「さあ席について。世界史の授業始めます。秋川さん、お願い。」
「はい。起立、礼」
「教科書30ページ開いて。今日から、中国の歴史に入ります。さて5分間与えるので、中華文明の発生、32ページ2行目まで読んじゃってください。」
5分経って
「いいかな。それでは浅沼君、おおきく中国というか東アジアは、二つの大河でわかれるみたいだけどどこの川とどこの川かな」
「黄河と長江です。あれ?この教科書揚子江って書いてない。」
「はい。ありがとう。よく気が付いたね、揚子江とは書いていないというのが配慮があるなあと思います。河は一字で黄河、江は、一字で揚子江、すなわち長江のことをあらわすので、長江で覚えたほうがいいですね。ビルマをミャンマーと呼ぶのに慣れたように。じゃあ黄河流域と長江流域の特徴の違いは?内田君」
「黄河流域は、降水量が少なめなので畑作、長江流域とベトナム北部、朝鮮半島、日本は、季節風の影響の強い湿った気候なので稲作に適しています。」
「ありがとう。それじゃあ、志村君。南船北馬という言葉があるけど、黄河流域より北側はどうなんだろう。」
「草原が広がる遊牧地帯ですね。タリム盆地にはオアシスが点在しているということです。」
「ありがとう。さて紀元前6000年頃までに中国はどうなっただろう。綾野さん」
「黄河流域ではあわなどを中心とした雑穀を中心とした農耕、長江流域では、稲が栽培されるようになりました。」
「ありがとう。稲の栽培は、中国では8000年前だったんだって。じゃあ日本の年表と比較してみようか?何時代だろう。年表見ながら答えてね。大道さん」
「縄文早期です。凄く古いです。」
「そうだね。ありがとう。それから紀元前5000年紀になると黄河中流域で何文化が起こったかな。水瀬さん」
①彩陶
「彩陶で知られる
「ありがとう。これが仰韶文化の村の跡で有名な
半坡遺跡模型
②半坡遺跡竪穴住居露出展示
なにか日本の歴史でもでてくるよね。こんな家。何住居っていうかな。真田くん」
「もしかして竪穴住居ですか?」
「そうなの。それから長江流域ではどうなっていたかな。有馬君」
「水田があったと書いてあります。」
「そうです。日本でいえば何時代だろう。」
「弥生時代です。」
「ありがとう。そういうことになるね。さて紀元前3000年紀には黄河流域では何が起こったかな。若田部さん」
「西方から麦や羊がもたらされ、黒陶に代表される
③黒陶
「ありがとう。志村君が好きそうな話があるね。」
「集落の周りに土壁をめぐらした城郭が築かれ、複数の集落を束ねる首長も出現した、って書いてあります。」
「そう。32ページの真ん中あたりに描いてある
「殷王朝です。」
「はい。ありがとう。さっき話した二里頭遺跡は、最初の殷の都ではないかという研究者もいる。河南省安陽市にある
「玉器とタカラガイです。」
「ありがとう。さてさっき話した邑がでてきたね。商王朝は、交易で玉器やタカラガイを持ち込めるような大きな経済力と宗教的権威で、同族意識に支えられた氏族集団を中心に共同生活を営む邑を多く従えていた。商王朝では、いまでは青緑になってるけど当時は黄金のように光り輝いていた酒器や食器として用いられた青銅器で儀式を行い、政治を行うときには、占いで決定し、漢字のもとになった象形文字を記録として用いた。その文字をなんというかな。」
「甲骨文字です。」
④甲骨文字の拓本
「はい。ありがとう。甲骨って、亀甲獣骨の略で、カメのおなかの骨や牛の肩の骨などのくぼみに焼けた棒を押し当てて、急速に冷やすとひび割れができる。そのひび割れから神意を占って結果を甲骨文字で刻んだの。で、殷王朝の名君の一人とされる
⑤婦好墓
婦好については小説も書いている人もいるから読んでね。さて、その婦好さんについては、彼女が戦いに出る際にうらなった甲骨文がある。読んでくれるかな。」
「
「はい、ありがとう。「辛巳の日に卜占を行い、争が問う、「今、王が人を集め、婦好に命じて土方を討伐させれば、(神霊の)加護を受けるだろうか」という意味なの。
