「えーと、今日は二学期中間テストの答案を返します。それでは、名前呼びます。秋川さん」
生徒の名前が五十音順に呼ばれ、みんな悲喜こもごもな顔をして答案を受け取る。
「さて、テストの答案は皆戻ったかな?それでは、解説を始めます。イスラム史のこの問題なんだけど、いいおさらいになると思って、面白そうだからつくちゃった。」
バルカン半島、アフリカ北部、西アジア、イベリア半島が茶色く塗られている地図だ。
柊木ちゃんは微笑む。
「え~と『これは、イスラム国(ISIS)が主張するイスラム国のあるべき版図の範囲をあらわした地図である。この地図をみて、次の問いに答えよ。』で、じゃあ問一を黒板に貼るね。」
問一の大きな穴埋め問題のパネルが黒板に貼られる。
「それじゃあ、出席番号順にきてこの()を埋める紙を貼ってくれるかな。」
『問一 次の文章の空白部分にはいる語句を答えよ。「西アジアから、アフリカ北部までを支配した(① )朝は、イベリア半島にターリクという武将を遣わし、711年に(② )を滅ぼした。その後、(① )朝は、土地にかける税(③ )と人頭税(④ )をアラブ人には課税せず、アラブ人以外には課税したため、神の前で平等であるはずなのに不平等だと被征服地を中心に不満が積もり、アブー・アルアッバースは、そういった不満勢力を糾合して、751年に(① )朝を倒して、(⑤ )朝を建てた。イベリア半島に逃れた(① )朝の王族は、754年(⑥ )朝を立てた。(⑥ )朝の首都になった(⑦ )は、旧市街が世界遺産になっている。著名な世界遺産であるメスキータは、(② )時代の聖ビセンテ教会を大幅に改築したものである。
<列柱の間※User:Timor~commonswiki>
1031年に(⑥ )朝が滅ぶとタイファと呼ばれる小領主が割拠することになる。そのうち1492年にカトリック両王に滅ぼされた(⑧ )は、水があることによる豊かさを表現するために首都(⑨ )に(⑩ )を築いた。」』
生徒たちは、あたまをひねりながら穴埋め問題の答えを用意された短冊に書き込んで貼っていく。
「真田、~朝ってからには、正統カリフじゃねえよな。」
「ああ、飯が...」
「?」
「飯が...藤本得意だろ、飯が...」
「ウマイヤ朝か!」
「そこ、何しゃべってるの...」
柊木ちゃんが苦笑しながら注意する。
「授業に関係した話だから仕方ないけど....」
「アリー、先生すみません。」
「藤本君、四代カリフの名前よく勉強してるねと思うけど、今その解答はスンナだよ。」
「先生、藤本に影響されてるw」
「ばれたか」
柊木ちゃんがテヘペロしている間に俺の順番になった。
「じゃあ、貼りに行くか。」
俺は席を立って黒板へ向かっていく。
①のウマイヤ朝と⑤アッバース朝、⑦のコルドバ、⑨のグラナダ、⑩のアルハンブラ宮殿は埋まっていた。お金持ちのお嬢様で学生時代に世界遺産をめぐっていた柊木ちゃんは、授業に絡めて世界遺産の話をするので、世界遺産関連の問題はみんな得意になっていて、アルハンブラ宮殿の水源の自然流下の話は、授業中に柊木ちゃんがNHK世界遺産のビデオを流していたのでみんな知っている。
<ライオンの中庭※User:Faleによる>
<アラヤネスのパティオ※User:Berthold Wernerによる>
俺は、②西ゴート王国、③ジズヤ、④ハラージュ、⑥後ウマイヤと埋めた。
柊木ちゃんは、にやにやしている。
「真田君。税金はそれでいいのかな。アッバース朝がイスラム教徒以外にかけた税金はどっちだっけ?みんなも復習だよ。教科書よく読んで。」
「いや~真田、間違えたww」
「藤本、笑うな。お前だってわかってなかっただろ」
