シスコン野郎と青春フラクタル   作:金木桂

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オリで日間入ってみたいですね


一直線上のアンステーブル

 我が家は玄関を超えれば、まず廊下が飛び込んでくる。廊下と言ってもそう長いものでもない、ウサイン・ボルトならば0.5秒で駆け抜けるくらいの距離しかないのである。それでも我が家で一番長い細道という意味で、そこは廊下だった。

 そこから進んで正面のドアを開ければキッチン一体型のリビングがお出迎えだ。リビングだけはそこそこ広く、確か25畳とかそのくらいはあったはずだ。

 

 そしてリビングのソファーに一人。元エンジェル現不肖の妹である優愛菜が相変わらずダラダラと仰向けに寝ながらファッション雑誌を読んでいた。既に制服からは脱皮していて、短パン半袖のラフな格好。

 優愛菜は物音で気付いたのか、こちらに視線を投げかけるとすぐに目を逸らした。

 

「お前か。帰ってたんなら一言くらい言って。気付かないじゃん」

「そうか。すまん」

「分かったならもう行ってよ。私、忙しいから」

 

 どこがどう忙しいんですかね……と心の中でボヤく俺を責める人間はきっとこの世界にはいないに違いない。雑誌読んでるだけの人間が忙しかったら一日中家から出ないニートだって忙しいだろう。俺だって今遊璃と付き合うのに忙しいし? いやまあフリなわけだが。

 そうそう、そうだ。忘れてた訳じゃないが、遊璃と付き合ってる旨を話さなきゃならない。

 

「あーー、その。優愛菜。お前が無茶苦茶忙しいのは分かったから今ちょっと時間あるか?」

「バカにしてんの?」

「ちげえよ。必死にアポイントメント取ろうとしてるってことを分かってくれませんかね」

「その話し方キモいから本当に止めて」

 

 優愛菜は雑誌から目を離さずに淡々と口にした。キモいとか、少し俺に厳しすぎやしないかそれは。優愛菜は俺をどうしたいの? サナトリウム送りにしたいわけ? 別に良いけど俺も抵抗するからな? もちろん拳で。こういうところがキモいって言われるんだろうな、辛いね男(オタク)は。

 凹んでいると「で、何?」とぶっきらぼうに聞いてきた。良く分からないがなんか話しても良いらしいっぽい。

 

「遊璃のことは覚えてるよな?」

「当たり前でしょ。この前まで良く遊んでたわけだし、お前より話してて面白いし」

 

 いやだからさり気ない会話の中に毒を仕込むの止めて欲しいんだよな。自殺念慮とか抱えたらどうするんだ、一定ボーダー越したら富士樹海に失踪するからな? 行き先宣言して失踪とは如何に。

 一層悲しくなってきたが、やりきれなさを噛み殺してリビングにある椅子に座る。

 

「で、だ。俺、あいつと付き合うことになったから」

 

 と、区切って優愛菜の反応を伺う。俺の仮説はこうだ。俺と幼馴染である遊璃は幼稚園時代からこの家に遊びに来ており、優愛菜も幼い頃から見知っていて。遊璃もそんな純真無垢(当時は、だが)な優愛菜を気に入っていた。遊璃は身内には甘いとこがあるから、色々と世話を焼いたり遊んだりして、下手したら俺よりも慕っていた。それはもう実の姉のようにだ。だから恐らく、遊璃が取られたと感じて優愛菜は怒るだろう。それから殺すような視線で睨んで「ホンっとあり得ないから。お前。死ねば良いのに」とか言ってきそう。うん。あり得る。昔ならいざ知らず、今の優愛菜ならあり得るからこそ目茶苦茶死にたくなる。はぁ、付き合うフリとかしなきゃ良かったな。

 

 去来した後悔に静かに溜息をつきつつ、優愛菜の動きを待つ。

 優愛菜は顔を伏せながら、何も言わない。怒っているかと思ったが、どうも様子がおかしい。今の優愛菜は、怒ったならばもっと感情的に火災用スプリンクラー宜しく辺り一帯に毒を撒き散らすはずなのだ。

 

「お、お前……………………」

 

 暫くして、ガスが漏出するみたいな掠れ声が優愛菜の口から溢れる。一定のリズムの掠れ声。その色には悲壮感が籠もっていて、俺は言葉を失う。失うしかない。

 全く予想も付かなかったことに、優愛菜は泣いていたのだ。華厳の滝のような激しさはなく、しかし潤った綺麗な眼から一筋の解れた糸みたいにツーと垂れ、雫はソファーにぽつりぽつりと落ちる。

