気がつくと見慣れない部屋のベッドにいた。机とぬいぐるみ、それとテレビゲームが置いてある子供らしい部屋で、広い窓から真っ白なお日様が差しているのが暖かかった。
わたしに何があったのか、わからない。けれど眼で感じる光の刺激は、ここが天国じゃないことを物語っていた。何より、わたしに「身体」がある。わたしは、もう長い間失くしていた、もう戻ることはないと思っていた手足を動かす。身体を起こして部屋の中を何度もぐるぐる歩き回り、そのまま速度を上げて階段を駆け下りて行く。そして下り切るとそこにいた誰かの胸にぶつかった。
「あらアイ、朝から元気ね。でも走るのは危ないわ」
懐かしい声だった。優しい匂いがした。パパがわたしを生き返らせる研究を始めておかしくなってから、わたしたちの前から姿を消した人だった。
「ママ!」
わたしはちからいっぱい抱きしめるとママは少し驚いたけれど、わたしを抱きしめて背中を温かい手でゆっくりと撫でてくれた。
「ママ!ママ、ママ!」
「どうしたの?そんなにくっついちゃ分からないわ」
ガラス管の中では感じられなかった優しい温もりを感じる。懐かしい匂い。少しくすんだ使いならしたエプロンにわたしは顔を埋めた。
「いいの、もうどこにも行かないで!アイとずっと一緒にいて!」
ママは少し困った顔をする。
「聞いてアイ、今日は10歳の誕生日よ。あなたはポケモントレーナーになるの。オーキド博士が研究所で待っていらっしゃるわ」
「だってママ!」
そこから先のわたしの言葉は詰まってしまい形にならず溢れてママの胸を濡らす。そんなわたしを見てママはなだめるように続けた。
「ママはあなたが帰るまでここで待ってるわ。だから必ず無事で帰ってきて、そして沢山の冒険の話やポケモンの話を聞かせてちょうだい。ママは少し寂しいけれどアイの帰りを楽しみにしてるわ」
ママの胸をひとしきり濡らしたたあと、すっかり冷めた朝ごはんを食べて支度を済ませ扉の前に立つ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
扉の向こうの冒険に向かう世界が眩しくまっさらに見えた。
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下書き
1番道路に向かってまっすぐな砂利道を歩くとすぐにオーキド研究所に着いた。アイは自分の身長の倍はある扉の前に立つと、少し背筋を伸ばしながら上がって行く。
「ごめんくださーい」
返事はない。もう一度尋ねても室内は物音ひとつ無く静かだった。
アイはいくつも本棚や大きな機械が並んだ廊下を抜けると広い部屋に突き当たった。そこは中心に少し背の高いテーブルがあった。その上にはモンスターボールがひとつ置かれていて、アイは爪先立ちで覗き込みそれを手に掴もうとすると、ボールは意思を持ったようにするりと指の間をすり抜け机上で一度跳ねた後、アイの頭上に高く放物線を描いた。驚いたアイはバランスを崩し脚をもつれさせ、よろめきながら後ろに下がると二、三歩進んだところで大きく尻餅をついた。
宙に上がった球体は丁度円の中心で真っ二つに分かれて四方に光を放つ。アイはその閃光に目が眩む。そして瞼を開くと、膝の上には小さな身体に、大きな尻尾と長い耳を持った仔犬ポケモンが座っていた。
「エブォイ!」
「か……」
「ブイ?」
「かわいい〜〜!!」
アイはそのポケモンに抱きつくと、首周りのフサフサの飾り毛に顔を埋める。「あなたはなんてポケモンなの?」アイが円な瞳を見つめて訊ねると部屋の入り口から「イーブイというポケモンじゃよ」と初老の男が答える。
「オーキド博士!」
アイがイーブイの前足を抱きかかえて博士の元へ駆け寄ると、「アイ君、十歳の誕生日おめでとう」といって博士は赤い手帳型の機械を差し出した。
「これはポケモン図鑑といってな、出会ったポケモンを自動で登録してくれる優れ物なのじゃ。隣街まで君に渡すために注文していたこいつを取りに行っていて遅れてしまった。待たせてすまない」
アイが抱いていたイーブイを下ろし図鑑を受け取ると、博士はモンスターボールが綺麗に並べられたガラス棚を開く。そこから幾つかボールを取り出して、今度は部屋の隅の作業デスクの上にひとつひとつ並べる。
「さあ、アイ君。この中から一匹好きなポケモンを選びなさい。炎タイプのヒトカゲ、水タイプのゼニガメ、草タイプのフシギダネじゃ」
「あの、博士。わたしこの子がいいです」
アイの視線の先にはイーブイがいる。イーブイもアイの目を見つめている。まるで瞳の奥にお互いの何かを感じたように。
「しかしそのポケモンは」
オーキド博士が難しい顔をして何かを言いかけたとき、博士の助手が慌てた様子で扉を開き飛び込んで来た。
「オーキド博士!大変です!1番道路にベトベターが大量発生しています。このままでは野生ポケモンの住処が荒らされてしまいます」
「なんじゃと!それはいかん。町にいるポケモントレーナーを集めてくるんじゃ」
助手の報告に博士は驚き、二人で慌てて研究所を飛び出してゆく。無機質な機械と棚と机だけのへやにぽつんとアイとイーブイだけが取り残される。アイはイーブイを、イーブイはアイを見つめてお互いに頷く。
「行こう」
「ブイ!」
一人と一匹はこうして1番道路へ向けて初めての冒険に出たのであった。