「さて授業始めるよ。今日はメソポタミアの続きです。篠原君お願い」
「はい、起立、礼」
「さて、灌漑農法が行われていたメソポタミアでは、紀元前3500年くらいから人口が増え始め、神殿を中心とした大規模な村落がつくられ、文字が発明され普及した.。最初の青銅器がつくられた。紀元3000年には、大村落は都市となり、紀元前2700年ごろまでに都市国家が多く形成された。
さてこういった都市国家を築いた人々はなんというかな?篠原君」
「シュメール人です。」
「はいありがとう。ぺーパークラフトつくってみたんだけど、これね、高さ21.6cm、幅49.5cm奥行4.5cmある箱で、レオナード・ウーリーというイギリス人の考古学者が、1927年~28年にかけてウルのPG779墓から発見したものなの。」先生は、PG779墓、通常「スタンダードの墓」と呼ばれている王墓の平面図を黒板に貼る。
「このお墓、ウルのお墓の中ではあまり大きくないんだけど、12×8.5mあるの。そのなかに墓室が4つあって、この図のようにChamberDというところから見つかったの。秋川さん、真田君、綾野さん、水瀬さんもってくれるかな。」
棒とひもと紙でできた折りたたまれた模造紙でできた墓の模型が拡げられる。
長さ約6.5m、幅約2.5m、高さ約2mくらい。教室で広げるとかなりでかい。
「で、この墓室でバラバラの状態だったものをクリーニングして復元して大英博物館に展示されているの。ウーリーは、スタンダード、つまり軍旗や旗章と名付けたんだけど用途は不明。楽器の音を響かせる一種のアンプの様に使ったという説もある。このウルのスタンダードには、シュメール人の暮らしぶりが描かれている貴重なものなの。このスタンダードの素材は、アスファルトのようなものを使って青い部分はラピスラズリ、文様は赤色石灰石や彫刻を刻んだ貝殻で飾られているの。こういった素材は、メソポタミアではとれないものなの。どうかな?秋川さん」
「交易で交換するしかないですよね。」
「そう。裏の場面を見せるね。「平和の場面」という名がついていたんだけど、平和というより、なにか運んでいる感じの人が多いね。牡牛、ヤギ、ヒツジ、魚、穀物を入れた袋などを持っている人たちがいる。上段左から三番目の人物は大きく描かれ、カウナケスという腰巻の文様が細かく描かれている。真田君」
「それが王様ってことですか?」
「そう考えるのが普通だよね、だから研究者たちもそのように考えて、最近は貢納とか饗宴の場面とか呼ばれている。このようにシュメールは複雑な階級社会で、王、神官、役人、戦士などといった支配階層が政治、経済、軍事の実権を握っていた。表は戦争の場面と言われている、志村君、みていてわかることはないかな。」
「馬にひかせた戦車のようなものが描かれています。」
「そうだね、これは、実は、馬じゃなくて、メスのロバとオスのシリアノロバの交雑種であるクンガで
はないかと言われてるらしいんだけど馬車に似た戦車、チャリオットで戦っていたことがわかる。あと弓兵がいないということは、どういうことかな?綾野さん」
「弓の人がいません。馬の下に倒れている人がいる。たいへん!早くヒーラー呼んでこないと」
「う~ん^^;」
「亜子、ゲームにより過ぎよ。普通に戦争で死んだ人じゃない?」
先生は苦笑している。
「水瀬さん、どうかな」
「弓を使わない接近戦で戦った?わたしのキャラ、槍得意だからランページスキルで」
「そうだね、接近戦で戦ったのでは?と考えられているの。このスタンダードが見つかった王墓では、60人もの人が殉死したようなの。こうして繫栄したシュメールも前24世紀ごろセム系のアッカド人のサルゴン大王によって滅ぼされるの。前22世紀ごろアッカド人の王国も崩壊すると、やはりセム語系のアムル人が王朝を起こした。これがバビロン第一王朝で、前19世紀ごろのハンムラビ王の時に全メソポタミアを支配したといわれている。この王の業績を挙げてみて、高崎君」
「神の代理として政治を行い、運河の大工事を行い、治水、灌漑を行って農業を発展させたってことでいいですよね。」
「うん、そうだね。あとスーサで重要なものが発見されている。二葉さん」
