余滴は星彩に溶けて   作:沖縄の苦い野菜

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第五話 知らない姿は寂しくて

 ――恵美と連絡をとりたいんだけど、経由頼めるか? 次一緒に遊べる日を聞きたい。

 

 そんな連絡が良悟から届いた時、エレナの心臓がキュッと締め付けられるような感覚に陥った。メッセージを返そうと画面に触れるが、手がかじかんでしまったかのように上手く動かない。

 部屋の中が寒いわけじゃない。既に桜が散って、深緑が色づいてきた頃合いだ。夜は少し冷えるといっても、それは外の話。部屋の中は快適な温度に保たれている。

 

 それなのに、エレナは震えていた。頭から足先にかけてサッ、と血の気が引くような喪失感を覚えていた。

 それが何なのか、エレナにはわからない。

 

 ――リョーゴとメグミが仲良くなるのは、嬉しいハズなのにナ……

 

 ベストフレンドが、パートナーが人の輪を広げていく。それ自体が嬉しくない筈がない。事実、三人でファミレスに行った時は楽しかった。そして、良悟と恵美が会話をしているのを見るのが、幸せだと思えた。

 

 前回、恵美からの連絡を良悟に伝える時はこんな気持ちにならなかった。次に遊べる日を心待ちにしながら、ワクワクとした気持ちをいっぱいに、連絡役を請け負った。

 今回違うのは、三人じゃないこと。恵美と良悟、二人のお出かけの中継役をエレナが頼まれていることだ。

 

 その輪の中に、エレナは入れない。彼氏彼女、という壁がエレナの入り込む余地をなくしていた。

 

「ひとりっきり、だからかナ?」

 

 ベストフレンドをパートナーに、パートナーをベストフレンドにとられて。だから、こんなに苦しいのかもしれない。

 

 ――コトハと遊ぼうかナ

 

 同じ日に、ベストフレンドの琴葉と遊べる。そう考えると、押しつぶされるような圧迫感は消えていた。立夏の早朝の空気をいっぱいに吸い込んだ時のように、気持ちは晴れやかに、身体の奥からは力が湧いてくるように思えた。

 

 ちょっと寂しくなっちゃったんだネ、とエレナはひとり納得して恵美に連絡を取る。

 

『リョーゴから連絡だヨ!

 

 次に遊べる日を聞きたいんだって

 メグミもリョーゴと仲良くなってて嬉しいヨ!

 

 もっともっと仲良くなれるように

 応援してるネ!

                      from:エレナ』

 

 

 ――ポチッ、と送信ボタンをタップする。

 送信されて、改めて自分の文面を見直した。大丈夫、とエレナはひとり頷いた後は、琴葉と何して遊ぼうかナー、なんて考えながらふかふかのベッドに飛び込んだ。

 

 ぽふっ、と枕の弾力に顔をうずめる。ベッドのスプリングが軋む音は、エレナの耳には入っていなかった。足をパタパタと上下に遊ばせて、しばらくの間考え込んで――

 

 

 

 ――ピロン、とメッセージの着信音が届いた時には。

 エレナはスー、と小さな寝息を立てて、幸せな夢の世界に旅立っているのであった。

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 良悟と恵美、二人の予定が合致する日はあまりにも少なかった。

 恵美はアイドルとしての仕事が休日、放課後に入ることが多く。良悟は放課後や休日にサッカー部の練習と試合が入るといった事態が度々起こる。

 

 別々の事情で予定が埋まっている二人の、たまたま重なる休日というのは当然のように少なく、エレナを介して予定をすり合わせた結果、月に1回ほどしか会えないという結果になった。

 

 じゃあ仕方ない、会える日だけで満足しよう――と、そうならないのが所恵美という少女だった。

 

 

 

 ホームスタンドの中ほどの高さ、真ん中よりも少し端よりの場所に、恵美とエレナは座っていた。既にホームスタンドは満席の様子で、学校側のスタンドからは揃った応援の声が野太く会場に轟いている。

 ゴールポストは快晴の空から降り注ぐ陽を浴びて白く輝き、グラウンドの芝は爽やかな浅緑の光沢をみせている。白い線によって区切られて形成されたフィールドは、まだ選手がいないにも関わらず、視線を惹き付ける不思議な力を持っていた。

 

「うわぁ、すっごい熱気! こんなに人がいて、早く来てよかったー!」

 

 周りの熱気や興奮が伝播したのか、恵美は頬を紅潮させながら待ちきれない、といった様子で声を上げる。周囲を見て、学校側のスタンドを見て、グラウンドを見て。そのどれもが彼女にとっては目新しくて、テンションは上がりっぱなしだった。

