女の口から言葉として出てきたものだから。
エレナは思わず目を点にして、恵美の方を見たが、彼女の表情はロッカーの扉に隔たれてわからない。
「啖呵切ってもらったのに、なんかゴメンね?」
気遣うように、優しくておどけた様子の声音がエレナの耳を打つ。
恵美の言葉が、エレナの心に嵐を呼んだ。
どうして、という困惑が一番大きく渦を巻いた。将棋盤をいきなり引っくり返してすべてをなかったことにする、そんな横暴に近かった。
困惑の次に、もしかしたら、という浅ましい希望が芽吹いた。意図せず、仕方のない、あまりにもやるせない希望。それはまるで、目の前に垂らされた蜘蛛の糸のようだった。
そして最後に湧いてきたのはやはり、どうして、という疑問だった。エレナから見れば、どう考えても上手くいっていたはずなのに。どうして別れてしまったのか、まったくわからなかった。
「アタシはもうリョーゴくんと関係ないからさ。エレナの恋、応援してるよっ!」
じゃ、先行ってるね――そう言い残して、恵美はエレナに背を向けて、後ろ髪を宙に浮かせながら更衣室から出ていった。話を早々に切り上げられて、エレナには言葉を返す時間がなかった。
更衣室にはエレナひとり取り残されて――
「……メグミ」
――静寂の中、エレナは更衣室の出口を見守るしかなかった。
良悟にはわからない。どうして、何があったのか。
エレナにはわからない。恵美がどうして良悟と別れたのか。
でも、恵美にもわからないことはある。
彼女たちは、あまりにも擦れ違っていた。
それでも時間だけは、進み続けるのだ。
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