女はみんな女優。
そんな言葉を聞いたことがある。
女性の社交性の高さを端的に表すのに、女優という言葉がぴったりだったのだろう。
一介の高校生に過ぎない自分も、その言葉が示すところは何となく分かる。
例えばリュックに新しいキーホルダーを付けてきた女子に対しての「あ、これ可愛いね。北欧風っていうの? おもしろ~い」は「(小物でアピールとかあざとすぎw死ねば?)」だし、返答の「えへへ、でしょ? 表参道の雑貨屋さんで買ったんだ~ま、あやには教えないけどね~」といういたずらっ子のような冗談めかしたセリフも、「(細かいところに気を配らない女って何の価値もないよね~w小物すらオシャレにまとめられない喪女予備軍は精々私のセンスを崇めてろよ)」みたいな意味だったりする。
かように女子というものは表と裏(というか副音声)を使い分け、常日頃から本心を隠し、真実を隠蔽し、そうして嘘と欺瞞に溢れた言葉を応酬しているのだ。
その在り方は花々というよりも修羅のようであり、そんな彼女たちを形容する言葉は「花園」より「魔界村」の方が相応しかろう。まあこれは共学の高校に限った話であって、正真正銘女子しかいない空間というのはやはり「花園」と言える……というとそんなことはなく、そこにはまた別の意味での「魔界村」が広がっているらしいのだから、げにこの世というものには救いがない。女の子どうしで湿度の高い恋愛をするゆる百合、いやガチ百合空間はどこですか? え? ない? はあ(クソでかため息)。
なお先の例ではキーホルダーを変えたことに気づかれなかった場合、それはそれで「ねね、ちょっと自慢していい? これ、表参道で買ったんだけどね~」と自分から「自慢であることは分かってるけどどうしても言いたいの!」という雰囲気を装って話し出すスタイルも存在したりする。その場合相手側としては受けに回らざるを得ず、「え、まじ? 気付かなかった、ごっめ~ん。でもやっぱあゆみセンスいいわ」みたいな感じでお茶を濁すのがセオリー。そうした億千万の流派を使い分けながら、彼女たち「女子」は自分だけの生き方を見つけていくのだった。女子って剣客のことだったのかな? 流浪人? 殺伐度的には北斗の拳か?
あと、同じグループ内でちょっと微妙な距離感の人と二人になっちゃったなーって時の妙に緊張感ある雰囲気ってどうにかならないんですかね。近くにいるとすごく居たたまれない気持ちになるんですが……。
何なのあの互いにスマホをいじりながら他の人が来るのを待ってる感じ。段々互いが互いに対して「この沈黙はお前のせいだ」みたいな雰囲気を出し始めるし、挙句の果てにはどちらかの仲が良い人が来ると当てつけみたいにそっちだけで盛り上って「私はノリがいい人とならちゃんと面白いんだかんな、沈黙だったのはお前のせいだかんな、橋本か~んな」みたいな空気を作り出すしさ。
千年に一人の美少女っていうかそのまま千年戦争に突入しそうな勢いだが、意外なことに彼女らはこういった緊張と緩和を繰り返すことでうまいことバランスを取り、グループが空中分解することを防いでいたりする。とどのつまり女子社会とは須らく冷戦構造を内包しているのであり、修羅の世界に産まれた彼女たちに対し、「浜辺美波可愛くね?」とか一生言ってるだけの一般的な男子が、恋愛という舞台で勝てる道理などどこにもないのだった。
というわけで、女はみんな女優、というか女優にならざるを得ないのであり、女優になる過程で腑抜けた男を蹴散らす強かな女になるのだと言えるだろう。
「くだらないことを考えているだろう」
ハスキーな声に指摘され、背筋がぎくりと跳ねた。別にやましいことを考えていたわけではないし、身近な人間関係の複雑さをコミカルに、しかし精緻な論理で展開した語り口はもはや哲学といえるまであると自分的には思うのだが、自負しているのだが、そういう自負心とは全く関係なく、目の前の女性にそういう指摘をされると、かつてごりごりに刷り込まれた上下関係のせいか勝手に背筋が伸びてしまうのだった。
