人を呪わば恋せよ少女   作:緑髪のエレア

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呪霊よりも怖いもの

 鉄のフライパンは中の空気を陽炎のように揺らめかせていた。十分に熱したそれにベーコンを放り込むと、途端に香ばしい匂いがキッチンに広がる。油が出始めたところでベーコンを脇に追いやり、溶き卵を流し入れる。じゅわあと焼ける音がした。

 

 固まってきたところで、卵を端から巻いていく。空いたスペースにもう一度溶き卵を流し入れると、再びじゅわあと焼ける音がした。

 数回、同じ工程を繰り返す。一分もしないうちに、卵焼きが出来上がった。

 フライパンの上で、ほわほわと湯気を上げる、黄金色の物体。柔らかいそれを、慎重にまな板に移す。小夜がその上に濡らした布を被せた。

 

「随分上達したんじゃない?」

 

 私の手際を見ていた小夜が、にっこりと微笑む。私は微かに頬が染まったのを自覚した。

 

「おばあちゃんが、教えてくれたから」

 

 フライパンをシンクに置き、水を浴びせる。じゅわっと水が蒸発する音が鳴り、少しだけ煙のような水蒸気が舞った。

 

「私に教えられてちゃんと出来るなんて、末那ちゃんは筋が良いわね」

 

 冷えたフライパンをたわしでこする。小夜は卵焼きに乗せた布巾を取り、包丁で一口大に切っていった。

 私はフライパンを水ですすぎながら、今しがたの小夜の発言が暗に示すことを尋ねようと、おずおずと口を開いた。

 

「あ……らやくん。も、作ったりするんですか」

 

 洗い終えたフライパンを脇に置き、たわしからスポンジに持ち替え、菜箸を洗う。小夜の返答を待ちながらごしごしとこすっていると、意味もなくその手つきが早まった。

 

「ええ、たまにね。でもあの子はだめねえ。丁寧にやろうとし過ぎるから、時間がかかってしょうがなくて。料理には手抜きとがさつさが必要なのに、全部の工程をきっちりやろうとしてしまうから」

 

 真面目過ぎるのよね。色々と。そう呟く小夜は、どこか遠い目をしていて。彼女が料理についてだけ言っているのではないことが何となく分かった。

 

「さ、できた。阿頼耶を呼んでこようかしらね」

 

 卵焼きとベーコンを皿に盛り付け、朝食の準備が整う。皿は全部で3人分あった。

 小夜はシンクで手を洗い、濡れた手を割烹着でふく。その横顔がそこはかとなくわくわくしているように見えた。

 

 私がこの家に来て、早数か月。小夜とは毎日朝食を共にしているが、阿頼耶とは一度もない。私が拒否したのではなく、阿頼耶が自主的にそうしているからだ。

 数か月を共に過ごした今、私にも彼の人となりが少しは分かっている。

『真面目過ぎる』

 確かに、それは的を射ているように思えた。

 

「あの」

 

 螺旋階段に向かおうとしていた小夜が、私の声に足を止める。なに?と振り向いた彼女に、私は口を開いた。

 

「私が呼んできても、いいですか」

 

 小夜は驚いていた。これまで私が阿頼耶と積極的に関わっている所を、恐らく彼女は一度も見ていない。その私が突然そんなことを言い出したので、彼女としてはどういう心境の変化かと戸惑ったのだろう。

 

「え、ええ」

 

 眼を開き、皺の寄った手が割烹着の裾をつまむ。ふとその顔がほころび、何度か頷いてみせた。

 

「そう、そうね。勿論。勿論よ。それが良いわね」

 

 そう言い、小夜は嬉しそうに頷く。

 それじゃ、私は準備を済ませちゃうわね。そう言うと彼女はキッチンに戻り、皿を手に取る。私は小夜と入れ替わりでキッチンを離れると、螺旋階段に向かった。

 

 とん、とん、と軽い音が響く。ねじれた階段を登り切ると、シンと静まった廊下が続いていた。

 静かな廊下を歩き、阿頼耶の部屋の前に立つ。手を胸の前まで持っていくと、手の甲で扉を叩いた。こんこん、とノックの音が鳴る。

 

「ん、祖母ちゃん?」

 

 扉の向こうから、くぐもった声が聞こえた。椅子を引く音と、軽い足音が続く。数秒も待たずに取っ手が降ろされ、部屋の扉が開いた。

 

「あ……」

 

 内側に開いた扉。取っ手を掴み、開けた時の姿勢で固まりながら、阿頼耶は私を見ている。その両目は微かに見開かれ、私という予期せぬ来訪者に戸惑っていることがはっきりと分かった。

 

「あの、」

 

 朝ごはん、一緒にどうですか。そう、続けようとした。ごく普通の申出。緊張するほどのことじゃない。クラスの男子とだって、必要があればこのくらい喋る。

 なのに、私の声帯はそこで止まってしまっていた。

 

(あ…………)

 

 阿頼耶が私より頭半個分高い目線から、気持ち見下ろすようにして私のことを見ている。その瞳は澄んでいて、欲に濡れてはいない。ただ単に、私という存在がいたから見ている。それ以上の感情の発露は、彼の瞳にも、表情にも、どこにもなかった。

 

 なのに。

 

(怖い)

 

 ノックの位置のまま浮いていた手を、胸に引き寄せた。その手が強く握られる。掌に爪が食い込み、痛みを発した。

 目の前の阿頼耶は何もしていない。ただ扉を開け、私を見ただけだ。それなのに私は彼に対し、明確な恐怖心を抱いていた。

 

(なんで……今更……!)

 

 阿頼耶から離れたい。このまま遠くに行って、彼の視界の入らないところへ行きたい。私の中の恐怖心がそう訴える。一方で理性が、なぜ?とその理由を問いかけていた。

 

(あ、そっか……)

 

 硬く握られた手がじくじくと痛む。脈のようなそれに浸りながら、私はこの恐怖の理由を理解していた。

 

 それは、最も原始的な恐怖。

 どんな富豪でも、権力者でも、この世の全てを手に入れた人間でも、逃れることはできない、人間の普遍的な結末への恐怖。

 

 死の恐怖。

 

 ぴり、と唇が痛みを発する。知らないうちに唇の内側を噛み締めていた。温かい血が口の中に広がり、鉄の匂いが鼻を衝く。

 阿頼耶は、私を殺すことができる。

 そのことへの恐怖が、私の身体を縛り付けていた。

 

 思い出されるのは、似非法師とつぎはぎ顔に襲われたこと。

 私の『力』は、似非法師には効かなかった。

 

『死ね』と言った時、彼は衝撃に耐えるように頭を押さえたが、倒れることはなかった。何度も言い続ければ結果は違ったのかもしれないが、その隙を与えるような手合いではなかった。現に私は死にかけ、阿頼耶に救い出された。

 

 その阿頼耶にも、『力』は効かないのではないか。

 私を殺しかけた人間。そいつから私を救い出した人間。前者には効かなかった『力』が、後者にだけは例外的に効くと考える理由はない。加えて後者は、私がどうあがいても祓えなかった霊を、ただふらりとすれ違う、その一瞬の合間に祓っている。

