人を呪わば恋せよ少女   作:緑髪のエレア

6 / 19


 __なにかが、いる。

 

「でさ~、その時のちょびひげの言い訳が苦しくてさー」

「なんて?」

「『僕じゃない、妖怪がやったんだ』」

「うわ、見苦し」

「禿げると恥を忘れるのかな?」

「それは言い過ぎ」

 

 けらけらと笑う由美と穂香。そんな二人に合わせ、私は曖昧に笑みを浮かべる。引きつらないように、慎重に調整しながら。

 

 __なにかが、いる。

 

「それじゃあそろそろいきますか……」

 

 ふと、由美が神妙な顔で居住まいを正す。拳を握り、ぐりん、と私に顔を向けた。

 

「ドキドキ!お部屋探索~!」

 

 いえーい、と由美が拳を振り上げ、こういうノリが意外と好きな穂香が、いえーいとそれに乗っかる。一瞬面食らった私は、ほどほどにしてね、と苦笑を浮かべた。

 興味津々で部屋を見回す由美と穂香。ベッド、デスク、と視線が動き、クローゼットに止まった。

 

「ここかっ!」

「あ、ちょっと」

 

 私は慌てたふりをして、穂香を止める。

 

「あ、怪しい」

 

 顔を見合わせ、にやあ、と笑う穂香と由美。

 

 見られたとて困るものなどないが、唯一、拝借した金品だけは困ったことになる。下着の底に敷き詰める様にして保管してあるが、なぜそんな大金をそんな方法で保管しているのか、問い詰められて上手く言い逃れできる自信はなかった。まあ、いかにこの二人とはいえ、流石に下着をひっくり返すことまではしないだろう。

 

「ここはどうだ!」

 

 由美がベッドの下を覗き込む。きゃあきゃあと姦しい二人。あまりうるさくすると、階下の小夜に何か小言を言われるかもしれない。十中八九それはないだろうという気もするのだが、由美の手が衣類の入った箪笥に向かおうとしていたため、私は参考書やテキスト類が雑多に置かれている机を強めに爪で叩いた。

 

 かつん、という音に二人が動きを止める。私は一拍間を置き、二人に対してにっこりと微笑んだ。

 

「二人とも、あんまりふざけてると追い出すよ」

 

 はわわわわわと口を震わせる穂香と由美。ごめんなさいいいいと許しを請う二人に、私はデコピンの構えでにじり寄る。

 

 __なにかが、いる。

 

 調子に乗った二人への制裁を終えると、私は亜里沙に目をやった。

 

「……」

 

 他の三人が騒がしくする中、亜里沙だけはぼんやりと何もない空中を見つめていた。

 その目は危ういほどに虚ろだ。

 

「……亜里沙、大丈夫?」

 

「……ん?あ」

 

 はっと目を開き、しばしばと瞬きをする。まだ意識がはっきりしないのか、どこかとろんとした眼で、目の前の机を見つめる。

 

「だいじょぶ……」

 

 そう言いながらも、亜里沙は気怠げに欠伸をする。目をこすり、机に突っ伏した。

 

「なんか最近、ぼーっとすることが多いんだよね」

 

 机にのしかかりながら、亜里沙が言う。別に眠いわけじゃないんだけどなあ、と呟いた。

 

「勉強のしすぎじゃないの?」

「んー、そうかも」

 

 デコピンから立ち直った穂香が言う。亜里沙はなおもだるそうに返事をした。

 

「慣れないことしてるからじゃない?」

「由美、それってどういう意味?」

 

 いらないことを言った由美に、良い笑顔でにじり寄る亜里沙。由美は、はわわわわわと口を振るわせながら、後ろへと下がる。穂香がその様子を爆笑しながら見ていた。

 

 __なにかが、いる。

 

 私は由美ににじり寄る亜里沙を見る。長い黒髪をポニーテールにまとめ、紺色のシュシュで縛っている。学校指定の制服はなだらかな曲線を描き、黒いタイツが素肌を隠している。

 

 いつもの亜里沙だ。

 

 そこに違いはない。少し生気がないが、それだけだ。亜里沙本人は、何も変わっていない。

 

 __なにかが、いる。

 

