五つ子と風太郎の話   作:豊島

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何でもない話 三玖の場合

「あっつ……」

「あ、暖房切る?」

「頼む」

「うん」

 

 一月も終盤となり、ある意味では中野父との勝負となる試験もだんだんと近づいているこの日。いつも通り中野姉妹が住むアパートへと足を運んだ風太郎を迎えたのは、三女である三玖だけであった。

 どういうことだと問い詰める必要はなかった。

 それより先に三玖が説明をしてくれたから、危うく唯一出席してくれている三玖に対し詰め寄るところだった。

 話を聞いてみれば単純で、ただ四人とも外せない急用が出来たということらしい。じゃあ連絡しろよ、何のための文明の利器だよと真っ暗な画面の携帯をしばらく見つめていた風太郎も、考えても仕方のないことだと割り切って三玖へと視線を向けた。

 これで三玖まで嫌々出席していた、なんてことがあったら流石の風太郎もこの日は帰宅したかもしれないが、どうやらそんなことはないらしく、むしろ三玖は昨日やそれ以前よりもやる気に満ち溢れているように見えた。

 何故かと聞けば「さあね」と微笑で返され、何を考えてるのかを聞けば「教えない」と悪戯顔で返される。こだまではないが、質問から返答までのテンポは心地よく、風太郎もつられて微苦笑を漏らしてしまった。

 そんなこんなで二人きりの勉強会。

 つつがなく、滞りなく勉強は進み、二時間ほどが経過した頃。

 冬も深まっている時期ということでそれなりに厚着をして来た風太郎が、暖房の効きすぎた部屋に「あっつ」と思わず声を漏らしたというわけだ。

 

「知ってるか?電気代のほとんどはエアコンの分らしいぞ」

「そうなの?」

「ああ。特に暖房はな……冬に電気代がかさむのはエアコンのせいと言っても過言ではない」

「でも、つけなきゃ寒いよ」

「それはまあ、その通りだな。でもここには"こいつ"があるだろ」

 

 そう言って、風太郎は右の手でコンコンとこたつの天板を叩いた。

 

「こんなデカいこたつ、正直羨ましいな」

「みかんもあるよ」

「こたつで食うみかんは五割増しで美味いとか何とか、四葉が言ってたな……そんなことあるのか?」

「フータローには分からないかもしれないけど、私は四葉に賛成」

「ナチュラルにディスってくれるな」

「一個食べてみる?」

 

 クスクスと笑いながら差し出されたみかんを手に取って、風太郎はしげしげと眺めてからそれを置いた。

 

「いい。認めちまうのも癪だし」

「負けず嫌い」

「うるせえよ。ほら、手を動かせ」

「ここ、分からない」

「そういうのはもっと早く言えよ……えーと、極値を求める問題はまず……」

 

 微分だとか増減表だとか、三玖が手を動かすのに合わせてあくまで彼女自身に解かせるように説明していく。数学は自分で手を動かさないと中々頭に入ってこないから、こうしてマンツーマンで教えられる機会にはいつもより丁寧にできる。五人がそれぞれ別々の教科を勉強していては難しいことだ。

 

「すごいね、フータローは」

「自分でもそう思う」

「ふふ、そうだね」

 

 無事に正答へと辿り着いた三玖の感嘆の言葉に、不敵に笑って風太郎は答える。そんなところに彼らしさを感じて、三玖はまたクスクスと微笑んだ。

 

「でも、ちょっと疲れてるでしょ」

「……いや、別に」

「嘘」

「嘘じゃない」

「うそだよ。あまり寝てないんでしょ」

「……ま、多少は。けどこんなの、前の期末試験の時と変わんねーよ」

「前も無茶してたんだから、変わらないならそれも無茶だよ……休憩しよう」

「お前が休憩したいだけだろ、それ」

「もう、気遣ってるんだから素直に受け取ってくれればいいのに」

「……分かったよ、ちょっと休もう」

「うん」

 

 実際、三玖の申し出はありがたい気遣いだった。もう後がない状況での問題児五人の家庭教師という役はさしもの風太郎といえどプレッシャーを感じざるを得ないもので、その重圧からかここ数日はあまり眠れていなかったのだ。

 けれども風太郎が自分から弱っているところを見せれば、それを気にした姉妹が遠慮するようになってしまう可能性がある。結局は試験が終わるまでの辛抱だからと自分で自分を納得させて誤魔化し誤魔化しやるしかなかった風太郎だが、疲れを感じない人間はいない。風太郎は勉強に関してかなり長期的な体力があるが、それでも限界は存在する。自分でもそろそろやばいと思っていただけに、自然と休める場を作ってくれた三玖には心の中で感謝を述べておいた。

 

「……休むって、何すればいいんだろうな」

「一番いいのは寝ることだと思う」

「それは流石に……他になんかないのか?」

「じゃあ、お話しよっか」

「話か……俺、話題なんてないぞ」

「私も」

「何なんだよ」

「何なんだろうね」

 

 何の生産性もない会話の中にも三玖は楽しみを見出しているらしく、その表情は朗らかだった。対する風太郎はそんな三玖を見て「意味わからん」と呟く。

 穏やか、と、そう表現するのが最も適していたのだろう。こたつに突っ込んだ両足がポカポカと温かくなって、眠気を誘ってくる。

 

「寝てもいいよ?」

「ばか……眠くねーから……」

「みんなが帰ってくる前には起こしてあげる」

「……う……すまん、ちょっとだけ……」

「うん、おやすみ」

 

 三大欲求の一つに抗うことができず、風太郎はとうとうこたつに突っ伏して寝てしまった。普段はキリッとしていて見方によっては怖いとも言えるその目つきも、寝ている間は大人しい。むしろ、寝顔は全体的に見て可愛い部類に入るのでは、と三玖は対面の風太郎を見つめながらそんなことを思った。

 

「……えい」

 

 ほんの数十秒前に意識を手放したばかりだというのに、どうやら風太郎は相当に深い眠りについたらしく、三玖が頬をつついても身じろぎ一つしなかった。

 味をしめた三玖はそれから何度も頬に指を向けた。痩せ型のわりに肉がついていて柔らかい頬は三玖の指が触れると沈み込むように形を変える。ぷにぷに、つんつん。三玖は飽きもせずに風太郎に触れ続け、しばらくしてようやく頬から手を引いた。

 次に手を出したのは頭。自分たちを導くための知恵と知識が詰まったその頭を労わるように優しく撫でる。羨ましくなるほどさらさらの髪の毛はやはりちょっとだけおかしな形にカットされていて、三玖は何となしに頭頂部の双葉を指先で弾いてみた。似たようなものが末の妹にも付いているが、こっちは触ったことがないので新感覚だ。

 それからさらに時間が経過し、ようやく三玖は頭からも手を引いた。

 次は体……というわけには流石にいかないので一度三玖はその場を立った。座りっぱなしで固まった体を一度伸びをしてほぐし、寝室へと向かう。タオルケットを一枚取り出し、今に戻って風太郎にそっとかける。そして居間の電気を消して、一言。

 

「おやすみ、フータロー」

 

 その後、三玖が風太郎を起こすタイミングを逃し続けているうちに二乃、四葉、一花、五月の順で帰宅し、それぞれに寝顔の写真を撮られたのは言うまでもなく。撮り忘れたと三玖が写真をしこたま撮ったのも言うまでもないことだった。


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