「く……オオォ!」
敵の野太刀に合わせ、ソードスキル『スラント』を発動させる。手にした剣は独特のエフェクトを帯びたあと、勢いよく野太刀と衝突した。
タイミングは完璧。野太刀による攻撃が相殺され、両者の武器は共に大きく弾かれた。
だが、ここで地力の差が現れる。
イルファング・ザ・コボルドロードはフロアボスであるのに対し、自分はハクノという一人のプレイヤーに過ぎない。
攻撃を相殺しスタン状態にしても、敵は無傷であるのに対し、こちらは少なからずダメージを受けている。
そしてスタン状態から回復する速度もまた、敵の方が遥かに上。
だが、こちらは一人ではない。この小さな隙が、新たな攻撃へと繋がる。
後方からイルファングに向けて呪符が放たれた。キャスターによる追撃だ。
呪符は滑空し、両足に付着する。
直後、呪いによって作られた氷が出現し、イルファングの両足を氷漬けにした。
「―――――彫像の出来上がりです」
呪いは止まらない。
氷は確実にイルファングを侵食していく。
キャスターのレベルはマスターである自分と同じ数値にまでダウンしている。呪術の攻撃力も著しく弱体化しており、故にダメージもまた大きくはない。
しかし、攻撃の連鎖は繋がった。
体力の残りはわずか数ドット。おそらく、次の一撃で奴は沈む。
下半身の自由は氷に奪われ、回避は不可能。
「■■■■■―――■■――ッ!!」
であるならば、奴に残された手段は迎撃のみ。
最大の障害であるキャスターを惨殺するため、イルファングは野太刀を大きく振り上げた。
だが、それが振るわれることはもう無い。
「おおおおおおッ!!」
地を駆ける黒い剣士。
彼はソードスキルの光を帯びた剣を構え、イルファングに向かって突進する。
剣は美しいVの軌跡を描き、イルファングの左肩口から抜けた。
片手剣二連撃技、『バーチカル・アーク』―――――
そうして、戦いは終了した。
イルファング・ザ・コボルドロードの体力ゲージは底を付き、完全なゼロと化す。
狼に似た顔を天井に向け、短く吠えたあと、その前進にヒビが入る。
両腕の力が抜け、振り上げられていた野太刀が落下する。直後、イルファング・ザ・コボルドロードは無数のガラス片へと姿を変え、散っていった。
途端、約四十人のプレイヤー達が硬直する。
立ったまま呆然としている者。
片膝立ちの姿勢で待機している者。
周囲を見回し、怯えている者。
皆それぞれ反応は違う。しかし、一つだけ共通している事がある。
これで本当に終わりなのか、もしかしたら次があるのではないか、という恐怖。
―――――数秒後、新たなメッセージが視界に流れた。
獲得経験値。分配されたコルの額。獲得アイテム。
「……………終わった、のか?」
「終わった…………勝った?」
「勝った…………勝った! オレ達は、勝ったんだ!!」
恐怖はやがて歓喜へと変わり、フロア全体に歓声が弾けた。
叫ぶ者。仲間と抱き合う者。意味の分からない踊りを披露する者。
そんな勇敢な剣士達を視界に入れながら、ほぅと息を吐いた。
肺に溜まっていた空気と共に、体から緊張が抜ける。
画面は血のように赤い。体力は死亡寸前。だが、こうして生きている。
そして―――――
「おっとっと。ご無事ですか、ご主人様」
足から力が抜け、倒れそうになったところを彼女に支えられた。
キャスター。
岸波白野、唯一無二のパートナー。
この世界で目覚めた頃はいなかった。けれど彼女は今、確かに自分の隣にいる。
なら、死にかけた価値はあった。手を伸ばした甲斐はあった。
これだけは、胸を張って言える。
「お疲れ様」
剣を納めた遠坂がゆっくりと歩いてくる。
やがて目の前で止まり、ほら、と左手に持っていたポーションを差し出した。
「とりあえずそれ飲んで、HP回復しときなさい。今のアンタ、危なっかしくて見てらんないから」
「……ありがとう」
ポーションを受け取り、ぐいっと豪快に煽る。
レモンに似た酸っぱさが口の中に染み渡り、同時に体力ゲージが回復を始めた。
このゲームにおけるポーションは実にもどかしいもので、飲めば一瞬でゲージが回復するわけではない。
時間と共に一ドットずつ、徐々に戻っていくというシステムなのだ。
「それにしても流石はご主人様です!