 私は意識を集中させ、亜里沙を視る。目覚めた『力』。その一端である、「霊のようななにか」を感じ取る能力に、意識を集中させる。

 由美とじゃれあう亜里沙の、その肩のあたり。

 

【つらい】【苦しい】【なんで私ばかり】【やめたい】【つらい】【もうやだ】【悔しい】【逃げたい】【恥ずい】【ふざけろ】【調子乗んな】【苦しい】【悲しい】【もうやだ】【疲れた】

 

 嫌な汗が手のひらに滲む。

 間違いなく、亜里沙は何かに取り憑かれていた。

 

「そろそろ再開するよ、由美も机に戻って」

「はーい」

 

 くすぐられていた由美は、「亜里沙の鬼畜ぅ」と言い、自業自得でしょと穂香が言う。亜里沙はというと、由美のぼやきなど気にも留めず、再びぼんやりと何もない空間を見つめていた。

 亜里沙の異常が始まったのはここ数日のことだ。穂香と由美はそんな時期もあるでしょと殆ど気に留めていない。

 

 このままではだめだ。

 

 二人には霊が視えていない。それゆえ、亜里沙の異常を大きなことだとは捉えていないのだろう。だが霊が視える私は違う。私には、亜里沙の異常は、霊に取り憑かれたことが原因だとしか思えない。

 

 このままいったら、亜里沙はどうなってしまうのか。

 

 私にはそれが分からない。もしかしたら、放っておいても問題はないのかもしれない。いつかあっさりと、霊は他の宿主を見つけるなりなんなりして、そちらに取り憑くのかもしれない。そうすれば、亜里沙は元に戻るのかもしれない。

 

 けれども、そうはならないかもしれない。

 放っておいても霊は離れず……亜里沙の症状は悪化し続けるかもしれない。そうして、私以外の誰にもその原因が分からないまま……亜里沙は死ぬのかもしれない。

 

 そんなことは許さない。

 私は霊を視る。

 テキストに集中するふりをしながら、私は亜里沙に取り憑く霊に意識を向ける。

 

『離れろ』

 

 声に出さずに放たれた思念。それを真正面から受けた霊が、微かにその実体を震わせる。

 

「ね、末那、ここの公式って」

「ああ、それは……」

 

 穂香からの質問に答えながらも、私の意識は霊に向いている。数秒の間、身を震わせていたように視えたが……。

 その後数十秒経っても、霊が亜里沙から離れることはなかった。

 

 __なんで

 

 私は口の中だけで呟く。

 

『力』を得てから、霊が視えるようになった。にもかかわらず、その『力』は霊に対してその効力を発揮しないのか?

 

 私は奥歯を強く嚙み締める。『力』を得た。その『力』でクソみたいな環境をぶち壊した。金銭という社会を生きていく手段を得た。満足のいく同居人と、それには及ばないが許容範囲の同居人、過ごしやすい生活環境を手に入れた。

 私の人生は切り開かれた。

 そう思っていた。

 なのに。

 

 __殺してやる

 

 私は久方ぶりに沸き上がった殺意を押し殺す。平静を装いながら、友人に勉強を教える作業に戻った。

 

 *

 

 ドアが開く。

 

『恵比寿~恵比寿~お降りの際は足元に……』

 

 機械音声がプラットフォームに響く。その声にかぶせる様に、隣の路線が電車の到着を知らせるベルを鳴らした。

 

『だあ、しえりやす』

 

 空気の抜けるような音と共に、列車のドアが閉まる。吐き出したのと同じくらい新しい人間を乗せ、電車は走り出した。

 

 車両内にはちらほらと空いた席がある。山手線とはいえ、24時間人でごった返しているわけではない。夕方と言ってもよい時間帯だが、退勤のラッシュにはまだ余裕がある。学生の通学時間とサラリーマンの通勤時間は、微妙にずれていた。

 

 車窓から外を眺める。光を反射してキラキラ光る先進的なビルと、それらよりずっと多い、背が低くて前時代的な汚いビル。老朽化が進み黒ずんだそれらには、やはり古臭く洗練されていない広告が張り付いている。カラオケの広告、塾の広告、居酒屋の広告。新宿のように、風俗の宣伝がトラックから大音量で流れていないだけましか。

 そもそもあれは堂々と流れていてよいのだろうか。なんらかの条例に引っ掛かりそうな気がするのだが。

 

