誕生日を覚えていないのなら、自分達の出逢った日にしようと言い出したのはスカイの方だった。
なんでもない日になんでもなく、誕生日を聞かれて、知らない、と答えた。
作り物の俺には特に必要なものだとも感じなかったし、どこを誕生した日であることと定義づけることは難しかった。
昔の本体が作成された日などは知る由もない。
すると貴方は少し考え込むような仕草の後にこう言ったのだ。
「貴方に自我が芽生えた日は少し不吉だから。私が知っている記念日はそのぐらいなのだけれど……どう、かしら」
と。
不安そうに首をかしげる彼女の頭をそっと撫でて。
……さて、なんと答えたのだっただろうか。
もう幾度目かの冬が来ていた。
クライノートの冬はアルマよりもずっと暖かい。雪は降るが積もることはなく、薄っすらと霜が張る程度だ。
元クライノート第3皇女……今はただのスカイと名乗る女は窓の外を見て物憂げに溜息をつく。今日は一日中雪が降っているらしいから、洗濯物は乾かないかもしれない。きっと帰って来る頃には彼も濡れてしまっていることだろう。
せめて風呂を沸かして、暖炉を炊いて部屋で干して……。くるくると思考が回る。しかし手だけはせっせと動かしつつ、何処かスカイはぼんやりとしてしまうのであった。
今日は彼女の愛する夫、カルセドニーの誕生日であるからだ。
彼との婚約に至るまでには苦節があった。スカイは『ジャスパー』として出会った彼の優しさに段々と惹かれていったのだが、実はその彼は脳死した身体に取り付き、言ってしまえば寄生虫のような生き物の人格であった。等の本人はスカイを騙していることが苦しくてならず、一回は自害をしかけるまでに至ったのであるが……。
今回はページが足りないため省略させていただく。ともあれそんなわけで、スカイはめいっぱい、カルセドニーを幸せにしようと誓ったのだ。
本当は1日をかけて祝いたかったのだが、スカイの代わりに王宮に配属された騎士となった彼には平日、休む隙間などは無かった。今頃王女の無茶振りとやりあっている頃合いだろう。
皇位を捨て、一介の人妻になった身では何か意見を言えるはずもなく。こうしてお祝いの支度をしながら帰りを待っている。
支えられるのではなく、彼を支えたいのだと思っての行動だったが、これで良かったのだろうか……。なんて、思いはするけれど。
なんだって受け入れてくれるひとだから、きっと答えは見つからないのでしょうね。
そうしている間に日が暮れ始めた。カルはまだ帰ってこない。
最初はずっとずっと下手だった料理も流石にそれなりにはうまくなった。今日は気合を入れて、彼の好きだというアップルパイを。ろうそくを立てるような年でも、趣味でもないし、ケーキの代わりはこれでいいだろう。
あとはチキン、そしてサラダ。クリームをたっぷり効かせた、魚介の旨味をギュッと閉じ込めた海老のパスタソースを支度して。
パスタ本体は帰ってきてから出ないと伸びてしまう。そんなことに気づいたのも同棲を始めてからだ。
慎重に何度も味見をして確かめたから、食べられないことはないはず。
全て場を整え終わった頃、ちらりと時計を見て。
なんとか、帰宅すると告げた時間よりは早く終わったな、と達成感に包まれたスカイは深く息をついた。今日は結婚して最初の誕生日である。普段はちょっと過保護な旦那だからして、今回ばかりはどうしてもスカイは自分の力だけで、半ばサプライズ的にカルセドニーを祝いたかったのだ。
そうして半刻ほど経った時、ドアのチャイムが三回鳴らされれば、本を読みながらなんとなくそわそわしていたスカイは待ちに待ったといったふうに立ち上がった。
やっとだわ、と呟く声は弾んで、足取りは軽く。あれは私と彼の合図だった。万が一のことを考えて、何しろ近頃は物騒で、自分達が狙われてしまうこともあるかもしれないからと。だから違うことはない。扉を開ければいつものようにカルセドニーが立っていた。朝見たとおりいつもの士官服に分厚いコートを羽織っており、肩には雪が積もっている。
「ただいま」
「おかえりなさい。雪が降って寒かったでしょう」
「そんなこともないさ、慣れているからね。スカイこそ寒くなかったか? 暖炉に焚べる薪は昨日割っておいたんだが……。足りただろうか」
