746年を期に、退魔師情勢は大きく動いた。ウタイの代表である大西恵が、率先して帝都側の人員教育を始めたためだ。
元々、妖怪達は霊力を持つ者に集まりやすいという習性を持っており、妖怪絡みの事件が発生するのは京都が主であった。そのため、帝都側には最低限の人員のみを設置するという手法がとられていたが、安倍天照の件を筆頭に家柄に関係無く強い霊力を持つ子供が帝都側にも増えつつあった。帝都側の戦力増強、そのために恵はウタイ帝都支部を設立したのだった。
渋谷正樹、坂本妙を筆頭に、以前から目をつけていた者達を集い、自身が指導役として出向く事で短期間でその練度を上げる事に成功した。しかしその背景の裏には、正樹の存在が大きく関わっていくこととなる。
彼の発明品はテストを重ねて完成され、帝都京都問わず退魔師達へ配備される事となった。霊剣を可変させるもの、霊気を弾丸として撃ち出す霊銃(レイガン)、他に傍受されない霊話機、術者を必要としない小型の神域(かむかい)展開機――橘家からの技術提供があったとはいえ、彼はたった2年でそれらを生み出してしまった。まさに天才と呼ばれつ逸材だったのだ。結果、退魔師の犠牲は今までの4割まで減少し、少ない人員で今まで通りの防衛を行う事が出来るようになっていた。
しかし、そんな平和に近い日々を送る人々に、忘れていた恐怖が迫ってきていた。
それは、坂本妙にとって永遠に消えぬ傷――
帝京歴748年 秋
「――とった!」
「甘いっ!」
右手に嵌めたグローブから、鉤爪状の霊剣を形成して大きく前へと踏み出す。2年前とは比較にならない程、速く正確に相手の喉元目掛けて……
その動きを予想していた相手は、神速と呼べる程の踏み込みを軽々と刀で受け止める。そのまま空いている左手で、撫でるように私の首筋へと手刀を繰り出した。それとは反比例した速度で、あたしは勢いよく地面に頭を突っ込む事になる。
「これで665戦665勝だ」
「あ、ありがとうございました……」
あたしは最近状況の落ち着いた帝都を離れ、修行のために大西邸を訪れていた。旦那――正樹の事は心配だったが、帝都支部のメンバーはあたし以外にも強豪揃いだ、A級妖怪複数が相手でも遅れをとる事はないだろう。そう思い京都へとやってきのだが――まぁ、あいも変わらずこの人には全く勝てる気がしない。
「しかし、最後のは危なかった。流石の我も肝を冷やしたぞ」
「それはどうも……」
どこまで本気か分からない事を笑いながら話す恵を前に、私は顔に付いた土を払う。
「折角だ、もう一戦――」
「当主様!」
「――何事だ?」
もう一試合と洒落込もうとした矢先、慌てた様子で使用人が一人稽古場へと駆け込んできた。
「帝都にて強大な妖怪が出現――S級認定されました!」
「S級だと……!?」
それは、平和へと忍び寄る大きな影であった。
そもそも、妖怪の等級分けはA~Cでされる。C級は餓鬼等の単体では脅威とならないが、集団で人に害を与える。B級は猫又や牛頭等、単体で充分脅威となりうる区分だ。そしてA級は鬼や狐等、B級よりも強大な力を持った危険性の高い妖怪が分類される。
これはあくまで脅威度の区分であり、全てが人類と敵対しているわけではない。A級でも狐や天狗達は友好的であり、非常時の時は退魔師と協力したりする事もある。
ならば、S級とはなんなのか……
S級は、基本的にA級以下として分類される妖怪が、突然変異か何かで未曾有の危機を人類にもたらすと国が判定した時のみ認定されるランクだ。かつて大西恵に討伐された五尾の狐も、国によってS級認定された妖怪の一体である。
最古の認定は九尾"葛葉"と歴史書に記述されているS級だが、そんなS級と同時に存在する称号があった。
"国家認定退魔師"
S級妖怪を退けた者に与えられる最高の称号。かつては命と引き換えに得られる最高の名誉であったが、現代ではその意味合いが変化していた。技術や戦術の発達、個々に持つ霊力が大きくなった事もあり、S級討伐で生き残る退魔師達が出てきたためだ。その中でも異質なのは、間違いなくただ一人でS級妖怪を討伐した大西恵の存在だろう。
