余滴は星彩に溶けて   作:沖縄の苦い野菜

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第九話 情熱の夏祭り

 

 夕暮れの鳥居の前でも、境内より祭囃子が届いてきた。太鼓の音は小気味の良い乾いた音を打ち鳴らし、笛の音は夕暮れの闇を割くように耳を抜ける。そんな和楽器特有の音色は、人々の声や足音、雑踏の音に紛れ込んで「祭り」というひとつの空間を生み出していた。これら全てを含めて「祭り」なのだと、浅い人生観が訴えかけてくる。いや、感性にしみ込んでいるといった方が正しいか。

 

 鳥居の根本、通行人の邪魔にならない位置で、良悟はエレナを待っていた。彼は両親と一緒にここまで来ていたが、エレナを待つと話せば「楽しんでらっしゃい」と、夫婦ともども人混みの中に消えていった。浮かれた様子の両親に眉をひそめたものの、良悟は特に引き留めるでもなく、その場所に居座り続けた。

 

 鳥居の近くにいる、とメッセージを送ったのは10分ほど前だ。その間、彼は漫然と通り過ぎる人々を眺めていた。半袖半ズボンのラフなおっさんがいれば、着物姿の美しく着飾った女性もいる。中には甚平を着こなした大和魂を魅せつける白髪交じりの男もいる。普段ならスーツか無難な軽装、ワンピースばかりの人混みも、今ばかりは華やかに彩られていた。

 

 ふと、鼻孔をくすぐり、鼻の奥で濃厚に解き放たれる香ばしい匂い。視線を鳥居の中に移してみれば、夜店の赤い垂れ幕に「焼きイカ」と黒色のデカデカとした文字に、イカのマークを入れた店が見えた。その隣には「お好み焼き」の夜店屋台が。その正面には「チョコバナナ」の夜店屋台……淡々と、ズラッと壮観な屋台の列は見えない先まで続いている。

 

 奥には一体、どんな夜店屋台が並んでいるのか。見えない先がことさら気になるのは、昔から変わらない。

 何を食べようか、どこに寄って、どこで座ろうか。屋台を見ながらそんな妄想ばかりを膨らませていると――

 

「お待たせリョーゴ!」

「はいよ。待たされた――」

 

 祭りの音を切り裂いて、エレナの明るい声が飛び込んできた。

 良悟はそれに軽口を叩きながら振り向いて、言葉を詰まらせた。

 

 浅葱色と露草色を溶け合わせたような、物静かながら明るさを損なわない青色の浴衣だった。柄には桜色の先端に白色の羽をもつ蝶が左胸元に大きくあしらわれて、腰元には小さな花菖蒲の花びらと、下に向かって飛ぶ蝶が描かれている。花びらからは根っこを表す曲線がなめらかに白線として伸びていた。さらに、菫色の帯には菱形の文様を中心に銀色の波紋が広がっている。着物の落ち着いた様子をよく映えさせていた。

 

 祭り提灯の光に当たって薄く輝く翠玉の髪は後頭部でお団子にまとめられて、赤と黄色の花を咲かせるリーガスベゴニアをあしらったつまみ簪を挿している。快活な色の花は、エレナの髪とうまく調和を保ち、明るい様子を損なわせない。

 

 

 

 全体的に、確かに落ち着いた趣があった。それでも、明るい心を忘れない色彩に、良悟は言葉を失っていた。どういった言葉を掛ければいいのかがわからない。それでも、彼はエレナから視線を逸らすことだけはしなかった。

 

「似合ってるかナ?」

「――最高だ。うん」

 

 エレナから問い掛けられて、ようやく良悟は口を開いた。チープな、一言だけの感想だ。それでも、良悟はその言葉が出たことに後悔はなかったし、それ以上の言葉を積み重ねようとは思えなかった。

 

 頷いて飾らない言葉を掛ける。良悟にとって、エレナに掛ける言葉はそれで十分だった。

 

「エヘヘっ……ママンと一緒に選んだカイがあったヨ」

 

 側頭部の髪に優しく手を当てながら、はにかんだエレナを見て、良悟も自然と口元を綻ばせた。

 

「じゃあ、行くか。ほら」

 

