校舎四階東側の日常   作:煎煎

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最早、恋

 

今日も彼女は、恋に(のぞ)んでいる。

 

何を言っているか分からないだろうが、少なくとも、恋を望んで相手を探しているわけでも、現在進行形で恋をしているわけでもない。

では何をしているのか。

それを説明するためには、今の彼女のありさまを伝えるのが、一番手っ取り早いだろう。

 

まず、部室の窓際においた机の上に正座している。…律儀に上履きを脱いでいるのは、真面目なのか、何なのか。

「…ほほお。やはりですか…」

そして。窓の外を、身を乗り出すようにして見やりながら、何事かをつぶやいていた。その手には双眼鏡。

「…そうですよねえ、そうですよねえ…」

この部屋は四階建て校舎の最上階であり、校庭側を向いた窓からは、運動部の部活動風景がよく見えた。

「…夏休み明けですからね。…ええ、恋の季節です…」

 

「…お前は何をしているんだ。『のぞむ』。」

 

そして『のぞむ』は、覗き込んでいた双眼鏡をそのままに、こちらに顔を向けた。とぼけたような表情を。

「見て分かるでしょう? 『せんぱい』。」

(のぞ)きだろう?」

「観察です。」

少々むっとしながら、彼女は反論した。

高校一年生とは思えないほど起伏のない体つきであることは、彼女自身は気にしていないようでもある。その無い胸を張って、彼女は言葉を続けた。

「いいですかせんぱい。通常人の目が入らないようなところを見ようとすれば、それは自然と覗きと呼ばれる行為になるでしょう。でも、あれだけオープンなものを見るのは、覗きには当たりませんよ。」

「…是非、自分の姿を俯瞰してから、いまの言葉をもう一回吐いてみろ。できたら褒めてやるから。」

今の俺にはおそらく、げんなりする、という言葉が当てはまるはずだ。彼女はほおを膨らませた。

もういいです、と負け惜しみのように言って、再び運動部の『観察』に戻った。前かがみから、四つん這いの格好に変わったため、座って本を読む俺には目に毒な光景が、垣間見えそうに思えた。それは気まずくなる。

仕方なく、俺は本を閉じた。以前買った竹の栞を、小難しいカタカナの名前がついた文庫本に挟んだ。

出て行くのは癪だった。

せめてでもスカートを視界から外すために、俺は窓際に立った。隣にのぞむがくる構図であった。

風に煽られて、俺のワイシャツの襟元と、彼女のセーラーから垂れ下がったリボンが揺れた。

…顔は特別、美人というわけでは無いが、可愛らしい顔つきの女子であった。双眼鏡を覗き込んでニヤついてなければ、窓際の女子高生として、()になったことであろう。

 

その視界をたどれば、先には野球部が。

「…どこを見ている?」

「女子マネとサードの松本に決まっているでしょう。」

反射するように返答があった。

「知り合い?」

「いいえ。」

「…何故、付き合っていると?」

もちろん俺には双眼鏡なんて手の込んだ道具はないから肉眼で確認してみるが、野球部唯一の女子マネージャーと、特徴ある真っ赤なグローブを持つサードのレギュラーである二年生の松本は、すぐに見つけることができた。

そして、二人はわかりやすく寄り添うでも、ペアルックの何かを身につけているでもなく、自然体に見えた。

「分かりますよ、彼らを見ていれば。」

そう言われても。

とはいえ、その言葉につられて野球部の練習風景に目が向いた。今は守備練習の時間のようだった。

三年生と思しきひときわ体の大きな部員が、長めのバットを持ってボールを打っていた。いわゆる、ノックである。その打球を、ダイヤモンド内の守備位置についた部員たちが受けていた。その中に、サード松本の姿もあったが…

