ふぉっくすらいふ!   作:空野 流星

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第四十七話 その思いは雪に埋もれて 後編

「ちょっと菊梨っち!?」

 

「止めないで下さいまし、(わたくし)はご主人様の元へ向かいます。」

 

「避難用の小屋にいるんだから大丈夫だって!」

 

 

 ――菊梨は予感がしていた。 それは元から持っている直感での不安なのか。はたまた”かつて”と似たような状況から来る不安なのか。

 いずれにしろ、菊梨はこの状況を黙って見守るつもりはなかった。 自身の主人の危機を感じ取っているからだ。

 

 

「それでも、とても嫌な予感がするのです……」

 

「でもこの吹雪じゃ菊梨っちの方が危ないって。」

 

「――あの日も、こんな天気でしたね。」

 

 

 菊梨は愛子の制止も聞かずにそのまま外へと飛び出していった。

 

 

「あの日って、なんでその事……」

 

 

 それはかつて陸奥町で起きた小さな事件――坂本 雪が失踪したお話だ。

 

 

―――

 

――

 

 

 

 私は空っぽだった。 いつも人の意思に従うだけだった私は、初めて逃げるという選択をしたのだが――待っていたのは怠惰な生活だけだった。

 別におばちゃんや愛子が嫌いなわけではないし、よくしてもらっているとは思う。 それでも私の器は空っぽのままで、何も充実感を得られていなかった。

 

 

「……」

 

 

 そんなある日、私はその犬と出会った。 種類なんて分からない、第一印象は野良なのにとても綺麗な白い毛並みだと思った。 まるで汚れを知らないような純白の毛並み……

 

 

「お前の家は?」

 

 

 犬は答えない、ただじっと私の顔を見つめているだけだ。 媚びるような仕草もしない、本当にじっと私を見つめて来るだけ。 これだけだと愛敬の無い犬だと周りは関心も向けないだろう。

 だからこそ、私は気に入ったのかもしれない。

 

 

「一緒に来るか?」

 

 

 やはり犬は答えない、こんなに吠えない犬も珍しいと思う。 しかし、しっかりと私の後ろをついてきている所を見るに、先程の質問にはイエスという返答らしい。

 おばちゃんはなんて言うだろうな? 野良犬なんて連れて来るなと怒るだろうか? そうだ、まずは――

 

 

「名前をどうするか……」

 

 

 犬は立ち止まって首を傾げた。 私はその頭を撫でてやり耳元で囁く。

 

 

「その白い毛並みが気に入ったから、お前の名前は華だ。 いい名前だろ?」

 

「……」

 

 

 肯定も否定もせずにじっと見つめてくる姿に、私は少なからず愛着を感じていた。 なんと言えばいいだろう、上手く言葉は見つからないが心地の良い距離感という感じだ。

 もしかしたら、それこそが私の求めていた関係だったのだろうか……?

 

 それからというもの、私は自身でも意外と思える程に華のお世話に夢中になっていた。 壊す事しか知らなかった私にとって、命を育てるという行為はとても新鮮で有意義な事であったからかもしれない。

 だからこそ、ここまで没頭してのめり込んでしまったのかもしれない。

 

 ――しかし、それは間違いだった。

 

 ある日私はおばちゃんのお使いで食品スーパーへとやって来ていた。 当然、店内への犬の同伴は認められておらず、私は近くの電柱にリードを結んで華に待っていてもらう事にした。

 華は賢い犬なので、私の意図を察して大人しくその場にお座りした。 本当に手のかからない良い子である。

 そう――本当に主人に忠実でいい子なのだ。

 

 私が見た光景は、ぐったりと倒れている愛犬とそれを取り囲んでいる少年達だった。 アスファルトを染め上げる朱の色が、少年達の行為を証明している。

 その時――自身の中で何かが弾けた気がした。

 

 

「……」

 

 

