Ace of Aces - スラムダンクの続き -   作:こうやあおい

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第32話

「3、2、1──!」

「勝ったあああああ!!」

「つかさーー!!」

 

 

 歓声がいたいほどに周囲を覆った。

 エースを取り囲む選手達。弾けるような笑顔と飛び散る汗。

 熱狂と高揚感が襲い、まるで観客席の中心で試合を観ているかのような錯覚さえ覚えて視界が白んでくる。

 次いで、いやにリアルな電子音が脳内を侵し──、電子音? とはっきりと意識した次には、ピピピピピ、と断続的に響いてくるそれを止めるために、無意識にベッドからにょきっと長い手を出して覚まし時計のアラームボタンを正確に叩いた。うっすらと視界に映る時計の針は、午前7時を指している。

「……んー……」

 夢、か。と仙道は半開きの瞳のままムクッとベッドから大きな身体を起こした。

 ガシガシと頭を掻いてあくびをしつつベッドを出て、洗面所にのろのろと入って眠気覚ましも兼ね勢いよく顔を洗う。

 キュッと蛇口を締め、鏡を覗き込んで映る自分の瞳をジッと見据えた。

 目覚める直前、夢の中でつかさの試合を観ていた、ような気がする。少なくとも、圧倒されるような高揚感だけははっきりと覚えている。夕べ、ビデオでつかさ達のミニバス時代の試合を観たせいだろうか?

「エース・オブ・エース、か……」

 諸星や、つかさの選手時代を知る人間が思う「牧つかさ」がどんなものか、理解はした。

 チームの中心で、圧倒的なエース。頼もしくて、強い。エースフォワード。が──。

 ふぅ、と仙道は息を吐いた。今日の練習は午後一時から。けれども、行かなければ。と、手早く着替えて朝食を済ませると、軽く浜ランをこなしてから9時には学校へ向かった。

「お……?」

 校庭を横切れば、ダム、ダム、と聞き慣れたボールの音が体育館の外まで響いてきている。さすがに朝から自主練習に来ている部員がいるとは思わなかった仙道は少しだけ目を見開いた。

 ひょいと扉の隙間から中を伺うと、淡々と越野がミドルシュートの練習に励んでおり、反対側のハーフコートでは植草と菅平がポストプレイの練習をしていて仙道は目を瞬かせた。

「あいつら……」

 さすが熱血・真面目な我が陵南。と、呆れるやら感心するやらで少しだけ肩を揺らすと、仙道はいったん部室へ向かって着替えてすぐに体育館へと戻った。が。

 よう、と声をかけて体育館へと入ると、一斉に全員が手を止めて、まるで珍しいモノを見るようにこちらを凝視してきた。

「せ、仙道……!?」

「仙道さんッ!?」

「あれ、仙道。今日は午後からだぞ?」

 想定内の反応ではあるが、仙道としては苦笑いを浮かべるしかない。

「うん、まあ……。夏に向けて、時間はいくらあっても足りねーしな」

 言えば、3人は益々硬直し──、しばらくして越野は肩を震わせて拳を握りしめた。

「よく言った仙道! それでこそキャプテンだ! オレ達の目標は全国制覇! 諸星さんにもそう約束したんだからな!」

 するとさっそく苦手なノリが始まってしまい、仙道は「やれやれ」と肩を竦めた。

 

 2月の第一土曜。外は寒風が吹き、例年通りの寒さだ。

 

 2年生は部活に精を出し、3年生は受験まっただ中で修羅場中。とはいえ、海南は附属校だけあって受験とは無縁だ。

 仙道が越野達と自主練習に励んでいる頃、つかさは寒空の下でボードを抱えて海に出向く紳一を見送って、いっそ感心していた。

 目下の紳一の日課は運転免許取得のために平日は教習所通い、休日は波乗りだ。

 ある意味、バスケ部という重労働から解放されて残りの高校生活をエンジョイしているとも言えるが──、遊びほうけて期末の成績が落ちないように見張ってないと、と妙な義務感に捕らわれつつ、つかさ自身は日中は自宅学習に精を出して夕方頃に家を出た。

 日も落ちてくるといよいよ肌寒い。湘南の海は比較的暖かいとはいえ、海からの風はよりいっそう身体を冷えさせるには十分で、つかさは髪を覆うようにしてマフラーを巻き直した。

