好きな人。愛する人。愛しい人。
思い浮かべるだけで口元が緩むし、会えないと辛いし、連絡があると嬉しいし、会って話せば幸せになれる。
そんな人。
私が恋を知ったのは、高校2年の時。相手は父親が雇った同級生の家庭教師。ぶっきらぼうで無愛想でデリカシーが無い男の子。不器用だから人との距離の取り方が結構下手くそで、無遠慮だから言いたいことをズケズケと言ってくるその人に、私はいつのまにか惹かれていた。
昔、金髪の男の子と七並べをしたことを思い出したのは、その家庭教師と出会ってからすぐのことだった。面影があったから、気になった。確信したのは、林間学校の時。肝試しの脅かし役になった彼の、金髪姿を見て驚いた。その時は上手く隠したけれど、本当に彼がそうだったんだと知ってびっくりした。
なんやかんやで惚れちゃって、なんやかんやで引き返せないところまで来てしまった。
人を好きになるということを知らなかった私には、この初恋はあまりにも大きなものだった。なにせ恋敵は自分の姉妹で、しかも四人もいるときた。顔や体つきは瓜二つな五つ子でも、恋の仕方は全然違う。
最初は遠慮して、次にやり方を間違えて、とまあ、私も彼のことを言えないくらい不器用だと思い知りながら恋を成就させるために頑張った。
それで、まあ、結局その頑張りは実ってくれたんだけども。そこがゴールってわけでもないらしいことに、辿り着いてからようやく気づいた。
「……おい」
「どうしたの?」
「近いだろ、さすがに」
「いいじゃん。付き合ってるんだから普通だよ、普通」
「……くっついてもいいから、腕は解放してくれ。作業ができん」
「むー…………せっかくのオフなのに……」
ありがたいことに、最近は仕事が増えた。高校を卒業して完全に女優一本でいくことにしたから、今まで社長が配慮して抑えていてくれた分も仕事が入ってきている。
大変だけど、とてもやりがいがある。だからそれ自体は本当に嬉しいし、ありがたいことだ。
けれど……
「いや、俺もレポートやらないと……」
全然フータロー君が遊んでくれないのだ。いや、遊んでくれないどころか、構ってもくれない。私が話しかけても素っ気ないし、腕に胸を当ててすり寄っても手を出す素振りなんて少しもない。
たまの休日なんだから、もっとイチャイチャしたいと思うのは私のわがままなのだろうか。
「……それ、いつまでに出さなきゃいけないの?」
「明日」
淡々と、私には目もくれずに答える彼。正直泣きそうだが、私とてやられっぱなしではない。
「ふーん……"あの"フータロー君が、明日が期限のレポートをまだ終わらせてないんだ」
「っ…………」
何でもないようで、一瞬だけピクリと反応したのを私は見逃さない。これは何か事情があるぞと踏んで、カマをかけることにした。
「……これはとある筋から入手した情報なんだけどさ」
「……何だよ」
「フータロー君が、同じ学科の女の子に勉強教えてるって話」
「なっ、おま、どこで聞いた!?」
「あー!やっぱり!そんなことだろうと思った!」
「やべっ…………」
「……お姉さん泣きそうなんだけど」
演技で泣くふりをしてフータロー君をからかうことはあるけど、今は結構ガチで泣きそう。ほら、今にも涙が……
「いや、違うんだ。話を聞いてくれ」
「…………なに?」
「あー、まず、勉強を教えたのは本当だ」
「……ぐすっ」
「相手は確かに同じ学科の女子だ」
「……ぅっ」
はい泣いた。やっと手を止めてこっちを見てくれたのに何てことを言うのだろうか。人の心が無いのだろうか。鬼の子とでも呼んであげようか。
「けど、あいつらはただ同じ学科ってだけだ」
「……うそ」
「嘘じゃねえよ。その、何だ、俺なりに馴染もうとした結果というか……」
「……?」
「あー、俺の大学は、というかどこもそうだろうけど、来週から試験なんだよ」
「……知ってるよ」
それは流石に私でも知っている。そして大学の試験は、高校のそれよりも遥かに重要であることもまた知っている。
しかし、だとしても彼なら特に問題はないはずだが、それがどうしたのだろうか。
「で、これも言ったことあると思うが、一年の前期には四人から五人の班を組んでやる授業がある」
「……それで?」
「そんで、俺はその班内の自己紹介の時に『家庭教師をしていたこと』を話した。ここまで言えば何となく分かるだろ」
「……」
つまり、教えを請われたからそうしたと。