 良悟から、エレナに向けて手を差し出す。人混みの中で手を繋ぐことは、昔からの暗黙の了解だった。

 はにかみは優しい微笑みに変わり、エレナは良悟の手を取ってしっかりと握りしめた。良悟も、そんなエレナの白く柔らかい手を確かに握り返した。

 

 カラン、と歩き始めは石畳を下駄が打ち鳴らす。足をおろせばコロンと低い音が木霊して、前にのめればまたも高い音を打ち鳴らす。カランコロンと、エレナは足元から音色を生み出していく。

 

「まず何食べる?」

「ンー……食べるのもいいケド、まずはお祭りを楽しむために、いろんな屋台を見て回りたいナー」

「じゃ、そうするか。普通に歩けるか?」

「ちょっと歩きづらいケド、すぐに慣れるから大丈夫だヨ!」

 

 カランコロン、と鈴を転がしたような軽快な足音が、良悟の後ろからついてくる。エレナの手を引きながら、屋台はその様相を少しずつ変えていく。

 

 最初は、濃いタレやソースを使った屋台が多かった。焼きそば、お好み焼き、焼きイカ、焼きタコ、たこ焼き……食欲をそそり、口の中を湿らせるその匂いについつい目を吸い寄せられれば、屋台のおっちゃんが「へいらっしゃい! 腹ごしらえにどうだい!」と輝く笑顔で声を張り上げる姿が映り込む。

 そんな愛想のいい店主もいれば、職人肌の頑固おやじのような、鉄板に集中して見事な技を魅せる者もいた。

 試食と称して、店先に商品の一部を紙の小皿に置いて呼びかける、商魂たくましい店主も目に入る。

 

 祭りの店主は十人十色。こんな店主たちも、祭りを盛り上げる魅力のひとつなのだ。目を飽きさせない、空腹を呼び起こす、商品を買わされて、うまいうまいと舌鼓を打つ。そんな祭りを楽しむ者が大勢いる。

 

 

 

 濃い味の屋台を抜ければ、今度は甘い匂いが空気にもたれかかってくる。昔懐かしの砂糖と卵の匂いを漂わせるベビーカステラ。あんこの芳醇な香りを熱と共に運んでくるたい焼きの屋台。

 匂いだけにはとどまらない。目で楽しませてくるのは、キャラクターを模った棒つき飴細工だ。国民的アニメのキャラクター、今流行りの戦隊物、特撮など、造形を簡略化しつつも種類に凝っている。

 鮮やかな赤色が目に飛び込んでくると、ビニール袋に包まれ可愛らしく明るい色のラッピングリボンで口を縛られたりんご飴なのだと気が付いた。当たりはずれの振れ幅が大きく、腹への負担も大きい、間食というには重い一品だ。飴細工に阻まれて、中のりんごにたどり着けなかった者も少なくないだろう。

 対照的に、白く軽い雲のようなお菓子を手に持つ子どもたちが歩いている。視線をたどれば、そこには綿菓子の屋台がある。作動した機械に棒を入れて、客自身が作るシステムの店らしい。親子連れがよくその屋台の前に並んでいる。楽しそうに笑顔が咲いている。

 

 

 

 カランコロン、カタカタ、と早いリズムがすぐ目の前で刻まれる。

 気が付けば、良悟は手を引かれ、エレナが先頭に立っていた。

 

 食べ物のエリアから抜け出せば、店の前でしゃがみ込む人々が増えてきた。ポイを片手に、一喜一憂の声が湧くのは金魚すくいの屋台だ。橙色、黒、白の三種類が、ビニールプールの中を所狭しに泳いでいる。

 水色のプラスチックケースの中に、水と共に入れられているのは水ヨーヨーだ。釣り針のようなものに頼りない紙を結んで持ち手にして、水ヨーヨーの持ち手の輪ゴムに引っ掛けてとる仕組みだ。時折地面に落ちている綺麗な色のゴムの切れ端は、大体が落として破裂した水ヨーヨーだ。金魚すくいに勝るとも劣らない盛況を見せている。

 

 親子一緒に、あるいは玄人風の大人が集まっているのは型抜き屋だ。机の上に顔をこれでもかと近づけて、目を皿にして画鋲を片手に挑戦する姿に、大人も子供も大差はない。他と違う点があるとすれば、人は集まりにくいが、机と椅子がしっかりと備え付けられているところか。子どもと親にやり方を教えている、坊主頭に鉢巻を巻いて「祭」の法被を羽織っている、店主らしき爺さんの笑顔がよく光る。

