「ふーん……バルジーナね」
ルリミゾはネズの選択を訝しむ。
ネズのパーティにおいて、バルジーナはストリンダーのカバーが主な仕事である。地面タイプとエスパータイプに弱いストリンダーの相性を補完する目的で、過去の試合ではストリンダーと交互に相手を翻弄していた。
(ポケモンが倒された後の、フラットな状態で繰り出すような役割ではなかったはず……)
違和感。
腕を組み、右手を顎に当てながら。さながら探偵のようなポーズで考えられる可能性を脳内で虱潰す。
「……」
その間、3秒。眼光はバルジーナを捉えたまま、一挙動も互いに動かないまま風が吹くのを待っている。
「なんでバルジーナなんだろ……?」
ユウリが疑問を口にする。少しでもポケモンバトルを観戦している人間なら、誰でも覚える違和感だった。
「でもネズさんが判断ミスするようには思えないぞ」
「だよね……戦闘不能の後の繰り出しだから考える時間もあったし」
バルジーナは攻撃よりも防御が得意なポケモンである。「羽休め」や「どくどく」「イカサマ」といった絡め手で持久戦を強いることで知られている。ネズのバルジーナもそれに違わず、これまでの試合で何体もの物理主体のポケモンを沈めてきている。
だからこそ、特殊攻撃主体のイエッサン相手に繰り出す理由がない。物理主体のカビゴンとチラチーノがまだ残っているにもかかわらず、バルジーナをイエッサンに当てる理由がないのだ。起こるかもしれないストリンダー対カビゴンのマッチアップの引き先としての役割も残している。
「わっかんないなー!」
プロの考えることはわからない。
「何が狙いなんだろうな……!」
目を輝かせながら、ホップはフィールドへ向き直った。
「揺さぶりのつもりね」
ルリミゾが出した結論は、敢えてバルジーナを出して揺さぶりをかけてきているだろう、ということ。
(イエッサンの方が素早いから、順当に戦えばイエッサンが先手を取る。そこでフェアリータイプの技を撃たれてもバルジ―ナは一撃じゃ倒されない。狙っているのは……後攻での『蜻蛉返り』!)
消耗しているイエッサンに対して「蜻蛉返り」は効果抜群の技。イエッサンは落とされてしまうだろう。先手で無理な攻めに出た場合、返しで放たれる「蜻蛉返り」を回避することは難しくなる。そうなればイエッサンを倒されたうえに、無傷のストリンダーの裏にバルジーナという最悪の状況が生まれてしまう。
(一見弱い手に見えたけどいやらしい一手……)
イエッサンにかかる負荷は大きい。ここで上手くバルジーナを消耗させられなければ、ストリンダーの処理ができなくなる。場の流れからして、やる気に満ち溢れ継続戦闘を望んでいたイエッサンを下げるのは躊躇われる。そこまで計算に入れられたバルジーナの繰り出しだったのだ。
(エースを落とされたのに冷静ね)
無表情にマイクを握って隙を晒さないネズの顔が憎らしく見えた。
交代か、それともこの策の中での継戦か。
「……相手の攻撃を見切ってから攻撃。それに徹しなさい」
「……イエイ!」
イエッサンを尊重しての居座り。ここでイエッサンを下げれば、頂点まで熱された闘志が冷めてしまう。
「『マジカルシャイン』の準備だけして、反撃に専念」
イエッサンは光りながら、攻撃を回避できるように姿勢を低くする。マジカルシャインを高威力で放つために溜めているのだ。
不気味なほどに、ネズとバルジーナは動かない。
見つめ合う。
一手一挙動を見逃さないように空気が張り詰める。
見つめ合う。
見つめ合う。
――そして、永遠にも思えるほどの対峙のあと、一陣の風が吹いた。
ルリミゾは、ネズの口が動くよりも速くに声を出そうとした。
――来る。
ネズの動きよりも、その気迫が何よりも次の攻撃を語っていた。
「ッ!」
言葉が出なかった。何が来るのか、予測はついていた。どう対処すべきかも浮かんでいた。
しかし、言葉という伝達手段はあまりにも遅く、トレーナーとポケモンを隔てていた。
「
執念が迫る。
「仇討ち!」
「イエッサン避けれるか!?」
直前に味方のポケモンが倒されていなければ使えない技「仇討ち」。その威力は「破壊光線」とほぼ等しい。それだけの力を身に纏って、バルジーナが進む。風を切り、歓声を切り、イエッサンを倒して仇を討つために。
「間に合わないッ!」
ホップが叫ぶ。
イエッサンは回避ができるように注意を割いているものの、恐ろしい速度で迫る「仇討ち」は避けられない。立ち止まった状態からの瞬発力があるポケモンではないからだ。
「あッ……」
ユウリの声が詰まった。なぜなら、ポケモンが指示を待たずに動き始めていたから。
イエッサンというポケモンの特性。
それは、角で人の感情を察知するというもの。
「イエイッ……!」
言葉は届かずとも、察せることがある。感情の揺れひとつで、培った信頼関係が教えてくれる。ルリミゾがどんな指示を出したかったのか。どんな攻撃が飛んでくるのか。
――ガキン!