家入硝子。
反転術式の使い手。
特に返答を期待していたわけではないのか、家入さんは俺の腹のあたりに触れていた指を離すと、「もういいぞ」と診断の終わりを告げた。
服を下ろし、露出させていた肌を隠す。薄いインナーの下には難筋かの白い跡が残っていた。
「内臓は問題なし。化膿その他感染症もなし。脳診断異常なし。直ぐにでも呪霊狩りに行けるぞ」
「ありがとうございます。やっぱり本業の方に診断を下してもらえると安心できます」
家入さんは医師免許を持っているだけあってその診断は的確だ。反転術式で治るとはいえ、本物の知識を兼ね備えた人から太鼓判を押してもらえるのは安心感が違う。
「まあ何年かずるしてるから、若干基礎知識が覚束ないんだが」
家入さんはそんな冗談を言った。
有能なのにジョークまで達者とは、懐の深さを感じる。
「ジョークじゃないぞ」
はっはっは。
家入さんは素晴らしいお人だなあ。
流石は俺の反転術式の師匠だ。
「そういえば、この後五条さんに呼ばれてるんですけど……何か知りませんか?」
席を立ちかけた時、ふと思い出したことを家入さんに尋ねてみた。
『硝子の診断受けたら、なんかあの大きい応接間で待っててね』
丸三日の眠りから覚め、五条さんから事の経緯を説明されて、そうして俺がそろそろ帰っていいかなと思い始めていた頃、彼は唐突にそう告げると────つむじ風のようにどこかへと消えた。
「あー……」
何か知りませんか? という俺のアバウトな質問に対し、家入さんは何か思い当たることがあるのか、どこか遠くを見つめるような目になり…………
「元から少し鈍感な気のある君には、何を言っているか分からないかもしれないが……」
「鈍感……」
…………そうして何やら俺を傷つけるようなことを言った。
そうですか。
鈍感ですか。
でも今ので傷つきましたよ。
「…………今の内に会っておいた方がいいと、私は思う」
家入さんは少しだけ固い、シリアスな声で、問いの答えを締めくくった。
*
大きい応接間で待っててね。
師匠の診断を受けた俺は、五条さんからの指示に従ってその場所に向かおうとした時、ふとあることに気が付き、廊下のど真ん中でぴたりと立ち止まった。
大きい応接間。
どこだそれは。
ただでさえ慣れない建物の内部にいるのに、そんなふわっとした指定の仕方をされても分かるわけがない。これだからあのサブカルクソ目隠しは……ノリが10年古いんだよ……とぐちぐち言い募りながら高専の中をうろうろとほっつき歩いていた折、俺はふと一つの扉の前で足を止めた。
応接間。
扉にはそう書かれている。
中から気配がしないことを確かめた俺は、そうっと扉を開けた。
五条悟はあんぽんたんだ。ついでに人の心が分からない。
その最たるものの内に、色々とアバウトな指示を平気で言い、それを本人としては完全に伝わっていると思い込んでいるという悪癖があると常々感じていたのだが、こと高専の応接間事情という場合に限り、彼の表現はある程度的確なようであった。
ここが目隠しの指定した場所だと思った俺は、室内をざっと見渡し、どこに腰を落ち着けたものかと思案する。部屋の調度品は整えられ、このままどんなお偉いさんだろうと丁重に迎えられそうだった。
取り敢えずこういう時は下座に座るのがマナーなんだっけ……とどこかで聞きかじった知識を元に視線を彷徨わせるが、そもそもどちらが下座でどちらが上座か分からない。仕方がないので入り口に一番近いところに座っておこうかと足を踏み出すと、ふとどこからか人の話し声が聞こえてきた。
音に導かれ、俺は窓際へと歩いていく。刑事ドラマとかでよくあるあの「かしゃってやるやつ」の隙間から、外の景色を見つめた。
「あ、」
そこで見た光景に、呼気とも声ともつかぬ音が喉から滑り落ちる。
窓の外に見えたのは、高専の生徒たちだった。
