人を呪わば恋せよ少女   作:緑髪のエレア

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感想ありがとうございます。全部読んでいます。
ちなみに末那にはモデルになった人物がいます。いました。もう乖離しすぎて原型ないですけども。こんなクレイジーサイコパスをのさばらせていたらそれだけで犯罪が成立しそう。私の友人にこんなやつはいません。





『伊地知潔高』09/23 17:02 10分57秒

(発信 奥多摩井川局 受信 港区東麻布局)

(通話開始)

『もしもし』

『阿頼耶君ですね?』

(2秒沈黙)

『ええ、はい。阿頼耶です。伊地知さんですか?』

(3秒沈黙)

『すみません、余計な質問でした。君が真正の土御門阿頼耶なのか、それすらもこちらには分からない。ただ、今の質問は君を心配してのことだと、どうか理解してください』

(2秒沈黙)

『あの』

『阿頼耶君、一つ質問があります』

『はいなんでしょう』

『近く、電話口の声を拾えるような場所に、町田末那はいますか』

(3秒沈黙)

『いえ、いません』

(5秒沈黙)

『いいですか、阿頼耶くん。落ち着いて聞いてください』

『私たちが追っていた精神操作の呪詛師』

『件の呪詛師の正体は、君と共に暮らしている町田末那です』

(8秒沈黙)

『阿頼耶君?』

(10秒沈黙)

『阿頼耶君?阿頼耶君!』

(2秒沈黙)

『伊地知さん』

『ああ、良かっ』

『高専がどんな人材を雇ったのか知りませんが、そいつは即刻解雇するべきです。ケアレスミスってレベルじゃない。こんなのかすりもしてない、大馬鹿野郎だ』

(かつかつと硬いものがぶつかる音が鳴る)

『伊地知さん、貴方も霊視はできますよね。なら分かるはずだ。病室で末那を見たでしょう。彼女は呪力を扱えない。一般人だ』

『ええ、私もそう思います。思っていました』

『いました、じゃないですよ。それで合ってるんです。末那は非、術師だ』

『阿頼耶君』

『誰ですか?そんなふざけたことを言う輩は。上か?ああ、そうだ。伊地知さん。以前内通者のことに触れましたよね。やっぱり俺の協力を好ましく思わない人間が』

『阿頼耶君!』

(4秒沈黙)

『私たちも、情報の裏取りは行います』

(2秒沈黙)

『明大前で彼女が襲われた時、君は彼女を助け出しましたよね』

『その時、君は術式を使った』

(5秒沈黙)

『それが?』

『あの場にいた人物は計3名。真人、交戦した君、そして町田末那』

『彼女が襲われた後、24時間以内に現場検証が行われました。術師による残穢の調査です。見つかった残穢は全部で3種類。それらの内、術者が明らかなのは、真人と君だけだった。それでは、もう一つは』

(10秒沈黙)

『呪霊が一匹だけだったとは限らないですよね。仲間の呪詛師がいたかも。そいつが、帳が上がったからびびって逃げ出した可能性だって』

『真人は徒党を組んだ特級呪霊です。あそこにもう一体呪霊が、ないしもう一人呪詛師がいたとして、どうでしょう。特級相当二名を相手にして勝負になる術師が、この国にどれだけいるでしょうか』

(5秒沈黙)

『そんなん、五条悟くらいだ』

『ええ。そして五条悟が最強であり、それ以外は彼の下位互換だということを知っているのは、何も高専関係者だけではない。当然、敵も、いえ、この国にいる呪術に関わる者全てが、己は彼の下位互換であると自覚している』

『現場に残っていた残穢は3つ。うち一つは正体不明。力量的に撤退は有り得ない』

『でもっ!こうも考えられますよね?初めは二人で襲いに来た。けれども途中で興が削がれたから一人は帰り、真人だけが残った。呪霊や呪詛師だ、団体行動なんてできやしないでしょう。それとも単に、非術師を殺すのになんで二人も必要なんだと苛立っていたのかもしれない。それで真人じゃないやつは、俺が帳を壊す前に現場から立ち去ったとか』