 

 

 

 そんな祭りの様子を見まわしていたからこそ、良悟は油断していた。

 腰元に、強い衝撃が走って思わず倒れ込みそうになる。慌てて地面に手をついた時には、自分が誰とも手を繋げていないことに気が付いた。

 

「――エレナ!?」

 

 慌てて顔を上げて前を見てみれば、すでに彼女の姿はなく、人混みが視界を覆いつくしていた。完全にはぐれてしまったことに、良悟の顔から血の気が引いていく。見つけ出さないと、と足に力を込め立ち上がろうとした時だった。

 

「――っ」

 

 子どものすすり泣く声が、彼のすぐ横から聞こえてきた。思わずそちらを見てみると、しりもちをついて、地面に水風船の残骸を落とした男の子がいた。

 

「っ、――ごめん、大丈夫か? ほら、ちょっと顔出して」

 

 一瞬、前方の人混みに視線を走らせたが、良悟はその場に膝を落ち着けて、ポケットから取り出したハンカチで男の子の涙を拭い、背中をさすって目線を合わせた。

 

「水風船、台無しにしてごめんな? 代わりに、兄ちゃんが新しいのとってくるから。だから、泣き止んでくれないか?」

「――ちがうっ」

「違う? えっと、お尻痛かったのか?」

 

 ふるふる、と男の子は首を横に振って答えた。一体、どういうことだろうか。受け答えは、思いの外はっきりとしている。どうして泣いているのか、それを考え出して――

 

 ふと、男の子の親がここまで介入してこないことに疑問を抱いた。思わず周りを見てみるが、保護者らしき人物はどこにもいない。この男の子に視線を向けて、あるいは様子を見守って、足を止めている人間がどこにもいない。

 

「――親とはぐれたのか?」

「……お姉ちゃん、と」

 

 そうきたか、と良悟は思わずこぶしを強く握り締める。

 確かにエレナとはぐれたのは失態であり、すぐに探し出す必要があるけれど。まさかこんな幼い(まだ幼稚園児程度の)男の子を放って立ち去るわけにはいかなかった。

 

 連れていくなら、祭り会場本部だろう。会場全体にアナウンスできる場所はそこしかない。去年の記憶が確かなら、本部は進んできた道を逆走しなければならない。エレナがいる方向とは、とても思えない。

 

「歩けるか? 祭りの本部テントに行って、お姉ちゃん探そう。アナウンスもできるから、絶対に見つかるさ」

「……うん」

 

 それでも、良悟は男の子の手を取って、来た道を引き返した。

 しかし、振り向いてすぐのことだ。水ヨーヨーの屋台が目の前に現れた。相変わらずの盛況ぶりで、親子連れの笑顔が咲いて、歓声に包まれた空間だ。

 

 そんな場所を横切ろうと一歩踏み出したとき、強く手を引きそうになる感覚に思わず足が止まる。どうしたのか、と振り返ってみてみれば、男の子は水ヨーヨーの屋台を遠目に、眉を八の字にゆがめて唇の端を噛んでいた。

 

「……よし。ちょっと行こうか」

「えっ?」

「あの屋台。一回くらい遊んで、ついでに本部の場所聞こう。正確な場所、実はわからないんだ」

「で、でもぼく、おかねもってないよ?」

「兄ちゃんの奢りだ。水ヨーヨー、台無しにしちゃっただろ? 弁償ってことでな」

 

 そう言いくるめると、良悟は男の子の手を引いて屋台の前まで進んだ。

 

「おっちゃん、2回。この子の分と俺の分」

「おっ、新田さんとこの坊主かい。あいよ、400円……まいどあり! にしても、そこの子は? 島原さんとこの坊主じゃないだろ」

「ちょっと冒険してるんだ。今は本部を俺と一緒に探す旅に出てる。ほい、これで水ヨーヨー吊り上げて、こっちの器に釣った水ヨーヨー入れて。紙のところは水につけずに、カギだけ水につけて引っ掛けるんだぞ」

「う、うん。ありがとうございます」

 