それ以来、我こそはと次の名誉を手に入れるため世界各地の退魔師達はS級妖怪の登場を待ちわびているのだ。そして、あたしもその一人である。
未来の帝都支部司令、そう噂される正樹のために盤石な席を用意する事が出来る。共に生きていくと決めたあの日から、誰よりも高みに彼を連れていきたかった――今回は大きなチャンスなのだ。
まるであたしを後押しするかのように、自身の不参加を伝え帝都への特急席を用意してくれた恵――そのチャンスを無駄にするわけにはいかない。
「正樹、今行くから……」
正樹の作ってくれたグローブを握りしめ、帝都への帰路を急いだ。
―――
――
―
「まだだ、まだもう少しだけ……」
妙が敷地を出たのを確認し、膝をついた恵は盛大に口から血を吐いた。彼女が去るギリギリまでは強がってみたものを、身体は正直な反応を見せる。
自分で思っているよりも、残り時間は少ないのかもしれない……
体内の霊力と妖力が反発し合い、人としての部分を破壊していく――我々のような混ざりものに訪れる最期だ。それは力を行使し続ける限り、死ぬまで苦しむ事になる。それは彼女にとっても、そして妙にとっても同じ末路……
「妙……」
我と同じ存在、故に違う道を歩んで欲しい。そう願った事は同族への哀れみか、それとも……
「どちらにしろ、解決の糸口くらいは見つけんとな……」
だからこそ、こんな事で死ぬなよ――妙。お前だけが我を――
「――抜けた」
傷だらけの女は、ゆっくりと辺りを見渡し確信した。見慣れた風景とはかけ離れてはいるが、間違いなくこの場所は帝都だと。あの日ではない帝都なのだと……
"それが唯一の抜け道、誰もが見落とした針の穴。貴方が本気で最期のチャンスを求めるならば、その穴を潜り抜けなさい"
これがあの女の最期の言葉。私はその言葉に従い、傷ついた体を引きずってこの場所へとたどり着いた。胸に手を当てると、"あの方"の鼓動が確かに感じられる。まだ終わってなどいない、この繰り返す事が出来ない世界で、私達が勝利すれば夢は叶う。弱者が虐げられる事の無い理想郷、不完全な私達が唯一の神になれば、世界の全ては新しく生まれ変わる。
「そのためにも、今は――」
懐から取り出した水晶を地面へと投げつけて叩き割る。この中に封じられている鬼はただの小物でしかない。しかし、運命のイタズラだろうか、この鬼の立場は少々特殊だった。いいや――私が特殊にしたのだ。本来存在した時代よりも過去で封印を解いた事で、歴史上は別の個体として認識されるのだ。
「さあ、暴れな坊や――今日からお前が"鬼童丸"だ」
歴史の上書きによる改変、本来存在した鬼童丸という鬼に、この年若い鬼を上書きする。結果、過去と未来に同時に存在したと認識させ、世界に小さな綻びを生み出す。いわば針の穴、この小さな穴を作るためにどうしてもこの鬼が必要だったのだ。結果、本来移動出来ないはずの、正しき歴史の世界へと踏み込む事が出来た。
「互いにやり直しは効かない、今後は慎重に動かないとね」
今やる事は、この混乱に乗じて身を隠すこと。そして八咫烏に変わる新たな組織を結成する事。今度こそ、共に神へと至る事……
お腹に埋め込まれた何かの装置に触れると、もぞもぞと蠢きだし、そこから次々と腹を引き裂いて妖怪たちが溢れ出てくる。それはまるで、悪魔の出産のように悍ましい光景だった。
「折角ですし、組織の人間は貴方様を慕うように致しましょう。ねぇ、そうでしょう……?」
女は再び胸に手を当て、銀の翼を羽ばたかせながら愛おしいその名を呼ぶ。
"――様"
―――
――
―
「――煙が上がってる!」
徐々に帝都へと近づく電車、その窓の外、街から黒煙が上がる光景が目に入る。それと共に、何か大きな影のようなものも……
霊話機で通信を試みても、帝都支部とは連絡がつかない。それ程までに想定外の事が起きているとしか思えない。
あたしは窓の縁に手をかけ、勢いよく体を回転させて電車の上へと移動する。身を屈めて眼を凝らす――
「鬼――?」
大きな影の正体は鬼だった。今まで見たことも聞いたことも無いサイズの鬼が、帝都で暴れているのだ。
"妙さん、これ以上は――!"
