余滴は星彩に溶けて   作:沖縄の苦い野菜

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第三話 お試しで

「ねぇ、お試しで付き合ってみない? アタシたち、相性バッチリだと思うんだよね」

 

 茜色に染まった公園の中、時計塔が影を伸ばす傍で、彼女は明日の夕飯でも訊ねるかのように言った。

 照れたようにはにかむ顔は、夕日によって照らされて、少女らしく淑やかに輝いていた。だから、その言葉を受けた彼もその表情に釘付けになってしまった。

 

 それから、どれくらい時が経ったか。

 自分が返事もせず沈黙していたことに気付き、彼は慌てたように口の開き、閉じを繰り返す。金魚のように開閉を繰り返しながら、言葉は上手く出てこない。

 

 少女はまだ、照れ笑いを浮かべている。彼女は彼に催促するでもなく、声を出すわけでもなく、ただジッと彼からの答えを待っていた。

 そんな凛とした姿勢に。それでいて、今にも夕日に溶けて消えてしまいそうな表情に。またも視線が釘付けになって。

 

「……あぁ」

 

 熱に浮かされたように、肯定の言葉を口にして頷いた。

 

 パァ、と今まで消えてしまいそうだった顔は、花が開いたように爛漫に輝いた。

 その表情を見て、彼もまた口元をそっと綻ばせる。

 

 

 

 二人の間で夕日は沈み、その場を影が呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 黄色いトレンチコートに、下には胸元の開いた白練のシャツを着こみ、織部のミニスカートでパリッと垢抜けたファッションを決め込んで、所恵美は待ち合わせ場所の公園に向かっていた。

 

 エレナを通しての埋め合わせの連絡。エレナは「楽しんできてネ」と送り出してくれたし、連絡を取ることにも協力的だった。不安だったのは「ファミレスの奢り」に加えて埋め合わせの権利を行使できるかだったが、良悟はそれに二つ返事で了承してきたとエレナから聞いている。

 

 がめついとか思われなかったかな、と心配も少し。同時に、これが自然に誘える最後のチャンスじゃん、と自分を奮起させる。

 その二つの考えが、歩きながら永遠と頭の中で浮き沈みを繰り返す。思考のループを繰り返すほど、足早になっていく。

 

 そうして雑念に囚われながら歩いているうちに、いつの間にか公園の前まで来ていた。それを認識すると、恵美は足を止めてひとつ、深呼吸。息をゆっくり大きく吸い、興奮した頭を静めるように。息を吐き出すときは雑念を、頭を伝って口から捨てるように。

 

「よしっ」

 

 急ぎ過ぎたらみっともない。せっかく大人びたファッションをしているのだから、落ち着いて行かなきゃ、と自然な自分を真似するように踏み出した。

 公園の中は、休日とあってのどかな賑わいを見せていた。ベンチに座る老齢夫婦がいれば、散歩をする気まぐれな人がいたり、ただの通り道として利用するサラリーマンもいる。

 

 そして公園の真ん中に設置された時計塔のすぐそばに、待ち人は居た。

 鈍色のテーラードジャケットとパンツに、シンプルな白のTシャツを身に着けた、大人びたファッションで、良悟はスマホに目を落としていた。

 

「わっ……」

 

 思わず声が漏れる。第一印象だったクール、という像がピッタリな彼が目の前にいる。てっきり、落ち着いたベージュのセーターを上にして下に紺色のジーパンといった、無難な格好で来るとばかり思っていた。

 

 しばらくの空白。それを自覚した時、恵美は心の中で「しっかりしなくちゃ!」と自分自身に喝を入れた。ここで気後れしたらダメだ、と己を奮い立たせて、しかしそんな内面をおくびにも出さないように平静を装って声を掛ける。

 

「お待たせっ! もしかしてずっと待ってた?」

 

 恵美の声に、良悟は顔を上げて――固まった。

 ジッと恵美のことを見つめて、口を開かない。驚いているのか、いつもより目を大きく開けて、沈黙を貫いている。

 

(……あれ? なんで固まってるんだろ……もしかして、髪跳ねてた!? 服がちょっと派手だった!? もしかして最初からコケてるのアタシ!?)

