Ace of Aces - スラムダンクの続き - 作:こうやあおい
いま思い出しても目眩がする。なんだったんだろう、あれは──。
と、つかさは初秋の校庭をとぼとぼと一人歩いていた。図書館で勉強をしていたつかさだったが閉館時間となり閉め出されてしまったのだ。
夏のインターハイ予選は海南大附属が神奈川県を制しインターハイへと進み、惜しくも全国優勝は逃したものの定位置である全国ベスト4についた。
海南は文武両道を謳っているせいか高校で引退してしまう選手も多い。今年は珍しく主将も夏引退を表明したため、二年でエースだった紳一は主将の引退に伴い来期を見越してそのまま部長へと相成っていた。
陵南は──神奈川ベスト4には進んだものの惜しくもインターハイには進めず、ルーキー仙道の全国デビューは来年にお預けという形になった。
にしても、とつかさは思う。くだんのベスト8選出戦以来、バスケットの試合会場に行けば嫌でも仙道と顔を合わせる機会はあるし、嫌でも絡まれる羽目となっていた。
『オレと付き合う気ない?』
『ないですね』
『なんで?』
『だって私、あなたのことよく知らないし』
『ははは、うん。じゃあ、これからお互い知っていくってことで、どうかな?』
『お断りします。そもそも、なんなの? 出会い頭にあんな……』
『一目惚れ……っていう理由でどう?』
一連の仙道との会話が脳裏に蘇り、つかさは深いため息を吐いた。
紳一の応援に行けばまた会う羽目になるのだろうか──と、どこか軽いノリのハリネズミ頭を浮かべて心底うんざりしたように首を振るう。そして、キュッと唇を結んで眉を寄せた。
「大ちゃん以上の選手だ、って、思ったのにな……」
仙道当人はともかくも、彼のバスケット選手としての才能は本物だと見込んだだけに、あの性格は──考え込む瞳にふとバスケ部が使っている体育館が映る。もう下校時間を過ぎたというのにまだ明かりがついていた。
「また残ってるのかな……」
心当たりのあるつかさは呟くと足早に体育館の方へ歩み寄った。そしてひょいと中を覗くと、一人、長身で細身の少年がシュート練習にあけくれている様子が目に飛び込んできた。
「神くん……」
つかさにとっては同級生の神宗一郎だ。彼は毎日居残りシュート練習をしているのか、たびたび夜も遅くにこの光景をつかさは目にしていた。紳一からは特に有望な一年生だと聞いた覚えはないが、柔らかなシュートフォームでなかなか良いシューターに育ちそうな素質を持っている。いまも懸命にアウトサイドシュートに励んでおり、心許ないシュート成功率もこのまま続けていけば伸びていくだろう。
熱心だな、と心内で呟くとつかさはきびすを返して暗闇の中、帰路を急いだ。
「母さん、つかさは?」
「まだ帰ってないのよ。あの子ったら、毎日毎日……」
秋もだいぶん深まってきた頃、帰宅して部活の汗を流した紳一はリビングでお茶の用意をしつつ心配げに呟く母親を見やった。紳一の母はつかさにとっては叔母にあたるものの、実の母の双子の妹であり、彼女にとってもつかさは遺伝子上は姪というより娘同然の存在でもあるためか──、一見すると実の息子の紳一よりも溺愛している。
「つかさもようやく落ち着いてきてくれたのに……。こう毎日遅いと、心配だわ」
「ま、たぶん勉強してんだろ。趣味だしな、あいつの」
ふぅ、と息をついて髪をかき上げると、紳一は二階の自室へと向かった。
自身の生活は──いまは毎日毎日バスケット漬けであり、全てのスケジュールがバスケット中心に回っている。それは、いまは遠く離れている愛知の諸星大とて同じだ。寝ても覚めてもバスケット。そのサイクルの中に、ほんの少し前まで確かにつかさもいた。
──自分の中の、一番古い記憶は……近所のバスケットゴールがある公園。黄昏に染まる空間。
毎日毎日、泥だらけになって、ともすれば自分の身体より大きなバスケットボールをいつも3人で追っていた。
