芸術というものは、知れば知るほど、どうも分からない。
正解がないのが正解というか…。 例えば写実的にモデルをキャンバスに表現しようとすると、なんだか無機質になる。 どれだけ上手く描くことができても、それをして『活き活きとした人間を描きました』とは、なんだか言えない気がする。 何も考えずに「お絵かき」するのが楽しかった子供の頃が懐かしく思えてきた。 …私は少し、捻くれた高校生になってしまったようだ。 視線を下に向け、セーラー服の襟から伸びたリボンが揺れるたびに、そう思わずにはいられなかった。
「幸せが逃げるぞ。」
「……はい?」
突然に朗と響いた声に視線を向けると、それを意にも解さない無機質な瞳をキャンバスに注ぐ、真っ白なワイシャツの男子生徒の姿があった。
彼は眉ひとつ動かさずに続けた。
「ため息をつくのは、良くない。 我々芸術家にとり、『幸運』も武器になるのだから。」
「……ソウ…ナンデスネ-……」
何言ってんでしょうね、このひとは。
生返事で返しながら、私はきっと、苦虫を噛み潰したような……違うな。 『共感して欲しかった話に具体的な、ああせいこうせい、という解決策を自慢げに語るお父さんに、母さんがするような』顔をしていた。
校舎四階東側、その空き教室の一室『サテライト・アトリエ』———私はこの名前を快く呼べない———は我が高校、文化部同盟の芸術担当、美術部の、文字通りのサテライト教室だった。 要は本体である美術室とは『芸術性の違い(ココ重要)』によって別に活動する必要があったがゆえの、苦肉の策なのである。
……まあ実際には、ほとんど『漫画研究会』と化した美術部のメインメンバーと一緒にいるのが少ししんどくて、純粋に写実的な絵を描きたい私とマル先輩が、自主的に独立している状態である。 それができる、高校のフトコロの広さに、私は涙を流した。 えーん、えーん。
あ、間違えた。 まぢぴえん。 JKらしくしないとねー。
…あ。 美術部メンバーとは普通に仲は悪くないので、勘違いしないように。
黒い汚れのついたキャンバスに視線を戻し、小さく息をつき、引き続き汚すために鉛筆を手にしたところで、…ふとモデルである『マル先輩』を盗み見た。
教室の中心部から、ひたすらに外を眺めている2年男子生徒の姿は、…はっきり言って
そのままの姿を、ありのままに映し撮れれば、どれだけいいだろうと思った。 ただ『正しく写しだけの』私の絵には、なんだか写真以上に、魂が入っていなかった。
「…どうしたんだ、シズ。」
「……、…いいえ、なんでもないです。」
また、ため息をついていたようだ。 恋でもあるまいし、控えなくてはいけない。 悩みで太らせた息は、また胸元から溢れていった。
「そうか。 ……何あれば、言え。」
「『言え。』とはまぁ、乱暴な言い方ですこと。 せめて、『言ってくれ』とか、『言ってほしい』とか。 少し言い方を
「む、そうだな。 気をつける。 恋人だからな。」
思わず手が、止まった。
他人には、あまり興味が無いほうだと自覚している。
他人の話に興味は湧かないし、コスメの良し悪しも、ドラマの展開もどうでもいい。 他人が好きと思おうが苦手と思おうが、結局は自分が気にいるか気に入らないか、美しいと思えるかに全ては委ねられているのだと思っている。
高校はそうして選んだし、入る部活も、自らの審美眼を信じたからこそ、ここに入った。
そして、先輩に出会った。
特徴的な大きな
『美しさには、理屈があるものだ。 人体の美しさは、整然と並んだギヤー・ボックスのギヤーたちや、リンク機構によって歩行するストランド・ビーストのような計算づくの美である。』
と自らの目指す美を説明した、その芯の通り方に惚れた。…いやまぁ、これは芸術家 (と自らを呼ぶのは
とにかくっ! 尊敬できる人に出会えたように思って、やはり自らの判断を信じて良かった、とも思っていたのに!
