余滴は星彩に溶けて   作:沖縄の苦い野菜

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第十三話 雪解け

 

 

 ――これで、よかったんだよ。

 

 駅のプラットフォーム。人混みの中に溶け込みながら、少しだけ下を向いて電車に乗った。

 スマホを取り出して、メッセージアプリを開く。最後のメッセージに既読はついているものの、それ以降にメッセージは続いていない。

 

 ――うん。リョーゴくんだって、アタシのこと気にしてないって。

 自分で考えて、チクリと胸に刺すような痛みが走った。それに気づかない振りをして、彼女は「グループ退出」の欄に視線を落とした。

 

 押さなきゃいけない。そう分かっているものの、実行することはあまりにも難しかった。立ち止まって、既に二週間が経過している。

 

 ――アタシが、エレナの恋の足引っ張っちゃってたから

 いつまでも成就しない恋。相手の笑顔を引き出せない自分。ズルズルと続いていく、しがらみのような関係。そんなものを、いつまで続けても仕方ない。

 

 ――だから、スパッとやめて。元通り、ってねっ!

 その恋心に、きっと出口なんて都合のいいものは存在しなかった。

 

 連絡手段を断つことができないのは、未練があるからだ。

 恋心を捨てられないのは、自分に本気で嘘つくことができないからだ。

 走り抜けてゴールできるほど、彼女はがむしゃらになれなかった。

 

 用意された出口なんて一つだけだった。そこにたどり着く前に、所恵美は足を止めて、蹲ってしまった。

 

 エレナと良悟の関係。その二つさえ元通りになればそれでいい。

 だから、恵美は足を止めた。引き返すことも、進むこともせず、出口への一方通行の道半ばで蹲った。

 

 ――リョーゴくんから振ってくれたら、なぁ……。

 漠然とそんなことを思って、妄想する。良悟に振られるとき、一体どんな振られ方をするだろうか。

 

 タイプじゃない、飽きた、とか。そんなことは言いそうにない。

 精一杯、少ない言葉を尽くしそうだ。特別な理由がなければ、もしかしたら本当に出口に行くまで関係が続いてしまうかもしれない。

 

 そんな良悟がもしも、理由を挙げるとしたなら――

 

『恵美のこと、好きだけど。友達以上には、なれそうにない。ごめん。』

 

 ――リョーゴくんなら、ありそうかも。

 心に鋭利な刃物がグサリと刺さるような思いだった。ただの妄想なのに、本当に体験したかのように、心の傷口は広がっていった。

 

『エレナのこと、放っておけないんだ。だから、ごめん。“お試し”は、解消してほしい。』

 

 ――あー、これなら、ちょびっと嬉しいかも。エレナの大勝利っ! ってね。

 それでも、「ちょびっと」しか嬉しくなかった。親友を祝福しなくちゃいけないのに、心にトゲの刺さった自分は素直になれそうにない。嬉しさより、痛みと悲しみが、津波となって押し寄せてくる。

 

 ――アタシ、ヤなヤツじゃん。ダメダメ、親友の恋を応援しなくちゃ!

 自らを鼓舞するように一度頷くと、ちょうど電車の扉が開いた。恵美は一歩、ステップを踏むように飛び出すと、早足でまた人混みの中に溶け込んだ。

 

 ――エレナとリョーゴくん、くっついたかなぁ……?

 恵美は、自分からちゃんと振ることができたと思い込んでいた。だからきっと、良悟も迷うことなく、隣にいるエレナに目を向けるだろうと、至極当然のように考えていた。

 

 ――まっ、エレナに聞けばわかるよねっ!

 

 改札を通り抜けて、目指すはアイドルとしてのホームグラウンド。劇場だ。

 今日もこれから、エレナに会えるんだと思うと。

 

 

 

 恵美の胸に、チクリと、小さな痛みが走るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恵美が更衣室に入ると、先客にエレナがいた。ロッカーの中にカバンを置いて、ちょうど今から着替えるところらしい。それを見て、恵美は精一杯の笑顔を浮かべて手を挙げた。

 

「あっ、エレナー! やっほ!」

「メグミ! メグミもこれからレッスン?」

「そうそう。最近、ちょっと涼しくなってきたし、今日はいつもよりうまく踊れそうな気分なんだよねー」

 

 言いながら、恵美はロッカーの扉を開けて荷物を置き、さっさとトレーニングウェアを取り出してベージュのセーターを脱いだ。

 

「そう言えばさ、リョーゴくんとはあれからどんなカンジ?」

「……リョーゴと? メグミ、それ今週で3回目だヨ?」

「ありゃ? そんなに多かったっけ。にゃははは! まぁ、そんなことより、さ。そろそろリョーゴくんとくっついたんじゃないの?」

 

 ――早く付き合って、諦めさせて。

 恵美にとってその質問は、はやる気持ちを抑えてしていたつもりだった。それでも、エレナに指摘されるくらいには高い頻度で、話題に出してしまっていた。

 

 エレナは、そんな恵美の発言に眉根を少し寄せて、恵美の方に視線を向けた。

 

「リョーゴは、そんなに強くないヨ」

「――へ?」

 