 男の子は恐る恐る、といった様子で慎重に、紙(これをコヨリ紙という)の持ち手を摘まみながらW字カギを少しずつおろしていく。まるで、真実の口に恐る恐る手を入れているかのような様子だ。

 

「で、おっちゃん。本部って具体的に何処だっけ」

「この道まっすぐいって、鳥居を右に曲がってしばらくしたらでっかいテントがある。祭りの法被着てる人間がいっぱい居れば大正解だ」

「ありがとう。じゃ、お礼に水ヨーヨー全部掻っ攫っていくか」

「それお礼じゃねえだろ。ちったぁこの老いぼれに情けの一つもかけとくれよ」

「じゃあ2個で勘弁しとくよ」

 

 そんな軽口を叩いた後、良悟もコヨリ紙を摘まんで水面にカギをたらそうとして――

 

「わっ! とれた!」

「おっ、坊主やったじゃねぇか!」

「おおっ、上手だな――あっ」

 

 男の子の声に反応して、横を向いたのがいけなかった。喜色満面、といった様子ですっかり周囲に溶け込んだ様子の彼を見ながら、カギをたらしたのがいけなかった。

 良悟の持っていたコヨリ紙とカギとをつなぐ結び目の部分が、水に浸ってしまったのだ。

 

「おいおい、そっちはあんな強気なこと言ってボウズか?」

「まだ、まだいける……! ほんの少し、ほんの少し耐えてくれればいける!」

 

 カギを水風船の持ち手の輪ゴムに引っ掛けて、恐る恐る、上に吊り上げようと力を入れた瞬間――

 

 ぱつん、と情けない音と共に、指から重みが消えた。代わりにぽちゃん、とむなしく何かが沈む音が、祭囃子の中に消えていく。カギは既に水底に到達していた。

 

「で、誰だっけ? ここの全部掻っ攫う、とかほざいていた兄ちゃんは?」

「くっそ、ここぞとばかりに……!」

 

 店主に煽られて、思わず財布に手を掛けそうになるのを寸でのところで堪えた。ここで乗ったら相手の思うツボだとか、大口叩いた後に金で解決するのはカッコ悪いだとか、理由をつけて財布に伸びた手を何とか下した。

 

「やった、2つめ!」

「お、いいねぇ。でも、そのコヨリ紙の様子じゃ、あと1個ギリギリとれるかどうかだな」

「よし、3個目とっておっちゃんに泡吹かせてやれ!」

「はっはっは! こんな小さい坊主に3個とられちゃ、確かに泡吹いちまうな!」

 

 手慣れてきたのか、男の子は最初の慎重な様子はどこへやら。手早くカギだけを水につけると、輪ゴムにカギを引っ掛けて上に吊り上げる――

 

 ――ぱつん。

 

『あっ』

 

 男の子と良悟の声が重なった。3個目は惜しくもとることができず、軽い水しぶきと共に水ヨーヨーは着水。カギは水底に沈んでしまった。

 残されたのは、片方の手に持つ2個の水ヨーヨーが入った器に、ちぎれたコヨリ紙だ。

 

「いやいや、2個は大健闘だったな! 少なくとも、そこの兄ちゃんよりはずっと優秀だ!」

「おっちゃん……まぁ、うん。1回で2個とるなんて、凄いぞ」

「う、うん……!」

 

 照れくさそうにはにかみながら、男の子はコヨリ紙の持ち手を大事そうにギュっと小さな手で握りしめた。店主のおっさんは手早くビニール袋を取り出して景品をまとめようとしたところ、男の子はさっさと器の中から水ヨーヨーだけ取り出して、器を店主に差し出した。

 

「おう、ありがとよ。ところで、袋にまとめなくていいのか? 2個持つっていうと、なかなか邪魔になるもんだが」

「その、1つはお兄さんに」

「――あ、俺?」

「おごってもらったおれい、できてないから」

 

 はい、と水ヨーヨーを差し出してくる男の子に、良悟は一瞬躊躇して――不安そうにこちらを見つめてくる男の子の視線を受けて――サンキュ、とお礼を口にしながら水ヨーヨーを受け取った。

 

 ふわり、と男の子の表情が柔らかく綻んだ。

 釣られるように、良悟もまた口の端を吊り上げて歯を見せて笑いかけた。

 