 

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 これまで得た情報から導かれる、明白にして簡潔な事実。

 

 その事実を今一度自覚すると同時に、恐怖に叩き込まれた脳みそが、自分自身に対して一つの問いを提示した。

 

 ”阿頼耶が私に、興味を持ったとしたらどうなるか”

 

 その想定は私の胸をひやりと撫でた。動機が早まり、呼吸が浅くなる。久しく感じていなかった焦りが、私の身を焼き始めた。

 

 彼の視界から消えたい、恐らくはそう思った最も大きな理由。

 死の恐怖とは異なる、阿頼耶だから生じる恐怖。

 

 彼は、私を好きにできる、ということ。より具体的に言えば、彼は私を、私の身体を、好きなように貪ることができる、ということ。

 

 その想定が自意識過剰ではないことを、私はこれまでの人生で嫌という程思い知らされていた。

 

 例えば。

 母が私にかけた呪いが、阿頼耶の奥底にある欲求を曝け出し。彼が、私を救い出したその手で、私の服の端を掴んだとすれば。

 

 私はどれだけ、抵抗できるのだろうか。

 

 何秒経ったか。ふと、阿頼耶が私から視線を切った。床とも壁ともつかない場所を見つめ、首に手をやる。そのまま彼はこちらを見ないまま、私から距離を取るように、すっと一歩下がった。

 

(あ…………)

 

 それを見て、その何気ない行動を見て、私は我に返る。今しがたの阿頼耶の行動は、明らかに私の異常を見て取ったことへの反応だ。彼は怖れる私に対して、その原因である自分自身を、私から遠ざけるようにしたのだった。

 

「……朝ごはん、出来てますから」

 

 そっと、阿頼耶から離れる。どこを見てよいか分からず、視界の右下に視線を向けた。

 

「……それじゃ」

 

 歩き出す直前、ちらりと阿頼耶を見る。彼は私のこめかみを見つめ、痛ましそうな表情を浮かべていた。

 阿頼耶から視線を切り、静かな廊下を歩く。阿頼耶はついてこなかった。

 

「…………」

 

 歩きながら、そっと、頭の左側に手をやる。髪をかき分けると、薄いガーゼに触れた。

 既に傷口は塞がり、そこにはピンクの跡があるだけだ。掻きむしってしまわないよう、念のためにガーゼを付けているに過ぎない。

 

 私は今しがたの光景を思い返す。これを見て、彼は痛ましそうな……言い換えれば、泣きそうな、そんな表情を浮かべていた。

 

 握られていた手から力は抜かれ、硬直していた身体は弛緩している。

 不思議なことに、あれだけあった恐怖心は跡形もなく消えていた。

 

 

 *

 

 

 ビルからビルへ、都会の景色が移り変わっていく。

 少し前までは明るかった時間帯でも、季節が変わってきたためかほんの少し空に陰りが見えた。

 電車の中、吊革に掴まりながら外の景色を眺める。目の前のシートでは、黒いネクタイに黒いスーツを身に纏った男が死んだように眠っていた。

 

 眠っている喪服姿の男の隣では、馬鹿っぽそうな少年がこれまた口を大きく開けて眠っている。私は少年の姿に違和感を抱き、心の中で首を傾げた。

 

(なんだろう、この人)

 

 色素の薄い髪はぼさぼさで、小麦粉でも浴びたのか、ところどころが白くなっている。フードのついた変則的な制服は黒で統一されており、私は同じような服装をしていたあちら側の存在、つんつん頭の少年のことを思い出していた。

 

(いや……流石に無関係でしょう)

 

 私はその思い付きを否定する。あっちの少年は見るからに才能に溢れていたが、目の前の朝帰りっぽい少年は、一見して単なる少年だ。それに、あの少年の服にフードは付いていなかったし、加えて目の前の少年は明らかに馬鹿っぽそうだ。

 

 私はこの少年と彼らとの関連性はないだろうと結論付けた。

 

 少年から視線を切り、私は隣の車両に続く連結部を見る。車両同士を繋ぐ部分の、窓の向こう。そこに、見知った横顔があった。

 私の視線に気づいていないのか、その人物は手元に目線を落としている。性格的に、スマホではなく文庫本でも読んでいるのだろうと推測した。

 

 ふと、電車が大きく揺れる。意識が逸れていたため、私は体勢を崩し、前につんのめった。

 

「……痛っ」

 

 脇腹に鋭い痛みが走る。思わず、その部分に手を当てた。

 罅が入った肋骨は、今だ完治には至っていない。そのため急に動いたり走ったりすると、こうして痛みを発してその存在を思い出させた。まあ、体育をサボる理由ができたと思えば、差し引きとしては悪くなかった。

 

「どうぞ」

 

 痛む肋骨を撫でていると、目の前の少年が立ち上がっていることに気が付いた。立ち上がる気配が全くしなかったことに驚きつつ、私はシートを示す少年に対して首を横に振る。

 ついこの前、同じような人間に席を譲ってもらい、善意からだと信じて座ったところ、私が降りるまで延々と話しかけられ続けたということがあったため、私は席を譲ってくる者に対し警戒感を抱くようになっていた。この少年から邪な感情は感じないが、一度染みついた嫌な記憶や警戒感は、そう簡単には拭えない。

 

 そのため私は「大丈夫です」と、少年が勧めたシートを丁重に固辞した。

 

「ほら、伊地知さん起きて起きて」

 

 私の固辞をどう解釈したのか、彼は死んだように眠る男の頬をぺちぺちと叩く。かっと目を見開いた男はしばしばと目を瞬かせると、数秒して状況を理解し、ふらりとした足取りで立ち上がった。

 

「いえ、私は」

「肋骨って痛いよねー。かがめないから靴紐結べなくなるし、足洗うときとか背筋伸ばしたまま洗わなきゃなんないし。俺もこの前腹に穴空いてさ~」

 

 自分の目が見開かれたのがわかった。私は痛むところを手で押さえただけだ。それなのに、肋骨が患部であるとどうしてわかったのだろうか。

 

(……当てずっぽう?)