『照合したんです。現場に残された残穢を。精神操作の呪詛師に襲われた、被害者のものと』

(6秒沈黙)

『は?』

『脳を起点とした残穢。犯人は異様なほど痕跡を残さないが、ゼロではない。だからそれを辿ればやがては犯人にたどり着く。ここひと月ほど、君が無給でやってくれていたことです』

『明大前に残されていた残穢と、被害者のそれ。それが一致した。しかも前者は、町田末那が頭を打ち付けたコンクリートの塀に付着していた』

『十分に証拠が揃っています』

(2秒沈黙、次いで、息を吸う音)

『状況証拠だ。あんたらは末那が実際に人を襲うところを見てな』

『本日、一二時四五分から五八分にかけて、町田末那が一人の少女を襲いました』

(12秒沈黙)

『は?』

『被害者の名は唐仁原華(とうじんばらはな)。彼女のクラスメイトです』

『ちょ、ちょっと待ってください。何を言って』

『一限目が始まる前、彼女たちは言い争いをしていました。内容まではわかりませんが、それぞれのグループだけではなく、クラス全体を巻き込んだ争いだったと』

『いや』

『昼休み、君に弁当を届けた後、町田末那は校舎の裏に向かいました。特別棟の裏手、業者がペットボトルの回収を行う以外、誰も来ることがない場所です。通行人に見られることもない。町田末那が到着すると、そこには唐仁原華がいました』

『違う』

『初め、両者は穏やかに話し合いをしているように見えました』

『だってさっき』

『異変が始まったのは、両者が顔を合わせてから数分後』

『和解した、って』

『突然、唐仁原華が苦しみ始めました』

(息を呑む音)

『地面をのたうち回り、喉を掻きむしって、声にならない声を上げ』

『そしてその様子を、町田末那は見つめていました』

『何も言わず。助けも呼ばず。10分以上の間、ただじっと。唐仁原華が苦しむ様を、彼女は見下ろしていました』

『監視していた術師によると、彼女はとても、楽しそうだったと』

『昼休みの終わりが近づき、町田末那が何かを言うと、唐仁原華が何事もなかったかのように立ち上がりました』

『町田末那が去った後、校舎裏で立ち尽くす彼女を監視役の術師が確認したところ、その脳に残穢が確認できたそうです』

(4秒沈黙)

『違う』

『何も、違うことは有りませんよ。阿頼耶君。もはや状況証拠だけではない。町田末那は術師、いえ、呪詛師です』

『違う!』

(8秒沈黙。その間、荒い呼吸の音が混じる)

『末那は…………違う。そんな人じゃない』

『違うとおっしゃられるのなら、彼女を術式で視てはどうでしょうか。君の術式はそれを使う者の脳にとって極めて不親切ですが、習熟すれば「六眼」を超える。無下限呪術を持たない五条悟ならば…………ご自分の眼で確かめてみては』

(8秒沈黙)

(衣擦れの音、呪力の湧き立つ音が混じる)

(息を呑む音がした後、18秒沈黙)

『嘘だ………………………………………こんな…………………………………………こんなこと……………………………………何かの間違いだ』

(32秒間、嗚咽混じりの声が続く)

『彼女の討伐作戦が、明後日、日曜に決行されます』

『派遣されるのは五条悟。オーダーは――――()()です』

『そこで君にお願いしたいのは、日曜日の町田末那の予定、動向を、可能な範囲で構いません。彼女から聞き出し、我々に伝達していただけますか』

(10秒沈黙)

『すみません、今の要望は配慮に欠けていました。君は小夜さんを連れて安全な場所に』

『伊地知さん』

(2秒沈黙)

『はい』

(4秒沈黙)

『今日、俺、初めて末那と「会話」できた気がするんです』

『これまでは同じ家に住んでるのに、お互いがいないかのように振る舞って……………………顔を合わせても、まともに挨拶すら交わしていませんでした』

『それはきっと、俺の態度のせいで……………………。彼女が来てから俺は、気配を殺して、息を殺して。そうして、彼女にとって「空気」であろうとしました。そこにあるようで、掴むといなくなる。彼女を益することはないけれど、その代わり積極的に害しもしない。そんな存在になろうとしてた』