ジズヤとハラージュ逆だった...。
『問二 カトリック両王とは、何王朝のだれと誰か』
「これは、資料集を読んでもらえると答えられるね。授業中に二人の出会いは話したから。」
大道さんが答える。
「カステイリヤ王国のイサベラとアラゴン王国のフェルデイナンドです。」
「はい、正解。二人の話をしておいてよかった。この問題、女子のほうが正答率が高かったね。」
『問三。イスラム勢力に征服されたことのない東アフリカの国が含まれている。それはどこか。』ヒントを言うとコプト派のキリスト教国で、世界遺産のラリベラの岩窟教会のある国だね。」
柊木ちゃんは、ラリベラの岩窟教会の写真を見せる。
「それでは、若田部さん」
「エチオピア?」
「正解。」
「で、『問四 首都を二度にわたって包囲された国が含まれているがそれはどこか。またその首都を包囲したイスラム王朝の名前を答えよ。』これも世界遺産と関係している有名な街だね。篠原君?」
「オーストリアです。先生、熱く語ってたし。」
「正解。大越さん?」
「えーと、トルコと?」
「惜しい。どっ
俺が手を挙げた。
「真田君。」
「オスマン帝国です。ついでにどこの都市か答えますね。ウィーン包囲でしょう。」
「正解。第1次ウイーン包囲は、スレイマン1世率いる12万の兵によって1529年に行われたの。大砲の運搬と補給上の問題を抱え、冬が近づいてきたため、スレイマン1世は、ウイーンを陥落させることができずに撤退。野心家の宰相カラ・ムスタファがフランスの中立を取り付けて、1683年にも15万の兵にウイーン包囲を行わせたの。これは、マリアテレジアの祖父に当たるレオボルド1世が、キリスト教国に救援を呼びかけ、特にソビエスキの指揮するポーランド軍に打ち破られたの。」
「さて『問五。西アフリカ全域の領有を主張している理由として、次の単語をつかって、短文で説明せよ。歴史的スーダン、ソンガイ帝国、サアド朝、鉄砲、サハラ交易』。これはちょっと難しいけど答えられるかな。真田君」
俺はちょっと考える。
「えーと、イスラム商人が歴史的スーダンと呼ばれた西アフリカをサハラ交易で長期にわたって活動していた。その交易路の一部を利用し、強力なモロッコにあるイスラム王朝であるサアド朝が鉄砲で、ソンガイ帝国を滅ぼした。ソンガイ帝国は、歴史的スーダンを代表する勢力でもあることからISISはその領有を主張していると考えられる。」
「うん、それでいいと思う。わからなかった人。この地図を見て。サハラ砂漠を商人たちが南北にオアシス都市や岩塩の鉱山とか経由して交易していたの。モーリタニアには、世界遺産になっているシンゲッティ、ウワラタ、テイシット、ウワダンに隊商都市の街並みがよく残っているの。」
柊木ちゃんは、地図と写真を黒板に貼る。
シンゲッティのモスク
ウワラタ旧市街
テイシット旧市街の遺跡
サハラ交易地図(13~15世紀ごろ)
「ニジェール川沿いには、マリ帝国やソンガイ帝国栄えていた。モロッコのサアド朝がソンガイ帝国を滅ぼしたの。じゃあ少し脱線するけど、オスマン帝国があれだけ強力だったのはどんな兵器を活用したからかな。イランのサファビー朝を破って、エジプトのマムルーク朝を滅ぼすことができたのは?」
藤本が叫ぶ。
「先生、ヒント~」
「う~ん、さっきの問題の答えにもヒントがあるんだけど。じゃあ信長が武田勝頼を破った戦いは?えっと秋川さん?」
篠原君とペアのもう一人のクラス委員の女子、秋川さんが答える。
「あ~ 長篠の戦いだから、鉄砲?」