「シューちゃん、目には目を、歯には歯をだって、怖いよ。」
①
「ハンムラビ法典碑です。」
「ありがとう。綾野さんが読んでくれたように、これは復讐法というんだけど、なんでこんな風に決めなければならなかったんだろう?やられたらやり返すだけですむのかな。ヒントだけど何年か前の銀行を舞台にしたドラマあったね。」
「半沢直樹?」
「そう。倍返し、これが何倍返しになり続けたらきりがないから法律で制限したの。だから奴隷の目をつぶしたとか骨折させた場合は、奴隷の半額を支払うように定めた。」
「さてこの時代、南ロシアに住んでいた遊牧民のインド・ヨーロッパ語族の人々がじわじわと南下しています。小アジア、アナトリアにきた民族は、早くから鉄器を使った民族だといわれています。何人かな?浅沼くん」
「ヒッタイト人です。」
「ありがとう。ヒッタイト人については、もともとアナトリアにいたんだいう説もあって決着がついていないんだけど、前1800年ごろ建国するの。バビロン第一王朝はヒッタイトによって前1590年に滅ぼされ、前14世紀ごろは、エジプトに並ぶ強国だったの。南ロシアから南下したとされるインドヨーロッパ語族には、イランのザクロス山脈方面からメソポタミアに侵入したカッシート人と北側のコーカサス地方にいたと考えられるフルリ人が、メソポタミア北部に入ってきて、前15~前14世紀ごろは、このようにいくつかの王国が並立する状況だった。さて、メソポタミア文化の特徴として何が挙げられるかな。内田くん」
「楔形文字、六十進法、太陰暦です。」
「はい、ありがとう。楔形文字はメソポタミアで言語を超えて使われ続けました。農業や暦を作るうえで、満ち欠けする月は便利だったの。ただし、1年が354日になってしまうから閏月が必要になった。これを太陰太陽暦と言ったの。さて60進法は身近にあるね。なんだろう。遠藤さん」
「秒、分、時間?」
「そうだね。ありがとう。さて、教科書は、「オリエントの統一と分裂」の単元にいきます。分裂状態だったメソポタミアは再び統一の時代を迎えることになります。紀元前2千年紀に北メソポタミアに起こったアッシリア王国は、アナトリア方面との中継貿易で繁栄したの。一時ミタンニ王国に服属したけどやがて独立し、紀元前745年から即位したティグラテピレセル3世の時に鉄製の武器、戦車、騎兵を用いて、連戦連勝、この時代のアッシリアは帝国と呼ばれるほどの勢いで、征服した民族を強制移住させたの。なんでだと思う?」
「先生、ヒント~」
「移住させない場合、経済的な基盤がそのまま維持される。ということは?」
「いつでもアッシリアに逆らえる?」
「そういうことです。移住させることでそれまでの経済的な基盤が失われ、一から基盤をつくらなければならない。ティグラテピレセル3世は、旧約聖書では、プルという名前で書かれています。その後、紀元前671年、エサルハドンの治世にエジプトを含む全オリエントの支配に成功します。その繁栄は、アッシュールパニバル、または、アッシュール・パーン・アプリの時代まで続きます。
アッシリア王は、国内を州に分け、駅伝制を設け、各地に総督を置いて統治を行った。
しかし、アッシュール・パニバルが亡くなると、メソポタミア北部でナポポラッサルによる帝国ができる。何かな?浅沼君」
「新バビロニア帝国です。」
「ありがとう。別名カルデア帝国ともいいます。またこのころ、イラン高原にメディァ王国が興ります。二国は、スキタイ人やキンメリア人とも同盟してニネヴェに攻め込むの。アッシリア帝国は結構残酷なことをしてきたから恨みを買っていた。ニネヴェは、1か月とも3が月ともいわれる攻城戦の末陥落し、焼きはらわれた。こうしてアッシリアは紀元前612年に滅亡し、アナトリアには、最古の金属貨幣を発行したといわれるリディア王国、メソポタミアには、カルデア帝国、イラン高原には、メディア王国ができる。エジプトは、アッシリアの衰退に伴って独立していた。オリエントは、4強国の時代を迎えるの。ということで時間かな。では篠原君」
「起立、礼」
「お疲れさまでした。授業を終わります。」
①ハムラビ法典碑※User:Mbztによる