「じゃあ、行くか。おっちゃん、ありがとな」

「おうよ。ちゃんと目的地まで迷わないようにな!」

 

 激励の言葉を背に、良悟は男の子の手を引いて歩き出す。

 パン、パンと水ヨーヨーで遊ぶ音が聞こえてくる。風船の小気味のいい音に合わせて、自然と足を前に出す。気分は歌う探検隊といったところか。小さな歩幅にゆったりとした歩調だが、握られた手は勢いよく前後に揺れている。

 

「そういえば、名前は?」

「えっ?」

「アナウンスする時に知ってなきゃ困るからな。それとも、自分で言えるか?」

「……」

 

 男の子はうつむいて沈黙した。知らない人に名前を教えてはいけない、とでも教えられているのだろう。育ちがいいとはこのことか。昔の自分を見ているかのようなもどかしさに、思わず苦笑が漏れる。

 

 沈黙の間に、鳥居にたどり着いていた。店主に言われた通り右折するが、逆流してくる人の波もありどうにも進みにくい。思わず男の子の手を強めに握りなおした。

 

 男の子は、ふと弾かれるように良悟の方を見上げた。くりんと不思議そうに開かれた瞳を受けても、良悟は気づいた様子もなく真剣に前を見据えている。

 

「……りっくん」

「ん? そう呼ばれてるのか?」

「うん」

 

 そうか、と良悟はひとつ頷くと、人の波が引く場所まで歩き続けた。そして、ようやく一度足を止められる場所まで来ると、彼は手を繋いだまま膝をついて、男の子りっくんと視線を合わせた。

 

「俺は良悟だ。短い間だけど、まぁ冒険仲間としてよろしくな、りっくん」

「っ、うん!」

 

 お互いに強くうなずき合うと、良悟はりっくんの手を引いて再び歩き始める。

本部はもう、目と鼻の先だ。

 

 

 

 本部に到着すれば、あとはとんとん拍子に話が進んだ。すぐに迷子案内のアナウンスが流される。保護者がくるのも時間の問題だろう。

 

「へぇ。りっくんはサッカーが好きなのか。プレイする方? それとも観る方?」

「りょうほう」

「そいつはいいや。俺も両方なんだ。これでもサッカー部なんだ」

「うん。なんとなく、サッカーやってそうかな、って」

「……俺、そんなにサッカー部って見た目してるのか? まぁいいけど」

 

 迷子を届けたからすぐに別れる、というわけにはいかなかった。一人になってしまえば、また何かと心細くなるだろう。そう思い、良悟はエレナの捜索にすぐに出発せず、そのまま本部に居座ってりっくんとおしゃべりに興じていた。

 

 話していくうちに、思いの外、共通点が見つかるものだった。特に、ある意味で迷子仲間ともいえる点と、サッカー好きということが大きかった。話は次第にサッカーの方に傾いていき、どこのポジションが好きか、どんな選手が好きか、といった話になってくる。

 

「その、良悟お兄さんは、サッカーうまいの?」

「俺? ……さすがにプロ入りとかはできるレベルじゃないしなぁ」

 

 ふと蘇るのは、春の大会予選決勝。自分のパスミスから、決定的に崩れた試合。最後、ゴールを決めきることができなかった自分の姿。

 思わず、顔がこわばるのが自分でも理解できた。自覚して咄嗟に首を横に振り、記憶を打ち消そうと思考を切り替える。現実に目を向けて、何か気を紛らわせられるものがないかと視線を走らせた。

 

 そこで、ふと箱の中におさめられていたボールに目が向いた。バスケットボール、ソフトボール、バトミントンに……サッカーボールもある。

 ちょうどいい、と良悟は係の人に「サッカーボール、借りていいですか?」と声を掛ける。返ってきたのは二つ返事の肯定の言葉だ。それに対してお礼を口にすると、良悟はさっさとサッカーボールを持って、水ヨーヨーをりっくんに預けると、テントの奥にある空き地の方に足を運んだ。

 

「じゃあ、リフテイングやってみるぞ」

 

 りっくんにそう言うと、良悟は地面にボールを置いた。そして一度だけ深く息を吸い、細く吐き出すと、それが開始の合図となった。

 つま先から足の上にのせてボールをすくい上げた。まるで羽毛のように軽やかに宙を舞うボールを、良悟は一度膝で触った後、足の甲を使ってリフティングを継続させていく。

 

