柊木春香side
わたしは悩んでいた。次の授業のことだ。どうやら真田君は、職員室に来た様子だと授業の最後のほうの話が頭によくはいっていなかったようだ。わたしに会いにきたかったのが半分(うれしい!)、ほんとうに授業のあとのほうを聞き落したのが半分だろう(まったくもう)。次の授業は、南北アメリカ文明をやりますと伝えたのだがわかっていなかったようなので、廊下ですれ違ったときに彼に話しかけた。
「真田君、ちょっと」
「何?先生?」
「準備室にきて」
「はい。」
彼をつれこんでおもわずキスしてしまうが、お互い正気に戻る。
「先生のこと、すきだけど、それが用じゃないでしょ。」
「先生じゃなくて、春香さんでしょ、じゃなかった。次の授業で南北アメリカ文明をやるんだけど、このプリント渡すの忘れてて...」
「『ナスカの巨大な地上絵』?」
「そう。インカ以前にアンデスを統一していたワリ帝国があったと主張しているウィリアム・イスベルさんが書いた論文の和訳なんだけど、あまり長くないし面白いからプリントしたの。」
「この分量なら30分で十分読めますね。」
「そう。家やファミレスでお茶しながらでも片手間に読めるし、面白いし、あのね、」
「うん」
「教科書には、狩猟、採集で北米地域には高度な文明が発達しなかったとか書いてあるけど、アステカ、マヤ、インカ、ナスカほどじゃないけど、北米には、大きな遺跡がいくつもあるの。まず、セントルイス郊外にある世界遺産のカホキア。
この最大のモンクス・マウンドは、高さこそ30mほどだけど、長さ316m、幅241mで、ギザのピラミッドやテオティワカンの太陽のピラミッドの底面積よりもおおきいの。中心部は、16.2㎢でそこだけでも1.5万人、周辺を含めると5万人がいたという千年前の巨大な門前町だったの。
①
②
③
それからこれは、オハイオ州のサーペント・マウンド。
④
全長405mの蛇をかたどった巨大なマウンド。頭の方向は、夏至の日没の方向、尾の方向は、冬至の日の出の方向を向いているの。そして出土した炭化物の年代を測定したら、紀元1070年前後のいう値が出て、その前後は、かに座にあるかに星雲の超新星が起こった1054年やハレー彗星が来た1066年に近いの。
<かに星雲>
<バイユーのタペストリーのハレー彗星※ノルマンのイギリス征服時に現れた。>
そのほかオハイオ州には、紀元前後、日本でいう弥生時代くらいにホープウェル文化をになった人々が八角形にマウンドをめぐらせて月の出、月の入りを観測していたニューアークやハイ・バンク・ワークスという遺跡をつくったの。」
<ハイ・バンク・ワークス>
<ニユーアーク・オクタゴン>
「先生、おちついて。」
どうやらわたしはかなり興奮して話していたらしい。
だってほかにもルイジアナ州のポヴァテイ・ポイント、12世紀くらいのアナサジ文化のメサ・ヴェルデや11世紀くらいのチャコ・キャニオンなどの世界遺産も世界史では紹介することができない。だからせめてそんな文化のすそ野があることを知ってもらいたい。
「この論文には、そんな北米の遺跡のこともちょっぴりだけど書いてある。みんなにはたくさんのことを知ってほしい。」
「そういえば、ナスカの地上絵は、暦に関係するってなにかできいたことあったな。」
「でしょ。メソアメリカ文明も、アンデス文明もそういう文化の頂点にあるというだけでぽっと出じゃないの。」
真田誠治side
「わかりました。次のLHRの最初に渡しますね。」
「ありがとう。」
柊木ちゃんは満足そうにほほえんだ。
さて、授業と清掃が終わったLHRの直前、俺は世界史準備室へ行く。
あのプリントの束を運ぶためだ。
「重いから、半分もつよ。」
と先生は言うが、やはり40人分あると二人でも重そうだ。
無理して運んで途中で落として踏んづけでもしたら目も当てられない。
「先生いいよ。これ台車のほうがいいかも。」
「うん。」
段ボールに詰めて、台車に載せる。職員室へ行き、担任の坂井に話しかける。
「坂井先生、いいですか?」
「なんだ、真田。ん、柊木先生?」
「えっと坂井先生、次の授業の予習用に2Bのみんなにこれ読んでもらいたくて。つぎのLHRの最初の5分お借りできますか。」
「ああ、さっき真田から話を聞いています。いいですよ。」
「先生も一部どうですか?」
「あ~、わたしは...」
にやにやと苦笑する。
「先生、ナスカの地上絵の謎ですよ。片手間に読めます。」
柊木ちゃんが笑顔をむけると態度が変わる。
美人の笑顔に加え知的好奇心を同時に刺激されたようで受け取る。
「そうなのか?あ、いやそうですか」
坂井先生は一部受け取る。
「へえ、意外に読みやすいな。じゃあ行くか」
掃除の後の休憩時間終わりで、すこしざわつき気味な教室に入ると坂井がみんなに声をかける。
「えっと、まず最初に社会科係の真田と柊木先生から話がある。じゃあどうぞ。」
「はい。次の授業の前に、これを読んでほしくて。ナスカの地上絵について書いてある読み物です。これから配りますね。」
「へえ」
「世界遺産の話って柊木先生らしいね」
「ほんとは、いっぱい話したいんだろうな」
「では、これを読んでもらって...」
「先生、要点解説してよ」
「う~ん、いいけどネタばれになっちゃうよ。小説読む前にネタばれ厳禁でしょ」
「ということだから、これは次の柊木先生の授業までに読んでおくこと。じゃあ本題にうつるぞ。」
「坂井先生、わたしはこれで...」
「お疲れ様でした。」
柊木ちゃんが笑顔で手を振り、2Bの皆も手を振り、教室の扉が閉まる。
一瞬静まる教室で、坂井がクラスに聞いてくる。
「柊木先生って人気あるのか?」
「何言ってんですか?下手な芸能人より美人じゃないですか?」
「まあ男子生徒あこがれのお姉さんとか聞こえてくるけど、相手は先生だぞ。お前らは間違ってもお互いのためにも手を出すなよ」
坂井は笑いながら「じゃあLHRはじめるぞ」と言った。
①モンクス・マウンド※User:Grolltechによる
②カホキア想像図1※User:CarmenEsparzaAmouxによる
③カホキア想像図2
④上空から見たサーペント・マウンド※User:Locutus Borg
カホキア想像図2※https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cahokia_Aerial_HRoe_2015.jpg