おそらく辛くないなんてないはずなのに、彼は笑ってスカイの頭を撫でる。
マイナスな感情を見せようとしないのはいつものことだ。本人としてはただ、辛いというカテゴリに入れていない、ぐらいの感覚であろうが。
昔はその癖のせいで惨劇一歩手前まで彼の苦悩について知ることが出来ず、自分を責めたこともあった。
けれど、今のスカイは少し吹っ切れている。段々と彼の気持ちも少しづつ、分かるようになってきた。もしも彼が悩んでいるのならば、きっと気づける、気づいてみせる。
そう、冷たい手を頭に受けながら考えて。
「大丈夫よ、まだまだ余ってるから……。ありがとう。お風呂沸かしたから入ってくるといいと思うわ。風邪引いちゃうでしょう?」
笑い返して彼の手を取った。少しでも其の場で暖めようと、己の手でくるんで擦る。
「冷たいから素手で触れないほうがいいと思う……。が」
抱かれた手を引こうとしたようだが、思い直してカルはぎこちない笑みを浮かべた。
そして、ありがとう。と不器用にかかる言葉にふふ、と小さく笑顔を返す。
一言を引き出せたのが嬉しいのと同時に、やはり少し雰囲気が柔らかくなった、と思う。
私のお陰だったらいいのにな、と考えるのは傲慢だろうか。
どういたしまして、と応えゆるやかな雰囲気に戻る。そしてスカイ達は立ち話も何だからと家の中へと入っていった。
昼の半日よりもあなたと過ごす一夜こそが暖かい。
風呂から聞こえる水音に耳を澄ませながら、そんな惚気が口からこぼれてくるので一人で顔を赤らめた。
とはいえぼーっとしている暇はなく、スカイは頬が熱ぼったいまま料理の温め直しをした。普段より少し上等なワインをテーブルの隅に添え、ワイングラスをさかしまに置く。
なんでもいいよ、君が望むなら。が彼の口癖だが、時折ぽろりと自分の気持ちを吐露することがある。これらはそれをかき集めた結果に、私の好みを少し足したもの。
テーブルに買ってきた花を生けて、自分の椅子の後ろにプレゼントを忍ばせれば、何もかもが一番の夜だ。特別なものはなにもないかもしれないけれど、此処には私のすべてがある。
それはきっと私だけのものじゃなくて、だから私はとても恵まれていて、幸せなんだ。
なんて――。今日は本当に浮かれすぎだな。水音が止んだのを聞き取って、スカイは自分の頬をぺちんと叩く。
このままの熱を持った頬では、何がしたいのかカルにバレてしまう。そう、少し焦れながら。
一方、風呂場で汗を流し、強張った体を溶かしたカルセドニーはその曇ガラスの向こうに見える、細い影に思いを馳せていた。
このガラスの一枚外に彼女が居るということ。見せる様々な表情が自分のものだということに、カルセドニーはまだ納得がいかずに居た。
納得、というのも少し表現違いだろうか。違和感のような、そんな。一生を賭けて、体を遺した彼の代わりとしてもこの身を捧げると誓った。
しかし、彼女からの愛というのは――。すこしばかり、自分には力不足ではないだろうか。
カルセドニーは慕うことは知っていても慕われるということは知らなかったし、自分には分不相応であると思っていた。
一番大事で、大切で、それでいて柔く、壊れやすい宝物からであれば尚更。きらびやかな宝石はきっとそれを身に着けるに相応しい王子がいる訳で、俺は違う。
その後どうやったって、自らが国の叛逆者であった事実は変わらず其処にあると思っているから。そうでなくても、無作法で愛想のない自分には務まらない。
だからカルセドニーは考える。本当に自分で良かったのか、と。彼女はきっと、こんな物好きに付き合ってくれるのは貴方だけだわ。なんて笑うだろうが、そんなことはけしてないから。
答えは、きっと出ないけれど。否。
――自分の中でとっくに、まとまっている考えを見ないふりしているけれど。
それでも、彼女が俺を必要としている限りは恐らく俺は何か、貴方のためになっているのだろう。そうでなければ、自分が傍にいる意味も意義も無いのだ。
それもとっくに知っていたことだろう。
一人になると時々降り積もる堂々巡りの問を無理やり結論をつけて片付けた。
……それよりも、気になったのは今日のスカイの様子だ。何処が、と言われると形容しかねるが、纏っている雰囲気が違う。
