五つ子と風太郎の話   作:豊島

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何でもない話 五月の場合

 日曜日。もはや響きだけでも神々しさに溢れていて、ともすれば傅くことすら厭わないような、そんな日。休日出勤の社会人はお疲れ様。学生にはそんなものないのだ。

 

「お邪魔します」

「……また来たのか」

「そんなに嫌そうな顔をされると流石に傷つくのですが……」

「らいはは今買い物に行ってるからいないぞ」

「私が少し早く着いてしまったんです。お気になさらず」

「いや、ここ俺んち……」

 

 そんな神の日をまたしても文字通りお邪魔された風太郎の嘆きは当たり前のように虚空に消えて、その間に五月は靴をきちんと揃えて上がりこみ、居間へと向かった。

 追い返すことが出来るなら是非そうしたいところではあったが、口ぶりから察するにらいはと約束をしていたようなのでそれも憚られた。どうせ追い返せないし、追い返したららいはに何を言われるか分かったものではない。八方塞がりだ。いや、辛うじて空いている一方もあったが、それは五月の来訪を受け入れるという諦観の選択肢でしかない。

 

「待っている間、勉強を見てくれませんか?」

 

 加えて言うのなら、風太郎の立場ではこの言葉に抗う術はない。つまり、どうあれ風太郎に勝ち目はないのだ。

 

「……せめてもの仕返しでスパルタにしてやる」

「何でですか!?」

 

 

 

 

「おい、そこ間違ってるぞ」

「あ、あれ?ちゃんと覚えたはずだったのですが……」

「暗記はやっぱり苦手か」

「……勉強に関して何が得意と言えるものもありませんが」

「いやいや、勝手に卑屈になるなよ。理科は得意だろ?」

「それでもあなたには遠く及びません」

「いずれ及ぶようにしてやるさ」

「……言いますね」

「そのくらいの気合いがないとお前らに勉強を教えるなんて無理ってことだな」

「……言ってくれますね」

「……怒った?」

「怒ってません。早くここ教えてください」

「お、おう……えーと、まずはイオン化傾向から復習だな」

 

 リッチに貸そうかな。そんな風に始まる語呂合わせなんかも交えつつ、暗記のコツやら何やらを教えていく。化学に関しては暗記の側面が強い単元とそうでない単元が割とハッキリと分かれているから、要領の悪い五月にとってはそのあたりの切り替えが難しいようだった。

 

「鉄と亜鉛だと、亜鉛の方がイオン化傾向が高いだろ?つまり……」

 

 暗記した知識を前提に問題を解く必要がある場合も多い。これは化学に限った話ではなく、数学だって極論を言えば四則演算が分からなければ何も解けないのだ。

 問題を理解するための知識、解く上で最低限必要な知識が、化学という科目は少しだけ多い。こればかりは地道な努力がものを言うのだが、五月に関しては努力云々と言う必要は全く無いだろう。

 

「なるほど……分かりました。要するに……」

 

 風太郎が解説して、五月が自分の解釈を彼に伝える。それが間違っていればもう一度教えて正せばいいし、間違っていないのならそれで良い。そうして、ゆっくりと進めていく。

 

「正解だ」

「よかった……」

「今度作る小テストに入れようと思ってたんだが、これじゃカンニングみたいになっちまうかもな」

「………………そうですね、すみません」

「ああ、いや、責めてるわけじゃない。独り言みたいなもんだ」

「いえ、その、違うんです」

「?」

 

 五月の言いたいことが分からず、風太郎は首を傾げた。はて、何を気にしているのだろうと五月の言葉を待つも、なかなか口が開かない。痺れを切らした風太郎が声をかけようとしたちょうとその時、ようやく五月が話し始めた。

 

「その、カンニングでも点が取れればって思ってしまいまして……」

「……」

「う……」

「何つーか、セコいな」

「ううっ……」

「まあ、点が取りたいのも分からないではない」

「……上杉君は満点ばかりじゃないですか」

「今はな。最初からそうだったわけじゃない」

「……」

「……何だよ」

「いえ、『今はな』って言い切ったことが腹立たしかっただけです」

「そこかー……」

 

 珍しく謙遜したはずの風太郎は、実は無意識に(というか無自覚に)五月を煽っていたようで、またしても若干機嫌を損ねることになってしまった。一切そんな意図は無い発言だった。それでも五月はぷいっと顔を背けてしまったのだから、コミュニケーションのなんと難しいことか。

 

「いいです、もう。上杉君の勉強できるアピールは今に始まったことじゃないですから」

「勉強できるアピールって……まあ心当たりはあるが」

「一番酷いのはアレですよ」

「一番楽しいのはアレだな」

 

「あなたは何点だったのですか?」

「うわっ、ちょ、見るな!」

「全部100点……」

「あー!めっちゃ恥ずかしい!」

 

「……ふふ」

「……ははは」

「そんなことだから、私に嫌われるんですよ」

「かもな。反省はしてないけど」

「そこはしてくださいよ……」

 

 「気が向いたらな」なんて、気が向かない人しか言わないようなことを言って濁す風太郎に、五月は苦笑で返すしかない。それでも初対面の頃を思えば、この会話自体が奇跡のようなものだ。水と油のような二人がいつのまにか溶け合っていて、今ならむしろ息がピッタリと言われてもおかしくはない。本人達は全力で否定するだろうが。

 

「さて……そろそろらいはも帰ってくるだろうし、それまで集中しようぜ」

「そうですね。よろしくお願いします」

「おう」

 

 再び、紙の上をペンが走る音だけがその空間唯一の音となる。時折止まるが、数分経てばまた同じように動き出す。それを、何度も繰り返す。

 この心地良い静寂は、10分ほど経ってらいはが引きつった笑みとともに「ただいま」と言って居間に入って来るまで続いた。

 

 

 風太郎が語呂合わせを披露しているときにはすでに帰宅しており、先の仲睦まじすぎるやり取りを見て「エモい……結婚して……お義姉ちゃんになって……」と呟きながら廊下でしばらく悶絶していたのは、らいはだけの秘密だ。


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