車掌の悲痛な叫びが霊話機から聞こえてくる。これ以上はあたし一人で行くしか無いだろう。
「ここまでありがとうございます! この先は一人で行きます!」
辺りを見渡し、手頃な赤いバイクが視界に入る。それと同時に勢いよく電車の上から飛び降り、体を回転させて勢いを殺す。
何回か地面を転がった後、そのバイクに跨って刺さったままのキーを回転させる。
「ラッキー、今日はついてる」
バイクを走らせ、再び帝都を目指す。そこに待っているのは――想像以上の地獄とも知らずに……
「風花! 浅見! このまま戦線を維持するぞ!」
Sランク認定を受けた大型の妖怪"鬼童丸"は未だに帝都で暴れまわっていた。対象を討伐するため、ウタイ帝都支部の特殊部隊である柊木が対応していた。
しかし、交戦開始から今に至るまで決定的な打撃を与えることは出来ず、犠牲者を出しながらも、その進行を遅くする事しか出来ていなかった。
当然、彼女達の他に名誉を求めたフリーの退魔師達が戦闘に参加してきたが、身の程を弁えない彼らはまるで木の葉のように簡単に命を散らしていった。
「隊長! 風花の怪我じゃこれ以上は!」
「しかし、それではーー」
「あぁっ!!」
風花と呼ばれた女性は、足の痛みで一瞬態勢を崩した瞬間を狙われて、その巨大な鬼の手に捕まってしまった。
退魔師という仕事は常に死と隣り合わせだ、誰もがその覚悟を持って戦っている。それはこの女性とて同じであろう。しかし、いざ目の前に死が迫った時、最後まで正常な判断でいられるだろうか?
――否、そんな"できた"生き物なんて存在しない。
「いやぁぁ!! ころざないでぇぇぇぇえええ!!!」
あらゆる汁を撒き散らしながらも必死に妖怪へ命乞いをする姿を憐れと言えるだろうか? それはもしかしたら、後の自身の姿であるかもしれない。そう思うと、その場にいる生き残り達は凍りついたように固まってしまう。
「……」
鬼は哄笑する――人の言葉を理解し、その様を嘲笑う。それは、かつての無力な自分への嘲笑でもあった。
鬼は両手で女性の上半身と下半身を握る。そのまま左右に思いっきり引っ張ると、恐ろしい絶叫と共にブチブチと肉の裂ける音が響いた。
誰も助けに動くことは出来なかった。鬼の視線が、"次はお前の番だ"と語りかける。絶望がその場全てを支配していた。
「――邪魔するよ」
その場の空気を壊し、赤い一筋の閃光が鬼童丸に直撃して爆発する。乗り手は優雅にバク転を決め、綺麗に着地を決めた。
「柊木隊エース、坂本妙ただいま到着しました」
「よく来てくれた……」
「戦況は?」
辺りは血の海――隊長と浅見以外の仲間の姿は見当たらず、他の退魔師の死体と思しき肉片が散らばっている。
柊木隊はあたしだけが強いチームではない、各々の特性を生かした連携でいつも強敵に打ち勝ってきた。それはあたし一人抜けて揺るぐものでは決してない。
しかし現実は――
「私と浅見以外は全員殺られた…… あの化け物には一切の武器が通用しないんだ」
「――正樹は?」
「司令とは音信不通だ」
「なら、まだ可能性はある」
そう、いつも一緒に戦ってきたあたしには分かる――きっと今回も正樹がなんとかしてくれる。だからあたしは、その絶好のタイミングを作るために、精一杯戦うだけだ。
嵌めたグローブに霊力を流して霊剣を形成する。あたしのスタイルに合わせて正樹が作ってくれた、あたし専用の霊剣だ。
「二人共援護を、あたしが一発ぶち込んでみる」
「おっけぇ!」
「了解した!」
"全く武器が通用しない"、この理由はおそらく一つだけだ。現状の解決策が無いからこそ、防衛ラインを維持する戦いを隊長が選んだのは容易に想像がつく。
霊力と妖力、本質は近いが互いに反発し合う力――簡単に言えば純粋な力比べだ。強いほうが弱い方に打ち勝つ、攻撃が通用しないのならば、こちら側の霊力が相手に負けているというだけだ。
浅見が手にした霊銃で鬼童丸を牽制し、隊長が動きと短刀のような霊剣で翻弄する。その間に、あたしはできる限りの霊力を右拳へと収束させる。
右拳に9割、跳躍用に両足に1割――
「――いまっ!」
あたしの鉤爪のような霊剣の光がいっそう強まる。そのタイミングで大きく跳躍して、相手の心臓部を狙い拳を突き出す。人でも妖怪でも、その力は心臓と密接に繋がった器官によって生成されている。そこさえ潰してしまえば自身の肉体を維持する事は出来ない。
鬼は慌てたように左腕であたしの拳を受け止める。しかし、受け止めた左腕は風船が割れるように肉片を散らせて爆発する。これはあたしの霊力が相手の妖力を上回った証拠だ。
「もういっかぃ!」
散った肉片を踏み台にして、無理やり身体の軌道を変える。そのまま邪魔な右腕を切り裂き、がら空きになった心臓部でそのまま拳を振り下ろ――
"ドクン!"