ふわふわと浮足立っているように見えた。頬は僅かに赤く、語りかける声が微かに甘い。そんな彼女も魅力的ではあるのだが、もしや。
「……風邪だろうか」
だとしたら心配だ。薬は常備してあるから問題はないが、自分が彼女のことを放っておいてしまっている間に苦しんでいたと思うだけで罪悪感で胸が重たくなる。
カルセドニーは出来る限り早くそれでも芯まで温まってからスカイの体調を確認しようと決めた。むしろ今飛び出していきたいが、どうにもあまり風呂が早いと心配されてしまうらしい。
心配のし過ぎである。そんなことはどうでもいいというのに。
それからすこし。時間に表してだいたい10分ほど経った後。
風呂場から少しラフな服に着替え、リビングに入ってきたカルセドニー。声をかけようと立ち上がったスカイは彼のその少し骨ばった、大きい手で肩を捕まれ、やさしく、でも強引に顎を上げさせられる。
普段はそんな事をするような人ではないし、いつもの口吸いの作法でもないものだから目を白黒させていたスカイだが、その後の行動でどちらかというと困惑した。
彼はスカイのおでこを自分のそれとくっつけ合わせたのだ。一瞬なんの冗談かと思ったが、彼の瞳は真剣そのものだった。一瞬難しそうに唸って、手を離す。
「熱は……ないか」
「別に体調は悪くないけれど……。どうしたの……?」
「いや、なんでもないならいいんだ」
ホッとしたような、それでいて消化不良な感じもする曖昧な微笑みを浮かべて頭を撫でられる。
スカイにはまだ意図は分からないが、心配しているように見えた。だからめいっぱいの笑顔を浮かべてそれを否定してみる。
「確かに少し浮かれているけれど、私、どちらかと言うと気分がいい日よ。年に一度の大切な日なんだから」
「……大切な? そう言えば今日の夕飯は豪華だね。誰か来客でも来るのかい?」
目をしばたいてカルセドニーが問う。そんな姿に思わず息が漏れ、やれやれ、と肩を落とす。
そして確認するように、あくまでも優しく彼に問うのだ。
「今日、あなたの誕生日よね?」
「……ああ。そうしよう、とスカイは言っていたな。俺も賛成した」
目を閉じて、昔のことを懐かしむようにカルは言う。思い出自体はカルセドニーにとって良いものであるようだが、今のスカイとしては其処は取り敢えず問題ではない。てっきりすっとぼけるものだから、忘れられていたのだと思ったのに。
「でしょう、でしょう。まったくうっかり……って。覚えていたの」
「当たり前だろう。君とした約束や決まり事を何故俺が忘れる」
びっくりして思わず聞き返すスカイにカルは少し眉を顰めた。これは不服を、というより何か当然だと思っていることを聞かれたときにきまってする癖だ。
暗に一言一句覚えられていると返されたような言葉になんとなく照れくさい。
しかし、そう言われてしまえばなるほど。多分まだ、根本的には彼の性質は何も変わっていないのだろう。自己評価が低すぎるのだ、自らよりも他人を、そしてスカイを優先し、自分なんて二の次どころか百の次ぐらい。
スカイの誕生日にはささやかに、しかし心を尽くして祝われたというのに、彼は。なんというか、一周回って笑えてくるぐらいなのだけど。
「……だからお祝いよ、お祝い。よく周りを見て。全部あなたか、私の好きなものでしょう?」
スカイにそう促され、カルはゆっくり机の上を見た。
小さく肩を震わせて、一つ一つ、物品を確かめるようにした瞳は、しばらくすればなんとなく、寂しさをたたえた色に染まる。
「……きみが、俺、に、か。考えても居なかったな……。てっきり形式上あったほうがいいものだと思っていたのだが。気にしなくても良かったのだが」
やはり、彼は自分が生誕を祝われるなどとは露とも思って居なかったのだ。
なんとなくこういったことは避けられる気はしていた。彼は自分に素直なようでストイックだから。
「私がね、勝手に祝いたいなと思ったの。……喜んでほしいなって思ったのもあるけど」
「貴方が産まれてきてくれたことを、私の前にやってきてくれた日を。……確かに望んだわけでも、望まれて産まれた訳でもないのかもしれないけれど。私は、貴方と今一緒に居られてすごく嬉しいの」