見ているうちに、気づくことがあった。

「暴投が多いな。」

「ええ。三球に一回なんて相当です。」

肩に力が入っているからだろうか、と野球未経験な俺は適当な予測をしたが、ファーストに送球する球があれでは、レギュラーとして不足だろうとは思った。

もう一人、女子マネの方にも注目すると、どうも(ほう)けたように練習を眺めているようであった。

「マネージャーの方は、特に異常はないだろ。」

「いいえ。彼女は部活中、あんなに長く立ち止まることはありません。水を汲んだり、掃除をしたり、働き者です。」

「…なるほど。」

ようやく、得心がいった。双眼鏡を覗かなくても分かる。おそらく彼女は、松本を見つめて他のことに手がつかなくなっているのだろう。

「ふふふ、(うぶ)ですよね。二人とも。」

観察を終えたと考えたからか、のぞむは双眼鏡を下ろした。

「いい趣味してんな。他人の恋を眺めてニヤつくなんてよ。」

「そうでしょ? せんぱいもやりますか?」

にやにやしながら、流し目をよこした。皮肉すらも、彼女には皮肉にとられない。その申し出は、丁重にお断りした。

 

いつもこいつは、目ざとく恋を見つけてくる。

運動部から、文化部から。上級生から先生から。同級生やクラスから。その病的なまでの執着は、人間観察の一環としては、実に逸脱したものとも思える。

最早、恋。

恋に恋する、とは彼女のためにあるような言葉であっただろう。

…いつも思うが、こいつは頭のネジが、どこか飛んでいる気がしている。

親の顔は、すこし見てみたくはあった。

 

「『観察』は終わったんだろ?」

「いいえ? もう二つは見たいですね。」

「他にも見つけたのか…」

机の上から降りたのぞむは、上履きを履いて双眼鏡を首から垂らした。観察場所を変えるつもりであるようだった。こいつは部活をなんだと思っているのか。

いや、普段であれば全く構わないが、今日に限っては認めるわけにはいかない、というだけの話だ。

「では、次は排球(バレー)部を見に……」

「のぞむ。その前に話を聞け。」

「何でしょう。」

珍しく引き止めた俺の声に、部室の出口に向いていた足を止めた。すこし意外そうな顔で、のぞむは俺を見た。

「今日は、部誌の相談だ。」

「…たまには、文芸部らしい活動もしなきゃいけませんね。」

彼女はは、仕方ない、と言うように息を吐きながら、俺の(はす)向かいの席に座った。先輩後輩の関係性は、こいつの中では薄いらしい。

 

お察しの通りではあるが、改めて状況説明をさせてもらおう。

ここは無名な県立高校の、流行らない文芸部の部室である。見ての通り部員は二人しかいないが、あと三人はいる、はずである。

はず、というのは、部長である俺ですら、しばらく顔を見ていない幽霊部員として、その三人は名簿にのみ載っているからである。

せんぱい、とのぞむに呼ばれているが、一応、二年生の部長である。さまざまな成り行きでこうなったが、それはまたいつか語ろう。

 

さて。

先に席についていた俺は、のぞむが席につくのを待って、話を切り出した。

「二ヶ月に一度、がまた巡ってきた。前回は自由テーマとしたが、今回はどうするか。それをお前に訊きたい。」

「今回は二ヶ月に一回になりそうですね。」

「…。」

お恥ずかしながら、二ヶ月に一度、の頻度になるのは稀である。

 

そもそも、部誌とは何か、をまず説明しなくてはいけないだろうか。部誌とは部が作る誌であり、我が文芸部においては、十ページ程度の短編集の冊子である。これを二ヶ月一度のペースで配布するのが、活動の一環であった。

しかしながら、遅延することがよくあった。前述のように部員は少ないため、ページが埋まらずに配布時期を先延ばししたりするのは勿論あった。が、とりわけ多い理由としては、取り掛かりが遅いことが挙げられる。これは部誌の完成に遅延を生じさせていた。

…情けない話であるが、要するに、平たく言えば、部長の怠慢である。配布予定日の一週間前にようやく声をかけ始める、などのおざなりな指揮が、遅延を助長していたケースが多かったのだ。

今回は、俺が部長に就任してから初めての、部誌制作指揮となる。歴代の部誌の在りようを、正していきたいと意気込んでいた。

 