 

 私は少年が適当に言ったのではないかと考えた。というか腹に穴ってなんだろうか。何かの例えとかだろうか。

 

「じゃっ」

 

 ひらりと手を振ると、少年は喪服姿の男性を連れて別の車両へと移っていった。私は彼らの後ろ姿を見送り、空いている席を見つめる。

 

(次で降りるんだけど)

 

 正直必要のない気遣いだったが、何となく無碍にするのもあの少年に悪いような気がしてしまい、私はその席に腰を下ろした。座った後で、”少年”から受けた厚意を自分が抵抗なく受け取ったことに、少し驚く。

 

(なんでだろ)

 

 何故だろうかと首を傾げる。少年の持つ、明るい雰囲気のせいだろうかと思った。

 ふと、今のやり取りを見られていただろうかと思い、連結部に目をやる。そこにある横顔は、依然として手元に向けられていた。

 

 

 

 

「まなあ~!」

 

 私の顔を見た途端、由美が走って私の元まで向かって来る。このまま飛びつかれると、くっつきかけの肋骨が痛みを発するだろう。いや、ひょっとしたら今度こそぽっきりと割れるかもしれない。これ以上この痛みを長引かせるのも勘弁したいため、私は犬に待てをするように手を前に出した。

 

「ステイ、由美」

 

 ぴた、と由美の動きが止まる。彼女の後ろでは、穂香と亜里沙がなんだなんだと覗き込んでいた。

 私は由美に突きつけた手をゆっくりと畳み、人差し指を立てる。そのまま肋骨のあたりを指し示した。

 

「私のここには、罅が入っています。なので今抱き着かれると、とても、とっても、痛いです」

 

 ええっ!と目を見開く。心配そうな瞳で、私がここ、と指した場所を見つめた。その瞳は餌を貰えなかった子犬のように湿っていて、私はくすりと笑ってしまう。

 

「なので、私から行きます」

 

 つかつかと歩き、由美の元まで近づく。え、え、と困惑する由美を、私は正面から抱きしめた。

 

「…………心配かけて、ごめんね」

「……ううん」

 

 由美が首を振る。ふわりと柑橘系の柔軟剤の香りがした。

 

「本当に、良かった……」

 

 そっと、由美が私の背に手を回す。彼女らしい、優しい手つきだった。

 

 どちらからともなく身を離し、お互いの顔を見合う。私たちはくすりと笑い合いあうと、互いの手を絡ませた。

 由美と手を繋ぎながら、亜里沙と穂香の元へと歩いていく。近くまで行くと、二人は眩しいものを見るような目で、私と由美を見ていた。

 

「なに、その顔」

 

 私が言うと、二人は破顔し、尊い、と声を揃えて言う。今更になって、妙な気恥ずかしさがこみあげてきた。

 

「そんなんじゃないし」

 

 不満げにする私に、亜里沙がにやつきながら、

 

「情熱的だった」

「…………もうっ」

 

 からかう彼女を軽く小突く。

 少しの間そうしてじゃれると、私たちは学校に向けて歩き始めた。

 

「あ、そうだ」

 

 学校に向けて歩いていると、ふと穂香が足を止める。彼女は私を見ると、にへ、と目じりを下げた。

 

「おかえり、まな」

 

 穂香からかけられた言葉に、私は破顔すると、彼女に身を寄せる。あー!浮気だ!と由美が不満そうに言った。

 

「で、怪我は大丈夫なの?」

「山で足を滑らしたんでしょ?頭を切ったって……」

 

 心配そうに私の顔を覗き込む彼女たちに、私は「大丈夫だよ」と返す。左の髪をかき分け、布で覆われた部分を見せた。

 

「うひゃ~」

「女の命が……」

 

 他愛もない言葉を交わし合いながら、私たちは校門を通り過ぎ、校舎に向けて歩いていく。周りでは同じ高校の生徒たちが、私たちと同じように集団を作り、校舎に向けて歩いていた。

 

「無事でよかった……」

 

 ふと差し込まれた、亜里沙の言葉。本当に思わず出た言葉のようで、私の視線に気が付いた彼女は、恥ずかしそうに顔を背ける。純粋に私を労ってくれる彼女に、私は自然と顔が綻ぶのを感じた。

 

「…………っ」

 

 ふと、その顔が引きつる。妙な気持ち悪さが、胸の内に広がっていた。

 

(……汚らわしい)

 

 由美、亜里沙、穂香。談笑する3人。私の大切な友人たち。彼女たちに対する嫌悪感ではない。

 これは、自分自身に対する嫌悪感だった。

 私は彼女たちの会話に相槌を打ちながら、その感情を胸の内で転がせる。根本を探るため、思考の海に入っていった。

 

 

 ここ数か月、私はかなり好き勝手にやってきた。『力』を得て、従兄を殺し、その罪を父親に擦り付け、素知らぬ顔で遠縁の親族の家に転がり込んだ。

 住居を得た私は、これまで溜まった鬱憤を晴らすように『力』を使い、様々な人間を弄んできた。

 

 普通のサラリーマン、日焼けした証券会社の社長、たまたま路地にいた大学生。殆ど手あたり次第に『力』を使い、そしてその金銭を奪ってきた。

 そして、そんな彼らに対し、私は決まってとある質問をし、その回答が気に障った場合、彼らを『力』の実験に使った。

 

 その質問は、『お前がこれまで異性に対し行ったことで、最も客観的に罪深いことを懺悔しろ』というもの。

 この質問をすると、彼らは様々な罪を答えてくれた。

 

 小学生の頃に、気になる女子のスカートをめくったこと。

 いじめられていた女の子を助けずに、いじめに加担したこと。

 友人の女子のハンカチを盗んだこと。

 酒を飲ませ女子学生と事に及んだこと。

 金で高校生を買ったこと。

 

 様々な罪が、ぼんやりとした男たちから語られ、私はそれらを全て聞いた。そして罪を聞いた後、私はそれらに対し、適当と思われる罰を下した。

 

 スカートをめくった大学生は小学生の時のことなので無罪放免に。

 いじめに加担したビジネスマンは中学の時のことなので嗅覚を奪い。

 酒に酔わせ大学生をレイプしたベンチャー社長は、成人し己の立場を利用してのことなので、二度と同じことができないよう自分の性器を認識できなくさせた。

 

 独断と偏見による罰。それらを下すにあたって、私は正義や倫理、因果応報といった、何らかの正しさの原理に従っていたわけではない。

 私がそれらの罪を聞き出し、罰を下したのは。

 

 純粋に、それらが楽しかったからだ。

 

 この遊びを何回か繰り返すと、徐々に私は、「もっと酷いことをしでかしたやつに会いたい」と思うようになってきた。何故なら重い罪を犯した者ほど、その罰は重くなり、結果として私は好き勝手にその者の精神を歪めることができるのだから。

 

 そうして、私はここ数か月の間、積極的に人間を操っては、罪を聞き出し、それに対して罰を与えてきた。それはとても面白い行為だったし、『力』についての理解もかなり深めることができた。路地裏の暗がりで、女なんて男の欲を満たすための道具としか思っていない人間から尊厳を奪い、人間としての全てを放棄させることは何にも増して胸がすっとしたし、法律では裁けない罪や、そもそも明らかになっていない罪を私だけは裁くことができるという感覚は、奇妙な全能感を与えてくれた。

 

 そうして世直しをしていると信じ『力』を振るっていた矢先、私はあの二人組に襲われた。袈裟の男と、つぎはぎ顔の呪霊。彼らは明らかに悪だった。私が気持ち悪さから思わず弄んでしまった茶髪の男を何の躊躇いもなく殺し、勧誘の際には自分で「私たちはなんでもする」と言っていた。きっと彼らにとっての「何でもする」は、文字通りの意味なのだろう。

 

 イラつけば殺すし、気が向けば犯す。欲しくなくても奪うし、目が合わなくても貶める。唯我独尊、己の感情のみに従い、暴虐の限りを尽くす。そしてそのことに対し、一抹の罪悪感すら、抱くことはない。