 

 沈黙が長くなるほど、恵美の心から余裕が削り取られていく。もしかして、やっぱり、と思考が少しずつネガティブな方向に進み始め、背筋に氷でも入れられたかのような寒気が奔る。

 どうしよう、どうしよう、と混乱を極めていた恵美。外側にはおくびにも出さないが、内面はパニック状態で、金縛りにあったかのように動くことができないでいた。

 

「――いや、時間より早いし、大丈夫」

 

 良悟がようやく口を開くが、歯切れが悪い。それが余計に、恵美の不安を煽って身体どころか口まで動かなくなる。ただし、視線だけは合わせるのが妙に恥ずかしくて、きょろきょろと挙動不審に泳ぎ回る。

 

「……なんか、ごめん」

「――えっ?」

 

 恵美の喉から思わず声が漏れた。どうして良悟が謝罪するのだろうか。謝るのはむしろアタシの方じゃないの、と。そんな考えは、口には出せなかったが。

 

「いや、俺。もっと良い服着とけばよかった」

「へっ? いやいやいやっ! 十分カッコイイじゃん! バッチリ似合ってるし、謝るところじゃなくない!?」

「いや、そっちに比べるとな……メイクもアクセも、服装まで大人びて似合ってる」

「――似合って、る? え、変なところない?」

「ない。着こなして似合ってる」

「そ、そっかぁ。よかったー!」

 

 ホッと胸をなでおろす恵美の姿に、良悟は苦笑で応えた。

 

「何を心配してんだか」

 

 良悟はひとり呟くと、改めて自分の服装を見直していた。綿埃がついていないか、シワが寄っていないか、ひどくみすぼらしくないか。恵美の姿と自分を交互に見ながら、彼は何度も自分の佇まいを直そうとする。

 

「いや、リョーゴくんも心配し過ぎだって! 大丈夫だから!」

 

 あまりに神経質に気にするものだから、今度は恵美が明るい声でフォローを入れる。というより、本心を言葉にしているのだが、良悟は眉をひそめたまま、うじうじと気にしたままだ。

 

「もー、そんなに気になるなら早くいこっ! そこで服買えばいいじゃん! アタシが見繕ってあげるから、ほら!」

「あ、ちょ――」

 

 そんな姿にしびれを切らし、恵美は良悟の手を引いて歩き始める。いきなり手を引っ張られてバランスが崩れるが、サッカーで鍛えられた体幹によって転ぶことは無かった。

 しかし、引っ張られている状況は変わらない。その上で身長差もそれなりにあるものだから、良悟は前のめりになって手を引かれながら歩くことになる。

 

「いや、待て。前のめりになってこれ意外ときつい――」

「言い訳しなーい! ほら、いくよっ!」

 

 良悟の反論も無視して、恵美はグイグイと引っ張って歩き続ける。

 そんな中、ふと先ほどの会話を思い出す。

 

(……あれっ、もしかしてめっちゃ褒められてた?)

 

 そんな思考に至ったが、「ま、いっか!」と恵美は軽く流すと、振り返って良悟の方を見た。

 前のめりになって、不格好で、目で「止まれ」と助けを求めるように縋る様に訴えかけてくる。まるで捨てられた子犬のような哀愁が瞳に宿っている。良悟のクールだった一面とのギャップに、恵美は思わずクスッと噴き出した。

 

「笑い事じゃない――っての」

 

 一息、力強く踏み出した良悟はようやく恵美の横に並んだ。

 その様子を見て、恵美はひとつ称賛するように短い口笛を吹いた。

 

「さすが、男の子って感じ」

「付け加えてサッカー部だからな」

「確かに。――あっ、あそこ見てみよ!」

「とっ」

 

 急に走り出して引っ張って来る恵美に、今度は良悟もよろけることなくついていく。

 恵美が指差して向かっていたのは、メンズ向けの服屋であった。店内が外から見える開放的な作りになっており、マネキンには次の季節の服が着せられている。

 

「ほら、これこれ! このサマージャケット結構よさげじゃない? これにデニム穿いてさ、裾捲ればゼッタイ似合うって!」

「あー、そう言えば夏服はまだ用意してないな」

「ならもっと見よ! あ、ほらこのボーダーのTシャツとか、さっきの下に着るのにピッタリじゃない? 無地より遊びもたせてさー」

「ボーダーか……柄物って俺に似合うか?」

「似合うっしょ! じゃ、まずは試着だね! ほら、こっちこっち!」

「だから、急に引っ張るなっての」

 

 三回目ともなれば慣れたもので、良悟はほとんど引っ張られることなく、恵美に導かれながら店に入っていく。

 

 

 

(……あれ、何で俺、自分の服買いに来てるんだ?)

