コンコンコン、とノックの音が控室に鳴る。リラックスして膝の上で寝ていたチラチーノがビクン!と飛び起きる。その姿がまた愛らしくてルリミゾはふにゃりと笑った。
辺りを見渡せば、上着やら荷物が散らばっている。「少し待って!」と声を張り上げて、片付けてから返事をした。
「はい」
試合時間まではまだまだ余裕があり、時間のコールではないことは理解していた。トラブルか。エール団と同じ格好をした小太りのジムトレーナーの姿を描きながら振り返った。
「失礼しますよ」
黒と灰の髪が先に一束、ドアの隙間から飛び出した。
続いて、ぬっ、と痩せぎすの長身が背を猫のようにして現れる。目元は窪み、色白の――蒼白とも形容できるような――顔には、しかし、確かな意志の強さが表れていた。
ネズだ。
予想外の訪問に、ルリミゾは一瞬口を開けて静止する。間抜けとも呼べるような、背景に宇宙が幻視できるような顔を数秒晒してしまったが、すぐに軽口で会話の主導権を取ろうと試みた。
「なあに?妹ちゃんのジムチャレンジは手を抜いてないわよ?」
「……そんな用件で控室のドアを叩くと思ってやがるんですか」
「違うの?」
「マリィはとうに俺を越えていきましたよ」
結局マリィの話じゃない!とは言わなかった。あまりに大真面目な顔で言うので、本当に言っているのか、ボケなのかわからなかったのだ。
表情に出さないように努めていれば、ネズが一息ついてから本題を切り出した。
「流石に今回、これほど客が集まっていれば気付きます。あのローズがスパイクジムでの試合をテレビ放送ですよ?」
ローズとネズの不仲を知らない人間はいない。ジムチャレンジの開会式さえ顔を出さないのだ。背景を知らずとも間に何かがあることは気がつく。とはいえネズが一方的に苦手なだけで、ローズ自体は試合に価値を見出して放送を決めたのだが。
「知らない話ね。こんな過疎の町じゃ、あたしの観客が少ないから手を加えただけよ。知らない知らない!」
自分の為にやったこと。そう言わんばかりにルリミゾは手をひらひらと振る。
「そうですか。なら俺も何も言いません」
「急に観客が増えるなんて不思議なこともあるものね~」
「ええ。まったくですよ」
「「……」」
そうして互いにふっと笑った。
「ここらへんかな……どうぞ!」
一見ガラの悪そうな風貌の、されど砕けた笑顔で席へと案内される。パンクファッションに身を包んだ迷惑集団として知られていたエール団は、そんな悪名の影もなくあちこちを走り回って観客の案内を続けている。
「ネズさんのバトルは凄いんだぞ〜!良い場所でしっかり観な!」
そう言って、小太りのエール団員は他の観客を席に案内するために去って行った。目立つ格好だったはずだが、盛況ぶりにすぐ姿が見えなくなってしまった。案内されたのは、金網が目の前の特等席。シュートシティへ向かう前に訪れた甲斐のある、素晴らしい席だった。
「楽しみだな!」
元気そうに、チャンピオンと同じ髪色の少年が言う。
「うん!スタジアムと違って距離が近くていいね!」
「そうだな!でもこんなに人が多いとは思わなかったぞ」
最速で8つのバッジを集め終えたジムチャレンジャー、ユウリはライバルのホップを連れて観戦に訪れていた。
「こちらです!」
ジムトレーナーに案内されて、フィールド入口に隠れてMCの紹介を待つ。ルリミゾは腕を組み、目を閉じてリズムを取っている。
「キルクスタウン、ノーマル専門ジムリーダー!ルゥリィミゾォォォッ!」
気合の入った呼び方に思わず笑いながら、一歩一歩ゆっくりと入場する。ネオンライトは妖しく、これからの戦いにそぐわないようにも見える。しかしこの風土、ネズがなんとか盛り上げて続いてきた土地柄が違和感を打ち消している。栄えていた過去の哀愁を感じさせながらも、そこに活気が確かに残っていることの証明するネオンでもあるのだ。
「ふぅ」
軽く微笑んで手を振りながら位置に着けば、空いた反対側の選手の名前が読み上げられる。ピンク色で着彩されたフィールドは、ルリミゾの水色の髪が目立つ。その主を待つかのように、挑戦者であるルリミゾの水色を拒否しているようだった。
「我らがスパイクタウン、悪タイプ使いの天才!」
奥の方、ステージの袖から歩いてくるのは。
「哀愁のネズッッッ!」
束ねた髪を揺らしながら、その長身を丸めながら。肉付きの悪い長い手足が、余計に不気味さを強調する。白い上着が熱狂を受けて揺れる。
落ち着いていられず、ルリミゾは挨拶代わりに軽口を放り投げた。
「観客が多くてビビっちゃった?」
金網越しに多くの観客。立ち見だけでは席を確保できず、急遽段々のスタンドが建てられるほどに人が集まっていた。天井が近いせいか、余計に密集して感じられる。空調を全開にしても追いつかず、辺りの店のドアや窓を開けて換気を行う始末。そのぶん熱気は凄まじく、ヒシヒシと期待が伝わってくる。
観客と選手を隔てるのは、障壁もなく金網一枚だけだ。その距離感が、更にルリミゾを昂らせていた。歓声が直に、会話すら聞き取れそうなほどに近い。
ライブ会場としても使われるフィールドは、ちょうどルリミゾの反対側にステージがある。機材は全て片付けられ、ネオンでスパイクジムのシンボルだけが光っている。
「思ってもないことを言いやがりますね。オマエが浮ついてるようにしか見えませんよ」
「あはは!ずっと楽しみだったからね。はやく始めましょう!」
「落ち着きのない……」
そのやり取りが終わるのを見て、審判が旗をもって開始の合図の準備をする。ネズはマイクスタンドを構えて、ふぅと一息吐いた後。
「俺は悪タイプポケモンの天才、人呼んで『哀愁のネズ』……!」
哀愁。寂れてく町にしがみついて、戦い続ける姿が悲しいのか。それとも、他の意味があるのかはネズは知らない。ただ、自嘲気味に、いつの間にか広まっていたその呼び名を名乗るだけだ。
「この町を背負って、歌って戦っている……!」
歓声が更に大きくなる。スパイクタウンの住人総出の応援が高まっていく。
「この町の為に!行くぜェーーーーーッ!!スパイクタウン!!」
左手はマイクスタンドを握ったまま、右手からアンダースローでダークボールを投げた。燃料が投下されて一層熱くなる歓声と、一転して静かになったルリミゾが対照的だった。
「名乗るほどの呼び名なんて持ってないわ」
マイクに乗った静かな声は、これだけの音に埋もれることなく。むしろ歓声を制さんとするほどに通っていた。
「でもまあ、一応名乗るなら」
属すべき故郷など、遠い世界の話。今はただ、一人のキルクスタウンのジムリーダーとして。
左右の金網を順番に見て、最後に背後の観客を見て。
「キルクスタウンジムリーダー、ルリミゾ」
自分を示す。バトルはいつしか自己実現の手段となっていた。それで人が魅了されるかどうかはわからないが、戦う姿を示したかった。この暖かい世界に、何か返せるものがあるのなら。
「ぐふ!」
全力で投擲したモンスターボールから、相棒とも呼べるポケモンが飛び出した。
いつも読んでくださりありがとうございます。
やっとネズのバトル開始です。最近忙しいのですが、なんとか一週間更新できてよかったです。ええ。
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