 抜糸を終え、じくじくと痛む頭を意識しながら、病院のベッドでそんなことを考えていた時、私はふと、気が付いた。

 

 私も彼らと同類だ、と。

 己の主観で罪を量り、罰を下す。客観的な指標を持たず、罰の判断に使われるのは、罪を聞いたその時に私の胸の内に生じた不快感の程度のみ。

 

 そのように、不快の程度によってのみ罰を決め、それを自らの手で下すというのならば。

 私は、快・不快で好き勝手に人間を殺す者たちと、その本質において何の違いもありはしなかった。

 

「……まな?」

「大丈夫?」

 

 ふと、心配そうに覗き込まれていることに気が付く。私は咄嗟に「大丈夫だよ」と答え、笑顔を作った。

 

 病院のベッドの上。毎日見舞いに来てくれる小夜が帰った後。深夜の病室で、脈打つようなこめかみの痛みに苛まれながら思ったこと。

 

 ()()()()()()()()()()()。ということ。

 そしてその観念こそが、私に彼女たちと触れ合う資格がないのではないかと思わせた原因であった。

 

 襲われ、悪に触れ、気づいたこと。己の内側に潜んでいた邪悪さ。

 これまでの私だったらそんな邪悪な自分を受け入れ、むしろ歓待したかもしれない。

 

 けれども、私には新しい家族がいた。小夜と阿頼耶。二人が私に接する態度によって、私の心は少しずつ、けれども確実に、溶かされていった。

 私の幸せを考えてくれる小夜と、私の嫌がることを極力排除し、そのためならば自分自身さえも遠ざけてみせる阿頼耶。二人の存在が、私を変えた。

 

 心の奥底にあった、煮詰められ、粘ついた悪意。

 ヘドロのようなそれらが、清涼な水で漱がれていくような感覚が、二人と接していると、私の胸の内には生じるのだった。

 

「なんかあったら言いなよ」

「そうそう」

「まなは変なところで意地張るからさー」

 

 彼らと、彼女ら。家族と、友人たち。

 私はもう、彼らの魂を穢すようなことを、していたくなかった。

 

「…………うん、ありがと」

 

 正義か悪か。加害者か、被害者か。

 多分、私はどちらの側にも振れることができる。悪にも、正義にも、気の持ちよう次第で、どちらの位置にも就くことができる。事実私は、従兄から性的な嫌がらせに遭い、寝込みを襲われ、あと一歩で大事なものを奪われるところだった。その一方で、私は独善的な指標で多くの人間を弄び、尊厳を奪い、その人格を歪めてきた。

 

 そのどちらもが、私という人間の両極ならば。私はその間のうちどの辺りに自分自身を置くべきか、決めなければならなかった。

 いつか見た、『力』を持つ彼ら。悪に染まれば、私は彼らに討伐される。そしてそれは恐らく、私の怪我を泣きそうな顔で見つめる心優しい同居人と、敵対することを意味する。

 それは、その状況は、私にとって…………

 

(…………嫌、だな)

 

 阿頼耶と戦って、勝てる自信はない。今朝抱いた恐怖心だってそれを示している。けれどもそれ以上に、私は形の取らない不定形な感情が、阿頼耶と敵対することを拒否していることに気が付いた。

 

(…………帰ったら、阿頼耶に『力』のことを話そう)

 

 阿頼耶が私と同じく『力』を持つ者だと知ってから、ずっと心のどこかで思っていたこと。私は今日その選択肢を取ることに決めた。

 

 彼はその気風的に悪というよりは正義側のような気がするし、多分、『力』を打ち明けた私を悪いようにはしないと思う。ただ、そんなふうに正義感を持った彼が、私が今までにしてきたことを知った時、果たして私に対しどのような感情を抱くのかはまるでわからなかった。

 

(……まあ、その時はその時ってことで)

 

 もしも阿頼耶が私に嫌悪感を示し、その行いをなじるような言葉をかけてきたら。あるいは、阿頼耶が邪悪な本性を現し、私欲のために私の『力』を使うよう言ってきたら。そうしたら私は、たとえ刺し違えてでも、()()()()()()()()()()

 

 私は帰宅してからのことを決めると、亜里沙たちとの会話に意識を向ける。『力』を打ち明けた時、阿頼耶がどんな顔をするのか。不安はあるが、彼の驚いた顔を想像すると、少しだけ胸が躍るような気がした。

 

 

 *

 

 

 教室に入るとそれまでうるさかった教室がしんと静まり返った。

 数秒してざわめきが戻る。クラスメイト達はそれぞれの興味に移っていった。

 ただ、教室のあちこちから妙な視線を感じる。不躾なそれらに不快感を抱きながら、私は自分の席へと歩いて行った。

 鞄を降ろし、テキストを取り出す。時計を確認し、一限目の教科書を机に出した。

 

 私がいない間に席替えがあったらしく、席は由美たちと離れている。ペンを弄びながら何となく教室の外に目をやると、見知った横顔が廊下を歩いていた。女性のように白い肌を持ったそいつは、電車内で発見した時と同じように静かな雰囲気を身に纏っている。

 

 何ともタイムリーな発見だ。私は帰宅してから視線の先の彼に何と言って『力』を打ち明けようかと考えた。

 ふと視界が遮られ、彼の姿が見えなくなる。同時に頭の上から女の声が降ってきた。

 

「ね、町田さんさあ」

 

 振り仰ぐと、ぱっちりとした瞳の女子生徒が私を見下ろしていた。学校指定の制服は着崩されており、スマホを持つ手にはネイルが施されている。スカートの丈がかなり短く、少し動いただけで中が見えそうだった。

 

 彼女の後ろには数名、同じような雰囲気の女子たちがいる。彼女たちはめいめい顔を見合わせてはくすくすと笑みを交換していた。

 声をかけてきた女子生徒と、その後ろに控えている女子たち。彼女たちの間には私たちの年頃に特有の空気感があった。お互いに同調圧力をかけ合い、それに従うことをよしとする空気。そして一人の強い人間とその他の弱い人間で構成された、グループ内ヒエラルキーの存在。

 

 私はなんだか嫌な予感がした。

 

「…………うん、なに?」

 

 邪険にしているふうにならないよう、声音を調整する。私を見下ろす女子生徒は一見友好的だ。けれどもその柔らかな声音の裏には、蓄積され煮詰められた、ドロドロとへばりつく何かしかの強烈な感情が見え隠れしていた。

 私の返答などは初めからどうでもよかったのだろう。女子生徒はその口調に愉悦を滲ませると、あえて周囲にも聞こえるように、はっきりとその言葉を口にした。

 

「レイプされたって、ほんと?」

 

 教室中がざわついた。

 

 

 *

 

 

「レイプされたって、ほんと?」

 

 どき。心臓が跳ねた。

 それまでずっと突っ伏してた机から身を起こして、声のした方向を見る。登校してからずっと机でお昼寝してたおにゃのこが急に起き上がったら、クラスのみんなから注目されちゃうかな~?って思ったけど、全然そんなことはなかった。みんなさっきの言葉がショックだったみたいで、クラス中、男の子も女の子も、声を発した女子生徒と、声をかけられた女の子の方を注目していた。