そのような事情を踏まえての、何かに対しての皮肉をのぞむは口にしたのだろう。部誌配布予定日は、前回の配布からちょうど二ヶ月後にあたる十月半ばに設定してある。今は九月初め。十分間に合う日数がある。

 

「わたしからは、特には。テーマが何であろうと、書くのが物書きです。」

意外な答えが帰ってきた。…てっきり、(かたく)なに『恋物語を書きましょう』などと主張するものとも思っていたが、いっぱしの物書きのようなことを言う。

実際のところ、彼女には文才があった。特に心理描写が深く、…伊達に他人の恋を覗いてはいないな、と思っていた。

人間をよく見ている。……認めるのは、すこし癪なのだが。

「……ほお。では、一つ提案する。」

多少、動揺しながらも、俺は先輩としての威厳を保つように、余裕を持って感嘆した。その上で、次のように提案したのである。

 

「『恋』だ。」

「えっ。」

「『恋』を、次の部誌のテーマとする。」

「………」

 

……こいつも、こんな顔をするんだな。

呆然と、のぞむは俺を見ていた。信じられないものを見るような表情であって、それは俺が見たことがない彼女の表情であったように思う。

斜向かいに座る少女は、しばらく———もちろん、俺の体感時間での話だ———フリーズしていたが、やがて解凍した。

 

「…頭でも打ちました?」

「ひどい言い草だな。」

「だって、あまりにも予想外で。」

「俺だって、たまには変わったことがしてみたくなる。」

「…いえ、まったく不思議な提案ではないんですけど。」

「…、…確かにな。」

「通常の同人サークルならば、むしろポピュラーですらあります。恋物語を書き合うなんて、もはや基本でしょう。」

「……そうだろうな。」

「苦虫を噛み潰したような顔を。」

 

面倒くさい。

そう言いたげな、呆れともやもやを抱えた顔をして、彼女はおれの表情の機微を指摘した。

「何も、なんの脈絡もなく、『俺が』恋を書こう、などと提案するわけもないだろ。理由はあるんだ。」

「理由があったとしても、なお不可思議です。」

不服とも、不快とも違うだろう。ただ、彼女には疑問があっただけなのだろう。それも当然のことであったのだ。なぜなら俺は。

 

「だって、せんぱい。『恋』の物語が嫌いでしょう?」

 

ああ。

 

俺はそう、短く答えた。

 

俺は恋物語が嫌いだった。昔からそうであった訳ではないが、物書きをするようになってから、嫌いになったように思う。

書けないという訳ではない。好んで書いていたこともあった。だが、そのうち恋物語の性質に、嫌気がさしてきたのだ。

まず第一に、人は恋物語を好きすぎる。いくつになってもそうなのだろうが、よく売れる本には必ずと言っていいほど、恋物語が絡むのだ。それは物書きをするようになって確信に変わった。明らかに、恋物語を取り入れた作品は、そうでない作品に比較して人気になりやすい。…こだわって『好き』を詰め込んでも、読者の目にとまるのは分かりやすい『恋』である。…報われない、という気持ちが大きくなり、いつしか恋物語を嫌うようになった。

もう一つ。それは、物語が急にちゃち(・・・)になる点である。もちろん、全ての恋物語がそうではない。巧みな心理描写を強みとする作家の仕上げた作品は、人を唸らせるものとなるだろう。…そうではなく。言ってしまえば、下手な物語であれ、恋を取り入れたものは『読めてしまう』ことが問題なのであり、——恋を取り入れたから、駄作に落ちる物語もある、という事だ。ただでさえ、男の心情、女の心情は、互いに真に解り合えるものではない。男が筆をとろうが女が紡ごうが、どちらかの性からみた恋を物語に仕立てるのだから、どちらかに偏るのは必定である。そんな中で、万民を唸らせるものなど書けはしない。

 

そのような偏屈をもって、俺は恋物語が嫌いである。

 