(6秒沈黙)

『君は優しい人だ。彼女の身に起こったことを聞いて、君なりに考え抜き、配慮した』

(自嘲的な笑い声)

『違うんです。伊地知さん。そうじゃない』

『悩みに悩み抜いて決めたことじゃない。彼女を傷つけないよう……………………彼女を尊重しよう……………………そう思ってそんな態度を取っていたわけじゃないんですよ』

(引きつった笑い声)

『結局のところ……………………俺に勇気がなかったから。俺に、末那の傷と向き合う勇気が……………………彼女の空虚を、俺自身が傷ついてでも埋めようって気概がなかったから……………………だから俺は、そんな中途半端な態度しか取れなかったんだ』

『中途半端な態度のつけ。それを今、俺は払わなければならないんですね』

(10秒沈黙)

『腹は決まりました。協力します』

(息を吸う音)

『何を、すればいいですか』

(2秒沈黙)

『ありがとうございます』

『先に言ったように、動向を聞き出せた場合は、それを我々に』

『分かりました。できる限りやってみます。それ以外では』

『そうですね、っと、少し失礼』

(6秒沈黙)

『では、彼女をおびき出して頂けますか。決行は夜なので、麻布のご自宅の近く。それでいて、できるだけ人のいない場所』

『東京タワー』

『え』

『東京タワーの展望台を貸し切りましょう。電気を消せば外からは何も見えない。強化ガラスで頑丈だし、仮に失敗して末那が逃走を図ったとしても、地上に降りるにはエレベーターを使うしかない。バックアップもし易いかと』

(3秒沈黙)

『成程、良いと思います。彼女に怪しまれずに、展望台までつれ出せるなら』

『そこは、多分問題ないかと』

(2秒沈黙)

『分かりました。君と小夜さんの自宅を戦場にするよりはいいでしょう。五条さんと相談します』

『お願いします』

『後は』

『後はこちらで行います。君は異常を悟られないようにだけしてもらえれば。釈迦に説法かもしれませんが』

(2秒沈黙)

『分かりました』

『よろしくお願いします。それでは』

『あの』

『はい』

(躊躇う気配)

『本当に』

(呼気だけが響く。何度か言おうとし、躊躇う)

『本当に、殺すしかないんですか』

『上層部が何を掴んだのかは分かりませんが、俺には末那が』

(2秒沈黙)

『末那が、人殺しをするような人物だとは、どうしても思えないんです』

『彼女の何を知ってるんだって言われるかもしれないですけど、でも、俺は彼女が…………もう殺すしかないような、生きていちゃいけないような、そんなどうしようもない悪人だとは、思えない』

(6秒沈黙)

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。残念ですが…………彼女の殺害は、もはや決定事項です』

(10秒沈黙)

『そう、ですか』

『はは、しかも五条さんか。そっか』

『じゃあ、末那はもう、死ぬことが確定してるんですね』

(6秒沈黙)

『申し訳ありません。そろそろ切ります』

『あ、あと』

(5秒沈黙)

『伊地知さん?』

『いえ、何でもありません』

『それでは』

(通話終了。通話時間 10分57秒)

 

 

 *

 

 

 高専、その一室。室内には銀色に光る台が数個と、メスや注射器といった医療器具がある。それ以外にも、体重計や秤、ヘッドレスト等、種々の器具が置かれていた。点滴や心電図といった、人を生かすための機材はここにはない。何故ならここに運び込まれるのは生者ではなく死者だから。

 

 死体安置所。使われないことに意義がある場所で、五条悟は数枚のレポートに目を通していた。銀色の台に腰掛け、目隠しをしたままA4サイズの用紙をその手に持っている。彼の周囲には20枚から30枚ほどの紙媒体のレポートが散らばっており、それらは二つのグループに分けられていた。