 

 声をかけた女子生徒は後ろに数人の取り巻きがいて、彼女たちは「本当に言っちゃったよ」みたいにちょっとざわついてたけど、やっちゃったものはしょうがないみたいな感じで逆にテンションが上がってる。

 

 彼女たちの一番前にいる、声をかけた女子生徒。ちょっと派手目で可愛い(はな)ちゃんは、きれいなお目目をぱっちり開いて椅子に座っている女の子を見下ろしていた。

 華ちゃんはとってもきれいな女の子で、入学した時は清楚って感じの正統派可愛い!な女の子だったけど、ちょっとずつ服とかが派手になって行って今やスカート丈がおしりの終わりと同じくらいの、正真正銘立派なギャルになった。たぶん、駅の階段で男の人からちょう見られてる。

 

 おじさんの血走った目つきを浴びたり、まだ純な中学生をむりやり性に目覚めさせたりするような、そんな男好きのする身体つきをしてるのにあえてそんな恰好をしているから、美奈はむしろ襲ってほしいのかな?と割とまじで思ったりしちゃってる。

 

 そんなリアルJKサキュバス風俗嬢みたいな華ちゃんが、スマホを持ちながら座っている女の子を見下ろしている。それに対して見下ろされている女の子、町田末那ちゃん改め大将ちゃんは、今私は何を言われたの?って感じで、ぽけっと華ちゃんを見ていた。そんな大将ちゃんをよそに、華ちゃんは持ってるスマホをついついっと操作する。なにか画像を出したみたいだった。

 

「これ、町田さんだよね」

 

 華ちゃんが、持っているスマホを大将ちゃんに見せる。画面を見せられた大将ちゃんはそのおっきなお目目をぐりっと見開いた。

 

 美奈的にどんな画像だろう?って興味津々だけど、うーん、残念。美奈のいるところからじゃ、華ちゃんが大将ちゃんに見せている画像は見えない。でも大将ちゃんの席は教室の真ん中にあるから、その大将ちゃんに突きつけられたスマホはその後ろにいる子たちにはばっちり見えている。画像が見える場所にいる子たちは、「え、」「ちょ、あれ血?」「やっ」と、なんだかざわざわしていた。

 

 その子たちの反応を見て、美奈は首をひねる。血?血ってどういうことだろう?確か大将ちゃんはお婆ちゃんの家に遊びに行った時、山の中で足を踏み外したんだよね?それで今まで入院してたから学校に来られなかった。大将ちゃんの頭を見るとうっすらと包帯みたいなのが見える。きっと怪我したところだ。華ちゃんが見せている画像は、大将ちゃんが怪我した時の画像なのかな??

 

 美奈はもう一度、心の中だけで首をひねる。う~ん、分からないなあ。そんなものを朝の教室でこれ見よがしに突きつけて、一体華ちゃんにどんなメリットがあるのかなあ???

 

 むむむ、と考える美奈。その時ぴこん、って頭の電球が光る音がした。

 

 あれ、待って待って。ぼんやりしてて見過ごしちゃったけど、華ちゃんは最初何て言ってた?

 

 美奈は思い出す。

 れいぷ。レイプって言ってたよね?待って待って。いつの間にそんな愉快なことになったの?レイプ、れいぷってあれだよね?女の人が男の人に犯されるやつ。ああ、逆もある?

 

 美奈は男女平等に配慮しながら、どきどきする胸を抑える。少しずつ、自分が興奮していくのが分かった。

 

 どゆことどゆこと?レイプされたって、ほんと?華ちゃんはそう言ってたよね?え、え、大将ちゃんが、男の人にずっこんばっこんやられちゃったってこと?そうだよね?ということは、華ちゃんが今大将ちゃんとに見せている画像は、その裏付けになる写真ってこと???そうっぽい。だって写真を見た男子が、この世の終わりみたいな顔をしているもん。

 

 どくん。もう一回心臓が跳ねる。どっきんどっきん。思いもしなかった刺激の到来に、美奈の心臓は痛いくらいに跳ね回ってた。

 きゃー!!スクープ!!これはスクープだよお!!

 もしもしもしもしこれが本当なら、とってもとっても面白いことになっちゃいそう!!

 

 美奈は心臓の辺りを抑える。美奈は普段、お淑やかな清楚系おにゃのこだと思われているから、こういうゴシップに、ワンちゃんみたいに飛びつくわけにはいかないのだった。

 にやつきそうになる顔にむん!と力を入れて、美奈は華ちゃんのことをじっと見つめる。

 

 わくわく。わくわく。え、え、華ちゃん、それでそれで?あとあとあとあとあとはなに?次は何て言っちゃうの?別に本当のことでもそうじゃなくてもいいんだよ?だって大将ちゃんはとってもカワ(・∀・)イイ!!女の子だから!!顔面累進課税制度を採用している女子社会では、大将ちゃんは超高所得者の高額納税者だもんね!!可愛い子は生きやすさの対価として、いついかなる時でも面白おかしくいじられなきゃならない。いつかも言ったけど、税金はきちんと払わなきゃめっ(o`з’*)だぞ?

 

 

「ちょっとあんた」

「黙れ」

 

 亜里沙ちゃん、改め勘違い女ちゃんが、華ちゃんに噛み付く。どうやら大将ちゃんというご主人様のピンチに駆け付けたみたい。でもそこは流石華ちゃん、勘違い女ちゃんの方を見もせずにぴしゃっと撥ねつける。取り巻きの女の子たちがそんな勘違い女ちゃんを舞台から退場させるようにその腕を掴んだ。美奈はその手際の良さに感動しちゃう。う~ん、ナイス連携!

 

「触らないでくれる」

「きゃっ」

 

 どん、取り巻きの一人が尻もちをつく。勘違い女ちゃんが強く腕を振るったからだ。尻もちをついた子は女の子らしい悲鳴を上げた。

 

「は?あんた何してんの」

 

 暴力を振るった勘違い女ちゃんの方を振り向き、華ちゃんが凄む。がおーがおーって、お友達を突き飛ばした勘違い女ちゃんを睨んだ。

 勘違い女ちゃんは一瞬、尻もちをついた子に申し訳なさそうな顔をした。けれども勘違い女ちゃんにはそれよりも大事なことがある。睨む華ちゃんに毅然とした態度で立ち向かっていった。

 

「あんたこそ何言ってんの?まながどうとか、」

「話をすり替えないでくれる?うちはあんたが今何をしたかって聞いてんだけど」

 

 勘違い女ちゃんの追及を華ちゃんは強い口調で撥ねつける。流石元・女子序列一位なだけあって、その迫力は中々だった。美奈は心の中で華ちゃんを応援する。

 フレーヾ(゚ー゚ゞ)( 尸ー゚)尸_フレー ハ ナ チャ ン

 

「謝れよ」

「…………」

 