自身の心臓が大きく跳ねる。それと同時に、全身に今まで感じたことのないような痛みを感じた。まるで赤信号のように視界は赤く明滅し、全身からは大量の汗が吹き出てくる。
当然、そのスキを鬼童丸が見逃す筈がない。両腕を失っても、まだ奴には強力な牙がある。動きの止まったあたしを狙って、その真っ赤な口を大きく開いて――
「たえっ!」
目の前に迫る死の未来、それを回避したのは共に死線を潜ってきた仲間だった。
「あ…ざみ……?」
「あんたは、生きて――」
あたしを突き飛ばし、ギロチンへと自身を捧げた。本来ならばあたしに降りかかる死を、彼女は――
目の前で、浅見は鬼の口に真っ二つに噛みちぎられた。一番近くにいたあたしは、その体と顔に大量の彼女の血を浴びた。
ちくしょう、なんで、あたしの身体はどうして動かないんだ!? 敵は目の前にいるっているのに!
地面へと落下しながら、目の前にある鬼の顔を睨む。まだ戦わなければ、正樹にこんな無様な姿は見せられない。死んでいった仲間に顔向け出来ない。
「ちく…しょぉ……!」
刹那、身体に感じたのは地面の冷たさではなく、誰かのぬくもりだった。
「ごめん、遅くなった」
それは、あたしがよく知るぬくもりだ。
「遅れてきたなら、とっとおきの秘策があるんでしょ?」
「もちろん、抜かりはないよ」
そう言うと、彼は腰から刀の柄のようなものを取り出して正眼に構えた。それはあたし達が使っている霊剣に似ているが、柄の下部からコードのようなものが伸びており、腰のベルトにある少し大きめの箱のようなものに繋がっていた。
"霊力の低い正樹には霊剣を形成出来ない"
つい数秒前まで、あたしはそう思っていた。
「秋穂は生存者を連れて撤退! 妙は僕のフォローを!」
正樹が指示を叫ぶと同時に、手にした霊剣の柄から大太刀程の刃が形成される。隊長もあたしと同じような顔をしていたが、慌てて生存者であるフリーの退魔師達を連れて撤退を始めた。
「正樹……!」
「こいつは試作品で長持ちはしないんだ、早めに決着をつけるよ」
「――わかった!」
悲鳴を上げる身体を奮い立たせ、再び鉤爪状の霊剣を形成させる。先程までの出力が無理だが、戦闘を続行するのは可能であった。
相手は両腕を失って戦力はかなり削がれている。正樹の霊剣が決まれば確実に倒せる筈だ。
あたしは地を蹴り、動きを封じるために相手の足を切り裂く。確実に健を裂き、相手の鬼はバランスを崩した。
「ナイス!」
正樹は相手の胸元を狙って大きく大太刀を振り上げる。それだけで、鬼の胸元には大きな斬り傷が出来ていた。大太刀とはいえ、明らかに斬り結ぶ距離ではない。あの霊剣の出力がそれ程までに強力なのだ。
「妙、そのまま――」
「わかってる!」
あたしは、そのまま身を翻してもう一度地を蹴る。すれ違い際での健への一撃、これでやつの移動手段は絶たれた――あとは!