 

 店の中で着せ替え人形にされている最中、ふとそんな疑問が頭の中に浮かび上がった。しかし、それも恵美が持ってきた服の山に埋もれて、良悟は本日何度目かわからない試着室の中に入るのであった。

 

 

 

 

 

 

「いやー、イイ買い物だったね! すっごい似合ってたよ」

 

 満足そうに、会心の笑顔を見せる恵美に、良悟は手に持ったふくよかな紙袋に視線を落として肩をすくめた。

 結局、恵美の勢いに押されて夏だけで数種類の衣服を買ってしまった。金銭的にも手痛い出費で、目標にしていたスパイクを買うのはまた再来月になりそうだ。

 

「思ってたより安かったな」

「そりゃ、ちゃんと値段も見て選んでたからねー」

「それに、意外と良さそうなのが多かったな。次からこの店を贔屓にしてみるか……」

「んー、それもイイと思うけど。もっと自分でも開拓してみたら? 別の所にもっと気に入るところあるかもだし」

「そこまでエネルギー回すのはだるい」

「アタシは色んなところ行くけどなー」

「女子ほどファッションに凝ってないっての。もっと工夫すりゃよかったと痛感したばかりだけど」

 

 そう言って、良悟は恵美の全体像に目を走らせた。黄色いトレンチコートをうまく着こなすなんて、と彼は息を吐いて肩を落とした。

 

「んー、経験の差じゃないかなー。アタシ、読モやってたし」

「――は?」

「アイドルになる前だけどね」

 

 今明かされる衝撃の真実――とはまさにこのことか。

 そりゃ勝てないわけだ、と良悟は自嘲するように口を歪めて、空を見上げた。

 

 あっぱれ、快晴だ。真上に昇った太陽が強く目を焼いた。思わず立ち止まって目を瞑ってしまえば、暗闇の中でも視界が点滅するような感覚に陥る。それが治まれば、今度は目玉が裏返って、自分の頭の裏を覗いているような暗闇が瞳に映し出される。

 

「ん? どしたの?」

 

 恵美の声が、そう遠くない前方から聞こえてきた。良悟はそれに「あぁ」と小さく相槌を打つと、時計を確認する素振りを見せた。

 

「もう昼だなって。どっかで食べるか?」

「え? ……ほんとだ。うーん、なら近くのファミレスにしよ」

「いや、ファミレスなら服買った後で良くないか? この時間、絶対混むだろ」

「……服? リョーゴくん、まだ買おうとしてるの?」

 

 ようやく、視界が戻ってきたと思って目を開けてみれば、首をキョトンと傾げて不思議そうにしている恵美の姿が映る。格好は大人っぽいのに、その仕草は少女らしい愛嬌がよく漂っていた。

 

「い、いや。え、てか忘れるなよ。服を買うための埋め合わせだろ?」

「……あっ、そっか。アタシの服買いに来たんだったね。すっかり忘れてたよー」

「お前……お前ぇ……」

 

 何で誘ったんだよ、という呆れで頭を抱える。この頭痛は太陽を見たせいなのだ。そうに違いない、と思い込む。

 それよりも、今はこれからの行動をどうするか。それを決めるのが先決だと、彼は理性を以て口を開いた。

 

「いや、どうすんの? 並ぶ前提でいいなら昼飯先でいいけど」

「じゃ、お昼先にしよっ。服選びって結構エネルギー使うんだよねー」

「それなら、手近なとこ探して入るか」

「こっちこっち」

 

 スマホを取り出して場所の検索をしようとした矢先、手首を恵美に掴まれて引っ張られる。

 

「わっ、あっぶ――」

 

スマホが手から滑り落ちそうになるのを掴み直して、焦りながらも何とか足を動かした。顔を上げてみれば、恵美が迷いなくどこかに向かっている。

 

「どこ向かってんの?」

「この近くのファミレスだよ。並ぶのは早い方がイイからね」

「へぇ、よくわかるな。俺は地図見ないとさっぱりだぞ」

「ここら辺はよく遊びに来るから、自然と覚えちゃってさー」

「なるほど。そういうもんか」

 

 自分で言うところのスポーツ店巡りみたいなものだろう、と良悟はひとり納得したように頷いた。

 

 

 

「あちゃー、すっごい混んでる」

 

 ビルの3階にあるファミレスに着てみれば、そこには長蛇の列ができていた。用意された十席ほどの椅子に人が入りきらず、そこから更に数十人の列が続いている。席に着くだけでも何十分かかるのか。この様子を見ただけで、良悟は口元を引き攣らせた。