 華ちゃんが尻もちをついた子を指で示す。その女の子は今にも泣きそうな顔をしていた。

 勘違い女ちゃんは苦々しい表情になると、ちらりと倒れた女の子を見る。自分がやっちゃったことをようやく自覚できたみたいだったꉂ (๑¯ਊ¯)σ オセエヨл̵ʱªʱªʱª

 

「謝れって」

「…………っ」

 

 華ちゃんの追及に、勘違い女ちゃんは口を開く。勘違い女ちゃんは男子には厳しいけど、女子にはそうでもない。珍しいものが見れそうな予感に美奈のプリチーなシンデレラバストがこれ以上ないってくらいドキドキ!してた。

 

「…………っ、ごめ」

 

 勘違い女ちゃんが突き飛ばした女の子に対して謝罪の言葉を口にする。う~~~ん、レコーダーに録っときた~~~い(●´Д`●)。*・シ。*・ネ。*・カ。*・ス。*・

 

「大丈夫だよ、亜里沙」

 

 がらり、椅子を引く音がして教室中のみんながそっちを見た。

 勘違い女ちゃんが自分の罪を認めて謝罪をするという、大事な、大事な場面。そんな緊迫した空気をぶった切るように、その声は差し込まれてた。美奈と、華ちゃんと、あとその他大勢のモブたちの視線の先には、勘違い女ちゃんの歴史的謝罪を中断させた戦犯がいる。

 

 誰も彼もを含めた全員の視線の先で、大将ちゃんが立ち上がって勘違い女ちゃんに微笑んでいた。

 

「は、ああ?何が大丈夫なの?勝手に決めんなよ」

 

 華ちゃんが大将ちゃんを非難する。そのまま鋭い目で睨みつけた。二人とも、女子にしては背が高いけれど、大将ちゃんの方が少しだけ華ちゃんよりも目が上の位置にあった。

 

 勘違い女ちゃんはそんな大将ちゃんを心配そうに見ている。大将ちゃんの取り巻き、からっぽ女ちゃんと馬鹿女ちゃんも、椅子から立ち上がって大将ちゃんのことをじっと見つめていた。

 華ちゃんはそんな四人のことを順番に睨みつけると、嘲笑うように唇を歪める。ねえ、と強い口調で言い放った。

 

「あんたらさ、いつもそうやって身内だけでつるんでて、なんでもかんでも自分たちが上だって顔してんじゃん?これ見よがしに勉強したり、そのくせ男子に話しかけられても傲慢ちきな態度で拒絶したりさ。そういうのって周りから見たらめちゃくちゃ鼻につくんだよね。わかんないかな」

 

 華ちゃんが荒々しく言う。大将ちゃんグループの良くないところを糾弾するために。美奈的には華ちゃんの言っていることにトータルでアグリーだった。

 

 大将ちゃんグループは、確かにみんな結構かわいい。でも、かわいいだけで何でも許されるほど人間社会は甘くない。どれだけかわいかろうが、みんなの和を乱すやつはごみくずと同じ扱いを受けることになる。大将ちゃんグループはみんなの和を乱しているのに、これまで大将ちゃんが異次元にかわいいからって許されてきた。そんなのってないよね?基本的人権とか平等とかに反してるよね?

 

 華ちゃんはそれを追求することにしたのだ。これまで放置されてきた不公正を。理不尽な不平等を。

 完全に、正義は華ちゃんの側にある。美奈はそう信じるけれど、華ちゃんのことは大将ちゃんの次くらいに嫌いだから特に援護とかはしない。表面上は清楚なおにゃのことしてはらはらしながら、心の中ではにやにやしながら、華ちゃん主演の勧善懲悪劇を見守ることにした。

 

 華ちゃんは解決編の探偵さんみたいに、にやりと笑ってスマホを突きつける。大将ちゃんは自分の罪を詳らかに指摘された犯人みたいに、たじっと狼狽え…………………………………………てはいないけれど、ちょっとだけ眉毛をぴくっと動かしたように見えなくもなかった。

 

「これだってそうだよ。あんた襲われたんだろ?だってこれ住宅街じゃん。頭から血、流してるしさ。それに太もものこれ、あざだよね?くっきりついてんじゃん」

 

 人の手の形で。華ちゃんがそう言うと、教室のあちこちから息を呑むような気配がした。住宅街、太もものあざ、そして、クラス内に不平等を産み出すくらい、異次元にかわいい美少女。それらを裏付けるらしい、実際の写真。これらを聞けば誰だってストーリーを思いつく。美奈だって思いつく。

 

 単純に、拉致されて犯られた。あるいは出会い頭に頭を殴られ、意識がないまま貪られた。それとも、茂みに引きずられ、頭を切り、公園のベンチで純潔を奪われた。

 頭の傷だけだったらそこまでのストーリーには至らないかもしれないね。けれども太もものあざ、しかも手の形のあざとなると、途端に淫靡な匂いが湧き立ってきちゃう。

 

 美奈も初めは華ちゃんの言うことを全く真に受けてなかったけど、並べられた要素があまりにそれっぽ過ぎて、あれ?もしかしてほんとに?と思い始めていた。

 

「ね、どうなの?お婆ちゃんちで山登り中に怪我したんじゃないの?それとも嘘なの?あんたみたいに顔が良かったら、そうやって事実を捻じ曲げてもらえんの?」

 

 華ちゃんの攻勢が続く。美奈的には顔が良かろうと悪かろうと女の子が襲われた時にそれをそのまま学級内に伝える教師とか普通に嫌だし、狂気の沙汰としか思えないけど、今はそんな細かいことはどうでもよかった。

 だって大将ちゃんは可愛いから。可愛い子は社会から守ってもらえるから。だったら……………………今更優しい嘘で守られる必要なんて、ないよね?

 

「何とか言いなよ」

 

 華ちゃんがスマホを見せ、大将ちゃんを糾弾する。女の子同士の戦い!って感じがして、美奈はずっと、どきどきが止まらなかった。

 美奈的には華ちゃんを援護したい。この前撮れた写真は良い感じに加工できたから、これを提供すれば更に華ちゃんの望む方向に持っていくことができると思う。でも残念なことに、今の状況とばっちり噛み合うような写真ではない。あと、実は美奈、華ちゃんとあまり仲良くないんだよね。だからここはぐっと抑えてことの成り行きを見守ることにした。

 

 華ちゃんから追及された大将ちゃんは、じっと華ちゃんのスマホを眺めていた。その大きな瞳は、血を流す自分自身の画像から動かない。そんな大将ちゃんを、それぞれの取り巻きたちが、いや、もはやクラスの全員がじっと見つめていた。

 

 何秒経ったか、分かんないけれど。

 ふと、大将ちゃんが画像から視線を切った。

 そして、スマホを突きつけている華ちゃんの顔を見る。ぱっちりしたかわいいお目目どうしが見つめ合って、二人にしかわからない言葉の応酬をしていた。

 

「そうだよ」

 

 唐突に、大将ちゃんは頷いた。華ちゃんの言ったことを………………山登り中に怪我をしたのではなく、男の人に襲われて怪我をしたのだということを、大将ちゃんは、肯定、した。