えっと…………そーどすきる?とか、言ってましたっけ?
まあとにかく、お見事でした!」
「いや、そんなことはないよ」
キャスターの言葉を否定した後、チラリと彼を見る。
ラストアタックを決めた剣士。
さっきまでの戦いを見てよく分かった。自分は、どう足掻いても彼には勝てない。
彼と自分を隔てるものは経験。
そして、圧倒的な才能。
敵の攻撃を先読みし指示を出していたこともそうだが、目を見張るべきはやはり彼の剣技だろう。
死者が一人も出なかったのは、彼の働きも大きい。
「それに、キャスターだって凄かった」
「いえ、このくらいは当然ですとも。私はご主人様のサーヴァントですから。
あ、でもでも、ご褒美を下さるのでしたら喜んでいただきます!
せっかくの感動の再会なわけですし、やっぱりここはド定番! 深~い愛情を込めて、ギュッと抱き締めてください!」
頬を朱色に染めながら、これでもかと媚びる狐。
だがスルーする。彼女のこういった要求に一々相手していたらキリがない。
そんなキャスターにため息をつきつつ、それでも心のどこかで安心を覚えながら、今までの戦いで刃こぼれした剣を鞘に納めた。
その時だった。
「―――――おかしいだろ」
怒気を帯びた静かな声。
その一声が引き金だったのか、湧き上がっていたはずの歓声が徐々に静まり返っていった。
キャスターと遠坂から視線を離し、振り向く。
入口付近には、フロアボスが健在である限り無限に生まれるエネミー『ルインコボルド・センチネル』を担当していたチーム。
対しフロアの奥……すなわち“ここ”には、フロアボス『イルファング・ザ・コボルドロード』を担当したチーム。
自分達は、第一層を突破するために結成された仲間である。
だが両者の間には、見えない境界線があるようにも見えた。
「まずは、アンタ」
声を発したプレイヤー―――――軽鎧を装備したシミタ―使いはまず、止めの一撃を決めた黒い剣士を睨みつける。
「どうしてボスの使う技を知ってたんだ。あんなの、事前に配られた攻略本には載ってなかった。」
「………それ、は」
黒い剣士が言葉に詰まる。
確かに、あのボスが野太刀によるソードスキルを使うことは知らなかった。
そしてあれは、少なくとも第一層では一度も見たことのない技だった。
なら、考えられる可能性は一つ。
別のプレイヤーが黒い剣士の前まで走り出し、叫んだ。
「オレ………オレ知ってる。こいつ、元ベータテスターだ! だから、ボスの攻撃パターンとか旨いクエストとか、全部知ってるんだ! 知ってて隠してるんだ!」
そう。それは、『彼が元ベータテスターである』ということ。
しかし、驚く者は一人もいなかった。おそらく皆、彼が初見であるはずのソードスキルを見切った時点で確信していたのだろう。
でもそれだと矛盾する。あの攻略本にはこうも書いてあったからだ。
これはベータ時代の情報だ、と。
なら、彼がベータテスターだったとしても、知っている情報はあの攻略本と大差はないはず。
そう思って、二人を諌めようと声をかけた。
「……ちょっと、待っ―――――」
「お前らもだよ、『チーター』」
「っ………」
氷のように冷めた指摘が自分を硬直させた。
その視線はどこまでも冷たく、どこまでも鋭い。
その瞬間、風向きが変わった。
「え…………チーター?」
「チーターって…………あのチーター? チートの?」
「それ以外に何があるんだよ。というか、実際チーターだろ、あいつ等。」
チーターという単語に反応し、四十人のプレイヤーがざわつき始める。
だが、それもわずか数秒のみ。
黒い剣士に向けられていた明確な敵意が、今度はこちらに向けられた。
対象は、自分と遠坂凛。
『ハクノ』と『リン』。
「アンタ達だってそうだろ! 特に、そこの赤い
「…………」
シミタ―使いの男は声を荒げ、濁流のように遠坂を責め立てる。
対し、遠坂は答えない。代わりに突き刺すような視線で答える。
怯むことなく仁王立ちするその姿は、「だから何?」と言わんばかりだ。
事実、彼女は何も悪いことはしていない。仲間の命を助けたのだから、むしろ良いことをしたと言えるだろう。
しかし、こういうのは理屈ではないのだ。
能力を持たない人間が、能力を持つ人間を妬む。
……自分にも、覚えがないわけではない。
「っ……それに、お前らだって!」
遠坂の刺すような視線から逃れるように、今度は自分とキャスターに向き合った。
「爆発だの氷だのワケがわからない。まるで
チートにも程がある! なんだよ後ろのそいつは!」
男はキャスターを指差しながら、自分に向かって更に怒鳴りつけた。
だが、あの男―――――茅場晶彦の言葉が本当ならば、次の階層あたりで
それで自分たちの条件は同じになる。
しかし、「茅場晶彦と接触した」と言っても、彼らに信じてもらえるかどうか…………
「ほう。なんだよ後ろのそいつは、ですか…………ふふ、ふふふふふ。」
キャスター?