 こういう時こそ冷静に、冷静に考えるべきだ。罵詈雑言でも無ければ激情でも無く、涙。その意味を考えろ。

 侮辱も、厳しい言葉も、何一つ掛けていないつもりだ。ただ付き合うと言っただけ。

 単純に考えれば姉代わりとも言える遊璃が取られたから……とも取れる。だがそれで涙を流すだろうか? 違和感がある。違和感しかない。仮に俺に兄貴か姉貴がいて、それが知り合いと付き合ったら泣くだろうか。兄貴だったなら絶対に泣かないな、むしろ家族の系譜を残さなくてはならないという重責から開放されて清々して送り出せる。姉貴なら相手を一発殴って終わり、俺は慈悲深いのである。

 

 なら、もしかすると。俺は優愛菜の遊璃への思いを過小評価していたのかもしれない。

 何せ同性だ。年齢だって3つ離れてる。長年の付き合いだ。

 だがいくら否定要素を譫言のように反芻しても、結論は同じ到達点に行き着く。……優愛菜は、遊璃のことが恋愛対象として好きなのかもしれない、と。

 

 ここで「付き合ってるとか嘘だから。騙してごめんな」と本当のことを明らかにするのは簡単だ。でも今それをするのは違う。部分点すら貰えない完全な誤答でしかない。遊璃と何を約束した? なんの為にこんな低俗な嘘まで吐いて、最悪な気分になった? 遊璃の本当の心を、悩みを、明白にするためだ。

 

「なあ、優愛菜。遊璃と出会った時のことを覚えてるか?」

「……聞きたくない」

「俺と遊璃は9歳、優愛菜は6歳の頃だったな」

「聞きたくないって」

「あの時は俺に妹がいる事を知った遊璃が優愛菜に会ってみたい、って言ったから初めて対面したんだよな。それまでお前、遊璃が来るたび部屋に籠もってたからな。でもこんなに仲良くなるなんて俺も想像付かなかった、まあ人間関係なんて流転するしなとか頭ん中空にして適当に生きてみて、気づきゃ9年か? 俺に関しては10年オーバーだ、腐れ縁って言葉が相応しいだろうな」

「止めてよ!!私にその話をしないで!!」

 

 バサッ、と優愛菜がファッション雑誌をカーペットに投げ捨てる音。

 涙を拭いながら、赤く充血した眼光が空気を穿つ。

 

「お兄ちゃんは! 何でそう無頓着なの!」

「……俺は最大限、優愛菜に寄り添ってたつもりだ」

「寄り添ってるよ! だから私が抱えきれずに困るんじゃん……!」

 

 ヒステリックに叫ぶと、顔を赤くした優愛菜は立ち上がって、双眸を指で抑えながらリビングを出ていく。バタンと扉の閉まる音が嫌にこの広々としたリビングに響き渡った。

 

 感情の坩堝が渦巻いたままのリビングに、俺は溜息を切った。

 何が悪かったのかなんて、明確に分かっていた。

 現状を打破するために、好転させるために、偽りの話をするだなんて何処かの宗教の公明正大な神様が許してくれなかったのだろう。だからといって更に冷戦を悪化させるなんて過酷な仕打ちをしやがって。決めた、俺は一生何があっても無宗教だ。妹との縁を斬るような神なんざ地獄に落ちた方がマシだ今畜生が。

 

 思えば、本当に優愛菜が遊璃の事を好きかどうかも分かっちゃいない。あの時は焦っていたが、終わってみれば早とちりだった気がしなくないのだ。それを聞くにしても優愛菜は今日はもう話してはくれないだろうな。結局泣いた理由すら分からず、ああ。俺は駄目な兄貴だったよ。

 

 自己嫌悪の海に沈みながら、ふと思い出すように俺はスマートフォンを懐から取り出す。電話をかける相手は当然、遊璃だ。

 

『静流? どうだったの』

「失敗した。毛沢東と蒋介石が手繋いでディズニーランドに行くくらい難しい状況になっちまったよ、たく」

『それこそ夢のような話ね。まあそんなつまらない喩えをするくらいなら大丈夫そうかな。なら今から来れるでしょ。いつものファミレス集合』

「はあ? ってもう切りやがって」

 

 仕方ない。仕方ないが、お呼びとあれば恋人として行かなきゃならないのだろう。

 俺は重い腰を持ち上げて、制服のまま外へ出ることにした。

 

 

 

 

──────────────────

 

 

 

 

