メトロポリスの血の子午線   作:Cabernet

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#06 去りし季節はイノセンス

Blood Meridian of Metropolis 6

 

   #06 去りし季節はイノセンス

 

 霊長園は畜生界で唯一清らかな水の流れる場所であり戦いを終えて廃墟となった今も地獄の植物は生育を続けていた。それらは瓦礫の隙間を縫って繁茂し時にはひびが入った箇所を突き破ってまで灼熱の陽光を浴びようと背を伸ばしていた。鏡のように磨かれていた花崗岩は群生する植物が散らした葉で覆われて見る影もなくくたびれていた。埴輪たちもほとんどが去ってしまった今、古墳の存在を指し示すものはないと云ってもよかった。鍵穴の輪郭すら不明瞭になるほどにその場所は自然に還ってしまったからだ。

 

 杖刀偶磨弓はひとり留守番をしながら灰色の空を眺めていた。手には先ほどまで使っていた箒と塵取りが握られており傍に置かれたごみ袋には落ち葉が半分ほど詰まっていた。鎧を奪われてしまったので服装は麻で織られた古い割烹着だった。その日の空と同じくらいに地味でどんよりとした色合い。頭には袿姫の頭巾と同じ深緑の三角巾を巻いておりそれは去りゆく主(あるじ)からの餞別の品だった。磨弓は日がな一日空を見上げては指先で三角巾の生地をなでるのだった。

 

 霊長園には今日も冷たい風が吹く。

 

   ◇

 

 早朝。炊事場で味噌汁を作っていると栄えある調停官である庭渡久侘歌が欠伸をしながら顔を覗かせてきた。そして味噌を溶かし入れている磨弓の顔と鍋の中身とを交互に見つめた。

 どうされたんですか。人間のお母さんみたいな恰好して。しかも手料理だなんて。彼女は云った。……意外と似合ってますね。

 昨日からこの服装ですよ。袿姫様から御下がりで頂いたものです。ちょっと気持ちを入れ替えようと思いまして。

 “気持ちを入れ替える”。久侘歌が磨弓の言葉を繰り返す。あなたたち偶像には感情というか“心”がないものと私は聞いていました。

 比喩ですよ。物の喩えです。

 磨弓は淡々と答えながら菜箸の先でニンジンを突ついて柔らかさを確かめた。

 ……ここを去る直前、あの方は私に最後の命令をくださいました。留守番をお願いね、と。それ以外には何も具体的な指示はありませんでした。剣もない。鎧もない。弓も馬も奪われてしまい頼れる部下さえおりません。そんな状態では霊長園どころか庭渡様の身を敵襲から守ることさえできません。それで私なりに考えたのです。これは単に鉾(ほこ)を磨いてさえいれば好いというご命令ではないのだと。

 お気持ちはありがたいのですが、――その、あなたは料理をしようにも味見ができないんじゃ。

 ご安心ください。調理のいろはについては袿姫様から好く仕込まれておりますので。

 久侘歌は曖昧にうなずいた。……それでは、ありがたくいただきましょう。

 

   ◇

 

 久侘歌はそれから味噌汁を四杯と炊き立てのご飯を三杯、それにナスとキュウリの漬物、シソの葉が薬味に添えられた納豆やだし巻き卵をありがたくいただいた。徹夜明けで目の下にくまができていた彼女の瞳にようやく光が戻った。クジラのように朝餉を平らげていく調停官を磨弓は無表情のままに正座して見守り差しだされた器にお代わりを汲んでやるのだった。

 

 あァ、生き返りました。久侘歌が緑茶を飲んでひと息つくと頭にいるヒヨコまでがぴよぴよと嬉しそうに鳴いた。……ありがとうございます。ここに赴任してからというもの直庁から支給されたクソまずいインスタントばかりでした。

 磨弓は唇に微笑みを形作ってみせた。気に入っていただけて何よりです。

 本当にぜんぶ味見をせずに作ったのですか?

 ええ。袿姫様はお優しい方ですがこと創造することについて妥協は一切なさいません。それは料理でも同じです。

 なるほど。

 

   ◇

 

 久侘歌が茶柱を見つけて喜んだりしているあいだ磨弓は口を開きかけては閉じて正座した足の指先をすり合わせるような仕草をした。久侘歌が落ち着いたのを待って彼女は話しかけた。

 ……ここ数日、夢の中にいたように私は放心状態でした。

 夢の中?