 初めて自分の意思で――人を殺したいと思った。 誰かの命令なんかじゃく、自身の感情から湧き上がる衝動だ。

 そうさ、こんな奴らに生きている価値なんて……

 

 

「やめなさい!」

 

 

 誰かが背後から私の右腕を掴んで叫ぶ、聞き覚えのある声にゆっくりと後ろを振り向くと、そこには氷室 茜の姿があった。

 彼女は睨むように私を見つめ、掴む掌に更に力がこもるのを感じる。

 

 

「邪魔しないで。」

 

「後から後悔したくないならやめなさい、戻ってこれなくなるわよ。」

 

 

 

 ”戻ってこれなくなる”そう言った彼女の表情は険しい、まるでそれは無理矢理でも自分が止めるとでも言いたげな表情だった。

 正直、私が本気を出してしまえば彼女ごと葬り去る事も可能だが、私は何故か踏み込めずにいた。 それは彼女もまた、私にとって大事な人間だという証明でもある。

 

 

「ならコイツらは何故命を奪おうとする? 人と獣――その命の違いはなんだ?」

 

「違いなんてない、この子達はまだ理解出来てないだけ。」

 

「ならば、身を以て味わえば学習するだろう。」

 

 

 私の言葉に呼応するかのように、周囲のアスファルトに何ヵ所かのクレータが突然発生する。 少年達は理解出来ない事象にその場で座り込んで泣く事しか出来なかった。

 

 

「――貴女も世界が嫌いなのね。 自身の孤独を埋められないから憎む事しか出来ない。」

 

「何を言っている?」

 

「生きている喜びも、それを分かち合う友もいない――ただ、自分の寂しさを埋めるためにその犬に没頭していたんでしょ?」

 

「違う! 私は……」

 

「そんなに辛いなら――私が楽にしてあげる。」

 

 

 その時、氷室 茜の瞳が怪しく黄色に光った。

 

 

―――

 

――

 

 

 

「嫌な予感は――的中という事ですか。」

 

「流石に予想外ね、まさかここまで来るなんて。」

 

 

 氷室は雪を背負ったまま振り返ると、そこには息を切らせた菊梨が立っていた。 その目は主人の無事を確認できた安堵と、相手への怒りが混ざり合っていた。

 

 

「流石は妖怪と言った所ね。 大事なご主人様を取り返しにきたのだろうけど――彼女はもう私のモノよ。」

 

「雪女が女性を狙うなんて初めて聞きましたよ。」

 

 

 氷室 茜の姿は変質していた。 服装こそいつもと変わらないが、その髪は美しき銀色へと変化しており、瞳は明るい黄色へと変わっていた。

 本来、雪女という妖怪は男性を氷漬けにしてその生気を吸収すると伝えられている。 女性をターゲットとする話は全く聞いた事がなかった。

 

 

「人間にも趣味趣向があるのだから、私達妖怪にだってあるわよ。 そうでしょ狐さん?」

 

「それでもご主人様はお渡し出来ません。」

 

 

 菊梨は一瞬で妖力を解放して三尾状態へと変化する。 狐影丸を正眼に構えて雪女となった氷室を見据える。

 彼女は仕方ないという表情で雪を寝かせると、両手を空へと掲げた。 それと同時に菊梨と同等――いや、それ以上の力が放出される。

 

 

天之尾羽張(あめのおはばり)! 天羽々斬(あめのはばきり)!」

 

 

 彼女が名を叫ぶと、そこには氷で作られた二本の刀が握られていた。

 

 

「――お前、本当に雪女か?」

 

「斬り合えば分かるんじゃないかしら?」

 

 

 彼女が発しているのは妖力と呼ぶものとは性質が違っていた。 そう、それはターボばあさんのものに非常によく似ている。 だとすれば彼女は……

 

 

「――遅いわね!」

 

 

 氷室は身を屈めると大きく踏み出して一気に間合いを詰めて来る。 まさにそれは必殺の一撃、一の太刀で仕留める勢いだ。

 

 

「”桜花夢幻刃”」

 

 