両手を前に突き出し、防御を展開。
独断でマジカルシャインの準備を即座に放棄し、バルジーナが届くよりも先に「守る」を繰り出していた。
「……ッ!マジカルシャイン!」
褒める言葉よりも、喜びの感情よりも。
その信頼関係に応えるための反撃の指示が、ルリミゾから即座に出された。
(厄介ですね)
「仇討ち」を放つまでにネズが長い間を取ったのは、バルジーナを繰り出した意図を探らせるためだった。上手く意表を突いた「仇討ち」を放てたものの、咄嗟に対応されたことでネズの作戦は裏目に出てしまっている。
ピィイ、と「マジカルシャイン」を被弾したバルジーナが忌々し気に鳴く。
ネズは相手を動揺させて、読み合いの勝負に持ち込むことが強みだと自負している。ダイマックスがないことも予測不能の強みに変換している。しかし、対応されてしまった今、動揺を狙った手は悪手としてネズに返ってきていた。
頭を掻きながら、次の一手を考える。依然、無表情にペースは崩さないまま。内心を少しも表に出さずに呟いた。
「大丈夫ですよ」
バルジーナに声を掛けたあと、マイクを強く握って大きく息を吸い込んだ。
「とにかく後手、この流れを維持するわよ」
「イエイ!」
予想外の「仇討ち」に肝を冷やしながらも、乗り切ったことに安堵する。バルジーナから独創的なプレーは飛び出さない。警戒すべきは「蜻蛉返り」や悪タイプの技だけだ。
「……ふぅ」
バルジーナの挙動にただフォーカスして、待ち続ける。再度「マジカルシャイン」を準備しながら。じりじりと歩を続けつつも、距離は保って冷静に――
「バルジーナァ!」
「「ッ!」」
一人一匹、身構えたその瞬間。
バルジーナの姿が消える。赤くその姿が光り、モンスターボールへと吸い込まれていく。
「やられたッ!撃ち込め!」
交代。
バルジーナの名を大きく叫んだことが、一手も間違えられないルリミゾ達の警戒を誘った。着地後の隙を狙い、イエッサンは準備していた「マジカルシャイン」を放つが――。
ギュィイイイイイン!
ギターの如き轟音。胸の突起を掻きむしってストリンダーが現れる。
効果はいまひとつ。
首を傾げ、煽るように顎を持ち上げるストリンダー。ローで寒色の身体は、しかし熱をもってルリミゾを焚きつける。
それに合わせてエール団がブブゼラや打楽器を鳴らしてスタジアムを染めていく。歓声と楽器、そして金網が揺れる音。全てが混ざり合って熱狂を形作る。
「効いてないアピール?すぐに潰してやるわよ」
ルリミゾの啖呵が透き通って聞こえた。
「あの気迫で交代するとかわかんないよ……」
大きな声でバルジーナの名を呼べば、技が来ると思い込む。今までのネズの行動を逆手に取った交代だった。ルリミゾ側に傾きつつあった流れが、再びネズへと揺り戻されていく。
「でもバルジーナがダメージを受けて帰っただけだぞ?ネズさんの方が損しただけだよな?」
事実として、イエッサンはダメージを受けておらず、バルジーナが効果抜群の技を一度受けただけ。ネズは奇抜な一手が裏目に出て大損している。しかし、ホップが自分の状況理解に自信を持てないほど、ネズとストリンダーは悠然と構えていた。
「うん……ルリミゾさんが上手く返してるんだけど、なんだろうこの雰囲気……」
勢い、流れ、雰囲気。そんな言葉で表される、有利不利と違った何かがネズの味方をしていた。
いやな感覚だ。
何をしても相手の掌の上のような錯覚。アウェイだということを承知でルリミゾはこの退廃のネオンまみれのスタジアムに立っているのに、それでも全身に敵意が纏わりついてくる。観客席との近さが感覚を狂わせる。熱心なファンの多さは歓声の大きさを決める。
まるで耳元で鳴っているかのようなブブゼラの大合唱。打楽器が心拍数を乱すように鳴り、ストリンダーはそれに乗って音を奏でてますます調子を上げている。
(ここでストリンダーを落とせないとかなり不利になる……。相手から見たイエッサンも同じね。だからバルジーナで上手くやって詰ませたかったんだろうケド……)
"舐めてんの?"