 物の喩えです。

 ニワタリ様はくつくつと笑う。兵士長さんは言葉の意味を的確に捉えていらっしゃる。

 磨弓は無表情のまま云った。……生まれて間もないころ私は毎晩のように袿姫様から物語の読み聞かせをしていただきました。なので表現の意味合いが実感を伴って飲みこめなくとも文脈に沿った形で活きた言葉をあなたにお伝えすることができます。――それである日、袿姫様は仰いました。お前には心がないのかもしれない。だけど物語を通して共感する力なら身につけられたのかもしれないね、と。

 久侘歌はその話を瞬きせずに聞いていた。湯呑みを両手で包みこむように持ちながら。

 

 庭渡神は云う。共感できるということは、それは、――心があるのとほぼ同じことのように思います。

 そうでしょうか。私は空っぽの埴輪です。涙を流せませんし冷や汗をかくこともできません。肉体もないのに心を持つことは不可能なように思います。袿姫様は脳という器官が感情の働きを司っているのだと仰いました。

 科学的なお話はともかく……。久侘歌はうすく微笑む。人間と畜生の、――失礼、人間と動物を隔てる最大の特質は利他の精神を育めるかどうかです。一部の知能が高い動物も人間と似たコミュニティを築くことはできますが相手のことを気遣いその望みを推測し時として自己を犠牲にしてまで叶えてやろうと実行に移すことができるのは人間だけです。情けは人の為ならずとは好く云ったものですが例えば私の行動の結果として相手が喜んでくれたのならばその延長として私も幸福を感じることができます。それがすなわち共感がもたらす力です。善い行いには善い報いがあるものです。地上の人間たちが紡いできた文明もそうした善い行いの応酬の果てに築かれたものなのだと私は信じています。

 そしてそれは兵士長さんも同じことなのです、と久侘歌は語った。

 あなたが埴安神袿姫の命令を遂行し褒めてもらえたとき本に書かれていたような満足感を覚えましたか?

 ……分かりません。ご命令に従うのは当たり前のことです。

 ではあなたがそんな恰好をしてせっせと落ち葉を拾い集めたりしているのはどうしてでしょう。

 袿姫様が霊長園に戻ってきたときこんな廃墟のような有様を見たらがっかりなされるのではないかと……。

 久侘歌は笑みを深めた。がっかりされてしまうのは嫌だという理由も感情の働きによるものではないですか。

 ……嫌というわけではありません。ただ主のために為せることを為すのが出来た部下というものです。

 ――それでは私にこんな美味しい朝ごはんを作ってくれたのは何故ですか。あなたは護衛役ではありますが私の部下ではないはずです。

 それは…………。磨弓は言葉に詰まった。それは……。

 気持ちを入れ替えるためと先ほど兵士長さんは仰いました。ですが私の喜んだ姿を見たかったという理由もあるのではないですか。

 …………。

 ……まァ、それはさすがに自惚れなのかもしれませんね。

 久侘歌はおどけたように話を切ったが磨弓は返事しなかった。ただ、分かりません、という呟きが唇から繰り返し滑り出た。分かりません、分かりません、分かりません、と。顔をうつむけながら。久侘歌が再度声をかけようとしたときピシっという鋭い音が部屋に木霊した。磨弓は顔を上げた。そして頬に手を触れて視線を前に戻した。ニワタリ様は目を丸くしてちゃぶ台から身を乗り出していた。

 覚束ない手つきで袿姫から譲り受けた手鏡を取り出した。映りこんだ一体の埴輪の姿。少し前からあった亀裂が今や地割れのように右頬全体に広がっていた。どうして、という言葉が口をついて出た。

 そして磨弓は手鏡を取り落とした。

 

   ◇

 

 云われた通り現場を見てきましたよ。

 と、奴は云った。奴というのはもちろん人間霊の代表であり金縁眼鏡をかけた碌でもない男だ。

 爆発で吹っ飛んだ動物霊の死体は一見の価値ありです。白い成分と相まってありゃ出来立てほやほやのポップコーンですな。

 御託はいいからさっさと報告してください。

 仰せの通りに。奴は肩をすくめた。――テロの実行犯はエボシカメレオン霊。すでに鬼傑組に捕らえられて尋問を受けています。吉弔組長の異能が噂どおりなら今ごろは洗いざらい自白しているでしょう。用済みになった捕虜を生かしておくほど甘い連中じゃありません。ハイエナ霊の晩飯になるのがオチですな。

 となると彼の逮捕を名目に私たちで話を聞き出すのは難しそうですね。

 鬼傑組も勁牙組も剛欲同盟も根っこのところは変わりません。フロンティアの時代から自立自存の理想を尊んできたゴロツキ共です。我々の仲介が必要なときは向こうから頼んできますがこちらからの干渉は全力で拒否するでしょうな。

 ままなりませんね。問題は解決しないまま書類ばかりが増えていく。

 久侘歌は書き損じた報告書をぐしゃぐしゃに丸めて屑籠に捨てた。

 




 ここまでお読みくださり感謝いたします。本当にありがとうございました。
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