 まるで桜の花びらのように雪を舞い散らせながら二刀の切っ先が菊梨を襲う。 演舞のような流れるような連撃、辛うじて菊梨は受けきるが氷室はその攻撃の手を緩めない。

 

 

「父さんには及ばないけど、貴女程度なら私でも余裕ね。」

 

「調子に――乗るな!」

 

 

 妖力を乗せた大きな横薙ぎ、流石の氷室も二刀で受けて一度間合いをとる。 技は確かに彼女の方が上回っているが、力で言えば菊梨も負けてはいない。 一太刀浴びればただで済まないのはお互いに言える事である。

 

 

「無駄な足掻きね!」

 

「どうかな!」

 

 

 互いに炎と冷気をそれぞれ纏い、得物を構え直す。 その姿はまるで相反して反発し合う存在のようにお互いを否定し合いながら一人の女性を取り合っているのだ。

 

 

「はっ!」

 

「ふっ!」

 

 

 打ち合う刃、飛び散る鮮血、流れる汗、精神をすり減らしながら互いの命を燃やして殺し合いを続ける。 それは見る者を魅了して死へと誘う魔の舞踏。 誰であろうと彼女達に間に立つ事は許されず、近づくだけでもその命を散らすだろう。

 

 

「はぁぁぁぁ!!」

 

 

 菊梨の一撃が天羽々斬の刀身を砕く、それと同時に天之尾羽張の切っ先が菊梨の腕を捉えて断ち切る。

 その右腕は狐影丸を握ったまま後方へと飛んでいった。

 

 

「再生する前にお前の首を切り落とす、私の勝ちよ。」

 

「くっ……」

 

 

 済まない、ご主人……

 菊梨は覚悟を決めてぎゅっと目を瞑った。

 

 

―――

 

――

 

 

 

「私と一つになれば苦しむ事も悲しむ事もないわ。」

 

 

 そう言われて氷室の後をついてきた私は二人で雪山を登っていた。 そこで聞かされたのは彼女の特殊な生い立ちだった。

 前世での出来事、その思いが強すぎて転生後も特性を受け継いでしまった事、そして悲しき片思いと孤独を……

 

 

「だから私達は同じか。」

 

「そう、生まれ持った力に振り回されて――世界から孤立した悲しき存在。 だから私が一生貴女と一緒にいてあげる。」

 

「――そうだな、それで互いの虚しさが無くなるのなら。」

 

 

 それも悪くない、そう思った。 おばちゃんや愛子は心配するだろうが、私の事を気に留める人間なんて他に――なんて、感傷に浸る事すら必要ないな。

 

 

「ありがとう、雪ちゃん。」

 

「やるならさっさとやってくれ、私はもう疲れたよ。」

 

 

 氷室 茜は優しく私を抱きしめると、ゆっくりとその唇を近づけて――

 

 

「っ!?」

 

 

 突然その抱擁を解いて後ずさった。 その理由を見つけて私の思考は一時停止してしまった。

 

 

「華……?」

 

 

 そこにいたのは華だった。 全身から血を流しながらも果敢に氷室 茜の足へと噛みついて妨害しているのだ。 まるで私に行くなと言わんばかりに……

 

 

「このっ、離れなさい!」

 

「やめろ! そんな無茶して死にたいのか!」

 

 

 それでも華は放そうとはしない。 私の言う事を聞かないなんて初めての事で、私はどうしていいか分からずに華の血まみれの身体に抱き着いた。

 

 

「もういい! もういいから……」

 

「雪ちゃん……」

 

「お前の気持ちは分かった、分かったからもう!」

 

 

 自分でも訳が分からないくらい涙が溢れ出て来る。 胸の中が苦しくてぐちゃぐちゃして制御出来ない――こんな事は初めてだった。

 

 

「そう、それが貴女の答えなのね。」

 

 

 これが、私の答え……?

