……まあ、いいか。
のっしのっしと、巨大な怪物がゆっくり迫る。
牛の頭と人間の体。
すなわち、
彼らは《トーラス族》と呼ばれる種族で、ここ、迷宮区の住人という設定らしい。
……とはいえ。
流石に上半身裸はどうなんだろう。
まだ第二層なのに、凄く危ない匂いがする……
「男女1:2が獣臭い獣人と鉢合わせとか、どこぞの
まあ、ご主人様が護ってくれるので全然心配してませんけど」
「それ、フラグだと思うぞキャスター」
「では逆バージョンで。私がご主人様を御守りしましょう」
キリッとキメるキャスター。
やだ、この駄狐かっこいい……
かっこいい……けど……
「……ごめん、それもフラグだと思う」
「どちらにせよゲームオーバーですか。まあ、それが
のんびり雑談している間にも巨大な怪物―――――《レッサー・トーラス・ストライカー》は徐々に接近してくる。
両手には巨大なハンマー。
その破壊力は大体想像がつく。
“動きは遅いけど攻撃力が高い”
そういうモンスターなのだろう、きっと。
「はいはい、雑談はそこまでね。気を抜いてると、本当にそういう展開になっちゃうわよ」
遠坂は両手にグローブを嵌め、一歩前に出た。
「おや凛さん。以前までの、“れいぴあ”とやらはどうしたんです?」
「そのへんの武器屋で売った。このグローブはそのお金で買ったの。
なんでも、素手での攻撃力が少しだけ上がるらしいわ。ここは剣の世界だから、序盤でわざわざ買う人は少ないみたいだけど」
グーとパーを繰り返し、遠坂はグローブの感触を確かめている。
プレイヤー『Rin』は先日、素手での攻撃スキル《体術》を会得した。
装備品によって強化された《体術》スキルの力を、彼女はここで試すつもりなのだろう。
「じゃあ―――悪いけど、今回だけ好き勝手やらせてもらうわ。万が一の時のサポート、頼める?」
「ああ、分かった」
「そ。じゃあよろしく……ね――――ッ!!」
同時に遠坂は、前方へダッシュする。
――――速い。おそらくは自分よりも。
どうやら《体術》のスキルは、身体能力にもある程度補正が掛かるらしい。
「ブルモォォォォ―――――!!」
雄叫びと共に、《レッサー・トーラス・ストライカー》はハンマーを構える。
だが遥かに遅い。
まるでウサギとカメだ。
ソードスキルを放つより速く、武器を構えるより速く、遠坂の拳が胸板に突き刺さる。
「はっ――――……!!」
単発突き攻撃、《
何のことはない、一撃限りの拳撃。
だが装備したグローブ、スキルという補正を得た一撃は、たとえ素手であっても絶大な威力を発揮する。
「ブ……モォォ―――――ッ!!」
本来なら、ここでよろめくなり怯むなりしたかもしれない。
だが牛男は止まらない。
速度は鈍ったものの、停止することなくハンマーを振り下ろす。
「―――――!」
しかし、彼女には視えていた。
軌道を瞬時に把握し、最小限の動きで回避。
直後、遠坂は懐へ急接近し、再び拳を叩き込む。
―――――八極拳。
暗殺者のサーヴァント・李書文も使っていた中国拳法。
その理念は、“八極に達する威力で敵の
ゲームの世界である以上、遠坂の攻撃一つ一つはそこまで強力ではない。
しかし彼女には、レジスタンスとして幾多の戦場を駆け抜けた経験がある。
故に。
その力量は、岸波白野を軽く超える。
八極拳をメインに据え、ところどころ《体術》スキルを組み合わせた動き。
……その連携に、正直惚れ惚れした。
こうして見ているだけでも、《レッサー・トーラス・ストライカー》のHPはみるみる削られていく。
「ブモオォォォ――――!!!」
レッサーは怒りに任せ、両手のハンマーで横凪に払う。
直後、遠坂の体が沈んだ。
巨大な武器をぶん回すレッサーには消えたように見えただろう。
彼女は両手が床に付くまで屈み―――――とんでもない足払いを放った。
《魔術》によって強化された旋脚は、ヤツの両足を砕かんばかりに炸裂する。
「――――!!?」
足を払われ、巨体が体勢を崩す。
だが、まだ終わらない。
回転する勢いはそのままに、遠坂は浮いている牛男の腹部に向けて再び《閃打》を発動する。
「飛べ……!」
「ブモッ―――――!!」
いいクリティカルが入ったのだろう。
巨体を誇るはずの牛男は、腰の入った正拳突きによって大きく吹き飛ばされた。
「……最近の
あれ、護身術ってレベルなんだろうか。
自分には、迷宮区のモンスターを息一つ乱さず手玉にとってたように見えたのだが……
……遠坂凛にはソードスキルは全く必要ないように思えてきた。
どうサポートすればいいのかも分からないし。
「何はともあれ、あっという間にHPも残り僅か。ラクなのはいいことです。ご主人様とこうしてノンビリできますし」
『――――――――――』
ぴと、と擦り寄ってくるキャスター。
から巧みに逃げる。
……気のせいかもしれないが。
ここ最近のキャスターは、以前よりも軽めのスキンシップが多くなった気がする。
「あぁん。もう、照れ屋ですね、ご主人様は♥」
「…………」
『――――――――――』
「…………ん?」
「どうかしましたか?」
「いや――――」
得体の知れない……悪寒を感じた。
不安、あるいはプレッシャー。
そんな、“何かが現れる”ような感覚。
……いや。それはないだろう。
ここら一帯の迷宮区は、大体は踏破されたエリアだ。
最前線で戦っている攻略組は今もなおグングンと進軍しており、自分達は残り物を漁っているだけに過ぎない。
そんな場所で―――――何かが―――――
『――――――――――■■』
「―――――ぁ」
電流のような戦慄が走る。
長いあいだ経験していなかった、しかし慣れた感覚。
これは―――――
『ブモオオォォォ―――――!!』
「ご主人様っ!」
「な……!」
キャスターの目つきが変わる。
視線の先には、先ほど遠坂が吹き飛ばしたモンスター。
すなわち、《レッサー・トーラス・ストライカー》……だったモノ。
「え……?」
外見が変わっていた。
牛頭人身の最大の特徴とも言える、頭部が。
牛であることは間違いない。
だが、違っていた、明らかに。
生々しくリアルだった牛の顔が一転、電気的なデザインへと。
ところどころ青いラインが入った、黒い鋼のような顔。
そして……なにより印象的なのは、大きく逞しい、青い角。
表示名は―――――《BLOODLESS》
……覚えがある。
これは、サクラ迷宮でも現れたエネミー……!
