むかしむかしあるところに、2つの大きな国がありました。2つの国はいつも争いばかりして、仲直りをしてくれません。みんな戦いたくないと叫んでも、偉い人は聞く耳持たず。自分達の私利私欲のために戦争を続けようとしました。
しかし、一人の若者は立ち上がりました。戦争をやめてみんなで仲良くしようと。しかし、力も権力も持たない彼の言葉に意味はありません。彼の叫びは虚しく空に響くだけ……
そんな彼を哀れんだのか、かみさまは一つの贈り物を遣わしました。それはとても美しい毛並みの銀狐でした。彼女はとても強い力を持っていて、あっという間に悪い悪い偉い人達を皆殺しにしてしまいました。こうして長い戦争は終わり、世界は平和になったのでした。めでたしめでたし……
「銀色の毛並み──正に伝承の通りだ! ついに彼女はその領域に達したのか!!」
私は握られたままの菊梨の右腕をゆっくりと刀から離して床に置く。代わりに私自身が狐影丸の柄を握る。菊梨の妖力で形成されているはずなのに、その刃は掻き消える事なく煌めいた。
「そして、その青い瞳は大西の血──やはり、私の予想は当たっていた。神の御使い、大西の妖狐、その2つの強大な力をかけ合わせれば最強の生物が誕生すると。それこそが神──」
「いい加減黙って」
私は短い言葉と共に、握った刀を軽く横に振る。狙われた本人は理解出来ずその場に立ち尽くしていたが、留美だけは違った。即座に奴の盾となるべく正面に立ち、正眼に霊剣を構えた。
何かの衝撃が走り──留美は数歩後ろに後ずさり、晴明は何事もなくそこに立っていた。
「一体何かと思えば──」
安堵した晴明が口を開いた瞬間、建物全体が大きく振動した。激しい揺れと共に天井が水平に移動していく……
月の光が辺りを照らし、本来あったはずの天井は轟音を上げて地面に落下した。
「邪魔しないで」
「マスターはやらせない」
もう一度狐影丸を握り直し、私は大きく跳躍した。それに合わせて留美も飛び上がり、空中で刃がぶつかり合う。
「晴明さえ殺せば全て終わる。貴女も、菊梨も──昔のように笑い合える」
「それが──あまてるちゃんの望みなの?」
「そう、だから私は覚悟を決めたの!」
──互いに刀を払い距離を取る。着地のタイミングはほぼ同じで、大きく前へと踏み出す。留美の袈裟斬りを躱し、私の突きを留美が避け、留美からの後蹴りを左腕で受けそのまま斬り上げへと移行する。留美の前髪を数本切り落としながらもその刃は届かず、更に無理矢理袈裟斬りへと切り替える。しかし決定打とはならずに、留美の胸元に血の一筋を作っただけだった。
「それで自分を失っても?」
「それで救えるなら──構わない!」
左手の薬指に嵌められた指輪に亀裂が走る。私が刀を振るう度、力を引き出す度にその数を増やし、今にも砕けてしまいそうになる。まるで私の人間の心が消え去ってしまうように……
「そこに、あまてるちゃんがいなきゃダメ」
「でも、それじゃあこの世界が!」
「世界のために、自分が不幸になる必要なんてない」
「……」
「貴女はただ、私を忘れて二人だけの幸せに浸っていればよかった」
「そんな事──出来るわけない!」
何度も交差する刃、思いと共にぶつかり合い、互いの心を擦り減らす。しかし留美の限界は近かった。片腕を失い、稼働のためのエネルギーも大半を使い切ってしまっている。対する雪は留美相手に本気を出せずにいる。今ここで本気を出せば晴明を殺す事は容易い。しかし、近くにいる留美と菊梨も跡形もなく消し去る事になる──それが分かっているのだ。
でも、長引けば長引くほど、私の自我は……
「それが貴女にとっての最善、偽物の私に守る価値なんて無い」
「偽物なんかじゃない! 仮にその体が偽物でも、私達の思い出は貴女だけのモノでしょ!?」
「それは……」
「だから私は、貴女も救いたいのよ! 例え"あまてるちゃん"の代わりと思われていても!」
「──知ってたんだ」
──急に留美の動きが止まる。手にした霊剣を手放し、涙を流しながら私に笑いかけた。
「ずっと騙してて──ごめんなさい」
「……」
私は留美の横を通り過ぎ、一直線に晴明を目指す。彼女の言葉を聞くのも今は後回しにしなければならないのだから。こうしている間にも、指輪の亀裂はどんどん酷くなっていた。
きっと、この指輪が砕けた時点で──その前に奴を殺さなければならない。幸い今はもう、辛いとか悲しいとか、そんな感情は湧いてこない。晴明に対する怒りすら薄れてきている。今私を突き動かしている原動力、それは私に残された最後の思い──愛する二人の幸せな未来だ。
「世界なんてどうでもいい、お前が何を企もうと知ったこっちゃない──でも、お前が生きている限り私の愛する人達に幸せは訪れない。お前を斬る理由はそれで十分だ!」
それが出来るのは私だけ、今この瞬間ここにいる私だけ……! 霞の構え──あとは奴の心臓を一突きにする!