 家から3分ほどのファミレス。そこは高校に入学してから、テスト期間の度に遊璃と勉強している馴染みの場所である。

 ウェイターに待ち合わせと言って探してみると、遊璃は窓際の四人席を確保していた。既に制服では無く、淡い紅色のワンピースを着用している。

 

「よう。一時間ぶりだな」

「ええ。それより失敗したって言ったわよね。もっと具体的に教えてくれる? 私にはその権利があるはずよ」

「んな急かされなくても教えるから、まず注文させろ」

「それはそうね」

 

 互いにメニュー表を手繰り寄せる。試験勉強の場代としていつもなら高めに注文するのだが、今日は長居するわけでもなし。安めで良いだろう。

 俺はドリンクバーとバニラアイス、遊璃はドリンクバーとショートケーキを頼んで席を立つ。

 

「で、優愛菜の態度が変わった理由は分かったの?」

「分からん。てか聞く前に泣かれちまったから何も分からん」

「あ〜なるほどね」

 

 ドリンクバーでコーラを注ぎながら答える。遊璃の口ぶりはまるで何かを知ってるような気がするが、ってメロンソーダと山ぶどうソーダとジンジャエールの3つを混ぜて美味しいのか? いつもの事ながらコイツのミックス癖は理解出来ないな。普通に悪趣味だと思う。ドリンクバー初心者の中学生かよ。

 

「なんか知ってるのか?」

「知ってるってほどじゃないわ。ただ、優愛菜ちゃんならそうなっても不思議じゃなかったなぁって反省してるのよ」

「何だそれは。まるで泣いてしまった理由を知ってるみたいで気味悪いんだが」

「知ってるわよ?」

「はあ?」

 

 素で疑問の声を上げてしまった。おいおい、知ってんならさっさと教えてくれ。兄妹仲が永遠に氷河期になっちゃったらどうするつもりだ。

 遊璃はそれを無視して席へと戻ろうとする。

 

「しかし、それはね静流。アンタが自分で気付かなきゃならないと私は思ってる」

 

 赤色の安っぽいハリをしたソファーに腰を乗せて、遊璃は言った。

 

「いやな、何故なんだ? この状況を解決するため、優愛菜との関係を戻すためにその解は必要不可欠だ」

「その優愛菜の抱える問題の渦中にあんたもいるのよ。だから教えられない」

「何だよそれ……」

 

 どういう事なんだ? 全く持って理解出来ん、何で俺が渦中にいるって? むしろ渦中にいるのは遊璃、お前だろ。

 反駁しようとするが、出かけた言葉は遊璃の真剣な眼差しによって喉元へと押し戻される。

 

「静流、あんたが自覚するまで私は答えは教えないし、この偽りの交際関係もやめないわよ」

「何だって? あのな遊璃、さっきからお前の言ってることがさっぱり分からないんだが……!」

「必要なことよ。全部、全部ね」

 

 ストローでジュースを飲み込む遊璃の全身を、危険物を持ってないか確認する空港職員みたいに舐め回すが、当然っちゃ当然のことながらその行為は無駄だった。

 胸に溜めた猜疑心と一緒に溜息を蹴り出す。

 

「わーった、わーったよ。それで現状が今より良くなるんなら、そうする。信用するよ。それで良いか?」

「ええ。勿論」

「それで。具体的にこの先の展望とか何かあるのか?」

 

 コーラの入ったガラスを持って俺は疑問を投げ掛けた。カランと氷が崩れる音が響く。

 

「当然じゃない。私、そんな馬鹿に見える?」  

「スイマセンでした遊璃先生」

「宜しい静流くん」

 

 うむ、と満足げに頷く。余談だが俺が平々凡々な成績なのに対しコイツは定期試験で1位2位を争う優等生。おかげでテスト前はちょうどこのファミレスで勉強を見てもらってるわけで、頭が上がらないのだ。

 自信満々そうな口調で遊璃は言う。

 

「取り敢えず、日を空けて私が優愛菜ちゃんと話してみるわ」

「……それ、ノープランってことでは」

「違うわよ失礼な。あんたが分かってない、優愛菜ちゃんが泣いた理由を私は知ってるのよ?」

「は、はぁ……」

 

 その理由、知ってたらどうにかなるほど大きな事情なのだろうか……? 知らない俺が言えることでは無いが。

 

「まあ、任せなさいよ。そういう訳で土曜日に優愛菜ちゃん借りるから」

「借りるって別に俺の所有物でも何でもないけどな」

 

 不安は不安だ。だが遊璃なら上手くやってくれると長年の付き合いからなる俺の勘は言っていた。感情を律して常に物事を俯瞰できる遊璃はこういう人間関係の問題を収めるのが上手い、昔も兄妹喧嘩をしたとき仲裁してくれた。