「あっ!」

 

 リフティング、ボールにタッチして十回ほどで良悟は変化をつけた。

 足の親指でボールを擦るようにタッチすると、その勢いのまま股関節を上げて、外側から内側にかけて(内回しに)ボールを跨いでみせた。そのまま、リフティングは何事もないかのように続いていく。

 

 それは、アラウンドザワールドと呼ばれるリフティングの回し技だ。それを見たりっくんは目を輝かせて、歓声を上げて良悟の姿に視線が釘付けとなる。

 

「ほいっと」

 

 そんな観客に機嫌をよくした良悟は、内回し、外回し、外回し、内回しといった具合にアラウンドザワールドを連発した。すごい、すごい、と響く声。良悟はニッと口の端を吊り上げると、今度は左足でボールを一度蹴り上げると、右足でそのボールを跨ぎ、左足でもう一度そのボールを蹴り上げて自分の肩ほどにボールをもってきた。ドラゴンフライという技だ。

 

 そのまま流れるように左肩でボールを受け取ると、右肩までボールを転がして肩を使って宙にあげてヘディングを一回。

 落ちてきたボールを足の側面で拾い上げると、その足の側面をもう片方の足で跨ぎボールを蹴り上げる。エクリプスという技に、りっくんは「すごい!」と高らかに声を上げた。

 

 再び落ちてくるボールを後ろ両足で挟み巻き上げてハットトリック――かと思えば、その上げたボールを足の裏にのせて静止。そしてボールを落として同じ足の踵で蹴り上げた。クロスリールからソールストールの合わせ技だ。

 技はそれだけに終わらない。落ちてきたボールを右足で擦りつけて滞空させると、まずは右足で外側から内側に向けてボールを一回跨ぎ、そのままジャンプして左足で外側から内側にボールを跨ぎ、その左足で落ちてきたボールを拾いなおす。フェアリーレッグオーバーを披露してみせた。

 

 さらに、拾いなおしたボールを今度は右足で内側から擦りつけて滞空させると、それを内側から外側に跨ぎ、左足で外側から内側に向けてボールを跨いで魅せる。アウトアラウンドザールドとレッグオーバーを組み合わせた技、オーバーザワールドだ。

 

「わぁ――!」

 

 ここから、良悟の表情からゆとりが消えた。真剣にボールを見据えて、技を出した後の左足でボールを蹴り上げると、左足を大地につき。右足で外側から内側にボールを跨ぎ――そしてまた高速で、外側から内側にボールを跨いでみせると、右足でボールを拾い上げる。一度のボールの滞空でレッグオーバーを二回行う、ダブルスイッチオーバ―という高難易度の回し技だ。

 

 さらに立て続けに、今度は左足で行うダブルスイッチオーバ―をみせた。

 右足、左足が高速でボールを跨ぐ姿に、りっくんの興奮は最高潮に達していた。何がどうなっているのか、目で追っても理解はできない。けれど、それが凄いことだということだけはわかってしまう。

 空き地の両端に設置されている電灯が、スポットライトのように良悟を照らしている。まるで、ひとつの舞台をみているかのような光景は、いよいよ次で大詰めに入ろうとしていた。

 

 一度ボールを蹴り上げる間に態勢を立て直すと、良悟はいよいよ最後の技を繰り出した。

 右足でボールを蹴り上げ、その右足で外側から内側にボールを跨ぐと、今度は左足で立て続けに外側から内側にボールを跨ぎ、そして再度右足で外側から内側にボールを跨いで――

 

 ――着地した左足が負荷に耐え切れず崩れ落ちる。尻もちをついた時、ボールは既に地面に水平になった足のすぐ上まできていた。

 

 エルドアラウンドザワールド。

 内回しで蹴り上げたボールを両足交互に三回跨ぐ大技。三回跨ぐまではよかった。しかし、最後の詰めで蹴り上げる工程までたどり着けなかった。――失敗だ。

 

 そしてその技が出たのは、良悟の咄嗟の判断によるものだった。

 尻もちをついてすぐ、良悟は落ちてくるボールを右足で蹴り上げると、左足でボールを外側から内側に跨いでみせた。リボルブという、シッティング……座ったまま行うリフティング技のひとつだ。