 江ノ島を越えればサーフィンをしている酔狂な人間はほぼゼロに近くなる。しかし漁港のそばにはぼちぼち釣り人も見受けられ、つかさは思わず頬を引きつらせた。

 仙道に言わせれば釣りは奥が深いらしいが、さすがに寒そうだな、と横目で見つつ砂浜に降りてみる。

 夏であれば灼けて熱い砂浜も、いまはひんやりとしていることだろう。普段ならば砂浜を歩けば靴の中が砂まみれになるが今日はブーツで良かった、と砂に沈み込む感覚を覚えながらゆっくり砂浜を歩いていく。

 波の音が心地良い。うっすらと空が薄紫に変わり始めるこの時間帯は、湘南がもっとも美しい瞬間の一つだ。

 陵南高校のそばまで来れば、もう人影は見あたらない。本当にこの場所は陵南の生徒にとっては、時に勉学さえ妨げる魅惑の場所に違いない。

 

「お疲れーっす!」

「お疲れさんでしたー!」

 

 一方の仙道は、自主練習含めて朝っぱらから一日がかりの部活が終わって、ふぅ、と肩で息をしていた。

 チラリと周りを見やると、越野たちはさらに残って練習する気らしい。

「越野、植草。ワリぃ、先にあがる」

「は……? あ、ああ。お疲れ」

 言えば、二人ともキョトンとした顔を浮かべた。普段、あまり居残りしない自分があろうことか断りまで入れたため驚いているのだろう。

「あ、仙道!」

「ん……?」

「明日は10時からだよな?」

 すると越野が確認するように聞いてきて、仙道は瞬きしてから頷きつつニコッと笑った。たぶん、彼らは明日も早朝にはこの場に集合するんだろうな、と思いつつ「じゃーな」と手を振って体育館をあとにする。

 自分も居残って練習するべきなのだが。今日は生憎とつかさと会う約束をしている。が、それもたぶん今日限り。もうしばらく会う時間はとれなくなるだろうな、と思うと気持ちが逸り、急いで着替えるとコートを掴んで学校をあとにした。

 坂を下りつつ、どこか緊張してしまうのは、今日限りオフはいっさい返上でバスケに本腰を入れようと決めたからだろうか? それとも、と夕べ観たビデオを脳裏に過ぎらせる。──圧倒的なエースの後ろ姿。諸星たちのヒーロー、「牧つかさ」。

 いやというほど思い知った。選手としての彼女がどれほどの実力であったかは。けれども。と坂を下って踏切を越えると、浜辺に見知った後ろ姿が映って仙道は雑念を払うように声を弾ませた。

 

「つかさちゃん!」

 

 お待たせ、という声につかさが振り返ると、自分より20センチ以上大きな人影が常の笑みを浮かべて浜辺に降りてきており、つかさもパッと笑みを浮かべた。

「仙道くん!」

「よう。ごめん、待たせたよな。もしかしてずっとここに立ってた?」

 すると心配げに顔をのぞき込まれて、つかさは瞬きをした。唇でも青くなっていたのだろうか。「大丈夫」と思わずマフラーで隠してしまう。

「せ、仙道くんこそ……寒くないの? 薄着だけど……」

「ん? オレは平気」

 いかにも部活あがりという出で立ちで、学ランにトレンチコートを羽織っただけの仙道は大きな身体で笑った。そうしながら彼は、あ、と思いついたように言う。

「うん、でも……やっぱちょっと寒いかな」

「え……ッ!?」

 言って腕を引かれたかと思えば、大きな胸に抱き寄せられてすっぽり包まれ、つかさは肩を竦めた。頭上では仙道がなにやら満足げに笑みを漏らしている。かと思えば少々不満げな声を漏らした。

「コートごと抱きしめても、あったかいかわかんねえな」

 波の音が聞こえる。部活のあとだからか、仙道の体温のほうがよほど暖かい。やっぱり大きいな、などとぼんやり思いつつ顔をあげればふと仙道と目があって──ふ、と仙道が口の端をあげたものだから、つかさはパッと顔を背けた。

 しまった、と思う間もなく疑問を寄せられて仙道の下でバツの悪い顔を浮かべる。

「……なんでもない……」

「もしかして、照れてる?」

 今さら、とカラッと笑いながら続けた仙道をバツの悪い表情でジトッと睨むように見上げてから、つかさはフイッと仙道から身体を離した。図星だからタチが悪い、と海の方を向いて水平線へと視線を投げる。吹き抜ける風は冷たく、寄せては返す波の音さえ冷たさで凍えるようだ。