戦闘訓練でもしているのだろう、つんつん頭の少年と緑がかった髪をポニーテールに結った女性が、獲物を構え向かい合う。一合、二合、三合、片方の武器が弾かれ、宙を舞う。降参と示すようにつんつん頭の少年が両手を上に上げた。
「……パンダ?」
女性と少年が訓練を行う隣では、明るい髪の男子と巨漢のパンダが組手を行っていた。見ているだけで息が切れそうなやり取りは圧巻という他ないのだが、それはそれとして何故パンダがここに。どうしたのだろうか。上野動物園から逃げ出してきたのだろうか。
身体能力が高い少年と、不規則な動きをするパンダ。そしてそれを観戦する口元を隠した男子と、トンカチを持ちながら野次を飛ばす女性。
楽しそうだ。
仲睦まじげな姿に、微笑ましさと僅かな羨望を抱く。そのままぼんやりと窓の外を眺めていると、ふと視線を向けられていることに気が付いた。
先ほどつんつん頭の少年から一本を取ったポニーテールの女性。立ち居振る舞いからしてもうめっちゃ強そうな女性が、窓際からグラウンドを眺める俺を睨むように見つめていた。
視線に押され、窓際から一歩下がる。
何となく叱られたような気分になった俺は、大人しく座っているかと踵を返した。
広めの空間をぐるりと見渡す。
取り敢えず、入り口に近いところに座っておこうと決めた。暗殺に遭った時にそこが一番危険だから三下はそこに座るべきって聞いたことがあるし、なんか扉の近くって下って感じがするし、あと入ってきた人に挨拶しやすいし。俺はふらふらと足を振り出し、広い空間を入り口に向けて歩いていく。何だろう、こういうことがぱっと思い付くあたり、俺の社会人適性って案外高いのかもしれない。高専はやめて公務員にでもなろうかしら。
と、つらつらと益体もないことを考えていた、その時。
からから、と軽い音がして。
大きい応接間の、一つだけの扉が開かれた。
*
女性の指が、私の腹のあたりを押している。今はどの臓器を確かめているのだろうかと生物の資料集に載っていた人体図を思い浮かべるが、ふと一つの疑問に行き当たった。あの資料は自分の体を鏡で見た図なのか、はたまた自分以外の誰かを正面から見た図なのだろうか。
取り敢えず肝臓は右側だったはず……と唯一知っている臓器を元に相対的な位置関係を把握しようとするが、次第に内臓のイメージがこんがらがってくる。十二指腸が肝臓に、胃の先に膵臓が繋がっていることになったあたりで、私は女性が触診している部位を特定するのを諦めた。
「問題ないね」
女性────家入は指を離すと端的に告げる。ここが病院なら医者は患者の状態をカルテに書き込むのだろうが、家入の手元には何もなかった。
私は捲り上げていた服を下ろし、彼女が触れていた部分をさする。さばけた態度とは裏腹に、とても丁寧な手つきだった。
「────今の内に伝えておくが」
これからどうなるのだろうか。ぼんやりと自らの処遇について考えていた折、家入がそれを告げる。
「土御門阿頼耶────彼は生きているよ」
「…………っ!」
息を呑んだ。純粋な驚愕に目を見開く。
────よかった……。
不思議と家入のことを疑う気は起きなかった。多分、私がそう信じたいからだと思う。
あの時のことを、心の中で丹念に思い描く。道路脇で倒れ伏す阿頼耶。あの時の彼からはまるで生命の────精神の気配を感じなかったが、どうやらそれは私の錯覚だったらしい。治療を受けた阿頼耶は既に全快したと、家入は言った。
「生傷に限れば、君よりも少ないくらいだ」
そうして私は、彼女から今回の経緯を聞くことになった。
受け入れのこと、反対派のこと、そいつらが引き起こす「事故」のこと、それが生徒たちに及ぶ危険のこと。今回の一連は、その危険を払拭するために五条悟が立てたものだということ。
全部を聞いた感想としては、そんなもんか、だった。計画を立案した五条悟に対して憤るには、私の手は汚れすぎている。
「それで、彼についてなんだが」
家入は少しだけ躊躇い、