一瞬脳裏に浮かんだ言葉に血が沸騰しそうになる。冷静さを取り戻したのは、ネズの揺さぶりの一環であることを推測したからだ。バルジーナでイエッサンが倒せれば、ストリンダーに対して強く出られるポケモンが少ないルリミゾは一気に不利になる。タイプ相性こそ有利であれ、イエッサンの方が素早く、特殊攻撃による遠距離攻撃の手段を持っている。素直に最初からストリンダーで勝負していれば、傷を負ったイエッサンを押し切れるはずだったのだ。
「サイコキネシス」
タイプ相性は有利。ただ、種族としてわずかにストリンダーの方が特殊攻撃に長けている。つい先ほど見えた絆が冷えないうちに、ルリミゾは攻撃の指示を飛ばした。
言葉が耳に届くよりも先に、イエッサンは攻撃を始めていた。
「スパイクのお前らと一緒になァ!せーの!」
ネズが右手を大きく掲げる。一瞬で黒とショッキングピンクが静まる。
息を吸い込む。
「「「『爆音波ァ』!」」」
エール団は必死に叫ぶ。まるで自分が戦っているかのようにネズを見ていた。
観客を煽り、味方につける。独りで試合に没入するルリミゾとは対極の戦い方だった。
「……!」
それは、肌で直に感じたジムリーダーの在り方。
ストリンダーが大きく右手を振りかぶり、音を出す胸の突起に向けてスイングするのがスローに見えた。まるでギターを弾くように、衝動を叩きつけるように。
――ガラルのジムリーダーであるということは、スターであるということ。ロックスターを兼業しているネズは、とくにその側面が強い。地域の熱狂的なファンに支えられ、盛り上げ、力をもらう。そしてファンに熱を返す。ネズが行うバトルは興行であり、真剣勝負なのだ。
エール団はネズに救われ、ネズを救っている。辛いときにネズのバトルを見て勇気づけられ、ネズが辛いときに応援をする。相互一体の関係性がそこにあった。
ルリミゾにとって、バトルはトレーナーとポケモン達だけがぶつかり合う舞台だった。観客は、それを近くで見守ることができるだけの存在だと思っていた。しかし、ネズとエール団の関係性は違ったのだ。「応援が聞こえる」のではない。「ファンと一緒に戦っている」。それがネズとファンの関係性を表すのにふさわしい言葉だった。
"いいな"
ルリミゾはそこで、初めて"憧れ"を見た。見出してしまった。
対戦相手に抱いてはいけない感情。それを抱いてしまった。
――ならば、天秤が傾くのは道理。
「イエッサンッ!」
気付いた時には、全てが遅かった。
地面に転がるイエッサンと、戦闘不能を示すカウント 4-3の文字。審判の戦闘不能宣言も聞こえないくらい、熱狂がネズに味方してルリミゾを絞めつけていた。
「……?」
手ごたえのなさにネズは首を傾げる。突然、イエッサンとルリミゾのパフォーマンスが落ちた。「爆音波」の次の一手を準備していたネズにとって、イエッサンがクリティカルに被弾して一撃で倒れるのは拍子抜けの展開だった。
「戻れッ……!」
倒れて動かないイエッサンをボールに戻す。私の動揺は収まらない。
自分でも気付かなかった心に気付いたときほど、心が乱れることはない。ああ、ゆっくり考えられる自宅で気付けたならよかったのに。不甲斐ないと思う気持ちが止められない。
「ふー……ッ!」
無理矢理大きく息を吸って吐く。アクロマに教えてもらったメンタルコントロールを試みる。土壇場で落ち着くためのルーティーンだ。
「……よし」
頭の片隅に、抱いた夢の欠片を仕舞い込む。そんな場合じゃないんだ。
「ルリミゾ選手、次のポケモンを――」
「わかってる!」
審判の催促を食い気味に返す。ちょっとよくない態度だったな、なんて思いながら。今は試合に集中したいんだ。
「カビゴン!頼むわよ!」
ポン!という軽快なボールの解放音とは反対に、重い音を立ててカビゴンが着地する。スパイクタウンが揺れる。ちょっとそこらの建物が軋んで、金網が倒れてこないか少し気がかりになったりして。
「……」
カビゴンが重い身体をゆっくりと動かして私の方を見る。
「大丈夫か?」と言外に問うているような視線だった。親戚のおっさんがいたらこんな感じなのかな、なんて思うくらいに人間臭い仕草だった。不甲斐ないメンタルでイエッサンを落としてしまったから、その心配は当然だった。
「うん、大丈夫よ。心配かけたわね」
のっそりと正面を向くカビゴン。マイペースなくせに、ふとした気遣いがこそばゆかった。
もう、大丈夫だ。
これからのこと、やりたいことなんて後でいい。今は戦うことだけに集中するんだ。
観客がいた方が嬉しいですし、自分に付き従って盛り上げてくれたらなおのこと気分が上がりますよね。
たいへん長らくお待たせしました。
頭の中と現行のズレはなかなか難しいもので、投稿すら不安になっていました。
読んでくださりありがとうございました。
いつも読んでくださる皆様のおかげで続けてこれました。
本当にありがとうございます。
これからも完結に向けて頑張っていこうと思います。
グダっていた投稿を再開するモチベーションが沸いたのも、みなさんのおかげです。
ほんとうにありがとうございます。
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