教室を後にして校長室を目指す。
そこには奴、黒島が待っているはずだ。
レイが暴れてくれたおかげか、罠も見張りも見当たらない。
目の前にある校長室の扉に手をかける――
ビリッ!
ぴりっとした感覚が指先に走る。
これは、防護障壁か何かだろうか。
強力な衝撃を与えて壊すのが手っ取り早いだろうか?
まるで健司みたいな考え方だな、と自嘲気味に笑る。
しかし、特に手を出す事なくその障壁は自然と消滅した。
「入りたまえ。」
中からそう声をかけられる。
――罠だ!
脳はそう訴えている。
しかし、結局は入らなければ進めないのも事実だ。
「っ!」
僕は思い切って扉を開けた。
狭く暗い部屋の中に、大きなソファーに腰掛ける初老の人物。
市民には市長と呼ばれ、この学校の校長でもある男。
「まさか、君が来るとはな……」
大して興味もなさそうに黒島が呟いた。
「黒島……」
全ての黒幕。
この悪夢を作り出した張本人。
そして――僕を作り出した男。
「レイが来ると思っていたのだがね。」
「レイは来ない、だから僕がここにいる。」
そうだ、レイがもう戦わなくてもいいように。
普通の女の子として暮らすために。
「ほう、実験体ごときに何ができると?」
「一人の少女の夢は守れる!」
精神を集中させ臨戦態勢に入る。
「人形ごときが……」
ぐにゃり、と視界が歪む。
いや違う、空間自体が歪み始めている。
「いったい何が!」
狭いと思った部屋が歪み、形を失っていく。
息苦しさに立っているのがやっとのほどだ。
「
なんだって!
この男は、もうここまで準備を終えていたというのか!
早く止めなければ、このままレイや黒島の世界に飛んでしまう。
「ならその前に、お前を止めてみせる!」
”ウィンドカッターⅢ!”
真空の刃を黒島めがけて放つ。
「ふん……」
しかし、黒島の体に到達する前にかき消された。
この現象には見覚えがある。
そうだ、レイのあの障壁と一緒だ。
ならば対処方法も一緒だ。
間髪入れずに黒島に向かって駆け出す。
懐に入りさえすれば!
しかし、どんなに走ろうと距離は一向に近づかない。
「ふふふ……」
ふいに背後から声が聞こえた。
”マジックシールドⅢ!”
反射的に展開した障壁は、背後から迫っていた炎を打ち消した。
もし直撃していたらと考えるとぞっとする。
「どうした……?」
声は四方八方から聞こえてくる。
いつの間にかソファに腰掛けていた黒島の姿は消えていた。
――魔力の塊がくる!
”マジックシールドⅢ!”
今度は雷が遅いかかる。
再び障壁で攻撃を防ぐ。
このままでは防戦一方だ……
しかし、現状を打ち破る策が思い浮かばずにいる。
敵の姿は見えない。
部屋が更に歪み、事態は悪化する一方だ。
「ふふふ……」
黒島の不気味な笑い声が部屋中に響く。
まるで嘲笑うかのような響きに苛立ちが増す。
「くそっ!」
”ウィンドカッターⅢ!”
真空の刃を広範囲に拡散させて放つ。
しかし掠った感触はない。
「無駄だよ。」
まるで、奴がここに存在していないかのような……
いや、本当に存在していないのではないか?
心を落ち着けてもう一度思考をめぐらせる。
「……」
そもそもこの部屋におびき寄せるのが奴の目的だったとしたら――
「観念したか。」
だとすれば、この部屋から脱出しなければ。
「では――死ね!」
全方位から真空の刃が迫る。
これは、マジックシールドでは防げない――
パリン!