「じゃあ、なんでですか?」

のぞむの疑問は当然であろう。上記に要約したことを、普段から延々と、折に触れて主張しているのを聞いている彼女からしたら、信じられない、と思うのは当たり前だ。

だから、俺は白状した。

「…認めるのは悔しいけどな。部員が思い思いに書くより、はっきりと『恋をテーマに書いた』と言えば、手に取る生徒は多いように感じたからだ。」

人が恋物語を好きすぎるのが、一番悪いのだ。

「…、…なるほど。」

深く頷いている。実感として彼女の中では腑に落ちたようだ。

恋物語に人は恋をするだろうと。

「では…」

「せんぱい。」

「ん?」

話をまとめにかかろうとした俺の耳に、彼女の声が引っかかる。納得したんじゃなかったのか。

「なんでですか。」

「何が。」

反論があるのか、と俺は耳を貸すように前かがみになった。しかし、意外な問いが来たのだ。

「なんで、そこまでして部誌を作り込もうとするんですか。」

「…なんて事はない。少しでも、部の宣伝になれば、と思ってのことだ。」

「…………。」

その時の彼女の表情は、未だに表現する言葉が思いつかない。ただ、さまざまな感情が混ざった、呆れとも、悔しさとも違う表情をしていた。例えば、そう。まるで、嫌な予感が的中した時のような。

 

「のぞむ?」

「…いえ。部員が増えるのは、良いことです。あまりにも少なくては、部としての存続も危うくなりますからね。」

「そうだ。部誌に寄稿はするが、常に部員が二人しかいない部では次代が心配だ。部長になったからには、一つくらいは『らしい』ことをしたいからな。」

部誌が周知されれば、部の宣伝になる。部誌が周知されるためには目につく、手に取られやすい工夫をするべきである。そして、手に取られやすい部誌とは、すなわち『読みたい』と思わせる工夫を凝らしたものであり、…つまり恋物語を目玉にしよう、という一連の思考を元に、こういった提案をしたわけである。

彼女は、分かっていたのだ。

だから、彼女の最後の質問は、俺には引っかかったのである。…結局、彼女は何を言いたかったのか。

 

そして、ようやく俺は話をまとめにかかった。

「じゃあ、決を取ろう。」

「反論はありませんよ。」

「…だよな。」

もっとも、まとめるまでもなかったが。

 

その後は、細かい締め切りや、何字程度で書くかを二人で詰めていった。

…幽霊部員は、俺ものぞむも気にしてはいなかった。どうせ、書けと言えば書く物書きであったし、そもそも出席していない者には文句を言う権利がない。その認識が、彼女と俺とで一致していたからであったろう。

実際、三人の幽霊部員達は、後の締め切りまでに原稿をあげてきていた。…まったく頼もしい。

 

「さて、こんなところか。」

一通り決めるべきことを決め終わり、目の前のコピー紙に概要を書いてまとめ終わった。

あたりは徐々に暗くなり、南向きの窓からは茜色が差していた。少しずつ、日が短くなってきていた。

ヒグラシの声が聞こえる。

…こういった自然の美しさを、ありのままに捕まえて、紙に写し取ることが、一番芸術としての書き物らしいと思う。

 

