自然と途絶えた会話を好機と見て「じゃあ着替えるから」と俺は部屋に戻ってベッドに倒れ込んだ。全身が柔らかく包まれる感覚に、何時もならば眠気が襲来してくるはずなのに今日は自主休業しているのか全く訪れない。それもこれも優愛奈があんな事を言ってきたせいだろう。告られたの何か普通に人生で初めてだぞ、それが実の妹だって? 本当に笑えないジョークだ、冗談ならどれだけ良かっただろうか。
長く深い息が漏れる。どうするべきかなんて恋愛経験もマトモに持ち合わせていない俺には分からない。誰かに相談しようとも、相手は妹だ。こんなレアケースを経験した全国の兄貴など滅多にいないだろう、寧ろいたら俺と友達になってくれ。2時間前の俺ならともかく、今の俺なら存分に仲良くなれる自信がある。
答えだけは早々に決まっている。NOだ。断るしかない。年齢性格趣味身長、そんな他の事は無視出来ても唯一完全無欠に家族であるという事実だけはどんな詭弁や欺瞞で取り繕っても無視できない程に重い。それでも悶々と悩んでいるのは俺が優柔不断だからとかじゃなく、単純に今否定したら何処か遠くに飛び出してしまいそうな、そんな危うさが優愛奈にはあったからだ。
悩むのは簡単だ。足を止めるのも簡単だ。だが優愛奈は前へと進むことを決めてしまった。前方が例え壁でも崖でも奈落でも、厭わず前へと足を早めてしまった。ああ、ならば年長たる俺も甘えていてはいけない。俺もまた万物流転に則って、この軋みながら回る歯車に乗らなくてはならないだろう。そう、目指すはハッピーエンドで、その為に変化を経験していかなくてはならない。
なら俺は何をすべきか。
……まあ、まずは遊璃に電話してから考えようと思う。呆れるほど俺は変わらないな、今更だが。
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事情を話せば、冷徹に遊璃は「はぁ……予想外だわ。分かったわよ、ファミレスに来なさい。そこで今後の方針を話しましょ」とか、一介の男子高校生でしかない俺の薄い財布が更にダイエットしてしまうような事をまた提案してきたので「いやいや、電話で良いだろ。俺の財布を殺す気か?」と返せば無遠慮に「じゃ、そゆことだから。以上!」と強引にプツリと切られた。本当に分かってるんだろうか? そろそろあのファミレスに何万課金してるのか考えるだけでゾッとしてくるんだが。少なくともソシャゲのガチャ天井2回分くらいは使ってる。この金でもっと他に遊びに行けただろうに……とか思ってしまうのも致し方ないことだと俺は思う。
既に勝手知ったるファミレスに入れば、珍しいことに未だ店内には遊璃は来てないようだった。一先ずは店員にもう一人来る旨だけ伝えて壁際の四人席に座る。外から見ても俺の席が分かりやすいように窓際に座っても良かったが、如何せん日光が差し込んでいて身体が蒸し暑くなるのが想像に易かったので日影に逃げる。何せもう5月も下旬、日増しに気温もエスカレートする頃合いだったりする。
それから5分ほどして遊璃は制服のまま現れた。
ズカズカやって来ると開口一番、
「なに陰気な顔して陰気な席に座ってんのかしら。ゾンビかと思ったわ」
とか大変失礼なことを宣って来やがる。俺のことを罵るのはいいがこの四人席を罵るのは道理が違うだろ。日光から肌を守ってくれる人間に優しい奴なんだからな。
「てかゾンビって何だよ。もっと良い喩えを出せ、一応お前の恋人だぞ俺は」
「確かに恋人がゾンビは私も嫌ね。そういう映画もあったけど」
「どんな映画だよ。動く死人と恋愛とかニッチ過ぎないか?」
「どちらかと言えば恋人になっても愛してるみたいなテーマだった気がするわ。私には無理ね。生者は生者、死体は死体。例えば鶏肉だって鶏の死体よ? 愛情持って飼っていたとしても死んじゃったら食べるしかないじゃない。変わらず死体に愛情を注ぐ人がいたらもう引くわ、ドン引きよ」
「そうか。因みに俺は今飼っていた鳥を死んだら食うしかないと言い放つお前にドン引きしてる」
ペットくらい普通に埋葬してやれよ……。
呆れながらメニュー表を手繰り寄せる。そろそろ冗談じゃなく俺の財布がヤバい……値段的に、もう世間的も諦めてドリンクバーのみで良いか。
「遊璃、決まったか?」
同じくメニュー表を眺めていた遊璃がコクリと頷いたので呼び出しボタンを押した。それから俺はドリンクバーを、遊璃はドリンクバーとショートケーキを注文するとジュースを汲みに行くために示し合ったように席を立つ。
「今日もショートケーキ頼んだのか」
俺はザクザクとコップに氷を入れながら不意に気になって言った。遊璃はスンと鼻を鳴らすと機械にマグカップをセットしてアメリカンコーヒーの出るボタンを押す。
「気分よ気分。私の恋人のくせに分からないの?」
「分かるか。そもそも偽物の関係じゃねえか」
「つれないわ〜。全く、これだからモテないのよアンタは。まあ妹とはそうでもないようだけど」
「ほっといてくれ。今その事で悩んでるんだっつーの、そこんとこはあんまほじくんな」
泡が立たないように限界までコーラを入れて、湯気の立つコーヒーを持つ遊璃と並んで席に戻る。
そう言えば、俺と遊璃の関係はどうなっているのだろうか?