「正解。1514年のチャルデイラーンの戦いで、サファビー朝の協力なクズルバシュ騎兵がオスマン帝国の鉄砲隊の前に敗れた。1516年のダービク平原の戦いもオスマン帝国の内応工作と鉄砲や大砲といった火器の前にマムルーク朝は敗れて翌年に滅びることになったの。ソンガイ帝国も鉄砲で滅んだし、そのように16世紀は鉄砲をはじめとする火器が世界中に普及して戦い方が劇的に変わった時代だったの。」
「それでは、『問六。このイスラム国の版図の東側に隣接しているが、かつてイスラム王朝に支配されていた国(地域)があるがそれはどこか。問七(1)その地域の北部を支配したイスラム王朝をひとつ、(2)その地域全体を支配したイスラム王朝をひとつあげよ。』」
「このあたりだね。」
柊木ちゃんはレーザーポインターで地図のうえをぐるぐる指す。
「問六が答えられれば、問七(1)(2)もこたえられるね。あわてて答えズレちゃった人もいたね。」
「あちゃ~俺やっちゃった...」
「わたしも~」
インドと書くべきところあわてて王朝名を先に書いちゃった生徒が悔しそうに話している。
「先生、デリー・スルタン朝でしょ?」
「うん、ふたつともデリー・スルタン朝って答えた人がいたよね。間違いじゃないから一応正解にしたけど。−1って赤字で書いてあるでしょう?」
「ほんとだ。「具体的な王朝名を書くこと」って書いてある。」
「ちゃんと王朝名書けた人との差がないとまずいから減点しました。ここの配点は3点にしてたから。問七(2)は、ヒルジー朝、トゥグルク朝、ムガール帝国のどれか。それから問七(1)、スール
柊木ちゃん、少し怖い顔だ。
「はい。」
俺が手を挙げるとなぜか藤本も手を挙げた。
(そうか、そういうことか、こいつめ...)
「真田君に藤本君...。」
「確かに「その地域の北部を支配したイスラム王朝」には間違いないから、正解にしたけど真田君、先生をからかってる?」
「えーと...」(藤本が俺の答案をカンニングしてたから×になってもいいや、後でこっそり先生に話して〇にしてもらおう、と考えていたんだけど...)
柊木ちゃんが苦笑している。
「なあ、真田、俺たちマブダチだろ?」
「....」(おまえなあ...)
俺は藤本を軽くにらむ。
「藤本君!」
「何ですか?先生?」
「ズルはだめだよ。」
柊木ちゃんは藤本を軽くにらむ
「ズルしてませんよ(汗)。ちゃんと問七(2)は、正解してるじゃないですか」
「無難にムガール帝国って書いてる人多かったし、藤本君もそうだったけど...真田君の答案にあまりにも解答が似てるから...」
(ギクゥ)
「じゃあ、チャンスを与えるから自力で今ここで問七(1)を普通に解答して。」
藤本は、図録のデリー・スルタン朝の一覧を見ながら答える。
「わかりました。奴隷王朝でいいですか。」
「で奴隷王朝時代の世界遺産は?」
「デリーのクトゥブ・ミナールです。」
「はい、正解。建てた人までは聞かないようにするけど...今回は証拠がないから大目に見るね。」
柊木ちゃんは、スクリーンに写真を映す。「デリーのクトゥブ・ミナールは、奴隷王朝の建国者、クトゥーブウッデイーン・アイバクが建てたミナレットで、今は、72.5mだけと建築当初は100mあったと考えられているの。それはともかく、ほかの答えは、ゴール朝、奴隷王朝のあとのサイイド朝とロディー朝と答えても正解なので、最後のサービス問題をつくりました。『赤点回避のサービス問題 「その地域の北部を支配したイスラム王朝」を二つか「その地域の世界遺産」を二つ答えよ。』で50点未満になりそうで、サービス問題で正解を答えた人には、1個当たり5点をあげて、50点以上の人には1点あげています。別の世界史の先生に「柊木先生、あまやかさないでください」と言われたけど、「頑張って勉強したことがわかるじゃないですか?」と説得して、「わかりました。わたしも同じような救済措置を次回からやります」と納得してもらったの。」