 

「他の方がよくないか?」

「うーん、今から行っても同じ感じじゃないかなー」

「……仕方ないか」

「じゃ、名前書いてくるね」

 

 慣れた様子で、ささっと名前を書いて戻って来る。後姿を視線で追っていたが、あまりにも悩みの無い行動を見て、良悟は口を開いた。

 

「ファミレス、よく来るのか?」

「まーね。友達とかとよく一緒に来るけど、どして?」

「妙に手慣れてたから、少し気になった」

 

 それだけだ、と良悟は会話を締めくくった。

そして一歩下がって、良悟は自分の前にスペースを作る。

 

 良悟という人物は、会話を膨らませるのが下手なのだ。だから妙にぶっきらぼうに見えてしまう。

 

 恵美は作られたスペースに身体を滑り込ませて「サンキュ」と良悟に笑いかけた。

 細かい気遣いができる男だった。引っ張っていた時も、力をほとんど使わなかった。相手に合わせようと、自分の服装を気にする発言もそうだ。

 ただ、めちゃくちゃに不器用なのだ。歯の浮くような言葉は恥ずかしがって、ぶっきらぼうな言葉でも伝えるべきことは伝えて、気遣うような行動は素知らぬ顔でさらりとやってのける。気づくな、といわんばかりに。

 

「あぁ」

 

 ほら、またぶっきらぼうに、素知らぬ顔で答えた。

 ――気づいているのかな。顔が赤くなってるの。

 

 良悟の顔を見ていると、思わず口元が綻んでいく。

 恵美のそんな様子をちらりと見た良悟は、視線を上に向けて、下に向けて、列の最前列を確認して。中の客の様子を確認して、と視線をさまよわせた。

 

 きっと照れているのだろう、と恵美の表情はますます柔らかくなっていく。

 

 そんな、無言の時間が続いてしばらくすると、列が一歩前に進む。

 それに合わせて、恵美もまた一歩詰める。良悟も続いて一歩進むが、恵美との距離は半歩開いていた。

 

 チク、と胸に小さな痛みが走る。その半歩はきっと、心の距離なのだろう。

 

 少女の表情は山の天気のようだった。

 木漏れ日のように優しい微笑みは、曇天のようにその輝きを失った。

 

「何かあったか?」

「――えっ?」

 

 不意に声を掛けられて、曇り顔から一点、キョトンと疑問の表情が転がった。パッチリと開いた瞳が小さく揺れている。

 

「暗い顔してたから」

 

 視線を外そうとしているのに、よく見ている。

 堂々と見ても気にしないのに、とそんな気持ちは心の中に仕舞い込む。

 

「ん、大丈夫」

「……そうか」

 

 恵美は開いていた半歩の距離を、何となしを装って詰めた。

 

「――っ」

 

 明るく、少女らしい茶目っ気のある笑顔を見て、良悟はまた目を泳がせて。

 そうしている間に、また列が一歩、進むのであった。

 

 

 

 

 

 

 食事を終えて、恵美の服を買い終えて。

 そろそろ帰宅の時間が迫ってきた夕暮れ時に。

 

 最初の集合場所、その公園の中で。

 

 所恵美は、照れを隠すようにはにかみながら、ついにその言葉を口にした。

 

「ねぇ、お試しで付き合ってみない? アタシたち、相性バッチリだと思うんだよね」

 

 バッチリなんて、そんなのは勢いに任せて出た言葉だった。

 今も一歩半の距離が、その半歩が遠くて。影法師さえ決して交わらなくて。

 

 それでも、彼女は静かに、はにかみながら答えを待っていた。

 今はまだ出会ったばかりだから仕方ないと。

 

 沈黙を経るごとに、恵美は自分の表情から、徐々に照れが抜けていくのを感じていた。

 

「……あぁ」

 

 小さくても、確かに肯定の言葉が返って来て。

 恵美は、目尻に涙がたまっていくのを自覚しながら、顔を満開に綻ばせて。

 

 良悟に対して、しっかりと頷いて見せるのであった。

 

 




まだ、物語は序盤。
ここから先に、どうかご注目いただければ幸いです

感想、コメント、評価、お気に入り登録、などなどお待ちしております。二次創作者のモチベに直結するので、もしよろしければ是非(乞食並感)

それでは、また次の話にて。
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