 

 

「私の答え、私の思い……」

 

 

 胸に手を当てると、いつもより早い鼓動が聞こえる。 ドクンドクンと脈打つ鼓動が、ほんのちょっぴりだけ、早く……

 

 

「そうか、これが――好きって感情なんだな。」

 

 

―――

 

――

 

 

 

「どうして……?」

 

 

 氷室は目の前の状況が理解出来ていなかった。 だってそれはありえない事――彼女が今更否定するわけがないのだから。

 

 

「氷室さんは間違ってる、押し付ける愛になんて意味ないよ。」

 

 

 私は氷室さんが振り下ろした刃を素手で受け止めていた。 握った部分から血が流れ出てきているが不思議と痛みはない。

 

 

「ご主人?」

 

「あの時とは逆の立場になったね、菊梨。」

 

「まさか記憶が!?」

 

「ちょっとだけね。」

 

 

 あの日と似た状況が、私の記憶の一部を蘇らせた。 そしてそれは同時に、自身の秘められた力を自覚させた。

 

 

「もうやめましょう? 氷室さんも分かっているんですよね。」

 

「――はぁ、合格よ。 やっぱりあのおばあさんの言った通りになったわね。」

 

「はぁ? それどういう意味ですか?」

 

「言葉の通りよ。 あの人同じ状況を作って貴女の行動を調べるのが最後の試練だったってわけ。」

 

 

 脳裏におばちゃんの意地悪い笑みが思い浮かぶ、本当にあの人は……

 私は手を放して自分の手の平を見やる――血はついているが傷は既に塞がっていた。

 

 

「狐のお嬢ちゃんもごめんなさいね、殺すつもりはなかったけど驚かせちゃったかしら?」

 

(わたくし)、これでも本気だったんですが?」

 

 

 腕を再生し、いつの間にか元の姿に戻っていた菊梨が悪態をつく。 本人も結構ショックだったらしい。

 

 

「仕方ないって、氷室さんは昔神様に喧嘩売るくらいの人だもん。」

 

「そういう昔の話はやめなさい。 兎に角、試験は合格よ。」

 

 

 そう言って氷室さんは、小さな鍵を私に手渡した。 おそらくこれが最後のピースを埋めるために必要な物なのだろう。

 

 

「分かってると思うけど、ここまで来たら引き返せないわよ?」

 

「分かってます。 それでも私は――前に進むって決めましたから。」

 

 

 後悔なんてない、だって私はもう決めたから――

 

 

――

 

 

 

「安心しろ、ちゃんと最後まで隣にいてやるから。」

 

 

 抱きしめる小さな命は、徐々にその熱を失っていた。 それは命の終わりを刻々と告げている。

 

 

「ありがとう華、お前のおかげで私は――」

 

「”悲しまないでください”」

 

 

 それはきっと幻聴、私が都合よく解釈して紡いでいるだけの妄想でしかない。

 

 

「”(わたくし)の使命は貴女を守る事、そのはずでした。 それがいつの間にか――”」

 

「私も最初は依存していただけだった、夢中になる事で嫌な事を忘れようとしていた。」

 

「"私は貴女が――"」

 

「私はお前が――」

 

『好きになっていた(いました)。』

 

「”泣かないで下さいまし。”」

 

「でもお前はもう……」

 

「”時間がかかっても、(わたくし)は必ず貴女様の元に帰ってきます”」

 

「華……」

 

「”必ず、またお会いしましょう。”」

 

「約束、だからな……?」

 

 

 私は、そんな大事な約束すら忘れてしまっていたのだ。

 

 

(わたくし)、貴女様の嫁となるために参りました菊梨と申します。 不束者ですが、どうか宜しくお願い致します”

 

 

 彼女は約束通り、私の元へと戻ってきてくれたというのに……




―次回予告―

「封印された思い出、それはあまりにも悲惨な過去だった。」

「それでも向き合わなければならない、それが私の背負った運命だから。」

「次回 第四十八話 明かされた真実、動き出す運命」

「それでも私は、全てを知りたい。」

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