「さすがにちょっと冷えるな。牧さんってこんな日もサーフィンやってたりすんの?」

 言いながら仙道は、そばに落ちていた大きな枝に座るよう誘導して、腰をおろしながらつかさは頷いた。

「朝から張り切ってでかけてた……」

 すると、おお、と仙道は驚いたような声を漏らす。

「さすが牧さん、だな。オレにはちょっと無理だ」

「この寒い中で釣りできる人も似たようなものだと思うけど……」

「けど牧さん、大学ではバスケしねえの?」

「分からない。でも、大学でも続ける人って意外と少ないのかも……、神奈川だけでも有力だった選手も何人も引退してるし。あ、三井さんは続けるみたいだけど」

「湘北の?」

 うん、とつかさは頷き、ちらりと仙道を見やる。この人は、将来の進路などは考えているのだろうか?

「仙道くんは……? 仙道くんも、深体大行ったら喜ぶと思うよ。大ちゃんが」

 とたん、仙道は声をこぼして笑った。

「うんうん、言ってた言ってた。お前はオレを裏切らねえよな!? とかって」

 肩を揺らす仙道を見てつかさは肩を竦めた。いかにも諸星らしい。

 けど、と仙道は立ち上がって近くに落ちていた小石を手に取る。

「大学で続けるかは……、分かんねえな……」

 言って小石を遠くに飛ばした仙道は、言葉を続けようとしたのか唇を少しだけ動かし、そして飲み込むようにして小さく首を振るった。

 天才と呼ばれている仙道──、最終学年を前に、すでに将来をほのめかす話はされていてもおかしくはない。しかし、その「迷い」を他人に見せることはしないだろう。それはちょっと、寂しいな、と思いつつつかさも立ち上がる。

「うん、いいと思うよ。続けても、止めちゃっても。仙道くんがしたいようにすればいい」

 言うと、仙道は意外だったのだろうか。少し目を見開いて、そして小さく微笑んだ。

「つかさちゃんは? やっぱ、北米行くのか?」

「え……!? ど、どうかな……たぶん、そうなる、かも」

「オレも同じトコ行こっかな……」

「……ホントに、本気……?」

 軽く言う仙道に訝しげに返せば、ははは、と仙道は笑って誤魔化し、伸びをする。相変わらず、どこに本心があるのかさっぱり分からない。

「腹減ったな……」

「ちゃんと食べてる?」

「んー……、まァ適当に。部活のせいか洗濯物の量がハンパねえから、食事までちゃんと作んのちょっと面倒なんだよな」

 いくら一人暮らしとはいえ、まだ高校生の仙道では手が回らないこともあるだろう。はやくも独身サラリーマンのような苦労を味わっているのは同情に値する、が。

「つかさちゃん、オレと一緒にいたらやってくれる?」

 メシの準備とか、とふられてつかさは少々眉を寄せた。

「なんで私……?」

 意図が読めずに言うと、仙道はきょとんとした顔を浮かべた。さらにつかさが眉を寄せると、さもあっけらかんと言う。

「え、だって、オレは稼いでくる係だしな。オレ、たぶんけっこう稼ぐようになると思うぜ」

 今は無理だけど、と続けられてつかさは予想だにしなかった言葉に開いた口が塞がらない。気が早いとかどうとか、そういうのを通り越して──最終的につかさは脱力した。

「そういうことなら、私だって稼ぐよ! なんのために勉強してると思ってるの」

 するとなお仙道はキョトンとして、あー、と頭を掻いた。

「そっか……。うん、じゃあオレもやらねえとな。まあ、なんだかんだ慣れてるから平気だろ……」

 話が飛躍しすぎている。大学受験の話をしていて、なぜ大学卒業後の将来設計にまで話が飛ぶのだろう? これはマイペースというより、もはや天然の部類かもしれない。バスケット以外でどこか「抜けている」彼は、紳一と少しだけ似ている。仙道曰く自分は諸星と似ているらしいが、仙道は明らかに紳一タイプだな、と思う。それも諸星が彼を気に入った理由だろうか、という考えに至ってつかさは大きなため息を吐いた。