……それなのに。
『脱いでくれないか。』
『…はぇ?』
『服を脱いではくれないか。』
『…私が、ですか?』
『そうだ。』
『制服を?』
『ああ。』
『あなたの目の前、で?』
『描きたいのだ。』
『素っ裸を?』
『そう、裸体を。』
『……………………………………………………なんで…?』
『君の美しさを、余すところなく描き切りたいからだ。』
『なんでーーー!!?』
かしわのようなアザを、その日マル先輩の頬に刻んだ私は、その後のことを覚えていない。
……要するに、先輩は周りが見えなくなる芸術スイッチを持った、変態的天才芸術肌タイプだったのだ。
モーツァルトかな? あ、いやルソーかも。
もぉぉおおおおぉぉおおおおーー!!!!!
どーして好きになっちゃったかなぁ、この人のことを!!
私のバカァ!
……いや、かっこいいんですよ? 先に述べましたけど、『お絵描き』に終始しがちな (偏見)、高校の美術部において誰よりもストイックに本物の美を見出そうとする姿に、私は惚れたのです。
そのまま勢い余って告白してしまって、なんだかわかんないうちに『いい。 今日から恋人だ。』なんてあっさり恋が成就してしまったり、……それを知ってか知らずか美術部のメインメンバーが『美術室にウチら帰るからー』などと言い置いて長年根城にしていた『アトリエ』を『サテライト・アトリエ』にしてしまったり、……その後、例の件が初夏のころにあってなんやかんやで許して、以来紆余曲折がありまくりながらも9月半ばである
でもなんだかんだで、『恋人』であるのだ。
私とマル先輩は。
それを絵コンテのような幻覚で振り返るくらいに、久しぶりに『恋人』という言葉を私は聞いた。
キャンバスから、横に視線を巡らせた。 我が美術部の、『変わり者』筆頭格がそこにいる。
「マル先輩。」
「なんだ『おシズ』。」
「先輩は、私に対して不満はないんですか。」
「無いが、なぜそれを訊くのだ?」
「それは……」
手を止めて、先輩の目がこちらを向く。 …ガラス越しに、よりガラスのような瞳から放たれる
何を言いたいのだろう。 分からない。
けれど私は続けた。
「……私のような言葉を選ばない女は、誰もが避けたいのではないか、と思ったんです。」
「それは違う。 ぼくは選んだぞ。」
「え……?」
「きみを選んだから、きみとは恋人でいるのだ。」
「…はあ…、そう、ですか…。」
言葉足らずを、これほど恨んだことはない。
なんともモヤモヤした気持ちと。
やはりマル先輩が大好きな自分を卑下しながら。
黙々と表現を続ける先輩を見ながら、この日のキャンバスを、それ以上汚すことはなかった。
そんなこんなでで二人貸切の教室の中で、好きな人の横顔と向き合い続けていたのだが、9月中旬の私はいきなり降って湧いた状況を受け止めきれなかった。
文化祭が迫ってきたのだ。
具体的に言おう。
10月下旬に来たる文化祭に、美術部として出展せよ、とのお達しがもたらされたのだ。
サテライト・アトリエに出入りするエーちゃん (※美術部員。サテライト・アトリエの名付け親) から、美術部長によるコメントつきで。
『ウチらの絵だけでは、漫研と変わんない。 彫刻もできるけど、フィギュア方面の技能ばっかり高くてちょっと美術部じゃないみたい。 だから、お願い! 教科書に載せられそーなガチ美術ができるキミらの力、貸してくださーい! キミたちの作品、メインで見てもらいたいんじゃい! よろー! なにとぞー!』
「……あー、…部長も必死だなぁ…」
うん、その。 言わんとするところはわかる。 言葉を知らない人の手紙だよねこれ。 何語? って感じ。
いい人なんだ。 背がちっちゃくて、可愛らしい顔してて、必死になるとぴょこぴょこ跳ねる子供みたいな一面があって。 なんで部長なんてカタい役職についてんのかわかんない3年生でさ。
流してほしい。 彼女の誠意は、私には伝わった。
その日から、文化祭に向けての制作がスタートしたのであった。
