オートハウスに入ってから時が過ぎ、啓兄ィのデビュー戦の日がやって来た。
オートハウスでは基本的にレースには2人で出場する。
これは今のうちからチームオーダー等に慣れさせ、将来プロレーサーになった時の糧とするのが目的らしい。
さて、今日のレースで啓兄ィが組む相手は保(たもつ)先輩だ。
保先輩はかなり上手い人なんだけど、メンタル面が弱いというのが涼兄ィの評価だ。
去年から何度もレースに出てるんだけど、ここぞでミスをして勝ちきれなかったりすることがあるそうだ。
菜々子監督もそんな保先輩のメンタル面を改善しようとあれこれ奮闘しているのだが、なかなか成果が上がらないみたい。
そんな保先輩はお腹が痛そうにしてトイレに向かった。
大丈夫だろうか?
◆
side:保
「うぅ…お腹痛い…。」
いつもそうだ。
緊張したり慌てたりするとお腹が痛くなる。
そのせいで何回も失敗してきた。
監督は自信を持てって言うけど持てるわけないよ。
僕が僕を一番信じてないんだから…。
「保。」
声に振り向くとそこには涼介さんがいた。
走行会で初めて一緒に走った時、涼介さんは僕がなんとなくこう走りたいと思っていたものに近い理想的な走りをした。
それを見てから僕は涼介さんに憧れている。
「なんですか、涼介さん?」
「1つアドバイスをと思ってな。」
涼介さんは普段から皆に色んなアドバイスをしている。
もちろん監督もアドバイスはしてるんだけど、それとは違う角度のものだから参考になることが多い。
監督は『私はどっちかというと感覚派やからなぁ。理論派の涼介とは視点が違っても不思議やない。私に遠慮せんで涼介のアドバイスを聞かなあかんよ。』って言ってた。
「保、緊張して腹痛が起きるのは悪いことだけじゃない。」
「え?」
これが悪いことじゃない?
どうして?
「父さんが言っていたんだが、緊張は集中の一種なんじゃないかと考えているそうだ。」
「えっ!?」
「緊張しているといいパフォーマンスを発揮出来ないだろう?でも緊張が解れるとその逆で、いいパフォーマンスを発揮出来る…だから父さんは、緊張は集中をし過ぎた状態なんじゃないかと考えているらしい」
集中し過ぎた?
「集中するんならいいことじゃないんですか?」
「たとえばだが、オーバースピードでコーナーに突っ込むとマシンを制御出来ないだろう?それと同じで集中し過ぎても、上手く自分を制御出来ないんじゃないか?」
「あっ、それならわかります。」
緊張するとお腹が痛くなるだけじゃなくて、色々と上手くいかなくなるのは何度も体験してるからよくわかる。
でも…。
「それと緊張でお腹が痛くなるのは悪いことだけじゃないって、どう関係あるんですか?」
「腹痛が起きるのは緊張しているからだろう?つまり、腹痛が起きれば自分で緊張しているって気づけるんだ。」
「あっ!?」
そんな考え方があるなんて…!
「涼介さん、凄いです!それじゃ、後は緊張を解せればいいんですね!?」
「あぁ、そうだな。」
「それで!緊張はどうやって解せばいいんですか!?」
「それは自分で考えるんだ。」
えぇ~…。
「そんなぁ…。」
「感性は人それぞれ違うからな。だから、どうすれば保が緊張を解せるかは自分で探していくしかないんだ。」
「涼介さんの言う通りですけど…。」
もうすぐレースだから、探している時間なんてないよ…。
ため息を吐くと涼介さんがクスッと笑う。
「まぁ、今日のところはこれを試してみろ。」
そう言って涼介さんは水筒を差し出してきた。
「これは?」
「中にはお湯を入れてある。緊張したら腹痛が起きる保に冷たいものを飲ませて、腹を冷やすのは良くないと思ってな。それと念の為に腹痛用の薬だ。」
水筒と薬を僕に渡した涼介さんは背を向ける。
「それじゃ俺は先に戻る。落ち着いたら戻ってこい。ミーティングをしないといけないからな。」
そう言って涼介さんは歩いていった。
涼介さんが去った後、僕は水筒のお湯を飲んでみる。
お腹が温まって、なんか落ち着く気がする。
ザワザワとした周りの声が聞こえる。
今日のレースに参加する人達、応援に来た人達の声だ。
「こんなに賑やかなのに聞こえてなかったんだ…。」
なんか緊張が集中の一種だっていうのがわかった気がする。
そこでふと気付いた。
お腹が痛くなくなっていることに。
なんか可笑しくて笑ってしまった。
「戻ろう。しっかりミーティングをして、今日のレースで勝たなきゃ。」
カートを初めてから2年目…体質のせいで勝つのは諦めていたけど、今日は心の底から勝ちたいと思えた。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
本日は4話投稿します。
次の投稿は9:00の予定です。