 強くないって、何が? と、恵美は本当に意味が分からず首をかしげて、思わずロッカーの扉から顔を出してエレナの方を見た。

 

 すると、エレナが真剣にこちらを見据えてくる光景が目に飛び込んできた。

 

 ――ゾクリ、と背中に緊張が走った。

 

「メグミ、リョーゴのコト、まだ好きなんだよネ?」

 

 前置きも何もなく。

 エレナはただ真っ直ぐ、単刀直入に質問を投げかけてきた。核心に、いきなり切り込むような、鋭い切っ先のような問いかけ。

 

 それはあまりに、恵美の心に深く突き刺さる。不意打ちに、心を守る余裕なんてなかった。無防備に質問をぶつけられて、思考回路が凍り付く。

 

「メグミと、リョーゴを見たらわかるヨ」

「……えっ、何でリョーゴくん?」

 

 何も考えずに、ただ脊髄反射のように疑問が口から飛び出した。自分のことを見ているならともかく、リョーゴを見ていたらわかる、というのが理解できなかった。

 

「リョーゴ、ずっとウジウジしてたからネ。わかるもん」

「いや、ウジウジって……えっ、アタシに振られて? えっ、いやいやいや! リョーゴくんが!? それじゃアタシが脈ありみたいじゃん!?」

 

 恵美は自分でそう言ったものの、即座に「ないないない!」と何度も否定の言葉を口にしながら手を横にブンブンと勢いよく振った。

 

「だって、4か月くらい進展ないし! 笑ってるところ全然見ないし! そりゃ楽しそうにしてるかも、って思うときはあるけどわかんないし! 気遣いばっかりさせちゃってアタシが引っ張りまわしちゃってるし!」

 

 自分から否定の言葉を口にしているはずなのに、目じりには涙が溜まっていった。

 

「笑ってる時だって、アタシにじゃなくてエレナにだから! アタシに笑いかけたことなんてないし! 会える回数だって少ないから、お互いのこと全然わかんないし。アタシのこと好きになるなんて、アタシに惚れるところなんて……アタシにだってわかんないんだから、分かるはずないじゃんッ!!」

 

 恵美の悲鳴のような言葉が飛び出した。

 いや、それはまさしく、彼女の心の悲鳴だった。ずっと、ずっと一人で溜め込んできたものが、ここにきて、一度勢いで吐き出してしまったことで、歯止めが利かなくなってしまった。自分でも、どうしてそこまで言葉が飛び出してくるのか、わからなかった。

 

「アタシなんて。……リョーゴくんみたいな男の子が、アタシのこと好きになるはずないってっ」

 

 恵美の言葉は止まらない。

 彼女は顔を挙げると、涙に顔を濡らしながらエレナのことを真っ直ぐ見つめて言葉を吐き出した。

 

「だって、あんなにキラキラしてるんだよ? あんなに気遣いできるんだよ? 周りもよく見てるし! エレナならわかるよね? あんなに、サッカーに打ち込んで、泣いちゃうほど悔しがって! 仲間に支えられるくらい魅力的な人なんだよ?」

 

 エレナがそれに頷いて見せれば、恵美はますます言葉を重ねる。

 

「エレナのことすっごい気にかけてて、ぶきっちょだけど優しいし、恥ずかしがっても、アタシなんかのことも褒めてくれて……。あんなに、エレナのために綺麗な笑顔を浮かべててッ! 落ち込んだアタシのこと慰めようとしてくれて、昔話もしてくれて! エレナなら、エレナならもっとわかるでしょ!? ずっと一緒にいたんだから!」

 

 恵美の言葉を、エレナはただ静かに受け止めて。

 うん、うん、と何度も頷いて。

 

 しばらくの間を開けると。

 エレナは恵美をジッと見つめて、言い放つ。

 

 

 

 

 

 

「――そんなリョーゴが、好きでもない誰かと付き合うと思うノ?」

 

 

 

 

 

 

 限界だった。

 恵美の表情が凍り付く。どんな顔をしていいのか、どんな言葉を出せばいいのか、何もわからなかった。わかりたくなかった。自分がどれだけ考えなしに言葉を吐き出していたかなんて、考えたくなかった。

 

 耳をふさいで、下を向いて、目を閉じて。

 恵美は首を横に振った。

 

「アタシは、アタシはもうリョーゴくんのこと振ったんだよ!? もう、アタシは関係ないっ!」

 

 悲鳴が飛び出した。自分に言い聞かせるように、現実を拒むように、エレナを突き放すように。彼女は下を向いて叫び続けた。

 

「アタシのこと、ほっといてよッ! もう失恋したんだから、これ以上、縋らせないでっ。アタシじゃなくてもいいじゃん。アタシじゃなくてもいいんだよ。……エレナが、エレナがリョーゴくんとくっついてくれれば、アタシはそれでいいんだからッ!」

 

 もう、否定することはできないから。否定すればするだけ、良悟のことを、エレナの幼馴染のことを貶めてしまうと理解してしまったから。

 だから、彼女は自分の恋は「終わった」んだと、自分を納得させるために叫ぶのだ。

 