「……ふっ、よくぞ聞いて下さいました!」
「なっ……、はぁ!?」
「つまりあなた方は、私が一体何者なのか知りたいわけですね。
いいでしょう、心してお聞きなさい!」
誰よりも早く、キャスターは答えた。
遠坂同様、怯んでいる様子は微塵もない。
むしろ堂々としている。
そして何故かテンションが高い。
「―――――」
得体の知れない警報が頭の中で鳴り響いた。
キャスターのこのノリはまずい。
何がって…………なんかこう、シリアスゲージ的な物が。
だが彼女は、こちらの心配など意にも介さない。
頭の中はいつも花園。
それがキャスター。
岸波白野、唯一無二のパートナーなのだから………
「ごほん。
私はご主じ………いえ、ハクノ様の剣であり、鎧であり、従者にしてパートナー。
そう、すなわち―――――!」
カッと目を見開くキャスター。
そして―――――
「妻です!!」
キャスターはここぞとばかりに、約四十人の前で宣言した。
しかも、フロア全体に響き渡るような大きな声で。
咄嗟に四十人のプレイヤーの顔を確認する。
「…………………………」
「――――――――――」
……案の定、彼らは一人の例外もなく固まっていた。
先程までベータテスターだと指を指されていた剣士でさえ、あんぐりと口を開け、呆けたようにこちらを眺めている。
そんな彼らに対し、キャスターはかなりご満悦の様子。
一仕事を終えた後のような、清々しい笑みを浮かべていた。
…………なんという策士。
敢えて目立つ状況で妻だと宣言することで、白昼堂々イチャイチャする口実でも手に入れるつもりか―――――!?
「……………はぁ」
そんなキャスターとは対照的に、遠坂はやれやれと額に手を当て、「空気読め」と言わんばかりに首を振った。
同感です。
「……! だ、だから何だよ。アンタらがチートを使ったってことには変わりないだろ!」
だがシミター使いの男は、負けじと声を張り上げた。
彼にとってキャスターの『妻宣言』はどうでもよかったらしい。
その様子を見て、キャスターはムッと眉をひそめた。
敢えてボケに走ることでシリアスな空気を吹き飛ばし、有耶無耶にしたかったのか。
それとも、「私の話聞け」的な意味で眉をひそめたのか。
そのどちらかは、キャスターにしか分からない(棒)。
…………まあ。それは置いといて、だ。
どんな事情があったにせよ、チートを使ったのは事実だ。
チートとはデータを改変、そして、製作者が意図しない動作をさせる行為を指す。
キャスターの呪術はともかく、遠坂が使ったあの短剣は言い訳できない。
正直に言うしかないのか……
そこまで考えたところで、今まで沈黙していた黒い剣士がぼそりと呟いた。
「―――――そんなわけないだろ」
「な………なんだと………?」
剣士はふてぶてしく、そして冷ややかにシミター使いの顔を見ている。
はぁ、と大げさに溜息をついたあと、見下すように剣士は言った。
「全く、これだから素人は。ついでだし、お前らにも教えてやるよ」
「……お前、知ってるのかよ」
「当然だろ。俺を誰だと思ってるんだ。
元ベータテスター? 少し違う。俺を、あんな素人連中と一緒にしないでもらいたい」
シミター使いの男が自分から離れ、再び黒い剣士に迫る。
それに釣られ、他のプレイヤー達の注意もまた彼に向けられた。
「…………?」
黒い剣士が一瞬だけこちらを見た。
シミター使いの男に向けているような冷めた視線ではない。
一言でいうなら懇願。
『口を挟まないでくれ。俺がなんとかする。』
そう伝えているようにも見えた。
「……仕方ないわね。私たちは黙ってましょう。」
「そうですね。私も面倒事は御免ですし。」
溜息をつく遠坂と、どうでもいいと言わんばかりなキャスター。
そんな自分達を尻目に、剣士は偽りの情報を吐き始めた。
「まずは短剣の攻撃だな。俺はテスト時代、あれと同じものを見たことがある。