「Pi―――――ブルモオオ■■■―――――ッ!」
機械音と咆哮が混ざった声(おと)が響く。
その後、ブラッドレスは両手用のハンマーを、
標的は当然、遠坂凛……!
「っ……くっ!」
ついさっきまでとは段違いの速度。
しかし僅かに遅れたものの、遠坂はその攻撃に反応した。
―――――が、完璧に回避することは叶わなかった。
かすっただけにも関わらず、プレイヤー『Rin』のHPが減少する。
ウサギとカメ。どうやら、そのたとえは正しかったらしい。
遠坂は距離を取ろうとするが、ブラッドレスはそれを一瞬で詰める。
パワーとスピードが、変化する前よりも数段強化されている。
このままでは冗談では済まない……!
「キャスター!」
「はい!―――――氷天よ、」
キャスターに指示を出し、同時に全力で駆けた。
“呪相・氷天”がヤツの動きを止めるのが先か。
岸波白野が遠坂凛の盾になるのが先か。
ヤツのハンマーが遠坂凛を抉るのが先か。
―――――だが。
それらは全て、間違っていた。
「―――――やれやれ。相変わらず詰めが甘いな」
「え……?」
遥か後方。
三人の視界の外から、そんな呟きが聞こえてきた。
「――――!」
それに最も早く反応したのは、ほかならぬキャスターだった。
呪術を放つより早く、声がした方向へと振り返る。
――だが、それでさえ遅い。
魔力が放たれる。
それが、一瞬にして自分達を追い越し―――――ブラッドレスが持つハンマーへと着弾する。
遠坂に当たる直前、ハンマーはガラス片へと姿を変え、青い光と共に爆散した。
これは確か、《
構造が脆い位置に攻撃されるか、耐久値が尽きた時に起きうる現象。
……耐久値が尽きたとは考えにくい。
とすると今のは、武器破壊が起きる場所をピンポイントで狙撃した、ということになる。
「―――――
振り返った時には既に、その男は剣を構えていた。
遥か遠く。
視認するのがやっとの距離で―――――
――――剣を、
「食らいつけ―――――“
真名解放と同時に、矢を放つ。
音速の魔弾が飛来し―――――赤い閃光は、ブラッドレスの脳天を貫いた。
黒々とした風穴が空くと同時に、エネミーは一切の行動を停止。
やがて、先程のハンマー同様ガラス片と化し、砕け、散っていった。
◆
ギリギリ視認できる場所で、弓を構えている男。
頭上には小さくプレイヤー名が表示されている。
その名は……“Archer”。
……思わず身構える。
理由は、以前教会で見せてもらったクエスト名。
内容が一切不明、第一層で貼られていたにも関わらず、未だに誰ひとりとて攻略出来ていないクエスト。
……『アーチャー』と読める名前。
赤い外套。
その姿はまさに、“赤い弓兵”と呼ぶに相応しい――――
男は遠距離からこちらを一瞥して……無事を確認した後、そのまま迷宮の奥へと進んでいった。
まるで、次なる標的を求めるかのように。
「…………ふう、ようやく行きましたか。
申し訳ありません、気づくのが遅れました。お叱りは後ほど、迷宮を抜けてから」
構えを解き、キャスターが申し訳なさそうに謝罪する。
……それは自分も同じだ。
サーヴァントの気配はマスターにも感じ取れる。
視認できる距離まで来て分からなかったのは、自分にも責任がある。
「気づけなかった……ということは、気配遮断のスキルか。
だとするとアサシンってことになるけど……」
「弓、持ってましたね」
「ああ……いや、そもそも、本当にサーヴァントなのか……?」
「さあね。けど、普通のプレイヤーじゃないのは確かよ」
モンスターが消滅した場所から戻ってきた遠坂が言った。
HPゲージは減少していたが、それだけらしい。
厄介な状態異常にはなっていないようだ。
「さっきの攻撃は明らかに普通じゃなかった。もしサーヴァントじゃなかったとしても、
気づけなかったのは、礼装なりスキルなりで
「……情報が足りない。
サーヴァントなのか、それとも“アーチャー”という名前に設定した
魔力を感じたから、自分達と同じイレギュラーであることは間違いないだろうけど……
「いいえ十分よ。少なくとも、あいつを追いかけるにはね」