 それだけでも結構な驚きだった。まさか華ちゃんの主張が正しかったなんて。

 でも、クラスのみんなが驚いたのはそれだけじゃなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()。その綺麗な唇をにっこり曲げて、美奈でもどきっとしちゃうような、そんな妖艶な顔で。

 

 しんと静まった教室。みんな声を発することができない。

 町田末那が男に襲われた。めちゃくちゃショッキングなニュースだ。本当ならてんやわんやの大騒ぎ、怒号と阿鼻叫喚と嘲笑が飛び交う混沌になるはずなのに。

 

 クラスのみんなは声を発することができない。大将ちゃんの笑顔に、みんな気圧されていた。

 そしてそれは、大将ちゃんを追い込んだ張本人も。

 

「…………っ、はあ?」

 

 華ちゃんは辛うじて不満そうな声を発したけれど、その後に続く言葉はなかった。

 華ちゃんの取り巻きも、初めて見た大将ちゃんの満面の笑みに思考が止まっちゃってる。華ちゃんを援護する声は上がらず、華ちゃんは自分で追及したのに途中で勢いを失ったとてもかっこ悪い人になってしまっていた。

 

「…………っは!そうだよってことは、あんたやっぱり……!」

 

 もちろん、華ちゃんはそんな不名誉なことに耐えられない。自分が一気に不利な立場になったことをその鋭敏な嗅覚で察知すると、再び攻勢に入った。

 

「そう、襲われたの」

 

 涼やかな声音だった。雑味の一切ない、芸術品のように美しい声。けれども決定的な違和感がある。言っている内容と、その声音が一致しない。

 

 大将ちゃんは、まるで歌うように、大事な思い出を語るように、襲われたの、と、己の純潔が散ったことを宣言した。

 異様な振る舞い。正直言って気持ち悪い。ひょっとして嘘を言っているんじゃないかと思う程、大将ちゃんの声音は朗らかだった。

 

 ふと、大将ちゃんが手を伸ばす。物を拾う時のような自然な動作で、目の前にあった華ちゃんのスマホを奪い取った。

 

「ちょ、」

 

 大将ちゃんの言ったことに呆然としていた華ちゃんも、大事なスマホが奪われたことで我に返る。取り返そうと手を伸ばしたけれど、大将ちゃんがした行動によってまたフリーズしてしまった。

 

「……ひっ」

「うわ……」

「え、まじ……?」

 

 大将ちゃんは奪い取ったスマホの画面を教室中のみんなに向けた。男子も女子も、そこはかとなく写真が見える位置に動いて画面を確認する。

 美奈も、大将ちゃんの行動に驚きながら、その写真を見た。

 

 おにゃのこだ。一人のおにゃのこが、ぐったりとストレッチャーに寝かされてる。目は閉じられ、意識がない。襟の部分が赤く染まっていて、かなり出血したことがなんとなく分かった。

 

 視線を下に持っていくと、ストレッチャーに乗せる時に引っ掛かったのか、おにゃのこのスカートがめくれ上がってる。短パンを履いているけど、その太ももの付け根には、確かに、指の形の青いあざがあった。

 救急車に搬送される直前の写真。角度的に民家のベランダから撮られた写真ぽかった。

 

「ご、合成とかじゃ……」

 

 由美ちゃん、改め馬鹿女ちゃんが、今にも泣きそうな眼差しで大将ちゃんに尋ねる。けれども大将ちゃんは無慈悲にも首を横に振った。

 

「ううん、合成じゃない。これは本当に、私が襲われた時の写真だよ」

 

 再び教室から息を呑む気配がした。女子たちの中には、痛ましそうに顔を歪ませている子たちもいる。特に物静かな子ほど、そういう悲痛な表情を浮かべていた。

 

 多分、年頃の女の子なら、誰もが一度は意識すること。女の子のお父さんが、メイクなんてしなくていいって言うのも、学校の先生がスカート丈にうるさく注意するのも、全ては女の子をそれから守るため。あるいは間接的にそれを意識しているから。

 

 魂の殺人。

 

 それを堂々と宣言する大将ちゃんに、ある者は痛ましいものを見る目を、そしてある者はおぞましいものを見る目を、それぞれ向けていた。

 

「…………っ、……ぅえ……」

 

 ぽろぽろと、馬鹿女ちゃんの眼から涙が零れ落ちる。本人から聞かされたショッキングな事実に耐えられなかったんだね。美奈もちょっと苦しい気持ちになっていた。大将ちゃんが女の子が経験し得る中で最も残酷な目にあったから、じゃなくて、それを朝の教室で堂々と宣言できる神経の無さに心底ドン引きしたからだ。

 

「泣かないで、由美。私は大丈夫」

 

 大将ちゃんが慈愛に満ちた目で馬鹿女ちゃんを見つめた。

 

「…………でも……でも、…………っ」

 

 しゃくりあげる馬鹿女ちゃん。どれだけ大将ちゃんに依存してるんだろう?って思っちゃって、美奈はちょっと背筋にうすら寒いものを感じた。

 

「だって、ちゃんと助けてもらったから」

「え…………?」

 

 馬鹿女ちゃんが呆然とする。ぽけ、とした顔で大将ちゃんを見つめた。

 教室内の生徒たちも、みんな似たような反応を示す。大将ちゃんが何を言っているのか、美奈にもよくわからなかった。

 

「ほら、よく見て。ちゃんと短パン履いてるでしょ」

 

 大将ちゃんがスマホを指す。確かに、写真の中の大将ちゃんはぐったりと横たわり、頭から血を流しているが、その足の付け根には黒い短パンがあった。

 一番悲惨なことは免れた。大将ちゃんはそう言うが、あまり説得力はなかった。だってその写真は、あまりにも普通からかけ離れていて、なんていうか………………もろ“そういうこと”の後にしか見えなかったから。

 

「…………助けてもらったって、誰に?警察のひと?」

 

 勘違い女ちゃんが尋ねる。彼女自身、半信半疑な様子だった。美奈も大将ちゃんの言っていることは怪しいと思う。どう見ても写真の中の大将ちゃんは意識を失っている。だったらその間になにをされたかなんて分からないんじゃないのかな?それにそれに、病院で検査をすれば襲われたかどうかなんてすぐに分かる。それでもしも襲われた女の子に、その時の記憶がなかったとして………………周囲の人は、その女の子の身に何があったのか、馬鹿正直に本人に言うかなあ?