 二つに分けられたレポート群。それらのうち、五条から見て右側が公式。関係術師、例えば七海健人や伏黒恵に提出する用。

 そして左側が非公式。上層部の一部と五条しか知らない、知ってはならないレポート。

 

「そこは死者がメッセージを伝えるための場所だ。お前が座るための場所じゃない」

 

 アンニュイな女性の声が、五条のいる死体安置所に響く。こつこつとヒールの音を鳴らし、反転術式の使い手であり医師免許保持者である家入硝子が、入り口の扉を開け室内に入る。彼女は五条が解剖台に座っているのを見ると、死者でないものがそこに乗るなとその不謹慎な振る舞いを咎めるように言った。

 家入の声に、五条はレポートから顔を上げる。彼女の姿を認めると首を傾げた。

 

「別に座ってないよ」

「なんですぐ分かる嘘を吐くんだ。3歳児かお前は」

 

 堂々と言う五条に、家入が突っ込む。どこからどう見ても五条は解剖台に腰掛けている。彼があんまりにも平然と言ったので、家入は「座る」という概念に自身と五条との間で致命的な食い違いでもあるのかと思った程だった。

 

「ほら、見て見て」

「ああ?」

 

 微妙な顔をする家入。そんな彼女に五条は己の太ももの裏を示す。解剖台と接する面、足と台が触れるところを。

 

「浮いてるでしょ?」

 

 五条に示されるまま家入が体を傾けると、確かに台と五条の太もも、というか尻の間には、数cm程度の隙間があった。

 

「じゃあ変える。解剖台をレポート置き場にするな」

「………………」

 

 座るな、に対し座ってない、と反論されたならば、別の論点を持ち出すまでだ。家入は術式を使って姑息な工作をした五条にいいからどけと言い放った。

 ――――というか無下限で浮くくらいなら最初からそこに座るな。なんで中途半端に配慮するんだ。

 

「…………で?これは?」

 

 報告書を置きたいならこれを使え、と、家入ががらがらと移動式の台を持ってくる。台の上にはメスや注射器、その他解剖に使うのであろう、のこぎりや外科用カッターが載っていた。

 

「リスト」

「何のだって聞いてるんだ」

 

 五条はそれまで解剖台に置いていた報告書の束を家入が持ってきた台に移動させる。家入も五条から見て右側にあった束を取り、その内容に目を通し始めたが、その内容は人物の名前、顔写真、そして簡単なプロフィールが書いてあるだけであり、一見して何のための情報なのかが分からなかった。

 

「性的嗜好の改変、虫に欲情…………表象の入れ換え、「顧客」を「くそ野郎」に…………」

 

 家入は報告書の束をぱらぱらとめくり、その内容を読み上げる。一見して精神疾患や異常性癖を持った者のリストのようだが、「改変」や「入れ換え」という単語はそれらが人為的に引き起こされたものであることを示していた。

 

「件の呪詛師の被害者か」

 

 家入はリストの意味を得心し、呟く。彼女は一時的に高専を騒がせている呪詛師について不知ではなかったが、熟知してもいなかった。彼女は治癒要員であり検死官。死者が現れなければ彼女の仕事もない。

 

「これをJKがねえ」

 

 被害者のリスト。並べられた情報の内、後遺症に限定して見ていく。性器の失認、聴覚の喪失、感情の鈍化、当然のことだが、被害者の後遺症は全て、認知や感情に関するものだった。

 

「虫に欲情…………吐しゃ物に欲情…………性器失認…………切り傷に快感…………性に関するものが多いな」

 

 10枚ほどの報告書。それらを読みながら家入は言う。彼女は「そういえば犯人の少女は従兄から性的な嫌がらせを受けていたのだったな」と、共有されたプロファイルの内容を思い出していた。