 

「今日は予選決勝だからネ!」

「そうなんだ! あ、じゃあリョーゴくんのチームって結構強いの?」

「うん、昔からサッカーは強くて、五年前くらいには優勝もしていたヨ!」

「すっごいじゃん! あぁー、早く試合始まらないかなー。……あれ、そういえばリョーゴくんってどんな選手なの?」

 

 そう。恵美は良悟の所属するサッカー部の試合観戦に来ていた。もっと良悟のことを知るために、次に試合があるのはいつかと、エレナに聞いた結果だ。

 ホームスタンドに着席してから、一時も興奮が治まらない様子の恵美だったが、ふと選手としての良悟を知らない恵美はエレナに問い掛けた。着席してから初めて、エレナに視線を向けていた。

 

「オフェンシブ・ハーフだヨ。リョーゴは攻撃上手で、パス上手で、自分でも点をとれるからネ!」

「オフェン……? えっと、ごめん。実はサッカー全然わからなくってさ。つまりどんな役割?」

 

 一応、恵美だってサッカーの基礎的なルール(レッドカードとイエローカードの違いとオフサイド)くらいは知っている。ポジションも、FW・MF・DF・GKの四種類が居ることぐらいはわかる。だが、それ以上のことは何も知らなかった。

 

「えっと、MFのポジションで、その中でも攻撃的な役割をする人のコトだヨ。FWにボールを渡したり、自分で攻め上がったり、攻め手を作る人のことをそう呼ぶんだヨ」

「へぇー! あれ、じゃあFWと何が違うの?」

「FWはもっと前で、パスを受けてゴールを常に狙うのが役割だネ。リョーゴはそのFWにパスを出して、FWより手前でぜーんぶ把握して、攻め手を作るのが仕事だヨ」

「うわぁ……イケイケなポジションかと思ったけど、めっちゃ頭使いそうだね」

 

 でも何となくわかるかも、と恵美はサッカーコートに視線を落とした。

 それとほぼ同時に、スピーカーから曲が流れ始める。選手入場の合図だ。

 

 2チーム、計22人のスターティングメンバ―が黒色の審判を挟んで一列に並んだ。ピイッ、と短く鋭いホイッスルと共に、スターティングメンバ―はスタンドに向けて一礼を行った。

 

「あっ、あそこの青ユニフォームの方にリョーゴくんいるじゃん! こっちには……そりゃ気付かないか」

「リョーゴ、頑張ってネー!」

 

 お互いのチームが握手を交わし、審判とも握手を終えた。

 その後に11人で写真を撮り、学校側のスタンドに出向いて深々と腰を折ると、一斉にサッカーコートに散らばった。ウォーミングアップに、チームメンバー同士が思い思いにボールを蹴っている。

 

「……あれ、まだ始まらないんだ」

「最後の確認だヨ。もうすぐ始まるネ」

 

 そんな雑談をしているうちに、コート内からボールは消えていた。お互いのチームが、それぞれ自陣のコートで円陣を組んでいるところだった。

 

 恵美たちからは、何を話しているのかわからない上に、表情を読み取ることさえ出来ない距離にいる。ただ、身振り手振りや、会話しているような雰囲気から、作戦会議なんだろう、ということだけは伝わってきた。

 

 良悟のチームは全員が円陣のまま肩を組んで密着した。そして気合を入れて声を張り上げると、チームメンバー同士でハイタッチを交わして、それぞれのポジションに移動を始めた。

 

 キックオフ直前。良悟はスパイクで芝を踏み鳴らしていた。つま先で、踵で、芝の感触を足に伝えるように。

 

 

 

 ピィ――!

 試合開始のホイッスルが吹き鳴らされた。

 

 

 

 

 

 

 先制点は良悟のチームが、試合開始17分に見事に決めた。

 相手陣の中ほどまでボールを運んだ良悟が、DFをドリブルで抜き、もう一人のDFがヘルプに入ったところで、マークの外れたFWに向けて絶妙なパスを送り出し、FWがお手本のようなゴールを決めてみせた。

 

 前半戦の大きな動きはそれだけだった。相手チームの攻めによって幾度も危ない場面はあったが、そんなピンチをことごとく、辛くも良悟のチームのGKが受け止め、あるいは弾いてみせた。

 

「っふー、すっごいヒヤヒヤするねー。攻め込まれて、ボールがゴール前まで来た時なんて心臓が止まるかと思ったよー!」

 