──いまでも覚えている。投げても投げても届かなかったリング。見かねた両親が子供用のゴールを買い与えてくれるほど、みな、「バスケット」のなんたるかを知らない頃から夢中だった。
あのリングに、一番最初にボールを通したのはつかさだった、と紳一は懐かしむように遠くを見た。
得てして、小学生の高学年くらいまでは女子の方が体格も良く、成長も早い。つかさは格段に飲み込みが早かったし、ドリブルも、シュートも、ドライブも物心ついた時から自分よりも諸星よりも先を行っていた。
小学校にあがってすぐ所属したミニバスケットのチームは男女混合で、つかさは花形のフォワードであり、エースだった。毎日毎日、朝から晩まで汗まみれで励んでいたあの頃のつかさの願いは、三人でずっとバスケットをやりたい、に他ならなかっただろう。生まれてからずっと一緒だった3人がバラバラになるなど、考えも及ばなかったに違いない。
だが──現実はそうはいかない。いくらつかさが女子の平均以上の身体能力を持っていたとしても、あくまで「女子」というカテゴリー内での話だ。いずれ成長期を迎える男子に置いていかれる運命は避けられず──紳一たちが中学校にあがったあたりから徐々に、だが、風のような速さで強さは逆転していった。
『大ちゃん! もう一回、もう一回勝負して!』
12歳ですでに160以上あったつかさの身長さえ紳一と諸星はあっさりと追い抜き──徒競走も、垂直跳びも、全ての運動記録で二人はつかさの数字を抜き去った。おそらく、つかさには受け入れがたかったのだろう。自身の努力不足だと思った、あるいは思いこみたかった彼女は、紳一より実力の勝っていた諸星に暇さえあれば挑みかかっていた。
ゴール下では何度も何度も吹っ飛ばされ、生傷がついては消え、ついては消え。つかさは「全国最強」を誇る愛知県女子の強豪校からの誘いを全て蹴って、女子バスケ部のない紳一たちと同じ中学に進学した。そして空き時間の全てを筋力トレーニングやシュート練習に費やして、毎日、日が暮れてもなお諸星に挑み続けた。
紳一に彼女を止めることはできなかったし、諸星も、やめろと忠告するのをずっとためらっていた。何より諸星にとっても「エース」だった彼女との間に出来た差が信じられない思いだったのだろう。だが──中学でのバスケット生活を終える頃、彼は確実に限界まで来ていた。
小学生の頃とは違う、押せば簡単に吹っ飛ぶ身体。絶対に男子の高打点ショットをブロックできないジャンプ力。なにより、つかさの身体は諸星に押し負けて傷が絶えず常にぼろぼろであり──彼女を傷つけているのが自分だという事実は耐え難いものだったのだろう。
彼が中三の晩夏の夕暮れ──、幼い頃から三人で遊んでいた近所のバスケットゴールの下で擦り傷まみれで血だらけになってうずくまるつかさに、ついに諸星は言い放った。
『もうやめてくれ……!!』
絞り出すような、諸星の声だった。
『オレはもう、つかさと勝負したくない。分かるだろう!? オレは男で、お前は女の子なんだ。これから、もっと肉体的な差が広がっていく。これからも続ければ、オレはお前に取り返しのつかない怪我を負わせてしまうかもしれない!』
『頼むから! 諦めてくれ、つかさ、お願いだ!』
はじめは反論しかけたつかさは徐々に黙り、黙って諸星の声を聞く瞳には涙が滲みはじめ、そして声にならない声をあげて泣いていた。
必死で認めまいと抗っていた最後の壁が決壊し、諦め、受け入れざるを得ない……「挫折」の涙だった。
あの日以来、つかさがあのコートでバスケットをすることは二度となかった──、と紳一は肩を落とした。
絶交覚悟で言い放ったらしい諸星は内心びくびくしていたらしいが、つかさはあっけらかんと、まるであの夕暮れの中での出来事がなかったかのように──ただバスケットだけがすっぽりと抜け落ちた生活が始まり、そして、いままで邪魔だからと一度も伸ばそうとしなかった髪の毛を伸ばし始めた。
そして、その後すぐに彼女は日本を離れ、紳一自身も神奈川へと越してきて諸星と顔を合わせる機会もそうはなくなった。