そのようなことを彼女に言うと、『太宰治の読みすぎです。』などと蔑んだ目で見られた。ばれた。何故お前はそれほど教養があるくせに、趣味が残念なんだ。

「それで、せんぱい。恋物語をみんなで書くのはいいんですが、せんぱい自身は恋物語を書けるんですか?」

「見くびらないでほしいな。恋物語は嫌いだが、書けないわけではないんだ。」

「まあ、恋しない人なんていませんからね。」

「…。」

「題材は何にするんですか?」

「言うわけないだろ。」

「決めてないんですね?」

「……」

「図星でしょ? なんなら、いくつかネタを提供できるんですが、どう——」

「断る。」

「え。奇を衒(てら)ったネタ、たくさんありますよ?」

「あれだけ人の恋を覗けばな…」

そこで、彼女の手元にいつのまにかあった、意外にしっかりした黒表紙の手帳が捲られた。

「例えばこれ。『男、女、男の三角関係と思われたヒロイン、実は年下の男の子が好きで二人の先輩は眼中になかった…』とか。」

「…お前の提示するネタは、俺には多分書けないものだろうから、断ると言ったんだ。予想以上にできなそうだからやっぱりパスだ。」

「そうですか…。」

「俺は自分で探すから。お前は自分の執筆に集中しろ。…お前の恋愛小説にはコアなファンがいるらしいじゃねぇか。」

「同好の士、というやつですよ。」

「なんでもいいよ。ファンがいるのは良いことだ。」

俺はパイプ椅子をきしませながら立ち上がった。そろそろ下校時刻であろう。西日が沈んで行く色をしていた。

「おや、もうお帰りですか。」

「久々に『部活』して疲れたんだ。」

「いつもは本を読むだけですからねえ。」

「お前は『覗き』しかしてないだろ。」

「『観察』です。失敬な。」

「そうだな…」

ドアに俺が足を向けると、パイプ椅子がぎしりと鳴った。

「わたしも帰ります。」

「そうか。」

となりにのぞむが並んだ。

「…明日から忙しくなるな。」

「いいえ、いつも通りですよ。」

 

その日は、部室を二人で揃って出て、俺が鍵を閉めて、自転車小屋まで共に歩き、そこで別れた。

こうして足並みそろえて帰るのは、実は珍しかったりする。

 

さて。

次の日からだいたい三週間程度は、ネタ探し…とは名ばかりの、人間観察しながら惚けたように日々を過ごす期間となった。もちろん、たまに手につかず、読書に逃げたりもした。…場面をかいつまむと、以下のようになる。

 

文芸部は放課後、誰も使わない教室に間借りする形で活動しているのだが、空き教室が沢山あるフロアの、一つの教室を常に占拠しているのが実態である。

このフロア…正確には校舎四階の東側は、その性質上、数多くの文化部が軒を連ねる地域と化していた。

当然ながら、我が文芸部を始め、光画…写真部、茶道部、漫画研究会、電子計算機部など、特殊な道具や設備を比較的必要としない部活が近所であった。

文芸部部室で俺は放課後、よく読書をしている(実は執筆はあまりしない)のだが、その日もそうしていた。

 

『あああああ!』

お隣さんから叫び声が聞こえてきた。…周りの教室から一斉に、がたッと椅子から立ち上がる音が聞こえたのを覚えている。

俺は少し目を上げただけで、すぐに視線を紙面に戻した。

『な、なんですか先輩。』

『今週中に現像しなくてはいけない写真があったんだ。三十枚ほど!』

『間に合わないんじゃないですか?』

他人(ひと)事のように! いいから手伝ってくれ!』

『え、現像をですか!?』

『それ以外に何があるか! 立て!』

『そ、そんな! 「簡易暗室」は一人用で作ってるんですよね、二人では…』

『そんな悠長なことを言ってる場合じゃないの。明日までに終わらせるつもりでやるわよ!』

『ちょ、ちょっとぉ…!?』

それきり、声は聞き取れなくなった。

 

椅子に座る音が、がたがた、と散発的に響いていた。光…写真部は、よく三年生部長が女子らしい甲高い叫びを放つことで、このフロアではローカルに有名であった。

叫びが聞こえると、事件でも起きたか、と皆一斉に反応するが、なんでもないと分かると、写真部から近い教室から順に静まっていく、という面白い性質があった。

写真部のすぐ隣が文芸部であったため、俺は一部始終を聞いたのであった。

写真には詳しくないが、暗室というのが、暗くて閉鎖的な空間であることは知っていた俺は、ふと、壁の向こう側のやり取りを想像してしまっていた。物書きの性(さが)であろうか、彼女らの心情、表情までも細やかに。そしてそれは、ネタ探しのための人間観察になったのだ。

 

確か、部長は女子生徒。部員は二年の男子生徒であった。二人がよく野外に写真を撮りに出ている姿を目撃されている。…恋物語の題材としては、いいインスピレーションがもらえるような関係性であった。そして、先ほどの会話を振り返る。『簡易暗室』は一人用、二人では動きづらい。つまりすし詰めの状態であり———