 これを3回、何とか繰り返して、最後はボールを足の裏に乗せて静止。ソールストールを披露した後、彼はそのボールをふわっと宙に浮かせると、落ちてきたそれを自分の両手でしっかりとキャッチしてみせた。

 

 

 

 失敗は、何とか失敗に見えなかっただろうか。

 恐る恐る、りっくんの方に顔を向けると――

 

 両手をギュっと強く握りしめて、口を大きく開いて瞳を輝かせる、彼の姿が目に入った。

 最後は失敗したけれど、魅せることには成功した。

 

 目的を達成したことに、良悟はひとつ息を吐いて肩から力を抜いた。そうして一度前屈を何となしに行うと、額に張り付いた髪を手で払ってから立ち上がる。尻もちをついたときについた砂を叩きながら、ニカッと口の端を吊り上げてりっくんの方に歩き出す。

 

「で、どうだった?」

「――すごい!」

 

 その言葉に、態度に、すべてが詰まっていた。良悟はそれに「おう」と相槌を打つと、ほがらかに破顔してみせた。

 

 

 

「――あの、りっくんをここまで連れてきた方ですよね?」

 

 そんな時間が程よく過ぎて、風に吹かれて汗が乾いて寒気を覚えてきた頃合いのこと。りっくんの隣にいつの間にか居た、目つきの鋭い黒髪長髪の少女が良悟に声を掛けてきた。

 そちらを見てみれば、りっくんとしっかり手を繋いでいる少女の姿がある。少女の正体は一目瞭然だった。

 

「まぁ、成り行きで。保護者が来たなら、もう安心だな」

「……その、ありがとうございました」

 

 腰を深々と折って、少女がお礼を口にした。

 少女からのお礼に、良悟は「どういたしまして」と口にすると、それだけで話を切り上げた。代わりに、りっくんの前に膝をついて視線を合わせた。

 

「もう、姉ちゃんの手を離したらダメだぞ? りっくんには俺がいたけど、姉ちゃんには誰もついていなかったんだからな。だから、姉ちゃん守ってあげるためにも、ちゃんと手は繋いで離しちゃダメだぞ、男の子」

 

 くしゃり、と頭をなでると、りっくんは「うん!」と元気よく笑ってみせた。もう大丈夫だろう、と良悟はひとり頷くとすぐに立ち上がった。

 

「じゃ、俺もこれで。縁があれば、またな」

 

 良悟は本部にさっさとボールを返すと、振り返ることなく本部テントから駆け出して、雑踏の中に紛れてしまった。

 

 さながら、正義のヒーローのような後姿に、りっくんは最後まで目を輝かせて手を振っていた。

 

 

 

 もう片方の手に引っ掛けていた二つの水ヨーヨーの持ち手が、遠心力に従って絡み合うのであった。

 

 

 

 

 

 

「なんで、ここがわかったのかって?」

 

 言葉をうまく話せない。何を言っているのか、大体のニュアンスはわかるようになっていたが、まだ明確に聞き取るには程遠い。

 そんな時分に、彼女は迷子になったことがある。人混みの中で誰かとぶつかって、手が離れて、人の波にさらわれて。気が付けば、ある場所に流されて、そのまま踊りに参加して。

 

 遠巻きに見ていた彼を見つけた時には、彼女は彼に飛び込んで抱き着いた。湿って冷たくなっていた服に気にすることなく引っ付くと、彼女はどうしてここがわかったの、と声に出したが、伝わった様子はなくて。だから、首をかしげてジェスチャーで聞き出そうとした。

 そうすれば、彼にはうまく伝わった。頷いてみせれば、「そりゃなぁ」と彼は人々が踊っている姿に視線を移した。

 

「おどるの、好きだろ? なら、音につられてここに来るだろ」

 

 

 

 それがすべての始まりだった。

 祭りではぐれたら、必ず良悟は見つけてくれる。だからこの場所で元気に踊っていよう、と彼女が思えるようになったのは。

 

 踊れる場所にいるならば、良悟は必ずエレナを見つけ出す。

 だから、エレナは良悟に念を送り付けるように、想いを込めて舞い踊る。

 

 

 

 

 

 