「アタシが、間に入っちゃダメなんだよ。アタシがちょっかい掛けたのがダメだったんだよ。アタシはっ、アタシは!」

 

 顔を上げて、エレナのことをキッと睨みつけると――

 

 

 

「――うん」

 

 ――優しく微笑んだまま、包み込むように、見ているこっちが幸せになるような笑顔を浮かべていた。

 

 エレナは全部、恵美の言葉全部を、そうやって笑顔で柔らかく、受け止めていた。

 

 恵美はそのことに気が付いて、瞳から大粒の涙をこぼした。

 顔がくしゃくしゃになって、涙でエレナの笑顔さえ霞んで、それでも心の中に温かい何かが流れ込んでくるようで。

 

 心が洗われるかのようだった。

 エレナのそんな笑顔に、恵美は嘘を吐きたくなかった。ここで嘘を吐いてしまえば、もう一生、自分を許せないと思った。

 

 ――何より、ここで嘘を吐いてしまえば、もう二度とエレナのことを親友と呼べなくなってしまう。それだけは、何があっても嫌だった。

 

 だから、恵美はその言葉を伝えるために。

 まっすぐエレナの方に向いて、飾らないその言葉を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「――アタシは、エレナの幸せまで奪って、幸せになんてなりたくなんてないッ!」

 

 

 

 

 

 

 それが、所恵美の嘘偽りない心だった。

 自分に言い聞かせて、逃げ続けた理由だった。

 

 ぽふっ、と柔らかく抱きすくめられる。エレナがゆっくりと手を伸ばして、恵美の背中と頭に手を回していた。伸ばした手は、恵美のことを優しく、あやすように撫でていた。

 

 勢いと悲しみで腫れあがった心が、少しずつ萎んでいくようだった。疲れ切った日に温泉に入るような、心地よさが広がった。エレナに撫でられるたびに、ささくれ立った心は穏やかにしおれていった。

 

 そんなエレナの優しさに触れて、心に張り詰めた糸も緩んでいって。

 恵美の口から、ぽつり、ぽつりと言葉がこぼれ出す。

 

「一緒にいると、アタシ、どんどん諦めつきそうになくなった」

「うん」

「だって、知っていくほど好きになっちゃうんだよ? 一緒にいるだけ、離れたくなくなって……」

「うん」

「だから、もう離れなきゃって。強引に、リョーゴくんのこと振っちゃって」

「うん」

 

 恵美の涙が、エレナの制服を濡らしていく。

彼女はエレナの服にしがみつくように握りしめると、身体を震わせながらポロリとこぼした。

 

「もう、わかんないよ……」

 

 消え入りそうな涙声は、確かにエレナの耳が拾っていた。

 まるで迷子の子どものように小さくなってしまった恵美に、エレナはその手を取って、恵美に面と向かって、今度は自分から口を開く。

 

「メグミ、勝負しようヨ」

「……しょう、ぶ?」

 

 泣きはらして赤くなった目が、不思議そうにくりんと丸まってエレナに向いた。

 エレナは「ウン」と恵美のことを真っ直ぐ見て頷いた。

 

「どっちが勝っても、恨みっこナシ。リョーゴに、決めてもらうノ」

 

 ニコリ、とエレナの顔に笑顔が咲いた。夕暮れ時の、ヒマワリのような笑顔が。

 

「……でも、アタシはエレナに幸せになってほしくて――」

「メグミ、それはリョーゴが決めるコトだヨ?」

 

 恵美の反論に、エレナは釘を刺した。

 そこでようやく、恵美はハッと気づいたように目を大きく見開いて――渋々と、頷いて見せた。

 

「……そっか。そうだよね。リョーゴくんの気持ち、無視しちゃダメだよね」

 

 そこで、恵美は納得してみせた。良悟の気持ちを無視することがダメだということがひとつ。それ以上にもうひとつ、恵美の打算あっての納得だ。

 

「でも、どうやって決めてもらうの?」

「それはネ――」

 

 エレナの提案を聴いていくうちに、恵美は少しずつ目を見開いて、最後にはクスリと小さな笑いをこぼした。

 

「なんか、それどっかで見たことあるかも」

 

 ――でも、いいじゃん、それ。

 恵美は、エレナの提案に頷いた。期限も、ルールも決まっている。あとは、それまでに自分がどれだけ行動できるか。

 

「リョーゴくんの気持ちは、無視しちゃいけないもんね」

 

 そこが肝だといわんばかりに、恵美はもう一度、そう口にした。

 エレナはそれに、好戦的な笑顔で応えてみせた。釣られるように、思わず恵美も同じように、泣きはらした目でも笑顔が浮かんだ。

 

「じゃあ、エレナ。勝負だね」

「勝負だヨ、メグミ」

 

 今までの熱の余韻と少しの感傷に浸りながら、彼女たちは柔らかいハグを交わした。

 

 

 

 二人の顔には、一体何が描かれていたのか。

 

 それは、彼女たち本人しかわからない。

 

 

 




恵美の考えは、これで見えてきただろうけど。
ならば、エレナは何を考えていたのだろうか。



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