 

 大将ちゃんは、優しい嘘に守られているんじゃないか。美奈は勘違い女ちゃんがそう思っているんだろうな、と思った。

 まあ、でも。仮にそう思ったのならあんまり突っ込むべきじゃない。案の定、その可能性に思い至った華ちゃんが嘲笑するような笑みを浮かべた。

 

「それ、うちも気になる。誰に助けてもらったの?」

 

 にやにやと笑いながら、華ちゃんは大将ちゃんに尋ねる。きっと、大将ちゃんの答えから矛盾や不自然な点を見つけたいんだね。そこから大将ちゃんを守っている、ふんわりふわふわした善意の嘘を破り去って、大将ちゃんの心に風穴を開けたいんだ。

 大将ちゃんは持っているスマホを抱き寄せた。そうしてとっても幸せそうな笑みを浮かべると、歌うようにこう言ったの。

 

「私の、王子様」

 

 正直なところ、美奈はちょっと興味を失いかけた。だって大将ちゃんが、あんまりにもぱっぱらぱーなことを言うから。女の子の「終わり」を生々しく想像させるような写真をわざわざ教室中のみんなに見せておいて、なのに肝心の自分を助けてくれた人は夢見がちな女の子の妄想みたいに王子様なんて言う。きっとクラスのほとんどの人は、大将ちゃんは自分が見たい夢を見ているんだと、そう思ったと思う。

 

 苦しい現実から目を背けるために。

 自分で作り出した夢に、浸っているんだと。

 

「へええ」

 

 華ちゃんが嬉しそうな声を上げた。本当にもう、心の底から嬉しそうな声音。

 華ちゃんは、大将ちゃんの言ったことを繰り返す。

 王子様、王子様かあ。

 喜色の混じった声でそう呟く。嬉しそうな華ちゃんに対して、勘違い女ちゃんとからっぽ女ちゃんはというと、なんだか辛そうな顔をしていた。馬鹿女ちゃんに至ってはまた泣き出しちゃってる。

 ふと、華ちゃんはぐり、と大将ちゃんに目を向けた。

 

「その王子様って、どんな人?」

 

 ほら、背格好とか、顔つきとか。華ちゃんはそう言い、大将ちゃんの返事を待つ。

 大将ちゃんはぱっと顔を輝かせると、一つ一つを歌うように言った。

 

「顔はちょっと子どもっぽくて、女の子みたいに色が白いの。体の線は細いんだけど、不思議と頼れる感じで…………ああ、あと、男の人にしては睫毛が長くて…………なんか、耽美な感じ」

 

 容姿について語る時、ちょっとだけ大将ちゃんは恥ずかしそうにした。

 美奈的に、大将ちゃんが言ったことは意外だった。あの大将ちゃんが、自分が作り出した夢の中の存在とはいえ男の人の容姿を肯定的に評価するなんて。

 よっぽどその人が気に入ったみたい。まあ、夢の中の存在だけど。

 

 あれ、でも、なんか変かも?美奈は心の中で頭をひねる。けれども具体的にどこに違和感を抱いたのかは、大将ちゃんが言葉を続けたのでわからなかった。

 

「それで、私をその腕で、ヒーローみたいに助け出してくれたの。記憶はないんだけど、きっと、かっこよかったんだろうなあ」

 

 大将ちゃんは本当に幸せそうにその人について語る。クラスのみんなはそれぞれの面持ちで彼女の言葉を聞いていた。

 

「……ふっ、ふぐっ……そ、それで……?」

 

 一人だけ、笑いを堪えながら華ちゃんは続きを促す。おかしくて仕方がないといった様子で、大将ちゃんの言葉に耳を傾けていた。

 

「それでね、普段はぼんやりしてて、何を考えているのか分からないんだけど…………それでも、私の嫌がることは絶対にやらない。なのに、ピンチになったら颯爽と現れて、私のことを助けてくれるの。これってとっても素敵なことでしょう?」

 

 予鈴が鳴った。一限目の始まりが近づいている。美奈的にはもっと大将ちゃんの妄言を聞いていたかったけど、時間が来ちゃったならしょうがない。華ちゃんがこんな面白いものを放っておくなんてありえないし、続きはまた次の休み時間に見られるかな。

 

「へ、へえ……ふ、くくく」

 

 遂に堪え切れなくなったのか、華ちゃんは笑い出した。他のみんなは予鈴が鳴ったことで我に返ったのか、それぞれの席に戻っている。中には華ちゃんに対して不快感を露わにする人もいたけれど、実際に彼女を止められる人はいなかった。少しだけ緊張が解けた空気の中で、ふと思いついたことがあるのか、華ちゃんがぱっと顔を上げた。

 

「その人の、名前は?」

 

 視線を切った人たちも、ちらりと大将ちゃんのことを見る。いったいどんな名前が飛び出すのか、美奈もわくわくした。

 誰だろう?芸能人の名前かな?それともアニメキャラクターかな?それともそれとも歴史上の人物とかかな?

 

 まあどんな名前でもいいけど、できるだけ有名な名前が良いかな~。アイドルの名前とか、俳優とか。だってだって、みんなが知っていればいるほど、大将ちゃんの話が妄言である信憑性は高まるもんね!

 

 美奈は頭の中で芸能人の名前を思い浮かべる。こういう時、一番面白い名前は何だろうね?

 

 どんな名前でも、大将ちゃんが、町田末那が襲われ、本人はその記憶を捻じ曲げたという噂は広まるだろう。美奈的には、華ちゃんが「レイプされたって本当?」と訊いた時点で結構お腹いっぱいだったけれども、この面白劇場の最後の味付けがどうなるか気になって、ついつい大将ちゃんをガン見しちゃった。

 

 華ちゃんの質問に対して、大将ちゃんは蕩けるような笑みを浮かべた。見るもの全てを魅了するような、蠱惑的な笑み。その笑みは、その表情は、誰がどう見ても__

 

 __恋する、女の子のものだった。

 

「あらやくん」

 

 美奈は即座に、頭の中でその名前を検索した。あらや、あらや。ちょっといかつい名前。だからこそ芸名って感じがする。アイドルかな?俳優かな?う~~~ん。だめだ。思いつかないなあ。

 ちらっとみんなの顔を見るけど、あらや、という名前に心当たりのありそうな子は誰もいなかった。

 

「………………え?」

 

 ふと、華ちゃんが呆然としていることに気が付いた。その表情が、大将ちゃんの言ったことが彼女にとって心底意外だったと示している。

 美奈はそんな華ちゃんに目を向けた。美奈的にあらやって名前はあんまり面白い名前じゃなかったけれど、華ちゃんには心当たりがあるらしい。でもなんだろう、華ちゃんの反応がちょっと、思っていたのと違うかも……??

 

 華ちゃんは眉をひそめると、大将ちゃんに向かって口を開いた。

 

「あらやくんて………………どの、あらやくん……?」

 

 尋ねる華ちゃんの態度は、妙に弱弱しい。美奈はそんな様子を見て、なんでだろう?って首を傾げる。

 あらや、っていう名前は、そんなに有名なのだろうか。そういう名前の凄腕の用心棒とかがいるのかな?でも、華ちゃんの目は、そういう、本当に守ってもらえたんじゃないかっていう懐疑の目じゃなくて、もっと不安そうな…………思いがけないところで好きな人と恋敵が会ってた、みたいな、そんな乙女チックな感情を湛えていた。

 

 そんな不安そうな華ちゃんの問いかけに、大将ちゃんはにっこりと笑う。

 そうして大将ちゃんは、今日一日中の話題をかっさらっていくような、そんなとんでもない爆弾を投下した。

 

「隣のクラスの、あらやくんだよ」

 

 

 

 

 


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