 だからまあ、何というか。今回も頼ろうかと思ってしまったのだった。

 

 

 

 

──────────────────

 

 

 

 

 翌朝の、HR前の気怠い時間のことだ。

 今日も6時間目までフルにあるという憂鬱感に身を投じながら、俺の額はセメダインで固まっちゃったのかと勘違いしそうなほど強く机と密着していた。ただ鬱なだけである。授業前のこんな倦怠感はきっと全世界共通で学生特有のものなのだろうが、まあ怠いものは怠い。「今が積み重なって未来があるですよ、だから今この一瞬一瞬を大切に」とか宣う校長の話を思い出してみたりもするが、良く考えてほしい。前提としてどのように時間を過ごしたとしても未来は絶対に現在になる。未来が絶対に存在するのならば、この瞬間くらい怠けてても許されるはずだ。俺が頑張らないことで滅びる世界などラノベ主人公でもなければ存在しないし、滅びる時は地球温暖化か核戦争、それか隕石と衝突する時と相場が決まっている。決まってるよな? SF映画で世界滅亡系は粗方履修したから間違いはないはずだ。

 

 横目でキョロリと窓を覗けば、俺の気持ちに呼応するようにパラパラと雨が降っている。五月雨というやつらしい、言葉にすれば大層なもんで今にも格好いい必殺技が出てきそうなものだが、生憎現実に天から出てくるのは水のみ。窓から流れ込むしっとりとした湿潤な空気が気持ち悪いったらありゃしない。おかげで更にテンションが下がるわけで。もし本当に俺の気分と天気が直結していたら未曾有のデフレスパイラルに陥るところだったな、危ない危ない。また世界を救っちまった、か……。

 

「いる! おい静流!! どういう事だよお前!?」

 

 鬱々しくも静寂な時間はどうやら終了らしい。

 朝からデカイ声を響かせる御厨に、仕方なく、ホント〜に仕方なく起き上がる。

 

「なんだ御厨。騒々しいぞ」

「うるせえ! んなこた今良いんだよ! お前、水無ちゃんと付き合ったってマジか!?」

「………………は?」

 

 俺の思考が一瞬止まる。どこだ? どこからその情報が漏れ出した? しかもよりによってこんな歩く拡声器みたいな声量のバカに。

 

「しらを切ろうとしても無駄だぞ! 優愛菜ちゃんからネタは上がってんだ!」

「アイツかよ…………!」

「昨晩僕に相談したきたんだよ。愚兄が幼馴染と付き合い始めてどうすれば良いか分からないってな!」

 

 息巻くバカに俺は愕然として頭を抱える。もしかしなくともコイツにメールしやがったな……! 他にもっといただろ! 相談相手……!!

 にしても厄介な状況になった。御厨はどうでも良いが、学校でこの噂が広まれば完全に俺と遊璃は勘違いされる。何とかせねばとも思うが、もう手遅れじゃないか? という疑念も合わさって俺の重い腰は鉛のように動かない。

 

「僕はお前には失望したよ! 失望の望だよ! 妹を困らせるとか世界憲章を反故にしてるからな! 親権寄こせやコラ、僕が優愛菜ちゃんのお兄ちゃんになってやる!」

「いや親権とかホイホイ渡せるもんじゃ無いからな。渡せてもお前が兄になれるわけじゃないし」

「知ったもんかよ。なんせ僕は世界中の妹のお兄ちゃんだぜ? 」

「何だお前。アレか? 自分を兄だと思いこむ精神異常者か?」

「え? 精神は至って平常だけど」

「こりゃ末期だ」

 

 知ってたけどな。御厨が妹キチってのは一年も一緒にいれば嫌でも分かってしまう話だ。顔は悪くないのに、だから彼女出来ないんだよお前。

 

「優愛菜ちゃんどうするつもりなんだよ。明らかに落ち込んでたぞ?」

「どうするって……別に何も無いが。強いて言うなら、遊璃に頼んだ」

「人任せとかお前なぁ……水無ちゃんはお前の彼女なんだろ? 彼女に自分の妹のメンタルケアを頼むのが普通じゃないことくらい、彼女いたことない僕だって分かるよ」

 

 そんなの俺だって分かってる。だが、俺は優愛菜が泣いた理由を知らない。何より頭脳明晰で頼れる幼馴染の遊璃が「任せなさい」と言ってきたのだ、信じない理由は無いだろ?