始まりは俺が優愛奈の真意を知りたいと言って、じゃあ付き合う? と相成ったこの関係性。元から付き合いのある幼馴染ということもあって、意識せずともそれっぽい雰囲気を出すのは簡単だった。身も蓋もないが、俺もまあ満更でもないと思っていたのも事実で。
しかしまあ、状況は一変した訳だ。優愛奈は俺が嫌いになったとか邪険に思ってたとかでは決してなく、むしろその正反対。まさかあそこまで好意があったとは思ってもみなかった。多分遊璃も気付いてなかったに違いない。
思うような結果ではなかったにせよ、目的も果たした訳だからこの偽りのカップルごっこも早々に幕を閉じるのが道理だろう。デートとか今更やる必要もないわけだ。今の覚醒した優愛奈は略奪愛上等とばかりに告ってくるほど意思が強いから最早俺達の関係など考慮に入れないはずだ。
「ねえ、関係ないんだけど1つ私も言いたいことがあったんだけど」
ホットコーヒーに口を付けて、今思い出したかのように遊璃は口を開いた。
本当にどうでも良いことなんだろうなぁ、と半目で「はいはいどうぞ」と促す。もしも今から5秒前の俺に一言告げることが出来るならば、今口に含んだコーラを即座に飲み込んで口の中を空にしろと言いたい。忘れるな桂川静流、目の前にいる女は破天荒を極めた女だぞ、と。
まあそんな覚悟を突如できるかと言えば無理な話で、ストローで吸いつつコーラを含んだまま聞いてしまう。
「私、実は優愛奈の事を恋愛対象として好きなの」
「……はぁ!? げふっげふっ」
「うわ汚っ! 自分で拭きなさいよね」
突然の告白に炭酸が変なとこに入って蒸せた。しかも吹き出してテーブルを汚してしまい、店員に嫌そうな顔で見られる。何これ、俺が悪いの? ちょっとは情状酌量の余地あっても良くないか?
「ほら、紙ふきん」
「サンキュ……なあ。今の本気か?」
「ええ、当然よ? 私は嘘はつかないわ」
無残に溢したコーラを拭き終えて、紙ふきんを脇へと置く。
はいダウト。偽りの恋人作戦の考案者がのうのうと言ってやがる。
とか全力で否定したい気持ちはとてもとてもあったが、真面目ぶって話す遊璃から嘘の匂いがしないので心にしまい込む。
「つまり……、その、なんだ? お前、恋愛対象が」
「違うわ。私はノーマルよ」
「……はぁ?」
「私はノーマルよ」
いや繰り返されても、なぁ?
幼馴染というのもあるし、あまりこういうのは言いにくいが、社会的に考えたらレズビアンというやつなんじゃないのか? 全然気付かなかった、素振りすら感じなかったまである。
ただ、何となく心にポカリと空いた穴に風が吹き込んだような冷え込みを感じたが、それより。
「……その、優愛奈のことが好きなんだろ? じゃあレズだろ」
「違うわ。優愛奈が同性なのに可愛いのが悪いのよ」
「俺の可愛い妹に責任押し付けんな」
「何よ。別に全然良いじゃない。それくらい同性からしても優愛奈は可憐で魅力的で結婚したいってだけよ」
「全然で済む話じゃないんだが……」
特に後半な。結婚とかお前、自分の年齢考えてから物を言ってくれ。優愛奈なんかまだ14歳だし、結婚以前に普通の恋愛すらまだだろう。だろうってか、その恋愛対象が俺な訳だが……。
ブルーになりつつコーラを口に含む。そこはかとなく化学的な香料が舌に触る。
「はぁ……何だってこう次から次に問題が出てくるんだ」
「黄昏れてもしょうがないわよ? 次行きましよ次」
「全国お前が言うな大賞案件なんだがそれ」
「私は違うわよ。優愛奈のことは3年前くらいから好きだったし」
だからそうやってポイポイと爆弾を放り込んでこないでくれませんかね? 手榴弾でお手玉でもしてんの? 投げ誤ったやつがコッチで誤爆してるからな?