 ステップひとつ。足の指先まで美しい線を描きながら、ゆとりをもって着物の裾が小さく揺れる。しなやかに、指先まで芯の通った腕の動きは、緩やかではあるものの力強さをもって宙を掻く。まるで、書道家の一筆のような美しさがそこにある。

 

 瞳は細く、視線は儚く。希薄に移ろいゆく目線の動きは、炎の奥に見える光景……陽炎のように捉えどころなく、彼女の踊りを上品に色づけた。落ち着いた色合いの着物によく映える、艶やかな舞である。

 

 元気よく、はつらつとした太陽のような様子はすっかり鳴りを潜めていた。彼女の常を太陽とするなら、それは月のように静謐で、それでも後光のように彼女の存在を主張する情熱の舞。

 力強さを内に秘め、祭囃子に合わせて舞い踊る。足運びは軽やかに、地面に擦らず水平に。手先で宙を掻けども空切らず。重心移ろい視線は彼方。おぼろげな瞳の奥に炎を宿し。情熱乗せて想いよ届け。

 

 

 

 ――ワタシはココにいるヨ

 胸の前に手を当てて、一歩前に出る。

 

 ――捜して、見つけてほしいナ

 空を見上げて、はるか彼方に手を伸ばす。

 

 ――わかってるヨ

 俯いて、手をおろすと、そこから掬い上げるように横に手を掻いた。

 

 ――だからネ

 視線を移ろわせると、観衆の中に額に髪の毛を張り付けた彼が目に映る。

 

 ――ハッピーな今を見せてほしいナ

 そんな彼に手が伸びるが、すぐに引っ込めると宙を掻いて誤魔化した。

 

 ――早く、答えを聞かせてネ

 舞はそこで唐突に終わった。彼女は良悟の方にゆったりとした歩調で近づくと。

 

 良悟の手を両手で握りしめて、まっすぐ彼のことを見つめて口にした。

 

 

 

Toda noite sonho com voce.(毎晩あなたのことを夢に見るの)

 

 だからもう一度、口にしよう。

 幼い日に、最初に見つけてくれた彼に向けて口にした言葉を。

 

 もう意味のない、燻っていたものだと思っていた気持ちの蓋を外して。

 今一度、あの日の言葉を口にする。

 

 

 

Te amo.(愛してる)

 

 

 

 耳元で囁かれるように小さく、それでも確かな意思を込めた力強い言葉は、彼の耳に届くと同時に祭囃子の中に溶けていく。

 

 当たり前に縋る時間は、もう終わったのだ。

 だから、長く、ずっと叶っていたと思い込んでいた想いを言葉にする。

 

 

 

「ワタシが燃え尽きちゃう前に、聞かせてネ?」

 

 良悟は、その言葉を受けて目を見開いて固まった。意味を理解しているのか、それとも意味が分からず驚いているのか。

 エレナには、わかっていた。彼がどうして目を見開いているのか。手を繋いでいれば、すぐにわかった。繋いでいなくても、きっと理解することはできた。

 

 頬を薄く染めて、濡れた瞳を揺らして彼のことを見つめるその姿に。

 良悟は言葉を返せず、ただ彼女の手を無意識に握り返すだけだった。

 

「絶対に、聞かせてネ?」

 

 念を押すようにもう一度口にするときのエレナの表情は、恐ろしいほど端麗に真剣味を帯びていた。思わず、その表情の気迫に良悟が息を呑むと――

 

「――リョーゴも一緒に踊ってネ。約束してたもん!」

 

 いつの間にか彼女の表情は、この場を楽しむヒマワリのような笑顔が咲いていて。

 良悟は気が付けば、エレナにリードされながら一緒に踊っているのであった。

 

 




エレナと良悟がはぐれてしまったのは、果たして偶然か?
秘めた想い、当たり前という蓋を外して、彼女はついに言葉を口にした

近すぎた二人の関係とは、果たしてどんなものだったのか。



次回に乞うご期待。
感想、評価、コメント、お気に入り登録、などなどお待ちしております。少しでも彼女たちの魅力を描けるように、これからも精進してまいります。



今年もまた、私の二次創作にどうか、お付き合いいただければ幸いです。
あけまして、おめでとうございます これからもどうか、よろしくお願いいたします
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