 

いや、やめよう。変態みたいだ。

そうして、俺はこの日も、考えることをやめた。

 

以上は一例であるが、恋物語のネタ探しとして現実を観察すると、ふとしたことでも『そう』見える事があった。

恋愛脳、というやつなのだろうか。人の見方は心次第。勝手にそう見て、勝手に妄想して、勝手に楽しむ。やってみなくては分からない世界ではあった。二度とはやるまい、と思った。

思考の過程は、物書きによく似ているとは感じた。物書きとて、妄想の達人であることは自明である。そういう意味では、のぞむの趣味は実益を兼ねた趣味であったと考えを改めねばならないか。…あのにやけ(・・・)顔は認めたくないが。

そういえば、俺がネタ探ししている期間中、のぞむを見る頻度が減ったように感じていたのを思い出した。…あれは勘違いだったのだろうか。

 

そして、締め切りを一週間前に控えた頃、俺は短編を書き終えたのだった。

さまざまにネタ集めをしてはみたが、結局のところ、自分の実体験に近い形で書くのが、もっとも書きやすかった。いくつか作った候補をふいにして、俺は結局勢いで、一つの短編を書いて、読み直しもほどほどに部誌の原稿にしたのであった。

 

「せんぱい。これ実体験ですか?」

読み終えて一言。彼女は笑いを堪えるようにしながら俺を見た。見るな。あと笑うな。

「な訳ないだろ。」

「だって、何のひねりもない失恋もので…それでいて主人公が妙に理屈っぽくて捻くれてて…」

「もういいだろ。勢いで書いたんだよ勘弁してくれ。」

「ふふふ、やっぱり実体験が元なんじゃないですかぁ!」

「てめ、笑うなって。」

「あっはっはっはっはー!」

…今日び、そんな風に高笑いするやつ漫画にも出てこないぞ、と現実逃避気味な指摘を思い浮かべながら、俺は彼女から取り上げた部誌を、テーブルに積まれた二十部あまりの冊子の上に戻したのだ。

 

コピー用紙を雑に束ねたような体裁ではあったが、文芸部入り口に配布していた部誌は、公開から少しして、すぐになくなってしまっていた。…狙い通り——悔しいが——『恋物語特集』とふれ回ると人は取らずにはいられないらしかった。

今は追加の部数をすり、入り口に補充しようとしているところであったのだ。

締め切り一週間前には俺が書き終わり、順調に幽霊部員たちからも原稿は集まった。意外にも、最後に原稿が上がったのはのぞむであり、編集作業はのぞむが仕上げてしまったのであった。意外にも、真面目な女子なのである。

 

「幽霊部員さんたちの物語も、結構面白いですね。」

「…部活に来ないだけで、やつらは物書きとしてはいいもの持ってるんだよな…」

三人の幽霊部員は、なんとなく幽霊なのではなかった。一人はよく山に登って俳句を詠むようなアクティブな文化人的男であり、一人は賑やかしとして入った演劇部台本担当、もう一人はバイト戦士なだけのエッセイストであった。変わったやつが多いのは、もはや文化部の宿命なのかもしれなかった。

実際、部誌に収録された作品は、読み応えのある恋物語ばかりであった。各々の強みが活きている。俺も、納得する物語ばかりだった。

「でも皆さん、やはり深く恋を知らないようですねえ…」

「お前から見たら全部そうだろうよ…」

「また苦虫顔を。」

「なんだ苦虫顔って…」

そうして俺とのぞむは、部誌を読み返す時間を過ごした。

 

やがて、俺はのぞむの物語にたどり着いた。

…悔しいが、心理描写が巧みで、引き込まれるような作品だった。

主人公の少女は夢見がちな恋愛脳の持ち主で、恋に恋する、を本来の意味で体現するような人物であった。その少女は高校に入学し、物書きと出会い、自分の想いを表現するすべに夢中になり、そして。…普段から、その文学部内の、男子の先輩に恋をする…