「俺、タージ・マハールって書いて赤点回避できたぜ。柊木ちゃん、ありがとう。」
「先生の世界遺産の話聞いててよかったです。」
赤点回避できた女子がうれしそうに話す。
「海外旅行したら直接役に立つ知識だし、わたしも世界史の教師になろうと思ったのは、たくさん世界遺産をみてきて、世界にはこんな素晴らしいものがあるんだよって知ってもらいたいと思ったから。」
柊木ちゃんは腕時計にちらりと目をやる。
キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。
「それでは秋川さん」
「はい。起立。礼」
「お疲れ様でした。これで世界史の授業を終わります。」
あとで世界史準備室で、
「みんなの答案用紙にね、インドのイスラム化を象徴する世界遺産の名前が並んで、私うれしかった。赤点必至の半分の人が赤点を回避できたの。」
「前回のサービス問題もインドの世界遺産だったね。」
「インドの世界遺産は、インド史のポイント押さえてるから問題を作りやすいんだよ。こないだの書道の代理授業で話したように書道五段だから中国の問題も作りたいけど趣味全開になっちゃうから。北魏の造像記とか出題できないし。」あごを手で支えてぼやくように話す。
「てか先生、現実問題として、補習とか再テストで残業増えちゃうもんね。」
「うん、だからうまい救済措置ないかと思って。」
「いいと思うよ。ヤマが外れて涙目の生徒もいたかもしれないし。」
「誠治くんは、93点だったね。でもだいじな問題間違ってたよ。」
柊木ちゃんは、軽く頬をふくらませて俺をにらむ。
その顔がなんともかわいい。
「すみません。人頭税と土地税という覚え方でどっちがどっちなのかきちんと復習してなかったのが敗因。不安だったから救済措置も使わせてもらった。点ほしいし。どれを書こうか迷った。スール朝なんて書いちゃったから。」
柊木ちゃんは苦笑して
「この生徒、わたし試してる、わたしわかってるからと思って〇つけたら、あれ?もう一人いると思って、ナニコレと思ったから聞いてみた。もう藤本君のお仕置きは採点してた時に考えた。サービス問題考えたとき100点とった人は、102点になっちゃうけどいいやと思って。」
「100点はいたの?」
「ん〜いなかったよ。誠治くんと秋川さんと篠原くんが同点トップかな。」ハッと気がついて柊木ちゃんは顔を赤くする。「誰にも言わないから大丈夫」
「ありがとう。まあ、先生的には赤点出さない、100点出さないテストがいいから、今回は平均点あたりの人が多かったからまあ満足。」
「ん、なんで100点が出たらダメなの?」
「それは、わざと問題優しくしてると思われちゃうから。他の先生の手前もあるし、わたし自身ちゃんとしたテスト作ってないことになっちゃうからバランスが大事なの。」
「でも誠治くんには100点とって欲しいとは思っちゃうな。スール朝書けたのにジズヤとハラージュの取り違いがあるようならまだ個人授業が必要かな。」
「どんな個人授業なの?先生?」
「またそんな意地悪言うw二人きりの時は先生じゃなくて春香さんでしょ」
柊木ちゃんは微笑んで、二人で軽くキスしまくった。学校だからキスの痕跡がわからないように。
(1)どっちだろうね=セルジューク朝とオスマン朝のどっちなのかということ。
(2)スール朝=フマーユーンを追い出し、シェール・シャーによって1539年に建てられ、北インドを支配したイスラム王朝。デリー・スルタン朝に数える研究者もいる。1555年にフマーユーンに雪辱され、滅亡した。