 ふと、窓の外に意識が引かれる。視界の先、500mほどだろうか。コンクリートのビルがある。一見何の変哲もないただのビルだが、俺の目では……正確には、俺の術式では、ただのビルには視えていない。

 

 __恐らくは4級……甘く見積もって3級か

 

 あの程度なら本来報告の必要はない。目立つ位置にあるし、窓の人がいずれ見つけるだろう。何なら放っておいたって問題はない。だが、東京の場合は事情が異なる。俺は手元のタブレットに、呪われたビルのおおよその位置をプロットした。

 

 備考欄に推定される等級を書き、情報を確定させる。これらの情報は補助監督員の間で共有され、そこから任務が発生する。あのくらいならば高専の一年生が実習としてアサインされるかもしれない。

 高専。その言葉を、俺は口の中だけで呟く。

 

 __いつでも待ってるよ

 

 飄々とした現代最強からの誘い。否応なしにそれに魅力を感じてしまうのは、最強本人からの誘いだからか。

 それとも、俺の欲の根底がそうせよと叫んでいるからか。

 

『新宿~新宿~』

 

 気づけば電車は目的地にたどり着いている。俺はタブレットの電源を消し、鞄に入れる。プラットフォームに降りると、雑踏の中、迷路のような構内を、案内板を頼りに歩き出した。

 

 *

 

 JR東南口。改札を抜け、階段を降りると、ちょっとした広場がある。甲州街道を走る車の音、広場にたむろする若者の声、店舗から流れ出る調子はずれの音楽、それらが交じり合う喧騒の中、俺はスマホを操作し、呼び出しボタンをタップした。

 

 コール音が鳴る。3回目が鳴る前に、通話に切り替わった。

 

『……はい、伊地知です』

「阿頼耶です。どうも」

 

 手短に挨拶を交わし、本題に入る。発見した呪霊をプロットしたことの報告と、危険度が高いと思われる呪霊について。

 

『ありがとうございます。助かります』

「いえ」

 

 呪術界は人手不足が常だ。力を持つ者として、呪いを視認できる者として、ちょっとしたボランティアに参加することは、力を持つ者の義務だと言える。

 

 義務。

 力に義務が伴うとして、その義務を果たそうとする者がいれば、そうでない者もいる。そんな義務など知ったことかとせせら笑い、唾を吐きつける者が。

 

「件の呪詛師については、何か進展はありましたか」

 

 五条さんから聞かされた呪詛師。彼がやり手と評するほどの精神操作系の呪詛師が、この東京のどこかにいる。

 新たな手掛かりが発見されたことを期待し、伊地知さんの答えを待つ。

 

『ああ、その件でしたら、呪詛師の被害者と思われる方々が、数名発見されました』

「被害者が?」

 

 それは意外な情報だった。残穢どころではなく、被害者が見つかったのか。

 

「どんな経緯で発覚したんですか」

 

 件の呪詛師はかなりのやり手。他ならぬ五条悟がそう評したのだ。人を操って何をさせているにしろ、精神を操れるのだとしたら、証拠を残す方が難しいのではないか。操った当人からその期間の記憶を消去するか、あるいは、あまり考えたくはないが……単純に自死させるか。

 

『それが……警察内部の高専関係者によると、被害者は警察に、「催眠術にかけられ、金銭を奪われた」と訴えたそうで』

「それはまた……」

 

 何と言えばよいのか。こう言っては何だが……妙に小物臭い。五条さんがわざわざ警告するくらいだから、冷酷で凶悪巧者な呪詛師を想像していたのだが……油断なのかミスなのか、はたまた術式の限界なのか。ただ、そのおかげで手掛かりが得られたことは確かだった。

 

「本当に金銭を奪われただけなのでしょうか。他のことをやらされて、その記憶を消されているとか……」

『その可能性も考慮に入れて捜査しています。ただ、今のところ、被害者が人を殺した形跡も、後遺症が残るような何かをやらされた形跡もありません』

 

 気を付けてくださいね。

 呪詛師について考えていた俺は、ふと差し込まれた伊地知さんの言葉に、え、と返す。

 伊地知さんはというと、書類を探しているのだろうか、電話口からがさがさと紙がこすれる音が聞こえた。

 数秒して、探していた書類が見つかったのか、電話口に息遣いが戻る。

 そして、伊地知さんは語る。

 件の呪詛師の悪意を。

 