 もはや仙道の将来設計に自分が組み込まれていて嬉しいという感想すら出てこない。

 互いの息が白くあがって、ふ、と仙道は息を吐いた。

「寒ぃな……、そろそろ行く?」

「え……?」

「オレんち」

 さも当然のように手を差し出され、つかさは少しだけ息をつめた。そして僅かに目をそらす。

「んー……、どうしようかな」

「なんで? もう帰りたい?」

 軽く笑われてつかさは数秒間じっと仙道を睨みつつも、結局はその手を取った。ふ、と仙道が微笑み、自然とそのまま指と指を絡ませるようにして握る。

 こうなるとすっかり仙道のペースで、なんだかちょっと悔しい気もするが、やっぱり心地よくてつかさも仙道に身体を寄せて小さく微笑んだ。

 

 いつもと変わりのない、いつもの週末だ。

 仙道自身、自分のバスケに割く情熱を「熱心ではない」と自覚しているとはいえ、あくまで「バスケ狂」と比べての話であって、一年を通して一応は人並みに部活をこなしている身である。

 学校の違うつかさとは、週末くらいしか会う時間は取れないし、週末も部活の丸一日ない日などあり得ず──時間を見つけて釣りしたり、部屋でゆっくりするくらいしか出来ることはない。だが、もしも「バスケ狂」のまねごとをしようと思ったら。結果を出すまでは会うわけにはいかない。と、夕べビデオを観て覚悟した。自分自身のことはある程度理解しているつもりだ。中途半端な覚悟だったら、きっと楽な方へ流されてしまう。自分は、諸星や神ほどには強靱な精神力を持ってはいないのだから、と無意識に繋いだ手に力が籠もった。

 

 ハイ、と仙道は部屋のテーブルにコーヒーの入ったマグカップを二つ置いた。

 ありがとう、と笑ったつかさに笑みを返しながら思う。

 冷えた手を暖めるように両手でマグカップに手を添え、蒸気と部屋の暖気が彼女の頬をうっすらと赤く染めている。

 可愛いな、と彼女を見て思うのは欲目なのだろうか? 夕べ、ビデオで観たつかかさは確かに「少年」ぽく勇ましくはあったが、「ヒーロー視」されることを彼女は望んでいるのか? と少々凝視していると、つかさは少しばかり眉を寄せた。

「ど、どうかした……?」

 いいや、と首を振って、仙道は手を伸ばすとつかさの身体を自分の方に抱き寄せて、後ろから抱え込むような体勢を取った。

「わ、ちょ、ちょっと……」

「んー……、つかさちゃん、可愛いなと思って」

「え……、な、なに……」

 そのまま首筋に顔を埋めると、つかさはくすぐったそうに身体を捩った。柔らかい。やっぱり、女の子、だ。いくら諸星の中で、未だに彼女が「ヒーロー」でも。いくら彼女が「男の子になりたかった」と望んでいたとしても。自分にとっては──。

 男だったら良かった。というのは、きっとつかさだけではなく、諸星も、紳一もそう思っていたのだろう。いや今でさえ彼らは「もしも男だったら」という幻想を捨て切れていない節があるのだ。

 勘弁して欲しい。こんなに、彼女が女の子で良かったと思っているのに。と、仙道はつかさの髪を撫でながら頬にキスした。

 たぶん、今は、つかさもそう思ってくれていると──思いたい。

 やっぱ、手放したくねえな、との思いがつかさに触れながら脳裏を掠めた。結果を出すまでもう会わない、などと。何よりもバスケを優先するなどと。果たしてできるのだろうか? 考える身体が徐々に熱を持って、仙道は夢中でそのままつかさの身体を抱きしめた。

 

 

『ぜったい、男なんかより女の子でよかった、って思わせてやるって』

 

 少しだけ、今日の仙道は様子が違う気がする。と、意識の奥で感じながらつかさは以前に仙道に言われた言葉をぼんやり浮かべていた。気怠い身体で答えを探していると、遠くで呼ばれた気がして重い瞳をあけた。

 

「寝てた……?」

 