とはいえ、常に何かしらの作品は制作しているために、〆切というゴールが変わるだけで、コンセプトも、方向性もそのままである。
先輩は、文化祭に向けてのコメントカードを読み返しながら、首を捻った。 珍しい事もあるものだ。
「おシズ。」
「なんでしょう。」
鉛筆とオイルパステルの相性をキャンバスに訊きながら、私は答えた。 マル先輩は、いつもと変わらぬ——微妙に上擦ってはいるが——声で、私に訊いた。
「きみはこの手紙を、どう思う?」
「…どう、とは。 やるしかないなぁ、と受け止めていますが。」
「何故だ?」
視線をそちらに滑らせた。
迷子の少年が、男子生徒の姿に重なった。
私は一つひとつ指折り数えながら答えた。
「…一つ、基本的に不干渉である『美術室』が手紙を送る案件である事。 二つ、我々の作品をメインに見てほしい、と部長に言わせているという事。 三つ、『美術部じゃない』ように見られる事を部長が危惧しているという事。 それらが理由です。」
「…?」
「……。 …まぁ、要するにですね。 部長はこう言いたいのですよ。『キミたちのような作品が作れるのが美術部である。 日の目を見るべきだ。 この程度が美術部か、とは、誰にも思ってほしくない。』。 …そうまで言われては、頑張らないわけにはいかないでしょ?」
「………」
私の
その後の先輩は、元の先輩に戻った。
さて。またある日。
作品の制作も佳境に差し掛かったころ、先輩がまたおかしくなった。
「おシズ。」
「なんですか。 今日の私は気分がいいのである程度は聞きますよ。」
購買で、よく売り切れている人気のパンを、しかも並ばずにゲットできた午後であった。
「そうか。なら起立。」
「はい。」
「左向け、左。」
「はい。」
「腰を30度ほど前倒し。」
「…はい。」
「左足をひけ。」
「……はい。」
「右手を背中側に伸ばして、左手を脱力。」
「……は、はい。」
「そのまま30秒キープ。」
「…はい!? こ、この体勢を?」
「そうだ。」
陸上選手みたいな格好であるが、これがなんの参考になったのかは、完成品をじっくり鑑賞した後でさえ、私にはわからなかった。 …筋肉のつき方、とか?
30秒でスケッチを終えた彼は、さらに要求をしてきた。
「おシズ。」
「ぜぇ、ぜぇ…。 なんですか。
「脱げ。」
「えぇーーーー!?」
「…脱いでください。」
「言い方変えてもダメなものはダメです! 美術は美しさを表現するものであって、性愛に
「では良いではないか。 ぼくは機能美を描きたいんだから。」
「良くないっ!!」
すっぱあぁぁん! と景気のいい音がなって、近隣の文化部——が間借りしている元空き教室——から次々と、ガタガタッ! とイスを引く音が続いた。
申し訳ない。 文化部同盟の皆様。
私は我慢なりませんでした。
そうして計10日くらい、マル先輩とは顔を合わせないようにした。 どうせあの人のことだから、油絵を上書きして上描きして、やがて現れた最後のピースとして、私を裸に
……顔から火が出る思いをしたために、——いや思い出すたびにそうなるせいで——私が集中できない、というのもあった。
私だって乙女なのだから……。
…………
ツッコミは不要だ。
やがて、約束の日が来た。
この日のことを、私は生涯忘れまい。
朝からてんやわんやで、覚えている部分を書き出しても要領を得ないメモになりそうだったので、かなりかい摘んで説明しようと思う。
その日は、まずキャンバスでなく画用紙を巻いて美術室から出た、私の姿を描写……やめだ。 女子らしくない姿をしていた。 顔色悪く三角の布を締めたお化けだったからね。
どうして1年生って、お化け屋敷やりたがるんだろうね。
ふっしぎー。
美術部の展示スペースは2、3、4階が吹き抜けになっている2階のフロアで、展示ボード (※なんかいっぱい穴が空いている白いボード) の一角を成していた。
まだ一般公開の時間は遠い。 しかしすでにして、美術部メインメンバーたちと、エーちゃん、マル先輩の作品は展示されていた。