だが、それはそうだろう。もしも自分から女の子に「勉強教えようか?」なんて言っていたらそれは私の死を意味する。そもそもフータロー君がそんなことできるようには思えないし。
けれど、
「でもさ」
「?」
「フータロー君がその子のこと好きになっちゃうかもしれないじゃん」
意地悪だと自分でも思う。面倒くさい女だと自認している。
だけど不安なものは不安なのだ。
彼の態度が、会えない時間の長さが、否応無く私を惑わせる。
酷い顔をしているだろう。涙こそ流れてはいないものの、目尻に浮かぶところまではきている。
けれど、彼はズルい人だから、そんな私のことなんて見通した上で言うのだ。
「……あのなあ、お前、ホント……そんなことあるわけねえだろ」
「分かんないもん。あるかもしれないもん」
「…………一回しか言わないからよく聞け」
尚も拗ねる私に、しばらく迷いを見せた彼は意を決したように私と正面から向き合って目を合わせる。
その目で見られると私はどうにもお腹の奥辺りが切なくなってしまうのだが、彼はそんなことは知らない。
「俺は、お前のことが好きだ。これはあの時からずっと変わらない。お前だけが特別で、お前のことだけが好きなんだ」
「っ〜〜〜!」
普段言わない人がそういうことを言う破壊力は、思っていたよりも凄まじい。"好き"だなんて告白された時以来聞いていなかった言葉を、更にいろいろ追加して放った彼の顔はリンゴのように真っ赤になっている。それがまた可愛くて、すぐにでも襲ってしまいたくなるのをなんとか抑えて、私も応える。
「わ、私も!私も好きだから、他の男の人なんてダンゴムシにしか見えないくらい、フータロー君のこと好きだから!」
「いやお前、ダンゴムシって…………ククッ」
「わ、笑うことないじゃん……」
「悪い悪い、ついな」
それから私たちは、また顔を見合わせて笑った。
言葉が無くても分かり合える関係というものが全く無いとは思わないけれど、想いを伝えるには言葉が一番効率的なのは確かだ。
私は今こんなにも嬉しいのだから間違いない。
「そういえばさ」
「ん?」
「この間四葉がフータロー君とジムに行ったって話してたんだけど、本当?」
「………………あー、アレな」
うん。やっぱり言葉は大切だ。特に不意打ちと組み合わせるといい効果を発揮するらしい。
流石に浮気をしたと思っているわけではないが、かなり居心地悪そうにしているのでここは一発かましておいた方が良さそうだ。
「いや、違うんだ。アレはその、ほら、何だ。最近運動してないなって思って、な?だから強めに肩を掴むのやめてくれない?」
「運動なら、家でも出来るじゃん」
「いや俺、筋トレとか全然続かな……」
「今日は、大丈夫な日だよ」
「…………いやそれ、迷信だろ」
「今午前10時だから、たっぷり時間はあるね」
「……でも俺、レポート…………」
「フータロー君なら30分もあれば完成するでしょ」
「………………本気か?」
「もちろん」
「……せめてゴムを」
「まだ残ってるでしょ」
「足りねーだろ」
「…………えっち」
「理不尽すぎる……」
実を言えば、構ってくれないのは本当に忙しい時だけで普段はひたすらイチャついているけれど、今日は構ってくれなかったんだからそんなことは誤差だ。
何だかんだ言っても、結局は肉体言語が私たちには合っているらしい。彼にそんなことを言えば「猿じゃあるまいし、んなわけあるか」なんて返されるだろうけど。
私に恋を教えてくれた人は、ぶっきらぼうで無愛想で不器用で、優しい人。私は彼に依存していると自覚しているけれど、実は彼も私に依存していると気づいたのはいつだったか。普段は素っ気ないくせに、それが逆にギャップを生むのだからやっぱりズルい。
恋は実ってからも大変。でも私の場合それは少し意味が異なる。恥ずかしいからあんまり言わないけれど、要は体力的な問題だ。
私から誘って、私が降参する。最初の頃はどうにか一泡吹かせようと思っていたけれど、正直言ってフータロー君には勝てそうもない。
「ちょ、待っ、まだするの?」
「あと一回だけ」
「それ何回も聞いたよぉ…………」
好きな人。愛する人。愛しい人。
私が恋と愛を教わって、教えた人。
デリカシーはないけど、優しい人。
誰にも渡したくない人。
喧嘩もするし、拗ねるし、嫉妬するし、面倒くさい女だけど。
「フータロー君」
「あ?」
「これからもよろしくね」
「……結合状態で言うことじゃねえだろ」