何かが砕ける音が響く。
空間に裂け目が出来ている。
「こっちだ!」
誰かの声がする。
僕は夢中でその裂け目に飛び込んだ。
――
―
そこは見覚えのある廊下だった。
どうやらあの空間からは脱出できたようだ。
「葉助、よかった……」
「レイ!」
声の主は僕がよく知る人物だった。
いつもの見慣れた障壁を展開したレイの姿だ。
「校舎が歪み始めて様子を見に来たら――ぎりぎりだったな。」
「ごめんレイ……」
「大丈夫、これは戦いじゃない。」
それでも僕はまたレイを危険な目にあわせてしまった。
しかし、このままでは――
校舎の歪みは着々と進行している。
それは
”……”
一瞬誰かの気配を感じて振り向く。
”……”
あぁ、彼女だ。
今まで何度も僕の前に現れた……
過去のレイの姿をした幻影。
それが今、再び僕の前に現れたのだ。
”……”
彼女はついて来いと言わんばかりに、僕達に背を向けて歩き出した。
「葉助?」
急に歩き出した僕に驚きながらも、レイが後ろをついてくる。
――たどり着いたのは2階の警報機の前。
レイの幻影はにっこりと微笑むと、警報機を指差した。
これを押せっていうのか……?
警報機のボタンへと指を伸ばす。
「葉助、何を……?」
”そう、それでいいの”
誰かの声が聞こえる。
”私が干渉できるのはここまで、あとは貴方達が……”
強く警報機のボタンを押し込む。
ガチン!
何かがはまる音。
それと同時に、音もなく警報機のある壁が消えていく。
「この先に――」
この先に――奴の本体がいるのか。
おそらく相手はまだ気づいていないはずだ。
時間もない。
「レイ――」
「断る。」
言おうとした言葉は即座に却下された。
「お前の言いたい事はわかる、けど――」
「……」
「これが最後だから――だから!」
強い意志を持った瞳。
僕はそれを、止めることはできなかった。
暗闇の中を二人で歩いていく。
無限に続くのではないかと錯覚するほどの深淵。
気を抜けば全て飲み込まれてしまいそうだ。
この闇はいつ終わるのだろう?
レイの足音と息遣いだけはしっかりと聞こえてくる。
「葉助……」
不安そうなレイの声が聞こえる。
「大丈夫、きっともうすぐだよ。」
そうは言うものの、先は一向に見えない。
どこを見ても、闇、闇、闇。
闇は不安を掻き立てる。
まさかこれも黒島の術の一つなのだろうか?
相手の攻撃はもう始まっている…?
そもそも、この校舎自体が奴のテリトリーなんだ。
先ほどの校長室の事を考えてもありえない事ではない。
こちらの行動を先読みされていても不思議ではないのだ。
――違う!
そう、この暗闇の正体は僕の弱い心だ。
僕が奴との対決を恐れているからだ。
もしかしたら負けるかもしれない。
レイを守りきれるか自信がない。
その気持ちが――
徐々に暗闇が晴れていく。
そして、目の前に一筋の光が見えてくる。
そうだ、僕は!
守るって決めたから。
だから!
さらに光が強くなる。
「来たのか……」
開けた空間に出た。
中央には黒い鎧のような物に覆われた大男が立っている。
その声が辛うじて黒島のものだと分かる。
「お前は……?」
これが本来の彼の姿なのか?
それとも何かあるのだろうか?
「ここまで来るのは意外だった。」
表情も声音も分からない。
感情も何も感じられない。
人間らしさが欠落していて気持ち悪い。
本当にこの男があの黒島なのだろうか?
あれほど帰還を望み、世界を欲した男なのか?
「
考えても仕方ない、奴を倒さなければ終わらないのだ。
「向かってくるか、愚かな。」
急に空気が重くなる。
まるで全身を押し付けられているかのような錯覚を感じる。
脳ではありえないと否定しているが、身体が思うように動かない。
レイも同様のようだ。
「所詮、その程度というか事か。」
「――で」
「ん?」
「こんなところで……!」
立ち止まっていられない!
”ウィンドカッターⅢ!”
真空の刃を黒島に向けて放った。
「む……?」
刃は黒島の鎧ごと腕を引き裂いた。
「はぁ、はぁ……」
体を覆う圧力が消える。
これでなんとか動ける。
「ほぅ……」
驚いたような口振りだが、驚きという感情は感じられない。
「黒島、お前の好きにはさせない!」
”バブルボムⅢ!”