「単純なんだよな、あいつは、結局」
バスケットをやめた証に髪を伸ばし始めたつかさは、矛先を勉強に向けて空き時間は勉強に励むというガリ勉キャラにシフトチェンジしていた。理由を聞けば手っ取り早く「男女関係なくトップに立てるから」らしく──負けず嫌いの根は深いらしい。
だが、バスケに未だに未練を残していることを紳一は知って──しかしどうにもしてやれないというのが現実であるため、見守るより他はない。もしも彼女が妹ではなく「弟」だったら──おそらく誰をも凌ぐ選手になっただろう。などと想像するも、結局は妄想の産物である。
女子バスケットを進めてみようにも、つかさの目標はあくまで諸星に勝つこと。潰えてしまったその夢を諸星のいない場所で繋ぐことを彼女は選ばなかった。
「やっばいなー。また叔母さんに怒られちゃう」
その頃──例によって図書館から締め出しをくらったつかさは腕時計の針とにらめっこをしながらすっかり秋も深まってきた校庭を小走りで通り抜けようとしていた。
「ん……?」
が、ふと体育館の方に身体を向けて立ち止まる。ダン、ダン、と規則正しいが静かなボールの音が聞こえてきて、うっすらと頬を緩ませた。
「神くん……!」
おそらく例によって神宗一郎が居残りシュート練習をしているのだと感じたつかさはひょいと体育館を覗き、案の定でなおさら頬を緩めた。
しかし──、当の神はというと黙々とゴールに向かっており、1本、また1本と淡々とスリーポイントシュートを決め、ついに10本目を連続で決めたところで固唾を呑んで見守っていたつかさは思わず手を叩いた。
「ナイッシュー!」
その声が静寂の体育館に響き渡り、つかさがハッとする間もなく──手を止めた神がつかさの方を振り返った。
「! 牧さん……! あ、いや、つかさ……さん?」
牧さん、と呼んだ瞬間に彼の脳裏に浮かんだのは海南大附属部長にして神奈川の帝王と呼ばれる牧紳一の事だったのだろう。少々混乱している神につかさも苦笑いを浮かべた。
「つかさでいいよ、神くん」
「あ、うん。なにやってるの? こんな遅くまで」
「あ、えっと……図書館で勉強してたんだけど……。閉館時間が過ぎちゃったから閉め出されちゃったの」
「さすが、学年主席は違うなぁ」
ははは、と汗を拭って神は再びバスケット籠に手をやった。
神こそこんな遅くまで……という気持ちと、邪魔して悪かった、という気持ちが交差するが、シュ、と再びゴールを貫いた音を聞きながら神がどれほど記録を伸ばせるか単純に見ていたいと思い──「見学してていい?」と聞くよりもつかさは靴を脱いで体育館へとあがった。
「神くん」
「え……?」
「パス出し、しようか?」
「え……。あ、パス出してくれるなら助かるけど。でも……」
「大丈夫、それくらいなら、できるから」
いくら紳一の妹で通っていても、海南のメンバーはつかさがバスケットをしていたことは知らない。ゆえに神の戸惑いももっともだったが、つかさは軽く言ってスッと籠の中からバスケットボールを手に取った。
手に馴染む感覚に少しだけ眉を寄せてから、スッと前を向き、シュッと神へとパスを出す。それを神が受け取って流れるような動きで空へとボールを投げ、見事にゴールを貫いて再び床へと落ちた。
結局、神が「ラスト!」と言うまでその作業は続き──シュート練習を終えて片づけながら神は唇に笑みを乗せた。
「手伝ってくれてありがとう! おかげでいい練習ができたよ。オレ、すぐ着替えてくるから校門の所で待っててくれる?」
「え……?」
「家まで送ってくよ」
「え……!? い、いいよ、平気。一人で帰れるよ」
さも当然のように言われてつかさが慌てて首と手を勢いよく振るうと、神はキョトンとしたのちに困ったような表情を浮かべた。
「いや、そういうわけにも……。もう遅いし、女の子なんだしさ」
ね? と念を押されてつかさは押し黙った。女の子だから、かぁ。などと脳裏で反芻しながらも大人しく神に従い、先に体育館を出て校門で待っていると神は通学用とおぼしき自転車を従えてやってきた。