「まあ一旦私のことは一旦置いておきましょ」
「お前が持ち出したんだろうが……」
思わずボヤいてしまうが、何も反省の色を見せずそれどころか「良いじゃない別に。それより優愛奈のことでしょ」と開き直る始末。気張れよ優愛奈、お前のことを好きらしいこの幼馴染は手強いぞ。
「それで優愛奈が静流に告白したのは本当なの?」
「……まあな。今さっきのことだ」
「で、アンタはそれにどう思う訳?」
「どうもこうも、付き合えるはずが無いだろ。俺は兄貴でアイツは妹、生涯永劫にそれだけだ。異性としてなんて、今更見れるか」
「アンタらしいわね」
遊璃は納得げにコーヒーを啜った。その表情は、不思議と平時のと同じに思えた。
「つまり断るってことよね」
「まあ、せざるを得ないだろうな」
「でも優愛奈がどういう行動を起こすか分からないわよ? 話を聞く限りじゃ随分自分の感情を捻じ曲げてまで想いを押し殺してたそうじゃない。それがダムが決壊したみたいに溢れ出てきた現状を考えて、今の優愛奈は情緒不安定と考えて良いわ」
その現状を作り出してしまったのに私も一枚噛んでるんだけどね、と珍しく少ししおらしく言う。
「いやまあ、何だ。何も無いならともかく、優愛奈がそれまでずっと無理をしてた以上、多分俺達が何もせずともいつかはこうなってた。だからあんま気にすんな」
「……なに? 慰めてんの?」
「当人の兄貴が許すっつってんだ。過去より未来のことを考えようぜ」
「それ加担したアンタが言う台詞でもないわよ。そうね、でも一応礼は言っておくわ。……ありがとう、それにごめんね」
こそばゆい感情に、無意識に頭をかきむしる。
そういうの本当に勘弁してくれ……。ギャップが凄いんだよ、これだから美少女は損をしないし羨ましい。お礼一つでここまで俺の感情を揺さぶってしまうのだから。対男子錯乱兵器として一家に一台欲しいまである。
コーラで気分を整えて、改めて向き直る。
「ああ。んで、どうするかな本当に。お天道様が沈む前に方針を固めたいところなんだが」
「昨日までの方針じゃ駄目でしょうね、間違いなく。……優愛奈と話してみても良いけど、こうなったら私じゃ逆効果かしら」
「分からんが、かもな。偽の恋人なんてやっちまった以上、もう今まで通りとは行かないだろ」
と言葉にしてみて、それとなく違和感を覚える。
少し考えて、直ぐにその違和感に正体は脳内で顕現する。遊璃は優愛奈のことが好きなのに、何で俺と偽りのカップルなんてやったんだ? 一応俺と遊璃と優愛奈は大分昔からの関係で、善意で仲を取り繕うとしたと言われてもそこまで不自然さは無い。
まあ、そんなの今更疑う意味なんて無いか。
「偽の恋人も今日でおしまいってことになるわね。でも私が振られるのは自尊心的に嫌だから今から振ってしまっても宜しくて?」
「いつからお嬢様になったんだよお前。別にどうでも良い、ささっと振ってくれ」
「じゃあ遠慮なく。───シスコンで前からキモいと思ってたのよ、さよなら。あと妹は私に頂戴ね、安心して? 全権力を用いて幸せにするわ」
「安心できるか! つか、え? お前そんなこと思ってたの?」
流石にそれは傷付くんだけど、と遊璃に視線を向けると「ジョークよジョーク。後腐れ無くしておきたいじゃない」とか返ってきた。そういうこと言われる方がよっぽど後に引きずるんだが?