私を阻む者はもう誰もいない。守るべき者がいなければ、晴明は所詮少し霊力の強いただの人間だ。私の攻撃を止める手段なんて存在しない。
これで――
「──来い」
「え?」
先程まで立ち尽くしていた留美が、いきなり晴明の前に現れたかと思うと、両手を広げて目の前に立ちはだかった。
仕方ない、このまま留美ごと──
「私、何を考えて……?」
気づいた時には遅かった。身体は最適の動きで二人の心臓を狙う……
「いけない、ご主人様……!」
「菊──」
──柔らかい肉を裂き、命の源を貫く感触。私の目の前にいるのは晴明でも留美でもなく──菊梨だった。留美に体当たりをし、彼女の代わりに自らの身体を私の刃に差し出したのだ。
「よかっ……た……」
「うそ、どうして……?」
彼女が寂しく笑いかける。私の問いに対しての返答は無い。口元と傷口から命の雫を垂らしながらもそっと私の頬を撫でる。
──更に指輪の亀裂が広がっていく。
「これで……まもれ、ました……」
「違うっ、私はこんな――こんな結末のためにっ!?」
「ごしゅじんさまは、そのままで……いて……わたくしの、ためにも……」
なら、私はなんのために……? 私は未来を、自分を犠牲にしてでも二人だけの幸せを願ったのに──それなのに!
"私が菊梨を──殺してしまった"
「うわぁぁぁぁあああぁああ!!!」
慟哭と共に、左手の薬指に嵌められた指輪は──粉々に砕け散った。
──―
──
―
見慣れた家具、見慣れた間取り、血だらけになった3人は慣れ親しんだ家のリビングに座り込んでいた。菊梨は自らの膝の上で眠る主人の頭を撫でながら語りだす。
「確かに、未来は変わりました。ご主人様はその力を持っていました」
「でも、貴女が死ぬ未来は変わらなかった」
隣に座る留美が小さく呟く。それは諦めか、それとも自責の念か……
「いいえ、これで良かったのです。ご主人様はこちら側に来てはいけない──
「……」
「もうこれ以上苦しむ姿は見たくありません。ですので
「最後の手段?」
「
「……」
「もう誰にも邪魔させません。これからは、ずっと二人一緒です」
「──なら、貴女達の世界は私が守る。晴明から開放された私が、責任を持って守る」
「留美子ちゃん──ありがとう」
菊梨が雪を抱きしめると、まるで二人を祝福するかのように光が包んだ。その光は少しずつ広がっていき、徐々に家全体を飲み込んでいく。まるで、全ての思い出を包み込むように。
祝福の光を背に、留美は音もなく去っていった。
「──いきましょう?
「……」
「さぁ──お眠りなさい」
―帝京歴786年3月17日―
「本日昼過ぎ、秋名町商店街通りにて連続轢き逃げ事件が発生しました。犯人は現在も逃走中であり、付近の皆様は外出されませぬよう宜しくお願いします」
"犠牲者一覧 榛名 優希(20)"