 ――――本名 町田末那。17歳。高校二年生。家族なし。母親が中学二年の時に自殺。以来親族の家に引き取られるが、そこで引きこもりの従兄から性的な嫌がらせを日常的に受ける。従兄の名は町田王様(きんぐ)。彼は当該少女の寝込みを襲ったところを父親に見つかり殺害されているが、これは当該少女が術式により父親を操り行わせたことだと推測される。少女の叔父、町田忠一は現在服役中。少女は術師 土御門小夜の遠縁の親族であり、本年6月より麻布にある土御門邸で生活している。小夜との関係は良好。同居人の土御門阿頼耶とは関係を断っていたが、本年9月より交流が始まった模様。なお、土御門阿頼耶は高専の協力者であり討伐作戦において被害者の捜索を請け負っていた――――。

 少女の生い立ち、その概要。以下、プロファイルには少女についての様々な情報が記載してあった。それらの情報と、主に小夜との関係性、友人との関わり、そして発見された被害者の症状を分析し、プロファイラーたちが出した結論は、『当該呪詛師に致命的な良心の欠如は見られない』であり、『また、彼女が憎悪しているのは己の尊厳を奪った従兄のような者たちであり、男性を襲ったことは単に悦楽を得るためであるとは必ずしも言えず、加えて己と同類である女性を襲ったとは考えられない』…………ということだった。

 そのためその罪を問うよりもこちら側に引き入れたほうが、呪術界にとって有意義である――――。

 

 その結論に至るまでには、当該呪詛師が高専に対しその尻尾を全くといっていいほどに掴ませなかったという経緯も考慮された。

 少女が犯人だと発覚するまで、この呪詛師が社会全体に与える悪影響は、それを推測することすら困難であった。これが例えば、職場の人間を都合よく操る程度なら、その影響はたかが知れている。

 だが仮に呪詛師に商売っ気があったとして、人をその量においても行為においても無制限に操ることができるのだとしたら、大量の女性を集めて風俗店を経営することだって可能だ。操られた、ないし認識を歪められた彼女たちは喜んで「接待」に応じるし、プレイの内容に不満を言うこともない。給料を払わなかったところで文句を言われることもないし、病気になっても替えはいくらでも調達できる。

 風俗経営だけではない。宗教を興す。政党を作る。特定の思想をそうと知られずに群衆に植え付ける。犯人に知恵と野心さえあれば、国家を転覆することだって可能。しかし最も厄介なことは別にあり、それは犯人にその野心があるのかどうかは、捕まえてみないことには誰にも分からないということだった。

 

 それが蓋を開けてみれば、犯人は高校生の少女だった。そして少女が人を襲う理由は野心や壮大な目的ではなく、自身の個人的な経験によって培われた憎悪のみ。それが感情によって行われており、大義によって行われているのでないのならば、その危険性は少女が成長させた憎悪の量に比例する。そして分析の結果、少女の憎悪は許容量。レッツスカウトと相成った。

 

 そんな上層部の判断を、家入は至極合理的で当然のことだと思っていた。少女に襲われた男性たちには不満を言われるかもしれないが……………………それはそれとして人材はいつだって欲しいものだ。少女が呪詛師として開花する前に対処する必要があるというのならば、抹殺してその才能を無為にしてしまうよりも、管理されたシステムの中でそれを有効活用してもらう。突然変異なのか隠していたのかは分からないが、『力』を振るいたいというのならば、こそこそ隠れて行使するのではなく、正々堂々、正義の名の元でその『力』を振るってもらおうじゃないか。

 レポートの表紙には町田末那の顔写真とプロフィールが記載してある。家入は妖艶だがどこか陰を感じさせるこの可憐な呪詛師について、そんなふうに思っていた。

 

「少女の被害者のデータなんか見て…………明後日の予習か?」

 

 家入は五条にそう問いかける。少女の脅威度的に仕方がないのかもしれないが、彼女にはこの男が「勧誘」に著しく不適格な気がした。

 

「予習っちゃ予習かもね」

「……………………?」

 

 曖昧な五条の受け答えに家入は首を傾げる。五条はほい、とそれまで自身が眺めていた方のレポートを………………時期が来れば握りつぶす用のそれを家入に渡した。

 

「……………………随分詳細だな」

 