並んで歩けば神もけっこうな長身で──おそらくは185センチ以上あるだろう。紳一よりも背が高い。いまの海南はそれほど大きな選手はおらず、この上背があればインサイド主体の守備……などと思うも細身の神を見るに、ちょっと力が足りないかな、などと考えたつかさは逃れられない己のバスケット思考に苦笑いを漏らしてしまう。
「どうかした……?」
「え……!? あ、神くん、毎日シュートの練習してるみたいだけど、冬の選抜、レギュラーいけそう?」
「さあ、どうかな。出たいとは思ってるけどね」
「スリーの成功率、数ヶ月前に比べて格段に伸びたよね。きっと出られるよ」
「え……!?」
「あ……」
神がもうだいぶん前から黙々と一人でシュート練習をしていることを知っていたつかさは、以前の心許なかったシュート成功率に比べていまの神が格段に進化していることを当然のように知っていたが──神は自分が見られていたなどつゆほどにも思ってなかっただろう。説明すると、小さく「そっか」と笑った。口調も柔らかく、常に穏やかな人だな、と思う。
毎日シュート練習してたこともあったなー……などと遠く愛知での出来事を思い出すのは辛く、話題を切り替えて話しているとしばらくして自宅が見えてきた。
送ってくれた神の背中を、なんだか申し訳なかったな、と思いつつ見送り──家に入るなり飛んできた叔母の説教を聞き流しつつ自室に荷物を置いて着替えてリビングに向かうと、紳一がソファでコーヒーに口を付けていた。
「おう。遅かったな」
「シュート練習してたの。神くんと」
「なに、神と?」
「うん。帰りは送ってくれたよ」
優しいよね、と言いつつつかさもソファに腰を下ろす。
「神くん、次の選抜でレギュラー取れそう?」
「さぁな。使うとしてもフォワードになるからな……、全国のエース級と渡り合えるかと言や苦しいんじゃねえか? オレは神のシュート力は買ってはいるんだが」
「フォワード? 2番じゃなくて? あ、でも身長あるしね」
「2番はまだ無理だろ。あいつはもともと5番……センターだったんだからな」
「センター!? 神くんが!?」
思わずつかさが声をあげると、ああ、と紳一は頷いた。
センター、というのはバスケットにおけるポジションの一つで、攻守において主にゴール下をエリアとし、エリア内からの得点、リバウンドを主な仕事とする。その特性から長身でパワーのある選手が担うポジションでもある。故に、細身の神ではいつぞやの諸星に挑んでいた自分のように吹っ飛ばされるのがオチではないのか……と過ぎったつかさに紳一は腕組みをした。
「まあ、お前の想像通りパワー不足でオレや高砂に吹っ飛ばされ続けて、どうも監督が戦力外通告をしたらしい。が……なかなか根性見せるヤツだぜ、海南にもっとも必要なシューターとなるべくシュート力を鍛える道を選んだんだからな」
聞いて、つかさは息を呑んだ。
自身の知っている限り、神は部活時間外に毎日毎日何百本というシュートを打ち続けている。そうしていまやシュート成功率が、練習時とはいえ、7割以上というところまで来ているのだ。
センターの任務はゴール下の攻守。つかさの知る限り、センターでスリーポイントはおろかミドルレンジからのジャンプシュートさえ得意な選手はそう多くはない。神もおそらく、ほんの数ヶ月前まではスリーポイントシュートなど未知の領域だったに違いない。
「神くん……」
彼は、諦めなかったんだな、と思うと無性にいたたまれなさがこみ上げてきたが、グッと唇を噛みしめてフルフルと首を振るった。
自分は、限界まで頑張ったはずだ。あれ以上は無理だった。
『女の子なんだしさ』
そうだ。そもそも神とはまず性別が違うのだから比べられることではない。が──、挫折を味わった直後にまたボールを持つという事がなかなかに厳しいというのは嫌というほど知っている。
あんなに穏やかそうな人なのに、強いんだな。と漠然と思い浮かべて──つかさは食事に呼ぶ叔母の声に切り替えたように返事をした。