『……被害に遭った男性の聴取の際、女性警官がお茶を差し入れたそうです。すると、男性の顔が青ざめ、挙動不審になったそうで__』

 

 __胸の内に嫌な予感が起こる。

 

『__異常を察知した警官が、何にそんなに怯えているのかと尋ねると、彼は「お茶が怖い」と言ったそうです』

「……」

『精神操作……この場合は恐怖の刷り込み、でしょうか。男性はお茶に対して、異様な恐怖心を感じるよう操作されていました。コーヒーや茶葉そのものには反応を示さなかったことから、「器に入れられた茶」というイメージを、恐怖と結びつけられたのかと』

 

 伊地知さんは続けて言う。

『犯人は明らかに、力を使うことを楽しんでいます。最近呪力に目覚めたのか、はたまた解釈を広げることで術式効果を拡張できることに気がついたのか……現段階では、力の限界を見定めながら遊んでいる、といったところでしょうか』

 

 阿頼耶くんはこちら側の人間ではありません。ですから、私としては……この件からは手を引くことをおすすめします。

 伊地知さんはそう言うと、「ご協力感謝します」と残し、通話を切った。

 

 *

 

「……疲れた」

 

 最寄り駅に到着すると、そんなぼやきが漏れた。

 ボランティアでやっている呪霊のプロット。山手線一周というちょっとありえないくらいの長時間の術式の行使は、体に疲労として跳ね返ってきていた。

 

「真っすぐ帰ろう……」

 

 既に空は漆黒に染まり、駅の周辺は帰宅途中の人たちや居酒屋に向かう人たちでごった返している。俺は賑やかな駅に背を向けると、家に向けて歩き出した。

 

「……!」

「……っ!」

 

 そうしてだらだら歩いていると、前方から姦しい声が聞こえてくる。女子高生の一団だろうか、制服姿の4人連れがおしゃべりをしながら歩いている。

 

 ふと、彼女たちの一人に、呪霊が取り憑いていることに気が付いた。背が高い少女の肩のあたり。視たところ4級相当の呪霊が取り憑いている。はて、心霊スポットにでも行ってきたのだろうか。暗闇で顔はよく見えないが、呪霊の影響か、彼女だけ口数が少ないように思えた。

 

「……でもさ~やっぱりあっちのほうが……」

「え~そうかな~私は……」

 

 距離が狭まるにつれて、彼女たちの会話内容が明瞭になる。少しずつ狭まる距離。俺は歩幅を調節し、取り憑かれた女子との位置関係を調整する。幸い彼女たちは会話に意識を割いており、歩く速度は遅い。俺は手に呪力を集中させた。

 

「なにそれ、タピオカかよ」

「どういうツッコミ?」

 

 彼女たちとの距離がゼロになる瞬間、俺は術式を起動した。瞬間、世界がスローモーションになる。女子高生の一団の一人一人の位置、歩道と車道を隔てる鉄柵の形状、個々の街灯の光が照らす範囲、2ブロック先の車道を走る車、女子高生の集団のさらに後ろを歩くサラリーマン。

 集中により極限まで分割された主観的時間の中、俺の手が動く。調整した位置関係と歩幅により、俺の手は呪霊の中心を正確に捉え、その実体を薙ぎ払った。

 

「亜里沙はどう思う?」

「…………え、私?」

 

 ばしゃん、と散り散りになる呪霊。女子高生の一団は、何事もなかったかのように歩き続けている。

 

「……きっつ」

 

 一秒にも満たない一瞬の起動。しかしごく短時間だからこそというべきか、思ったよりもきつい術式のフィードバックに脳が揺れる。

 

「うげー」

 

 軽い酩酊状態に堪えながら、挙動不審に見られないように意識して歩調を正す。ただでさえ疲れているのに、JKの一団からゴミを見る目でそそくさと逃げられでもしたら、流石の俺も深く傷つき貝になり、暗い海の底で一生を過ごすと決めてしまうかもしれない。

 ふらつきながら足を前に出す。

 疲労のせいか、この時の俺は、背後から見つめる双眸の存在に、気が付くことができなかった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。