 うっすら瞳をあけると、ぼんやりと視界にシャワーを浴びてきたような出で立ちの仙道が上半身を晒して立っていて、つかさはゆっくり瞬きをした。

 いつものハリネズミ頭がしゅんと迫力を失っていて、ともすれば別人に見える。

「見慣れないなぁ……仙道くんが髪おろしてるところ……」

 呟くと、ははは、と垂れた前髪の隙間から覗く垂れ気味の瞳が笑った。

「似合わねえ?」

「んー……、いつものほうが好き、かな」

 そっと仙道の手が額から頬を優しく撫でる。つかさはくすぐったさを覚えつつもその手にそっと自分の手を添えた。

 改めて、大きな手だな、と思う。なんて自分と違うんだろう。大きな身体も、なにもかも。今までは受け入れがたかったその違いが、今はとても心地よく思えている。──すっかり変わってしまった自分さえ、不思議と嫌悪感はなく、ただ心地いい。

「ん……?」

 どうかしたのか、と優しく聞いてきた仙道へ向けて、つかさも小さく笑みを向けた。

「ん……、大きいな、と思って。仙道くん」

「え……」

 すると仙道は少しばかり目を丸め、次いでつかさの方に体重を乗せて至近距離でつかさを見つめた。

「"大きい"って、なにが……?」

 ギシッ、とベッドが軋み、つかさがあっけにとられる間もなく唇が首筋に降りてくる。

「ちょっ……なに、言って……ッ」

「なんだ、誘ってんのかと思ったのに」

「そんなわけ──ッ」

 なにを言ってるんだ、と反論しようとしたところで唇がふさがれて言葉がとぎれた。身動きを取ろうにも、それこそ仙道の大きな身体が邪魔して叶わない。

「んッ……ッ……」

 仕方なしに、そのまま覆い被さってきた仙道の背に腕を回して受け入れる。水がまだ引いていない身体はしっとりしていて、鍛えられた背中に触れる感触が心地いい。

「ちょ……、と、仙道く……ッ」

「ん……?」

 そのままつかさの身体を覆っていたタオルケットを剥いで胸元に唇を移動させてきた仙道の頭を抱いて、つかさは訴えた。

「お、遅くなる、から……」

「ちゃんと送ってくって。てか、いっそ泊まってけばいいんじゃねえ?」

 明日、日曜だし、とサラッとそんな事を言いながら止める気配のない仙道に、なおつかさは訴えた。

「ぜ、ぜったいむり! 外泊なんて──」

「今さら……」

「そ、そういうことじゃないの!」

「まあ、牧さん激怒するだろうな……。こんなこと知ったら」

 う、とその発言に喉を詰めたつかさとは裏腹に、仙道はほんの少し、愉悦が声に混じっていた。──シャレにならない、と考える間もなく舌先が胸元を這って、仙道の長い指が下腹部に伸びてきて、つかさの思考はとぎれた。

「ちょ……んッ……ぅ」

「つかさ、ちゃん……ッ」

 仙道の低い声が掠れて息が混じっている。昂揚を湛えた艶のあるそれに、つかさは逆らえずに──、やっぱり今日の仙道は変だ、と考えることさえ叶わない。

 

 

「送ってくって」

「いいよ。電車使って帰るし、平気」

「いーや。送ってく」

 

 結局、つかさが仙道の部屋を出る頃にはすっかり遅くなり、仙道はしきりに遠慮するつかさを押し切って二人で外に出た。

 海岸線に出ると相変わらず波の音が耳を掠めて、二人分の白い息が暗闇に静かに溶けていく。芯から冷える寒さだったが、まだほてっている身体にはこれくらいでちょうどいい。

 星が綺麗だ。明日は晴れだろう。

「浜ラン日よりだろうね、明日」

 するとつかさがそんな事を言い、仙道は笑った。

「明日の部活、朝から?」

「うん。たぶん一日中」

 言いながら、仙道は遠くに目線を投げた。

 どう説明したものか。練習に集中したいからしばらく会えなくなる、など。でも、こうも名残惜しく感じてしまうのは自分だけなのでは? とも思ってしまう。現に、一歩一歩、駅が近づいてくるのさえ憎らしいのだから。と、仙道はグッと繋いでいた手に力を込めると、ちょうどそばにあった脇道の角へつかさを引っ張っていき、ブロック塀につかさの背を押し当てた。