 家入は渡されたそれに目を通し、呟く。五条が読んでいた報告書。それもまた少女呪詛師に襲われた被害者のデータだったが、彼女の読んだものとは情報の密度が全く異なっていた。

 

「………………佐藤重明、32歳。商工会議所勤務…………池袋の路地裏で狂ったように笑っているところを、2級術師の伏黒恵が発見、保護…………彼は喜怒哀楽のうち楽以外の感情が欠落していた………………以来高専協力の病院に入院、経過を観察…………」

 

 静かな死体安置所に、家入のハスキーな声が響く。ふと、家入はそこで読み上げるのを止めた。彼女が読み上げを止めたことで、静かな室内には空調の音だけが低く響いていた。

 家入に代わり、五条がその後を引き継ぐ。彼は軽薄とは程遠い口調でこう言った。

 

「…………観察開始から3日後、彼はナースコールで首を括り…………自殺した」

「……………………」

 

 死体安置所に沈黙が降りる。本来想定されるこの部屋の使用用途からして沈黙であることは当然だが、その沈黙には別種の重さがあった。

 

「………………三浦博、45歳。住宅街の真ん中で数遊びをしているところを発見、保護。5日後、窓から飛び降りて自殺」

 

 家入は読み上げを再開した。そこに書かれた罪の一部始終の重さを、確かめるように。

 

「濱田陽介、26歳。皇居周辺をふらふらと歩いているところを保護。病院に入院するもその日のうちに備え付けのテレビのリモコンを飲み込み、窒息して死亡」

「和田功、67歳。散歩から帰ると突如として抜け殻のようになったことで家族が心配し、病院へ。重度の鬱と診断される。入院から2週間後、死亡。死因は呼吸を辞めたこと」

「大町彰吾、19歳。刃物に欲情する特殊性癖を持つ。自宅の包丁で自慰を行おうとし、陰茎を切断し出血多量で死亡。遺族によるとそのような嗜好は彼が実家にいる時には絶対に持っていなかった」

「元木弘明、23歳。接着剤を飲もうとし窒息して死亡。死後、彼の胃からは尿、インク、醤油、食用油、はちみつ、ケチャップ、消臭剤、香水の混合液が発見された。家中の液体を飲んだと思われる。死後2日で発見」

「佐々木正太郎、51歳。アパートの屋上から飛び降りて死亡。彼の日記からは自らをアメコミのヒーローだと思い込んでいるような記述が散見された」

「松下宗次、72歳。協力者による捜索で発見。どこにも異常はないように見えたが、カウンセラーとの会話中に突如舌を噛み切り死亡。会話中のいずれかの単語がトリガーになったと考えられる」

 

 まだ10枚ほど続きがあったが、家入はその先を読まなかった。

 

「これらの事案(以下、本件事案群と呼称)並びに本件呪詛師について、『罪の時点において無垢な呪詛師の違法性消失プロトコル』を適用。同プロトコル上の使者に五条悟を指名する。また、当該呪詛師が術師として活動を始めた場合の周囲との軋轢を避けるための特別措置として、本件事案群をトク秘認定、事案と関係する者に当該呪詛師案件が終結するまでの間、箝口令を敷くこととする。仮に当該呪詛師が敵対した場合は本件事案群を正規の事案として承認するが、当該呪詛師が術師として活動すること、ないし高専の管理下に置かれることを承諾した場合は、本件事案群は抹消され、全ての記録は破棄されるものとする…………」

 

 報告書の最後のページにあった文章を読むと、家入はため息を吐いた。

 

「しっかり呪詛師じゃないか」

 

 家入のその言葉は静謐な室内に溶けて消え、後には空調の音だけが響く。五条は頭の後ろに手をやると、「そうなんだよなあ」と呼気と共に吐き出すように言った。

 

「邪悪と言えば邪悪。結果論のような気もするし、故意犯のようにも見える。まあ、若いみそらのやんちゃで片付けられるかは、個々の術師によるだろうね」

「………………だから隠蔽、か」

「そ」

 

 五条は頷き、

 