彼女の名前は、出土品でしか確認できなかったの。さて、殷墟にある王様のお墓の図があるけど深さ12m、地表がお墓の底とすると、ちょうど電柱のてっぺんより少し高いくらい。お墓の大きさは、460平方メートルと書いてあるから正方形とすると21.4m×21.4mくらい。墓の底部には生活雑貨、ウシ、ブタ、シカなどの遺体とおそらく生前の従者と思われる殉死者、青銅器、旗じるし、墓の上のほうには、武器や防具、棺を運ぶ馬車が埋められた。
さて、紀元前11世紀ごろから長安の近くの渭水盆地に興って強大になった王朝は何というかな」
「周です。」
「ありがとう。周は、殷を滅ぼして、征服地に王族や功臣たちに封土を与えて世襲の諸侯としたの。それから王や諸侯の家臣たちにも封土を与えた。この制度をなんというかな。」
「封建です。」
「ありがとう。服従の証として諸侯が周王に特産品を持っていくきまりや、諸国の外交上の儀式も細かく決められ、それが礼ということになり、東アジアの社会の伝統になったの。さて、『史記』によると周というか、西周の最後の王の幽王、この幽というのは、諡号(しごう・おくりな)といって君主や諸侯の生前の行いによってつけるんだけど、暗いとか言う意味合いの最悪な諡号なの。ちなみに殷を滅ぼした西周の初代の王は、武王、その父親は、文王と呼ばれ、武の諡号は、武勇や武功に優れた王に贈られるもので、文は、善政をおこなった王におくられるものなの。さて、幽王は、お妃さまの
「孔子の年代記、春秋によります。」
「ありがとう。五経と呼ばれる儒教の経典、詩経、書経、易経、春秋、礼記のうち
「戦国策からです。」
「ありがとう。楚は春秋時代のときから王を自称していたけど、戦国時代になると斉と魏が王を自称し、ほかの国もそれをならっていくようになります。教科書に書いてある通りそれぞれの地域の特性にあわせた国造りをしていく。戦国時代は、富国強兵につとめた有力な七つの諸侯があって、戦国の七雄と呼ばれた。このころ中国という意識と領域外の生活習慣が異なる民族を夷狄とさげすむ感覚が強化された。
さて次のページの春秋戦国時代の社会と文化に移るよ。さて5分時間をあげるから教科書読んでみて。」
「春秋時代に出現した鉄器が戦国時代に普及してどんなことが起こったかな。」
「農具の普及」
「牛に
「森林伐採の効率化で農地の拡大」
「木材が建築材や、工業原料、燃料として供給」
「木簡、竹簡の普及、文書の情報伝達の効率化」
「森林の減少による乾燥化」
「ありがとう。農業生産力の増加で、夫婦の小家族だけでやっていけるようになって、氏族制が解体して、戸が課税や徴兵の対象となった。
それから斉、燕。趙で刀銭、
⑥刀銭
趙、魏、韓で布銭、
⑦布銭
環銭もしくは円銭は秦などの青銅貨幣が普及するようになった。
⑧環銭(円銭)
商工業が発展すると大商人が現れるようになる。越王勾践から独立した
「
「そう。正解。それから春秋戦国時代は、諸子百家といって多くの思想家が現れる。言行録として論語が書かれた孔子は儒家と呼ばれる。そのほか君主による法の徹底を唱えた
春秋戦国時代はたくさんのことわざが生まれたし、面白い話がいっぱいある。漢文の授業でもやると思う。有名なのは、
「はい。起立、礼」
「お疲れさまでした。」
①User:Zhangzhugangによる。
②User:Dan Lundbergによる。
③User:R.O.Cによる。
④利用者:ReijiYamashina777による。
⑤User:Tiagox2~commonswikiによる。
⑥UserPENG Yananによる。
⑦https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ShanghaiMuzeum-kolekcja.monet.starochinskich-1.jpg
⑧User:Baomiによる。