「僕の仲間達や犠牲になった人達――全ての思いを受け取れ!」
更に輝きを増す正樹の霊剣、彼は大きく振り上げて鬼の頭上から全力で振り下ろす――光の刃は鬼の身体を包み、かき消えてしまう程の光が辺りを照らした。
「はぁ……はぁ……」
「やった……? 正樹、あたし達――勝った?」
「あぁ――勝った!」
光が晴れると、鬼の姿は跡形もなく消え去っていた。荒れ地となった都市に囲まれ、無意識にあたし達は抱き締めあっていた。
「でも、どうして……?」
「これかい? まだ実用段階に入ってはいなかったんだけど……」
そう言って彼は白衣を脱ぐ――中にはボディスーツのようなもので彼の上半身は覆われていた。
「霊力で動作する身体強化のスーツさ。更にこの霊剣はスーツ側の電池――霊力ボックスからの供給を受ける事で霊力の低い者にも扱える」
「だからさっき――」
「――そういう事。まだ調整不足で出力がねぇ…… 実用するには課題が山積みだよ」
「でも、助けに来てくれた」
「あぁ、いつまでも守られる側じゃいられないからな」
しばしの沈黙、二人の間に穏やかな風が吹き抜ける。
「――帰って、やる事が山積みだね」
「そうね……」
「妙――っ!?」
「正樹!?」
正樹は突然胸を押さえてその場に蹲る。あたしは慌てて彼の元に駆け寄ると、正樹は大量の汗を流しながら何かぶつぶつと喋っていた。
まさか、試作品だから何かしらの副作用があったんじゃ!?
「正樹、正樹っ!」
「……って、……す」
「何、何を言ってるの?」
「じかん……間に合わない……!」
彼は震える手で、胸元から水晶玉のようなものを取り出した。
「妙……離れろ……」
「――いやだ!」
彼のこの表情は昔から知っていた。何があっても貫き通す意思を現れ。きっと彼は――
正樹は右手で水晶を握り、左手で私の手を強く握った。そのまま私にもたれるように身体を預けてくる。
「さっきの鬼の残滓が、試作品の霊力ボックスに入り込んだ。このままだと、僕はあの鬼に取り込まれる」
耳元で、今にも消え入りそうな声でそう囁く。あたしはその現実を受け入れられず、何も答えられなかった。
「仮にこのボックスを切り離しても、鬼はそのまま復活するだろう。だから、僕自身を核とした強力な神域を作る」
「……」
「でも、怖くて震えが止まらない。この水晶玉を割れば、今にも組み込んだ術が発動する」
「……」
「だから、最期まで一緒にいてくれないか――妙」
「――いいよ、一緒にいてあげる」
震える彼の左手を、優しく両手で包み込む。少しだけ、その震えが落ち着いたように感じた。
「ありがとう――あの日、君に出会えて、良かった……」
そう言って、手にした水晶玉を砕いて術式を発動させる。
「あたしも、貴方に出会えて――良かった。ありがとう正樹、あたしに生きる目的を与えてくれて」
「――」
「――」
視界が圧縮された神域で歪んでいく。世界が溶けて一つになっていく。あたしとかれが、混じって一つになっていく。
「――ごめん」
「え……?」
正樹は、私の肩を押して、強く突き飛ばした。
『君は、生きてくれ』
そこに残されたのは、黒い水晶玉と、残された迷子の少女だけだった。
―――
――
―
「くっ、邪魔だ妖怪!」
「あらあら、そんなに邪険にしないでくださる? 私達の仲じゃない」
撤退途中、予想外の敵の出現に隊長である秋穂は苦戦を強いられていた。相手は手負いの妖怪、A級とはいえここまで手こずるわけがない。
「"以前"はあんなに仲良くやってたじゃない。貴女のおかげで八咫烏を組織するのが簡単だったのだから」
「何の話だ!」
「"今"の貴女には分からない話、今回は利用価値も無さそうだし、私の傷を癒やす餌にでもなってもらいましょうか」
ぼろぼろの女天狗は嗤い、荒れた帝都の地に悲鳴が一つ上がある。しかしそれは、誰の耳にも届かない虚しい一声だった。
「さぁて、少しずつ準備を始めないとねぇ!」
血塗れの女天狗を知る者は、この世界には誰もいなかった。彼女自身が世界の歪みとも知らずに……