「ま、伏黒や七海、あとあの後輩くんとかは、薄々気づいてるだろうね。表には出さないだけで」

 

 家入がそんな五条に対し言う。

 

「良いのか?それ。七海はともかく伏黒は学生だ。まだそういったことと折り合いを付けている真っ最中だろう」

 

 家入の言う折り合い。それは罪と功を天秤にかけること。これまで呪詛師として社会に与えてきた害よりも、術師としてもたらす功が大きいのならば、彼、彼女の罪は打ち消される。それはいわば襲われた者たちや殺された者たちといった個々の被害を数値としてのみ扱うことであり、人間の罪を減らしたり増やしたりできるものとして扱うことを意味していた。

 

「この少女は、彼らには刺激が強いな」

 

 家入は互いを認め合い、切磋琢磨する彼ら彼女らを思い浮かべ、そう言った。

 ――――だからこそ、悪だくみしてるんだよ。

 五条が家入に言う。彼女が首を傾げるのをよそに、彼は焼け石に水かもな、と、彼にしては珍しく、自身の企みを否定するようなことを言った。

 

 

 

 *

 

 

「――――♪」

 

 コーヒーの匂いが漂っている。同居人が淹れたコロンビアコーヒー。チョコレートのような、お線香のような。嗅ぎなれない匂いだが悪くはない。むしろ――――好ましいくらい。あるいはそれとも、今日この時この瞬間に、この香りを好きになったのだろうか。そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。どっちでもいい。この香りに包まれていることが、何だか心地良かった。

 

「――――♫」

 

 カップを傾け、黒々とした液体を口に含む。苦い、そして少し酸っぱい。だけど全体的に――――ちょっと甘い。

 私はカップを置くと、ほう、と息をつく。これまでは苦いだけの欠陥飲料だと思っていたが、これは中々好みの味だった。やっぱりちゃんとした豆を使っているからだろうか。あるいはそれとも――――淹れ方が良かったのだろうか。

 

「――――♪」

 

 足を揺らす。弾んだ心に導かれるまま。ぷらぷら、ぷらぷら。

 ふふ、と笑みが漏れる。何故今自分が笑ったのかが分からず首を傾げる。けれどもそれも直ぐにどうでもよくなった。

 

「――――♬、ん?」

 

 ふと、声が聞こえる。廊下の奥。くぐもった声で、違う、と聞こえた。

 

(………………誰と話してるんだろ)

 

 優しい彼が声を荒げる場面が想像できなくて、私は首を捻る。そうして会話の内容を聞こうと耳を澄ませたが、結局声が聞こえたのはその一瞬だけだった。

 

「――――♪」

 

 カップを撫でる。足を揺らし、でたらめなメロディーを口ずさみながら。私は同居人が戻ってくるのを、ご機嫌な心持で待っていた。

 

『――――変な遠慮とか罪悪感とか持たずに、いくらでも俺を使ってほしい』

「ふふっ」

 

 笑みが漏れる。今度はその理由ははっきりしていた。先ほど彼が言っていたこと。その言葉を思い出したからだ。

 いくらでも、俺を使ってほしい。その言葉は私の心を妙にさざめかせた。それは多分、私はこれまで、異性にとっての自分は単に消費され、使われるものだと思っていたから。私は異性にとって欲を満たすための道具であり、獲得されるトロフィーのようなものであると、心のどこかで思っていたから。だから彼がそう言った時、私は胸の高鳴りと共に、ある種の解放、カタルシスまで感じたのだった。

 

 そうして今の私は、その言葉を思い出したうえで、何となく、こう思った。

 彼は私()幸せになろうとするのではなく。

 私()幸せになってほしいのだと。

 彼の言葉から、私はそんな思いを感じ取っていた。

 

「…………変なの」

 

 そう言いつつも、その口調は少し甘くて。私は妙な気恥ずかしさに襲われた。首の裏がぞわぞわするような、胸の奥が少しだけ熱くなるような。そうして鼓動が少しだけ早まる。私は自分の頬を軽く叩いた。こんなの私らしくない。こんな乙女みたいな感情は、由美や穂香にこそ相応しい。ああいう朗らかで優しく、人を思いやれる女の子にこそ、こういう純情は相応しい。