 恵美は試合観戦中でも、とにかく感情を口に出すタイプだった。良悟のチームが攻め込まれて、危なくなったら「あっ!」と思わず声を出して冷や汗をかく。ペナルティエリア内まで侵入されれば「危ない!」と声を張り上げ、彼らが順調に攻め上がれば「いけいけー!」と声援を送った。試合がヒートアップすれば声に留まらず、身振り手振りも加わってくるほど、彼女は試合に夢中になっていた。

 

「リョーゴ、すっごく頑張ってるけど……後半戦は、もっと頑張らないとネ」

 

 エレナも、前半戦中は恵美のように、攻め込むときは「ゴーゴー!」だとか。守備が成功した時は「ナイスディフェンスー!」と恵美と同じように声を上げた。心の底から試合を楽しんで、応援に夢中になっていた。

 しかし、ハーフタイム中のエレナは真剣な表情で、ベンチでスポドリ片手に監督の言葉に耳を傾けている良悟を見ていた。

 

 そんなエレナの様子を不思議そうに見る恵美だったが、選手たちがコートに集まってきたことで、エレナに何か問い掛けるでもなく、試合観戦に意識を切り替えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 後半戦は、あまりにも熾烈な展開が巻き起こった。

 後半戦5分のことだ。良悟側のMFが相手のFWにごぼう抜きにされると、それに慌てたDFの二人がFWを抑えに飛び出した。

 それが、悪手だった。ペナルティエリア手前、オフサイドぎりぎりの場所まで上がっていたオフェンシブ・ハーフにFWからパスが通り――中央ががら空きだったために、フリー。GKと一対一になると、ゴールの上部端っこを狙った鋭いシュートが炸裂して、1点を取り返された。

 

 後半戦、開始早々の同点ゴールがチームに与えた動揺は小さなものではあった。まだ同点、落ち着いて返していこう、と良悟たちはお互いに頷き合った。

 波乱はそこから10分後だ。

 

 後半開始15分。相手のMF二人に正面から抑えられた良悟は、前方のFW二人がマークされていることを確認すると、即座に後ろにボールを下げ――

 

 ――それが、予知していたかのように動いていた相手のFWに掻っ攫われた。

 

 その時の良悟の表情は、驚愕に染まっていた。目を見開き、大口を開けて、正気を失ったかのように目を点にして。――すぐさま「ディフェンス!」と腹の底から悲鳴のような叫びが上がった。

 

 しかし、一瞬遅い。掻っ攫われた時に起こったチームの空白の時間は、相手のFWがDFの正面に迫るまでに十分だった。MFでは今から行っても間に合わない。

 絶対にここで点をやるわけにはいかない。突出してきた相手のFWを包囲するように、サイドのDFも幅を狭めるために内側に走った。

 

 1点の動揺だった。

 本来であれば、サイドのDFは二対一の優勢に食いつく必要はない。むしろ、警戒すべきは後から前線に上がって来る相手のチームメンバーだった。そこからパスを繋げられ、フリーの選手を作ることこそを警戒するべきだった。

 しかし、ここで点をやるわけにはいかない、という意地と。思わぬカウンターを食らったことへの焦りが、DFの動揺を駆り立てて走らせた。

 

 そして、走ったDFの後ろを通る影。相手のFWが攻め上がって来たのを見て「しまった」と思った時にはもう後の祭りだった。

 ボールを掻っ攫ったFWはDFの裏を突いた仲間にパスを出した。そのパスはあまりにもすんなりと通り、完全なフリー。ゴールの斜め横から繰り出されたシュートに、GKは飛び込んで手を伸ばすが――その手は届かず、ゴールを許してしまった。

 

 後半早々に逆転された。いきなり二点を取られたことによって、とうとう崩壊が起こる。

 良悟のチームはFWが焦りのあまりファールをとり、強引にマークを引き剥がそうと走り体力を浪費して。

 良悟自身、パスを出す際に過剰に周囲を気にするようになった。どうしようもなく、ボールを一度下げるときの判断は一拍遅れるほどだ。

 

 そんな隙を突かれてカウンターを受けると、DFにも影響が出ていた。左右端の二人が、いつもの走りをみせられていない。ぎこちない守備を突破されては、GKが何とかその場を凌ぐ場面は片手の指では足りないだろう。

 

 後半45分。

 ――ロスタイムは2分。

 

 何とかそれ以上の点数をやるまいと、失点を防いでいた良悟たちも満身創痍の有様だ。GKのプレッシャーは言うまでもなく、FWは走り過ぎた弊害で全身を汗に濡らして肩で息をしている。

 