「これは私たちみたいな稼業の人間にとって、よくあることとは言えないまでも、その程度で良かったと胸を撫でおろす類のものでね」
瞳が言葉を選んで揺れる。私は唐突に発せられた不穏な空気に少しだけ身構えた。
家入は隈で縁取られた目元を何かを探すように伏せ、続ける。
「まあ今回のは五条が作り出した死地だから、厳密に言うと阿頼耶は戦場に行ったわけではなく、その意味では彼の身に起きたことは純粋な事故と言えなくもないんだが、とはいえ今回の一件をやらなかったらやらなかったで上層部が引き寄せる方の「事故」の危険度が上がるから、担当の生徒を持つ五条としては譲れなかった部分でもあり……そしてそもそもこの一連全てが、廻り廻って君を守るためでもあったんだが…………」
家入の持つ静謐な空気が僅かに温かみを帯びていた。彼女なりに気遣いを発揮しているのだと、知り合って三日の私でも分かった。
その気遣いが、思いやりが、今だけは────不吉なものにしか、思えない。
「それでも、まあ、なに。君にとってはもの凄く重要な事だろうから、こういう物事についてデリカシーがないを通り越して面白おかしく玩具にしかねない男に代わって、私の口から伝えておくと……」
家入が語ったことは確かに私にとって重要な事だったし、それをあのいけ好かない軽薄な男から聞かされるのは、さぞ不快だろうと思われた。
彼女から全部を聞いた後、私は一つの部屋の前に立っていた。
誰もいない廊下、遠くから喧騒が聞こえてくる以外に、際立った音は聞こえない。
横開きの扉には応接間と書かれたプレートがぶら下げられている。
私は一つ深呼吸をすると、目の前の扉を開けた。
広い部屋だった。
整えられた調度品。皮張りのソファ。足の低いローテーブルに、瀟洒な趣の木彫りの棚。
静謐で上品な空間の中、窓際に一人の少年が立っている。彼は扉を開けた私に顔を向けていた。
その姿を見て────生きている姿を見て、胸のどこかにあったつかえが取れた気がした。
確かに────私よりも健康そうだ。
室内に入り、後ろ手に扉を閉める。からりと軽い音が響いた。
窓際に立つ少年────阿頼耶は、驚いたように瞳を見開いていた。ややあって我に返ったのか、彼は室内に進み出た私に向き合い、威儀を正す。
そして阿頼耶は、三日ぶりに会った私に向けて────礼儀正しく、会釈をした。
「────初めまして。高専外部協力者、特別準一級術師の────土御門と、申します」
瞬間、お腹の奥がかっと熱くなり、次の瞬間には急激に冷えていく。強いストレスに晒された時に特有の、こめかみのあたりが圧迫されるような感覚に襲われた。
「五条さんから、応接間で待つように言われているのですが…………」
そんな私の心情に気づいた様子もなく、阿頼耶は困ったような笑みを浮かべる。
その態度、立ち居振る舞いから、阿頼耶が私をこの学校の関係者だと思い込んでいることが容易に分かった。
────どれくらい、待っているんですか。
自分の声が遠くの方で聞こえた。唇も舌も声帯も、自分の意思で動いているようには思えなかった。
「まだ、ほんの数分です」
阿頼耶は気を遣わせまいという空気で言った。彼の中での私は「五条さん」側だからだろう。振り回されるのは慣れっこです。その口調はそんな前向きな諦めに満ちていた。
────そうですか。
凍てついた声で言うと、それきり会話は途切れる。
静寂。
互いの呼吸の音さえ聞こえそうな静けさが、私と阿頼耶の間に降りる。
遠くの方から、学生と思わしき者たちの声が聞こえてきた。
「……………………あの」
────はい。
沈黙に耐えきれなかったのか、はたまたいきなり入室してそのまま黙りこくってしまった者を不審に思ったのか。
阿頼耶はこちらの顔色を窺うと、それを聞いた者が決して何かを強制されたとは思わない、彼らしい柔らかな声音で言った。
「よろしければ……………………お名前を伺ってもよろしいでしょうか」