「え……ッ」

 つかさが驚いて目を見開く前に、奪うように強引につかさの唇に自分のそれを押し当てた。

「んッ……んん……っ」

 そのまましばらく貪るように何度もキスを繰り返して、ようやく唇を離すと仙道は熱い息を吐いた。

「せ、仙道……くん……?」

「帰したくねえな……」

 ぼそりとつかさの耳元で呟くと、ピクッ、とつかさの身体が撓った。

「え……?」

 つかさが胸元を少し押し返すようにして力を入れ、こちらを見上げてきた。

「ど、どうしたの? 今日の仙道くん、なんか、変……」

 やや困惑気味の瞳と目が合い、仙道は僅かに眉を寄せた。こういう時、諸星だったらきっと迷いはしないだろう。いや越野達とて、あっさりさっぱり「目標は全国制覇! だから部活頑張るぜ!」と宣言できるに違いない。だが、自分はやはりその手の類はどう足掻いても苦手だ。

 それに、やはり「会えない」と言い渡すのは、抵抗がある。なにより、自分自身が望んでいないのだし。と自分自身にみっともない、と思いつつも、なんとか言葉を探して懸命に唇を動かす。

「夏に向けて、いい加減エンジンかけねえと間に合わわねえ、って思ってさ……」

「え……?」

「だから、しばらく……、部活に集中しようって思ってんだ」

 ただでさえ練習の空き時間に会えるのは週末のみで。その時間さえも部活に費やすとなれば、会う時間が取れないのは自明だ。いや、こうして会ってしまえばバスケのことなど頭から飛ばすのはあまりに簡単で、部活に集中するためには会わないという選択肢しかない。

 ただ、それはあまりに自分の都合を最優先しすぎているというのは分かっているし、そもそも自分自身が辛いのだが。と、つかさに告げると、一度瞬きをしたつかさは──仙道とは裏腹にパッと明るく笑った。

「う、ううん! ぜんぜん平気。仙道くんがバスケット頑張ってくれるの嬉しい!」

 声さえも弾んでおり、仙道としては面食らうしかない。

 自分はけっこう、断腸の思いだというのに──。「寂しい」よりも「嬉しい」の感情が先にきたのだろう。「仙道彰」より「バスケット選手の」仙道彰を気に入ってくれた彼女らしいとも言える。が、あまりに予想外の反応に対応できずにいると、つかさも不味いと思ったのか視線が宙を泳いだ。

「あの、その……。私、バスケットしてる仙道くんも好き、だから」

「……"も"……?」

 聞き返すと、うん、とつかさは頷いた。

「で、でもね、私……バスケットしてなくても、例え365日、釣りばっかりしてても仙道くんが好き」

「え……」

「その……えっと、バスケ選手だからじゃなくて、仙道くんが好きなの。だって、こうやって仙道くんといるの……やっぱり、嬉しいし」

 だんだんとつかさの目線が降りてくるも、つ、と思わず仙道は息を詰めていた。バスケ選手じゃなくてもいい? そんな風に言われるとは思ってもみなかったものだから。と息を呑んでいると、「あ」とつかさは顔をあげる。

「でも……! もう少しバスケット選手の仙道くんも見たいから、その、いま頑張ってくれるのはもっと嬉しいっていうか……。ようするにどっちも好きっていうか……」

 しどろもどろになっているつかさの頬を街灯が照らし、うっすら赤く染まっているのが見て取れた。ふ、と思わず笑みを漏らした仙道は無意識に安堵を覚えたのか、ははは、と控えめに声をあげて笑った。するとつかさが顔をあげ、仙道は目尻をさげた。

「そっか、うんうん。……分かった」

「仙道くん……」

「サンキュ」

 そのまま手をつかさの頬に滑らせて、髪を指に絡ませながら額に軽くキスを落とした。するとつかさが緩く笑みを漏らし、仙道も笑ってじゃれ合うようにつかさの身体を抱きしめて唇を頬から耳元に滑らせた。

 くすぐったそうに身体を捩るつかさを腕の中に閉じこめて思う。やっぱり帰したくないな、と。

「つかさちゃん……」

 コツン、と額と額を合わせれば、「なに?」と甘く返してくれて仙道は焦れるように囁いた。

「やっぱ今日、泊まっていかね?」

 が。瞬間、いつものようにジト目で睨みあげられて、ははは、と誤魔化すように自嘲した。

 

 この、腕の中の少女がかつてそうだったように。

 いや、それ以上の選手──エース・オブ・エースに。なってやると宣言するのはガラではないが。ならなければならない、という覚悟を仙道はもう一度胸の内にきつく刻んで小さく頷いた。

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