「ったく。本当に大丈夫なんだろうな? 優愛奈に変なことしないよなお前」
「しないわよ。同意が無きゃ私だって未成年淫行と洒落こむことだって出来やしないもの」
「馬鹿じゃねえの?」
「そうだったわね。未成年だと同意があっても駄目だった気がする」
「そうじゃねえよ。人の妹を姓的に垂らし込めようとすんなアホ。しばくぞ」
それに未成年淫行はあくまで成人に対して適応される罪だからお前に適応される訳でもねえし、それ以前に優愛奈はお前に同意しねえよ。
俺の罵声で頭がおかしくなったのか、何か思いついたように遊璃は机を叩いてコーヒーカップがカチャンと鳴った。いや本当に騒がしくてすいません、なので店員さん、その犯罪者の密談を見るような目でコチラを軽蔑しないで下さい。……暫くここには来ないようにするか、うん。
───そういえば、本当に今となってはそういえば程度のものだが。
「なあ遊璃、優愛奈が泣いた理由を知ってたっつってたよな。アレはそういう事で良いのか?」
「ん? ああ、そのこと。アンタが考えてる通りだと思うわ。優愛奈はアンタのことが好きだから、私と付き合って泣いた。流石に私もそれが兄妹愛を超越してるとは思わなかったけれど……」
「だよなぁ。そいや、分かるまで別れてやらない、みたいなことも言ってたよなお前」
「前言撤回に決まってるでしょ。本人が答えを言っちゃうんだもの、そこまで追い詰められてたとは私も知らなかったわ」
その点に関しては俺も責任を感じざるを得ない。兄貴として駄目な対応をしてしまったな、クソ。
「あ、でも土曜日に優愛奈を借りるのは変わらないからね。デートしたいし、あっそうだ!優愛奈を私にくれたら全て解決すると思わない!」
ツバを飛ばしながら興奮した面持ちで遊璃は声を大にして言った。頼むから羞恥心を持ってくれ羞恥心を。もう店員だけじゃなくて回りからも凄い見られてる。
溜息をつきながら何言ってんのかと考えてみるが、ムカつくほど簡単に答えは出た。つまり、アレだ。優愛奈が遊璃と付き合えば俺は頭を悩ませずに済むし、遊璃は想いを果たせるからWin-Winな結果に終えれるという意味だろう。確かにとても合理的に思える。誰も損をしないハッピーな結末というのがあれば、それだろう。
ただ、なぁ……。
「だからあげねえって。優愛奈は俺の物じゃねえし、デートもやるのは良いが俺介さず直接告ってくれ」
「今は嫌よ、絶対断られるじゃない。ゾッコンなんでしょアンタに、勝ち目なんてダブルブルの的より小さいわよそれ」
ウェイターが持ってきたショートケーキを受け取りながら、去るのを待たずに遊璃は言葉を重ねた。
何故か俺は最早想いを隠さない天衣無縫な遊璃に、密かに失望を感じ始めていた。いや、失望という言葉が正しいのかは分からない。ただその感情が、仄暗い地底湖の如く幽鬼染みていて、我ながらドブみたいな心情だと他人語みたいに思う。
この汚い感情を上手く隠せてるだろうか?
少々不安に思いながら、誤魔化すように口を開く。
「まあ勝ち目なんて無いよな。振られて終わるわな」
「凄いムカつくけどまあ良いわ。アンタ、私のことを手伝いなさいな」
「は?」
なんだか物凄い素っ頓狂な声が漏れた。うんうんと一人で頷いてる遊璃にジト目を送る。
手伝いなさいってなんだ? 優愛奈への恋愛をか?
「アンタ、そのままで良いと思ってんの? 優愛奈が惚れてることに危惧を抱いてるんでしょ?」
「それはそうだが……」
「ならハッキリしなさいよ。私を手伝うか、そのままズルズル長期戦に持ち込むか。勿論後者はオススメしないわ、その先は暗中模索の泥沼よ」
そう言うとコバルトブルーの双眸で貫いて俺の決断を促してくる。どちにせよ暗中模索なのは限りなくトートロジーな気はするが、今言っても揚げ足取りにしかならない。重要なのは、どちらを是とするかという一点のみだ。
どちらを選んでインモラルなのは変わりがない。
何をどうしても沼に足が浸かって身動きに制限が掛かるのは確定事項のようで、最早俺には浅い沼を選ぶしか選択肢は無い。それならば、覚悟は出来ていないが、解は一つしか無い。
「───分かった。納得はしていないが手伝ってやるよ」
「当然ね、アンタならそう選ぶと思ってたわ」
口ではそう言いつつも、満足げに笑った遊璃は少し安心したように思えた。上手く表せないが、それが俺の心を波立たせる。
ともかく、これで俺は幼馴染の恋愛の手伝いをすることになってしまった訳で。さながらギャルゲーの主人公の友人枠にすっぽり嵌ったような立ち位置だ。残念ながら俺にヒロインの好感度を可視化する能力は無いし、特段可愛い女の子の情報通と言うわけでもないのは欠点だが。
ショートケーキを食べ進める遊璃を前に、思いため息を堪える。
青春というのがもし食べ物で、レストランとかで注文できるのならば恐らくこんな味なのだろう。胸が気怠くなるほど苦くて酸っぱくて、なのにほんのり甘い。この甘みがきっとアクセントだ、これが無かったら青春なんてただの不味いイギリス飯にも劣る残飯だ。この味が時代問わず性別問わず人を虜にしてリピートさせるのか。でも、やはり俺には何度自分の心の上澄みを掬い取って並べてみても珍味にしか思えない。
コーラを飲み干して喉を洗う。後味最悪の青春なんて、滅ぶべき文化である。死すべし青春。
ストック切れた