「ここかっ……!」
神域内に入ると、家の中は時間が止まったかのように静寂が支配していた。導かれるように廊下を進みリビングを抜けると、そこには大きな結晶が宙に浮かんでいた。
結晶に近づくと、中に見えた薄い影のような物の正体がはっきりと見える。それは、自身にとってもよく知る相手であった。
「雪……」
彼女は透明な結晶に覆われ静かに眠っていた。それはまるで殻のように世界全てから彼女を隔離していたのだ。
"ずっと、待っていました"
「誰だ!?」
"ご主人様を救って下さる方を、永遠の環の中でずっと……"
頭に直接響いてくる声は女性のものではあるが雪の声では無かった。しかしその声は、深い悲しみを帯びていた。
"もう
「――安心しろ、私は雪を目覚めさせるためにここに来た」
"――全て分かっております、神のお告げがありましたから。そして、貴方様がこの場所に現れた……
さぁ、この結晶にお触れ下さい。そうすれば、貴方様も夢の世界へと潜る事が出来ます"
「――さて、眠れるお姫様を迎えに行くとするか」
そっと右手を結晶体へと添える。少しひんやりとした感触が手の平全体へと伝わる。
"ご主人様を――宜しくお願いします"
―――
――
―
それは、ながいながい夢だった。永遠に繰り返される悪夢、私を苦しみに浸すための檻、そうすれば絶対に外の世界なんて目指さない。ただ感情の無い人形のように全てに従って生きているだけの世界。
「でも、それは間違っている」
そんな世界は間違ってる。でも、私自身も間違っている。多くの罪を重ねてたどり着いた結果は決してハッピーエンドでは無かった。どんなに助けてと叫んでも救ってくれる者はいない。唯一救ってくれる相手は"私が殺した"のだから。どんなに過ちを嘆いても、もう一人の私が真実を突きつける。そして言うのだ――全て諦めてしまえと、そうすれば楽になれるのだと……
「でも、それは間違っている」
どんなに自分を罰しても、彼女は戻ってこない。どんなに後悔しても、あの頃は取り戻せない。そんな自分に都合の良い世界なんて存在しない。そんな逃げは、もう許されないのだから。
「だから、私は進む!」
光の見える先に走り続ける。彼女だった何か、私だった何かが連れ戻そうと手を伸ばす。全身に纏わり付き、再びあの悪夢へと誘おうとする。
私はその手を振り払うように、手にした刀を振り回す。彼女から預かった力、今でも共にあるという証拠。だから私は信じて前に進む事が出来る。
「あと――少し!」
徐々に光に近づいていく。この光の先に現実が待っているはずだ。悲しい思い出も多いけど、楽しい思い出だってたくさんある。3人で生きたあの世界、私はあの世界に帰らなければならない……
「しまった……」
光に手が届く眼の前で、黒い腕に手足を絡め取られる。あと少し、あと少しで手が届くのに……
掴まれた右腕を必死に光に向けて伸ばす。この先に、私を待つ世界がある。もう逃げる事も立ち止まる事も止めた。
「私は――行かなきゃいけないのよ!」
――ふと、何かが私の背中を押した。その勢いのまま、ふわりと身体が前に進む。
その懐かしくも力強い手の感触を私は知っている。いつも共にあり、当然のように側にいてくれた二人……
「ありがとう……」
伸ばした右手が何かを掴む。そのまま視界も身体も光に包まれる。それは帰還を祝福するかのような暖かさ、まるで誰かの抱擁のような優しさ……
「ただいま」
"おかえり"
私は今――現実世界へと帰還した。
―――
――
―
鼻をつくのは焼ける匂い。パチパチと、私の思い出達が消えていく音……
ここはある意味では、悪夢よりも酷い地獄なのかもしれない。一人の悪意によって全てが捻じ曲げられてしまった世界。夢も希望も存在しない未来へ続く一本のレール。
「全く、本当に笑えない冗談だな」
「本当に笑えない冗談ね、まさか貴女だったなんて」
そこで待っていたのは私のよく知る人物だった。いや、知ってはいるが別な人物なのかもしれない。その相手は、私が知っている容姿とは大きく変わっていた。
まるで菊梨や私のような耳と尻尾、私が眠っている間に何かがあったのかもしれない。
「それはこっちのセリフだ。こんな事になるなんて、夢にも思っていなかった」
「――生まれた時から、私達の運命は決まっていたのかもしれないわね」
「しかし、それを受け入れるつもりは僕には無い」
「それは私も――同じよ!」
右手の握りこぶしを開くと、そこには見慣れたリボンが握られていた。私はそのリボンでいつものように髪を結ぶ。
「どうやら、激しいモーニングコールがお待ちだ。こうやって共に戦うのは初めてだが、いけるか雪?」
「優希、誰に言ってるわけ……?」
「こちとら、こんな修羅場は何度も潜ってきてるのよ!」
「――それを聞いて安心した」
夢も希望もない、それでも人は生きる。いつかたどり着けると信じて、がむしゃらに走り続ける。
誰が立ちはだかろうと、私はもう迷わない。この背中には、大事な人達の思いを背負っているのだから。
進んだ先にいつか訪れるであろう交差点、私はそこを目指して走り続ける。きっと、いつか辿り着けると思うから。
「さぁて、久々に暴れさせてもらうわよ!」
今日私は――目覚めた。