あれは、敵のレベルに関係なく固定ダメージ、及びスタンを与える武器だ。
蒼い着物の女の人は、期間限定の特別なクエストの報酬、使い魔だ。」
「な……じゃあ、あいつらは……」
「ああ。あいつらはチーターじゃない。ちょっと運がいいだけの“素人”だ。実際何度も死にかけてたしな。まだアンタ達の方がマシなくらいさ」
おお……なんという黒い表情。というより、ドヤ顔か。
どちらにせよ流石だ。今の彼は、『悪』に成りきっている。
いずれ彼には『黒の剣士』という二つ名が付けられるかもしれない。
「……ご主人様。アイツ、燃やしていいですか? 生意気です」
素人という単語が気に障ったのか、対抗するように睨み返す狐耳の呪術師。
その手には一枚の呪符。
いや、怒ってくれるその気持ちは嬉しいのだが、実際自分は素人だ。
だから、彼の言葉は否定できない。
「落ち着けキャスター。あれ、演技だから。な?」
「だとしても許せません。ちょーっと剣の扱いが上手いからって、何を偉そうに。
大体、余計なお世話なんです。ああやって囮になるのが格好良いとでも思ってるんですかね、あのお子様は。
自意識過剰にも程があります。たかがあの程度で、敵意が全て自分に向くはずがないでしょうに」
ブツブツと毒を吐き続けるキャスター。
が、一応は演技だと分かっているらしく、呪符はすぐに仕舞ってくれた。
再びあちらに視線を向ける。
剣士はこちらの騒ぎに気付くことなく、演説を続けていた。
「―――――でも、俺はあんな奴らとは違う。俺はベータテスト中、誰にも到達できなかった階にまで登った。カタナスキルを知っていたのは、上の層でカタナを使うMOBと散々戦ったからだ。他にもいろいろ知ってるぜ。アルゴなんか問題にならないくらいにな」
「なんだよ……それ。もはやチートじゃねえか……チーターだろそんなの!」
少し離れたところで別のプレイヤーが声を上げる。
周囲からチーター、ベータのチーター、という声がいくつも湧き上がる。やがてそれらは混じり合い、とある造語を生み出した。
「…………『ビーター』、か。いい呼び方だな、それ。」
にやりと笑みを浮かべた後、黒い剣士はこの場にいる全員を見回しながら、はっきりと告げた。
「そうだ、俺はビーターだ。これからは元テスター如きと一緒にしないでくれ」
剣士はその後、指で何やら手元を操作する。
しばらくすると彼の体が小さな光に包まれ、艶のある漆黒の革が現れた。丈はかなり長く、裾は膝下辺りにまで達している。おそらく、先程のラストアタックで手に入れた装備だろう。
ばさりとロングコートを翻し、黒い剣士は後ろ―――――ボス部屋の奥の小さな扉へと歩き始める。
「二層の転移門は、俺が
その後、黒コートの剣士は大股で歩を進め、玉座の後ろに設けられた扉を押し開けた。
その向こうに見えるのは、二層に続いているであろう螺旋階段。勝者のみが上ることを許される栄光の階段。
だがこの場にいる多くの勝者達は、その場から一歩も動こうとはしなかった。
第二層には何が待っているか分からない。
もしかしたら彼についていった後、名前も知らないエネミーに殺されてしまうかもしれない。
あるいはただ単純に、『汚い悪のビーター』に味方したくないだけか。
…………いや。
理由なんてどうでもいい。
何故なら。
「……キャスター、遠坂」
自分は、あの階段を上るのだから。
次の世界を見てみたい。
目指す理由は、それだけで十分だ。
「行こう」
「はい!」
「了解」
二人の意思を確認した後、歩を進める。
後ろにはキャスター。隣には遠坂。
不安がないと言えば嘘になる。
恐怖がないと言えば嘘になる。
けれど、この歩みは止まらない。
臆病でも、蛮勇であれ―――――
それが岸波白野の掲げる方針だ。
やがて、階段の前に辿りついた。
カツン、と音を鳴らし、階段の一段目を上がる。
そのまま二段目、三段目と、ゆっくり、しかし確実に歩を進める。
この歩みがいずれ、