 ───とか考えて、反吐が出そうになる。小綺麗な言い訳を連綿と並べる自分に嫌気が差している自分もなるほど、心の片隅に存在しているらしい。

 だって俺の妹だ。たった一人の兄妹だ。グレてしまった理由なんて露ほども分からない、拒絶してくる優愛菜に恐怖心や苛立ちだって多少ある。だがそれで俺が手を伸ばさなかったら誰が手を伸ばす? 親父もお袋も多忙な社会人だ。優愛菜の友人だって所詮は他人だ。一番接する時間の長い兄が支えなくてはどうするんだ。

 

「妹ってのはな静流、性別が違うから近くて遠い存在に見えるかもしれないけど、やっぱり近いんだよ。仮に義理だろうが何だろうが家族という集団に属してる時点で肉親なんだよ」

「……そうだな。その通りかもしれない。御厨の言う通りだ。優愛菜と話さない問題は進まないよな」

「そうだよ。ったく、何やってんだか」

 

 やれやれと肩をすくめて御厨は息をついた。

 

「それでだ元親友、話を戻そう。水無ちゃんとデキたってどういう事だ?」

「……………………まあ、そういうことだ」

「殺すぞ」

「待て待て。合意の上だから良いだろ別に」

「酷たらしく殺すぞ」

 

 ボールペンを持ち出して、切っ先をこちらに向けてきた御厨の腕を抑えながら俺は溜息をついた。ここんとこ溜息ばっかだ、全人類の中で地球温暖化貢献率ランキングなんてあった日には桂川静流の名前は上位に食い込んでいることだろう。

 

 適当に親友と会話を交わしながら、俺の思考は空回り続ける。

 俺はこれから一週間、水無遊璃の彼女として高校でも生活せにゃならないみたいで、それが酷く俺の心を冷たくした。クラスの中核人物が「おーい! こいつこんな気持ち悪い本読んでたぞー!」と友人の読んでたライトノベルを颯爽と取って晒し上げた時の友人の気持ちだ。これは友人の話であって、決して俺の話ではない。今はラノベとか読んでないしな。だからお前なんだろ? みたいなツッコミは心の中で留めてほしい。

 言うまでもないが、遊璃のことは嫌いではないし嫌いなら大気圏外まで遠ざけている。容姿は良し、性格も備考はあるがまあ良し、それでいて頭も回る幼馴染ながら完璧な女子高生だ。駅で待ち合わせしてるだけでもスカウトマンに声を掛けられるらしく、大学生になったらミスコンとか出た脚光を浴びちゃうんだろうなぁとか人知れず考えたりするくらい無欠だ。完璧だ。十全十美だ。ルサンチマンがあるならともかく、基本嫌う人間などいないだろう。

 

 だから、だ。

 

 こんなことになるなら偽りの恋人になるという提案なんて断れば良かった。

 今この時点において、完全無欠だった水無遊璃はたった一つの欠点を持ってしまった。桂川静流という、彼氏の存在だ。世界が狂っても、天変地異が起きても、桂川静流は普通の男子高校生である。何かに秀でてるだとか他に無い意外性を有してるだとか、そんな事は一切無い。公立小学校、公立中学校と普通に進み、高校受験はせざるを得ないから仕方なく遊璃と同じ高校を志望して進学しただけの中身の無い高校生だ。

 と、これだけだと勘違いされるだろうから注釈として一応付け加えておこう。これは自虐ではなく事実を加味した評価であって、決して自分を蔑ろにしている訳ではない。生憎と普通の学生なりに真っ当な精神を持ってるから、自罰的な厭世主義者とかじゃないのだ俺は。その辺を間違えられると困る。

 だからまあ、簡単に言ってしまうと桂川静流はありふれた若者の一人ということで。

 

 不釣り合いなのだ。俺と遊璃は。

 友人としてなら何一つ問題無い。でも恋人だ。青梅(やま)青海(うみ)くらい違う。とは言え、まだ大丈夫だろう。身内話だけで終わるのなら良いさ。俺だってそこまで気に留めないし、何事も無いいつもの高校生活が続くだけ。

 だが漏出してしまえばそんな呑気なことは言ってられない。他からすれば、俺と遊璃が付き合うのは平民が王族と婚約するようなもの、とか例えを挙げてみるが我ながらしっくり来ない。欠伸が出るほどセンス無いな俺。国語赤点スレスレは伊達じゃないのだろう。だがしかし意味合い的には言いたい事は遠からず。

 

 朝のHRの始まる予鈴を聞きながら、更なる波乱の予感に頭痛がした。

 

 

 

 


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