思いの丈を、出来るだけまっすぐ見て伝える。確かに、産まれてきてしまったことがあなたを苦しませた一番の原因かもしれない。
けれど、そんなあなたを愛している人も此処に居るのだと……。分かって欲しい。そんな気持ちを込めて、カルの手を取る。
「そうか」
カルの瞳が揺れる。顕れる色は困惑。原因はスカイの意図と、自分の気持が一致しないせいだろうか。それとも、奥に潜んでいるであろう正体不明の感情のせいだろうか。
暫し様子を、固唾を飲んで伺う。
「……わからない、わからないが。……君がそういうのであれば、俺は素直に受け取ろうと思う。」
いつもより随分とぎこちない微笑みをカルは返してくれた。でもそれが……なんだか心に受け入れられたようで、少し嬉しく思えた。
もう一度、カルは優しい声で告げる。
「……ありがとう、スカイ。君が居てくれてよかった」
「礼を言われるようなことはしてないわ?」
くすり、と微笑んで、スカイはなんでもなさそうに答える。いつのまにか離れていた距離を再び詰めて。ワインの栓をポンと抜いた。
「さ、今日は楽しみましょうか! 夕飯が冷めちゃうもの」
「そうしよう。折角スカイが用意してくれたんだから」
にっこり。今度は満面の笑みを見せるスカイに、カルセドニーもまた笑みを返すのであった。
そうしてから、二人は向かい合い、杯を傾け話に花を咲かせる。
特別な日というくくりではあるが普遍的な、なんでもない会話だ。でも少し酒も入っていることもあるし、特別な間柄なのもある。
先程の出来事すらもほろ苦い笑い話に。普段はしない昔話から今日の出来事まで様々なことを語り尽くした。
そして、宴もたけなわ。食事がだいぶ捌けた頃。
「……ねえ、カル。あのね」
「どうした?」
スカイは満を持して、自分の椅子の後ろへと手を回した。クッションの隙間から引き出したのは長方形のプレゼントボックス。
蒼いリボンで綺麗にラッピングされたそれを両手で抱え、相手に差し出す。
「……この前、マイトレーヤ商国に行ったときに見つけたの。カルに付けて欲しいなと思って」
カルがそれを受け取り、ぱかりと箱を開ける。思ったよりも軽く、上質な生地に包まれているようだ。
……其処にあったのはロケットが下げられた銀のペンダント。上品に、目立たない程度にスカイストーン――トルコ石がはめ込まれ、装飾がなされている。小さく印字されているのはスカイとカルセドニーの頭文字だ。
カルはそれを見て、少し慣れないことに戸惑いつつも顔を綻ばせる。
そうして首に下げ、しっかりと掴み、指で撫でて。
「ロケットか。ありがとう。……大事にするよ」
「あ、待って。中身なんだけどね? 開けてみてほしいの」
「……?」
そのまま話が終わろうとするのを、スカイが慌てて遮った。
促されるままにカルセドニーがロケットを開ける。そして目に飛び込んできたのは――。
此方へ手を振る目の前の愛し君の姿。
1:1の写し身がその中で満面の笑みを浮かべていた。
「これは……」
「最近は凄いわよね。写真っていうんですって。レンバルクで撮ってもらって水晶に入れて、ロケットの中に埋め込んでみたの。……あのね、これは我儘なのだけど」
ぽつり、ぽつり、とスカイは語る。小さな独占欲を贈り物に。
「いつも、貴方が私を心配させないためにあった出来事を伝えてくれるのは知っているの。でも、私の夫は格好良くて、世界一だから。……ずっと傍に居たいなって」
いつもよりもストレートな惚気で、それでいて彼女の本心だった。
恥ずかしさでふわふわとスカイの気持ちが浮かぶ。でも引かれたくなかったから少し重たいかしら、なんて防御線を張ってしまった。
それに対し、カルセドニーは微笑んで。わしわしと頭を撫でた後、身を乗り出してそっとスカイの顎へと手を添える。くい、と、出来るだけ優しく、スカイの意志を確認するように上へと促す姿はいつものカルセドニーだった。
うっとりと目を細め、スカイも少し腰を浮かせる。そうして触れるような口づけは交わされた。
「……愛している。絶対に大事にしてみせるさ」
今度は殊更に意思を込めて告げられた言葉に、蕩けたようにしてスカイは応えるのだ。
「私もよ、カル。……ええ、大事にしてね」