 

「――――、ん」

 

 私が気持ちをリセットするようにカップを傾けた時――――背後で、ドアが開かれる音がした。どうやら通話が終わったらしい。彼はリビングに入ると、私のいるダイニングテーブルに向かって来る。

 ふと私は、その足取りがやけに力を失っていることに気が付いた。

 

「……………………?」

 

 気配が近づいて来る。私はカップを置くと、そちらに顔を向ける。

 

「……………………」

 

 振り向いた先で、彼は黙って立っていた。床ともテーブルの脚ともつかない場所を見つめて。そうして悲痛そうな表情を浮かべていた。

 

「………………どうしました?」

「っ」

 

 私が声を掛けると、彼はぴくりと身を震わせた。私は内心で首を捻る。通話の相手と何を話していたのだろうかと訝しんだ。

 

「あ……もしかして、小夜おばあちゃんに何か――――」

 

 憔悴しきった彼を見て、ふと心に浮かんだこと。私はそれを恐る恐る彼に尋ねる。彼がここまでショックを受けること。それは例えば、身内の不幸とか。だとするとおばあちゃんに何か――――あったの、だろうか。

 

「え…………?」

 

 私の問いかけに、阿頼耶は顔を上げた。その目が見開かれている。その様子から、私の言ったことは彼にとって意外そのものだったと分かった。

 

「あ、いや…………」

 

 歯切れ悪く、彼は肯定とも否定ともつかない声を漏らす。

 

「ごめん、そういうのでは、ない。祖母ちゃんは元気だよ」

 

 そうして私の問いかけを否定する。小夜おばあちゃんに何かあったのではないか、という心配を、彼は否定した。

 否定、してくれた。

 

「そう、ですか」

 

 よかった。そう呟きつつ、しかし私は再度思う。

 それでは――――何故、そんなに辛そうな顔をしているの?

 

「――――そうだ、話の途中だったよね」

 

 彼は我に返ったようにそう言うと、さっきまで座っていた場所に向かう。椅子を引き、食べかけのマドレーヌの前に座った。

 

「いえ、やっぱりいいです」

 

 そんな彼に対し、私は首を振る。私は彼に『力』のことを打ち明けるのが――――急に、怖くなっていた。

 

「そう、か」

 

 数秒の沈黙の後、阿頼耶は呟き、カップに目を落とす。その瞳は、彼にしか分からない何かと何かの狭間で、ゆらゆらと揺れていた。

 

 




『罪の時点において無垢な呪詛師の違法性消失プロトコル』
第一条(理念)このプロトコルは、呪術師の人材不足、並びに呪霊の脅威が年々増している昨今の状況をかんがみ、呪詛師と認定された者のうち、その行為の時点において、術式を持つ者の存在と、それらが組織化されていることを知らなかった者(以下、無垢な呪詛師)に対し、適切な教育を施すことで、呪術師として活動させ、もって呪術界の発展に寄与することを目的とする。
第二条(定義)
①(無垢な呪詛師)無垢な呪詛師とは、次に掲げる要件を全て満たす者をいう。
一 呪詛師と認定された者
二 術式を手段として用いた行為の時点において、呪術高等専門学校、禪院家、加茂家、五条家の存在を知らなかった者
三 前号につき過失のない者
②(基準日)基準日とは、使者が当該呪詛師に接触した時点をいう。
第三条(適用範囲)このプロトコルは無垢な呪詛師のうち、18歳未満の者に適用される。
第四条(効果)無垢な呪詛師と認定された者には、次に掲げる効果が生じる。
一 基準日以前に行った全ての行為の免責
二 東京、及び京都呪術高等専門学校へ入学する権利の付与
第五条(例外)このプロトコルは、無垢な呪詛師のうち、その行為の様態や動機、精神性から特に悪質だと判断された者については、適用しない。
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