水彩画で高校から見える街並みを描いた私の作品など、その場で破り捨てたくなるほどに良かった。
美術部の名を貶めるなど、とんでもない。 漫画研究部などと後ろ指刺されるはずもない、並々ならぬ作品の数々が展示されていた。 『美術室』のメンバー、やるじゃないか。
そして、先輩の絵画の前に立ったのだ。
息を忘れた。
言葉は要らなかった。
これが私の姿かと思うほどに、想いの溢れた迫力があった。
言葉を重ねるほどに陳腐になるのは分かっているが、語らずにはいられない。
少女は、ひだまりの中で絵を描いている。
困惑と怒りと、自らの情けなさを感じながら、確かに絵を描いている。
誰もが見過ごす、些細なマイナスとプラス。 それを決してゼロにしない、繊細な表現が、毛髪の先にまで宿るような。
そんな絵であった。
後夜祭の前であったと思う。
サテライト・アトリエに向かった私を、なんだか抜け殻のように呆けて、窓の外に視線を投げかける先輩が出迎えた。
「マル先輩。」
「…おシズか。」
私の声が呼び水になったかのように、先輩に魂が返って、こちらを向いた。
「見ましたよ。先輩の
「…そうか。」
「私、惚れ直しました。」
「……、そうか?」
「はい! …詳しく語るのは野暮ですから、2つだけ。」
「聞こう。」
お言葉に甘えて、私は語った。
一つ。 人体への高い理解度からなる、骨格が透けて見えると思えるほどの写実的な描画。
二つ。 写実的で正確な描画の中に、魂が宿って、人間らしさというものを目一杯に表現していたこと。
その2つをもって、また惚れ直したのです。 と。
しばらくマル先輩は黙って、教室の床を見ていた。
なんだか私は、またもやマズイことを言ってしまったか? 言葉選び下手くそか? と不安になった頃、彼は開口一番にこう言った。
「ぼくはね。 きみのそんなところが好きだ。」
「………へ?」
「常に一本の芯が入っている。 良いものは良い、悪いものは悪い。 信じると決めたら信じるし、誰に対してもその根っこのところが、ズレることがない。」
「え、あの、…えっと…?」
「文化祭へ誘われたときの手紙がそうだ。 …いや、もっと前から。 美術部に入ったのも、『美しいものを知りたい』からで、それはずっと変わっていないのだろう。」
「そ、それはその、…『曲がったことが嫌い』だからで…」
「ぼくも同じだ。 恋人には、そうであって欲しかった。 嫌なら嫌とはっきり言って、不満をぶつけて、互いに直す努力をする機会を作れるような……。」
「先輩…?」
「だから。」
「ぼくはきみが好きだ。 きみがぼくに好きって言ってくれるその前から。 きみを好きだったんだ。」
私は、二の句が告げなかった。
きっと紅鯉みたいな、水面で口を開閉する真っ赤な顔をしていたんだろうな。
……あーあ。
結局のところ、私たちは似たもの同士だった。
芯の通ったものが美しく。
互いに好きなように好きな事を言い合える。
そんな相手が欲しかったのだ。
「マル先輩……わたしも」
「なぁ。」
「……、はい?」
「脱いで。」
「えっ。」
「今。」
「そ、そんな。 二人きりだからって大胆な」
あ、違うこれ。
画材持ち出してるからモデルにされるやつだあ。ひゃあ。
「早く。」
「いやです。」
「え。」
「嫌ですー!!」
すっぱあぁん!!!
ガタガタッ!?
…まったくどうしようもない人。 恋人だからといえど、できない事もあることを覚えてほしいものだ。
私はなんだか、狐につままれた気分だった。
芸術と、恋というものは、知ろうとすればするほどに。
やっぱり解らない。
いかがでしたでしょうか。
本作は合同誌『恋人図鑑』に寄稿したものです。2023年に執筆したもので、久しく書いていなかった『校舎四階東側の日常』の第4弾となります。
さて。『美術部』で表現したかったテーマは「芯の通った美しさ」でした。マルの思う『美』と、おシズの思う『美』は、表面では違うものの、根本では繋がっているものでした。
恋人、のように見えないからこそ、繋がっている。
感じていただければ嬉しいです。
それでは。