 そんな中、味方のMFのカットが入り、良悟にボールが渡った。

 残り時間を見て、間違いなくラストボール。マークされているFWを見た瞬間、彼は全力で前線へと駆け上がった。

 

「――いっけぇぇぇ!」

 

 客席からの少女の応援は、当然ながら彼の耳には届かない。そもそも、観客の声も、学校の応援歌も耳に入っていなかった。

 

 良悟の前方には、相手のDFが二人。他二人は徹底してFWのマークについている。後ろから、誰かが駆け上がってくるような気配は感じられない。守備ラインを下げ過ぎていた。

 

 良悟に残された選択肢は三つだった。

 1つ、DF二人を抜き切り、その後にGKとの一対一に勝つこと。

 2つ、DF二人を抜く素振りを見せて、釣られた相手のDFがFWへのマークを甘くしたところにパスを出すこと。

 3つ、DFの手の届かないミドルシュートを決めること。

 

 味方の到着は見込めない。味方を待っては、相手の後ろからも圧迫されるのがオチであり、そもそも残り時間が怪しい。

 

 ――どうする、と走りながら良悟は考え続けた。選択できるギリギリのところまで考えて。

 

 彼は、ミドルシュートを選んだ。

 DFが手出しできず、しかし遠すぎない絶妙な距離。キーパーの視界がDFによって遮られるような位置から、ゴール端に向けてボールを放った。

 

 

 

 ――バシッ、と。

 そんな乾いた音が聞こえ、相手のGKはその場にしばらく蹲った後。

 

 ピッ、ピッ、ピィィィィ――!

 そんなホイッスルの音と共に、後半戦が終わった。

 

 

 

 

 

 

「――あっ」

 

 恵美は思わず、短く声を漏らした。

 ホイッスルの音は耳に届いてきたが、それが試合終了の合図だとは露ほども思わなかった。

 

 彼女を現実に戻したのは――

 

 

 

 ――コート内で仰向けになって、目元に腕を押しつけている良悟の姿だった。

 

 

 

 彼はFWの他の仲間に肩を叩かれて、手を引かれるまで、その状態から頑なに動かなかった。

 

 恵美の見てきた良悟とは、何から何まで違っていた。エレナから聞いていた良悟とも、ちょっと違う。

 駄々をこねるように、それでいて物事に情熱的に取り組んでいたのであろうその姿は、スポーツマンとしての彼の姿なのか。

 

 礼をして、最後の挨拶を終えて各々のベンチに戻っていく選手たち。

 良悟は仲間の一人に肩を引かれ、二人に背中を叩かれ、三人に頭をくしゃくしゃにされながら、手のひらで顔を隠し俯いて歩いていた。

 

 

 

 そんな彼の姿に、恵美はキュッと胸を締め付けられるような感覚を覚えていた。それが何なのか、彼女自身にはわからない。ただ漠然とした、温かいのに痛みを覚えるような感情が湧き上がって来ていた。

 

「リョーゴくん――!」

 

 恵美が立ち上がり、どこかに行こうとしたところで。

 

「メグミ、ダメだヨ」

 

 そんな恵美の手首を、エレナが掴んで止めた。

 思わずギョッと肩を揺らして振り返ってみれば、エレナの真剣で、咎めるような瞳が恵美のことをジッと見つめていた。

 

「今は、そっとしてあげなきゃダメだヨ? リョーゴは照れ屋さん、だからネ」

「あ、……うん」

 

 エレナの力強い、どうしてか説得力のある言葉に、恵美は思わずそう返事をしてしまった。

 恵美はそんな自分を振り返り、心の中に雑音を覚えた。もやもやとして、ムカムカとして、チクッと刺すように痛い。言い知れない感情に襲われた。

 

(アタシ、ほんとに全然ッ、知らないんだ。リョーゴくんのこと)

 

「一日だけ、そっとしてあげてほしいナ。それだけで、リョーゴは大丈夫だヨ」

 

 帰ろう、とエレナは恵美の手を優しく引きながら、出口に向かった。

 

 スタンドから出る直前、恵美はもう一度だけ、サッカーコートの方に振り返ると。

 選手ではなく、大人たちがその中にいるのが見えた。

 

 それが、試合が終わった事実を物語っているのだと認めると。

 

「終わったん、だね」

「――うん」

 

 恵美の胸に一抹の寂しさが横切った。

 

 

 

 




お気に入り登録、またご愛読くださっている方々に、感謝をこめて。
いつも、ありがとうございます。


物語は着々と進んでいきます。
よろしければ、最後までお付き合いいただければ幸いです

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