…考えすぎだろう。思考を放棄した。

 

「…悔しいがお前の短編は面白かった。 意外に、読めるもんだな。」

「恋物語、好きになりそうですか?」

「…?」

また、名状しがたい表情(かお)をしている。葛藤とも、躊躇いとも違う…不安と期待が入り混じる…

「せんぱいは、恋しないんですか?」

「…。」

俺は一呼吸おいた。

 

「何を勘違いしているか知らないが。」

「…はい。」

「俺は恋物語が気にくわないだけで、恋ができないわけじゃない。」

「…、…そうでしたか。」

そして、彼女は俯いて、息を吐いた。

つくづく、わからないやつだった。

 

「せんぱい。 好きですよ?」

「……、……?」

「今回の短編。」

「そうか。」

「せんぱいの実体験に基づいたような物語でしたけれど。」

「それはもういいだろうが。」

「けれど。まっすぐで、何のひねりもなくて、だからこれは、もう思い出せない初恋をよく表していて、すごく心にきました。」

「そうかい。…お前に恋物語を褒められると、嬉しいよ。」

「なげやりですねえ。」

「ほっとけ。」

そうして、日が暮れていった。

 

次の日。いつものように読書に耽る俺と、窓際でなにかを観察するのぞむのみがいるような文芸部は、平和そのものであった。

「その後の野球部の、…えーと何だっけ。女子マネとサード松本はどうなったんだ。」

「気になりますか?」

「思い出しただけだ。」

「まだ続いてますよ。破局は秒読みでしょうけど。」

「……。 …恋物語は儚いな。」

「だからいいんじゃないですか。」

「おまえは恋に恋してるんだな。」

「なにをいまさら。それはせんぱいだって同じでしょう。」

「…あ?」

 

「だって、恋物語を目の敵にする、ひと時も忘れず、事あるごとに嫌いなそぶりを見せるなんて。最早、恋そのものです。」

 

「…」

「たまに、恋物語にデレますしね。『意外と読めるな』とか。」

「やかましい。そもそもあれは…」

 

こんこんこんっ。

滅多に叩かれない文芸部の扉が、ノックされた音がした。俺とのぞむは言い合いをやめて顔を見合わせる。

俺が、どうぞ、というと、扉ががらがらと開いて、一年生らしい新し目の制服を着た女子生徒と男子生徒が見えた。少女が口を開き。

「あの、文芸部はここですか?」

「そうですが、ひょっとして、入部希望者かな?」

尋ねる俺に、頷く二人の一年生。

俺の後方、窓辺ののぞむは、すでにして双眼鏡を下ろして、目を輝かせていたに違いない。

 

狙い通りの新入部員。しかもたまたま男女でくるとなれば、のぞむは喜んで観察し始めることが目に見えていた。

机にのったいくつかの部誌が、風に煽られてページを晒した。

 

俺は静かに本を置き、『これ以上、犠牲者が増えませんように』と、天に祈った。

 

 





いかがでしたでしょうか。

本作は前作と同様、『交わる世界の狭間にて』という企画の同名の回、「最早、恋」にて執筆したものです。 これも初めて著したのは2018年のことです。

『文芸部』に所属する人物たちもまた、一癖も二癖もある文化部部員になります。 すでにお察しかと思いますが、本短編集は終始このような調子で進みます。
本作の中で最も思い入れがあるのはやはり、ヒロイン……というにはいささか捻りすぎたきらいもありますが、『のぞむ』です。 とあるライトノベルに影響を受けたキャラクターになっています。 彼女の信念は、おそらく言外に察していただけるところかと思います。 今後のシリーズにも、ちょこちょこと登場するかと思いますので、どうか生暖かい目で見ていただければと思います。

『恋に恋する』をテーマに書きましたが、なんだかテーマに対してはアンチテーゼになってしまったようにも思います。
そのうち、「彼女」が反論をしてくれるかも。

では、この辺りで。
またお会いしましょう。
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