小さな魔法使いの傍から見守る英雄譚 作:SCP26■jp
目が覚めたら森の中にいた。
それも、身体が少女のものだった。
「…どうして、こうなった…」
少女は一人でそう呟いた。表情は暗い。
正直、どうしてこうなったのかは全く覚えていなかった。
普通の生活を送っていたはずだ。ベッドで目を覚まして、仕事に行って、そして家に帰ってくる。暇があったらゲームで潰し、夜になると寝る。そんなごく一般的な生活。
だが、最後の方がどうにもぼやけて思い出せないのだ。確か、駅のホームで電車を待っていたのだけは覚えているのだが、それからが思い出せない。思い出そうとすると、途端に記憶の中の光景が靄そのものになって霧散してしまうのだ。
「どうしたらいいんだろうか…」
途方に暮れる、とはこのことだ。
持ち物は何もない。着ている服はボロの白い貫頭衣。頭と手の部分に穴を開けただけのシンプルなものだった。
中?中は裸である。つまり風が吹いただけで社会的に死ぬ可能性がある非常に危険な状態だった。
鏡が無いので詳しい事は分からないが、肌の質感や髪の毛、そして何よりも身体的な特徴から言って、10代半ばほどの少女の肉体になっていることは明らかだった。腕は細く手は白くたおやか。髪は濡羽色。胸は中学生程度の肉付き。足はすっと伸びて指先まであらゆる意味で余念がない。
森の中。それも持ち物はゼロ。身体は女。
それは、今まで男として生き、日本という比較的恵まれた地域で平凡に暮らしてきた自分にとって、絶望以外の何物でもない状況だった。
「とにかく森から―――…出れる、のか…?」
サバイバルの経験なんて、一つもない。知識も素人知識分しかない。それに、今の自分の細い身体で耐えられるとも思えない。
しかし下手に動いたらさらに森の奥へと行ってしまわないか。何か目印になるようなものは…。
「…あった」
ぐるりと周囲を見渡した結果それを発見して、思わず唖然とつぶやいた。
木々の天井。その隙間から微かに見える、上部が空の色に滲む程、長大なる人工物。
正体不明の謎の塔が、そこにはあった。
◆
塔までたどり着くのにそう時間はかからなかった。それと同時に、塔の足元はぐるりと外壁が築かれていて、その中に街が広がっているのだと知ったのもすぐだった。
「…お、お邪魔しまーす…」
門をくぐる時、それは虎穴に入るような気分だった。
圧倒的アウェー感。それが今少女を取り巻く全てであった。
この街は、昨日まで住んでいた日本とはまるっきり違っていた。街の様子、人々が着ている服、そして人種。細部に至るまでありとあらゆる部分で違う。自分が普通だと思っていた世界とは異なった世界が、そこには広がっている。
特に目を引いたのが、人種だ。ここには見たこともない様々な人種が存在していた。杖を持つエルフ、剣を持った人間、鍵爪を腰にぶら下げる獣人。子どもの形で酒をがぶ飲みする小人。ありとあらゆる人種。
それらの様子を見て、まるで中世のヨーロッパか、それを舞台にしたファンタジー映画のようだ、と頭の中でささやいた。
「おい、知ってるか?ロキファミリアが遠征だとよ。今度こそ最深到達階層を更新しようと躍起になってるそうだ」
「今のロキファミリアは波に乗ってるからな。本当に成し遂げちまうかもしれねえ」
「偉業だ!英雄譚だ!ロキファミリアに栄光あれ!」
「言ってて空しくならねえか、それ」
「ああ、もう二度としねえよ」
「ま、あたしらみたいな零細ファミリアの木っ端冒険者にゃ関係ない話だわね」
「違いない」
話を盗み聞きするに、どうやら言葉は分かるようだ。そして聞こえてきた単語に眉を顰める。
ファミリアに冒険者。最深到達階層…どれも聞きなじみのない言葉だ。いや、冒険者だけは異世界もののアレコレでよく聞いた単語だが。
「…やっぱり、これって異世界転生ってやつなのかね…」
それだけ呟いて、道の端を歩き続ける。人ごみの中を裸足で歩く勇気はない。いつ鎧や重厚ブーツを履いた人間に踏まれて足が粉砕されるか分かったものじゃない。
もし異世界なら…もう帰れないのだろうか。そんな思いが頭の中を支配した。
別に未練がある訳ではない。良い年した大人なので親への未練もないし、恋人もいない。友人は大学卒業をきっかけにめっきり会う機会は減ったし、働いていると遊ぶ機会も中々ない。強いて言うならばあの作品やこの作品の続きを見たかったな程度。
それでも、自分にとって安住の地だったのは確か。明日とも知れぬこの世界よりも、灰色だが平穏があったあの世界の方がマシなのは確かだ。
「…どう、しよ…」
途方に暮れる。さっきまで前に進んでいた足は止まっていて、いつの間にか頬が水で濡れていたことを風に気付かされる。おかしい、こんなに泣き虫だったか、と慌てて目元から頬を拭い、そしてまた歩き出す。
「そこのお嬢さん、今ちょっといいかい?」
「―――、え…?」
明らかに自分に対して投げかけられた言葉に、踏み出そうとしていた足を張り付けて思わず振り返る。
そこには、少女が一人いた。いや、今の自分もそういえば少女だったが、それよりも一回り背が小さい。顔も幼いし、身体なんて華奢で――――。
「…」
…え、なにこれ?
呼吸を忘れる程の衝撃が、そこにはあった。詳しく言うならデデンと実った巨大なソレ。メロンレベルのその暴力的な脂肪の塊が、幼女特有の華奢な上半身にぶら下がっていた。見ていて危機感を覚えさせられる。
いや、よく見るとそんな超重量を一本の青い紐が健気にも支えようとしている。あまりの重さにピンと張りつめていて、その役割を全う出来ているようには見えないが…。
「ん?あれ、僕の顔に何かついてるかな?」
「え、いや、そういう訳ではないです。なんかすみません」
思考を無理やり中断させて、視線も元に戻す。そして男の時の癖で速攻謝る。
「何について謝られたのかよく分からないけど…ま、いいか。それよりも…何か困りごとでもあるのかい?」
……。…?
「えっと…?」
目を点にして、その言葉を頭の中で何度か繰り返す。困りごと。あるにはある。むしろ困りごとしかないのが現状だ。だが、それがこの少女にどう関係するのかが見いだせない。
「あはは、そりゃ初対面の神(ひと)にそんな事言われたら戸惑うか。でも、ほら。目の前で泣いてる女の子を見つけてしまったからには、話しだけでも聞いてあげたいと思うのが人情ってものだろう?」
そういってツインテールを揺らし、笑みを浮かべる少女。
「はあ…そんなものでしょうか」
「ほらほら、折角だし、何でも言ってくれよ。言うだけですっきりする事もあるもんだぜ?」
その笑顔は、まるで母のような安心感を内包していた。安心、安堵、そして慈愛。ありとあらゆるものを詰め込んだ…そう、まるで暖かな家のような感覚。
「…それじゃあ。あの、実は―――」
そうして、自分はいつの間にか洗いざらいこれまで起きた全ての出来事をぽつぽつとその少女に話し出したのだった。