無数の泡を弾幕のように拡散させる。
黒島は避ける事もせずに棒立ちしている。
泡の爆発で鎧を削っていく。
「ふん。」
ありえない事が起きる。
一瞬で、さっきまでのダメージが回復したのだ。
「馬鹿な……」
レイも驚愕している。
こんな事があってたまるか!
しかし、現実には完治した黒島がそこにいた。
「一体、あれはどうなってるんだ。」
「もう終わりか?」
黒島は何事もなかったかのようにそこに立っている。
強力な再生能力?
それとも効果の高い治癒魔法?
いや、違う。
あれはまるで時間が戻ったかのような感じだった。
ありえない。
時を操る魔法など聞いたことがない。
時空龍ですらそんな魔法は扱わない。
”サンダーボルトⅢ!”
雷撃を黒島に浴びせる。
そんなわけがない、攻撃し続ければ奴も消耗するはずだ!
「葉助! 無駄に
”ファイヤーウォールⅢ!”
”ウィンドカッターⅢ!”
同時詠唱で奴の心臓辺りを集中攻撃する。
「んぐっ……!」
貫通した攻撃は奴の胸に大穴を空けた。
「やった!」
あれだけの再生力の化け物でも、
「無駄だ。」
「そ、そんな!」
しかし、奴は何事もなかったようにそこにまた立っていた。
胸の傷も完治している。
「はぁ、はぁ……」
魔法の連続使用で
しかし、奴はまったくの無傷の状態だ。
「葉助、奴の弱点はおそらく別にある。」
レイは冷静にそう言った。
弱点?
頭を潰しても、心臓を吹き飛ばしても死なない相手に弱点があるっていうのか。
「おそらく奴は抜け殻だ。 あの抜け殻を動かしている何かがあるはずだ。」
「そんな事言われても!」
この円形の空間には何もない。
辺りを見回しても、数本の柱が
いや、この柱の配置に何か意味が?
――なら、試してみるか。
”ウィンドカッターⅢ!”
柱にめがけて真空の刃を飛ばす。
「――!」
黒島はその攻撃を自ら盾となって防いだ。
「レイ、どうやら当たりのようだ。」
あの柱を全て壊せば、もしかしたら!
微かな勝機が見えてきた。
問題は自分の残りの
そっと、レイが僕の手を握った。
「レイ?」
「私の
手の平が熱を帯びていく。
本来ならば、同じ属性の
しかし、全属性のエーテル器官を持つ僕ならば、誰からでも
「うん、一緒にいこう。」
”ウィンドカッターⅢ!”
二人同時に詠唱する。
その真空の刃はいつもの数倍の速度と大きさで飛んでいく。
「グゥゥ!」
その刃は黒島の腕を貫通して柱を1本破壊した。
”サンダーボルトⅢ!”
今度は雷が柱を砕く。
”ファイヤーウォールⅢ!”
”バブルボムⅢ!”
詠唱の早さ、威力、いずれにも黒島は対応できない。
自分でさえ何が起きているのかわからない。
でもレイの暖かさだけは伝わってくる。
「一体コレハ!」
残る柱は1本!
「レイ。」
「あぁ、分かってる。」
この一撃で終わらせる!
「サセルカァァ!」
焦った黒島がこちらに向かって走ってくる。
しかし、今更僕達を止める事はできない。
僕とレイの体から光が発せられる。
2つの属性の
理論上は可能だが、誰も実践しなかった魔法が今紡がれているのだ。
”ユニオンエクストリーム!”
僕とレイの詠唱が重なった。
「こ、こんなものは! コンナ!」
暖かな光が広がっていく。
あぁ、僕は、この光を――
光で視界が埋まっていく。
何が起こっているのか、もう分からない。
「葉助。」
声が聞こえる。
レイ……?
「約束。」
あぁ、そうだった。
君を守るって――
「違う。」
違う?
「もう一つの方。」
”必ず、帰ってきて”
あぁ、そうだった。
でも体が動かないんだ。
”必ず、帰ってきて”
きっと
体が鉛のように重い。
「大丈夫だから。」
僕は――
「だから――帰ってきて!」