紫煙燻らす彼の話 作:社畜的な社畜
昨今は健康ブームでタバコが悪として扱われ、喫煙者は非常に肩身の狭い暮らしを強いられている。
だがしかし、喫煙者とて気を付けてはいるのだ。
例えば、イーグルジャンプ所属の彼、鬼怒川啓路の場合は屋上で基本的に吸っているし、その屋上の出入口脇には自費で消臭スプレーなども置いている。それに、吸うにしても会社ならば一日に二、三本といったところであるしヘビースモーカーと言うほどは吸っていない。
まあ、数量が少ないのは偏に仕事ばかりで休憩する回数が少ないというだけなのだが。
「――――ぷはっ…………」
屋上の手すりに凭れかかって空へと煙を吐きだす。
空を汚している様な、そんな気分になるが苦い煙が体の中に入り込むと、自然と頭がキリッとなるようなそんな気がした。
少なくとも、啓路自身はどんな理由でタバコを吸い始めたのか覚えていない。
両親の影響であったか、単純な興味か。一つ言えるのは、自分から健康というものを投げ捨てた、というぐらいか。
フィルター近くまで燃えたタバコを携帯灰皿へとねじ込み、啓路は手すりより体を持ち上げる。
体を動かせば凝り固まった肩回りや首筋から嫌な音がする。日がな一日、ブルーライトと向き合い続けているためだ。目の疲れが首や肩にまで広がっていた。
「後で、シップ貼るか…………」
ゴキゴキと肩を回しながら啓路は屋上の扉へと足を向ける。約数時間ぶりの休憩であったのだが、その時間はタバコ二本で十五分程度か。因みに、前に一度一本だけ吸って五分程度で休憩を切り上げた際にはうみこに叩きだされて追加で十分の休憩を取らされたりもしていたり。
銀のドアノブに手を掛けて捻り、引っ張る。
その扉の先。そこに居たのは、珍しい人物であった。
「あん?滝本?」
「ッ!け、啓路君…………」
「珍しいな。お前が
「え、えっと……そ、外の空気を吸おうかな、って…………」
「ふーん……まあ、春先とはいえ体冷やし過ぎるなよ」
「う、うん。ありがとう」
ポニーテールに纏めた引っ込み思案な彼女は、滝本ひふみ。キャラ班所属で腕も良いのだが、如何せんコミュ障の嫌いがあり初対面では思わず隠れてしまうほど。
そんな彼女であるからか、ぶっちゃけ初対面の際には啓路から逃げる様に離れて、その折にコウやりんからそれとなく窘められたりもしていたりする。
もっとも、彼がFOFの制作者と知ってからは一転していたのだが。
「それじゃあ、俺は―――――」
「ま、待って!」
戻る、とひふみの脇をすり抜けようとした啓路だったが、その前に彼女が割り込んだ。
咄嗟の事で突き飛ばしそうになるところを、何とか踏みとどまり啓路は眉を上げた。
「ど、どうした?」
「あ、その…………す、少しでも良いからお話、したいなって…………」
「話?」
「えっと……あ、青葉ちゃんの事で…………」
「涼風か?良い子だろ。仕事にも熱意を持ってる。八神が一応見てるが、篠田や飯島、それに滝本。お前も居るからな」
「わ、私も?」
「俺も葉月さんもお前の事は買ってるんだ。自信持てよ」
これは本当の事。
事実、もしもコウがキャラ班のリーダーから外れれば、次にその席に座るのはひふみである、というのが少なくとも彼と上司の考えであるのだから。
年数的な物もあるが、実力も十分。後は現場度胸と対人スキルの向上程度。
「で、でも…………」
「大丈夫だって。何なら、涼風とか八神に手伝ってもらえばいいだろ」
「…………啓路君も、手伝ってくれる?」
「うん?まあ、後輩の面倒見るのも先達の仕事だしな」
「!そ、そっか…………!」
「?」
にこにこと擬音が付きそうな笑みを浮かべるひふみに、啓路は首を傾げるのだった。
++++
どれだけ素晴らしいモーションも、絵も、シナリオも、世界のルールであるプログラムが無ければゲームは成立する事は無い。
「あ、やっべ…………」
火の着いていないタバコのフィルターを噛み潰し、啓路は眉根を寄せた。
割と勢いに任せて彼はプログラミングを書き上げるのだが、どうしてもエラーが出てしまう場面というのがあるのだ。それも、修正したくないような場所で出た場合はこんな顔をする。
意図したバグであろうとも、その他の部分で悪影響を及ぼすならばやり直さなければならない。
「…………コーヒーでも淹れるか」
眠気覚ましとやる気スイッチを兼ねたカフェインを取り込もうと、啓路は席を立った。
ひふみとの一件から暫く。凝り固まった体は鉛の様に重い。
給湯室へと向かう道すがら、欠伸ついでの伸びをしていた彼は、ふとある事に気が付いた。
「遠山?」
「あら、ケイちゃん。休憩?」
「コーヒー飲もうかと思ってな。そう言う遠山は、また八神にか?」
「皆のもあるわよ。ケイちゃんも飲むかしら?」
「コーヒーならな」
「相変わらず、紅茶は苦手なのね」
「渋いのはダメだ」
給湯室で二人並んで飲み物の用意をする。
同期ではあるが実のところ、最初からここまで仲が良かった訳ではない。むしろ、どちらかというと仲が悪かったというか、一方的にりんが目の敵にしている節があったのだ。
それが緩和されたのは、とある一件から。
「そう言えば、コウちゃんって結構青葉ちゃんの事気に入ってるみたいなの」
「あん?急にどうしたよ」
「村人のNPCデザインを任せたみたいなんだけど…………ほら、これが青葉ちゃんのデザイン」
「どれどれ………うんまあ、初めてならよく出来てるんじゃないか?」
「そうよね?けど、コウちゃんはNGを出したのよ」
「そらまた…………」
スマホから画像を確認した啓路は、頭を掻いた。
実際のところ、青葉が書いたキャラは結構な完成度だ。だが、それをコウは却下した。つまりは“結構な”程度では許さないという事。
「まあ、二の轍は踏まないだろ」
「…………そう、よね?」
「いざとなったら、横っ面でも引っ叩いてやればいいさ」
「そんな事するわけないでしょ!?」
「いった!?俺じゃないっての!ちょ、叩くの止めろ!零れる!」
じゃれ合う二人。距離感が近いものの、その間には甘酸っぱい関係などはありはしない。
片や思い人が居り、片や仕事が恋人。名前は出さずとも、どちらがどちらか分かってしまうのは悲しめばいいのか何なのか。
++++
青葉がキャラデザの一件で一皮むけた数日後、イーグルジャンプの一部メンバーは飲み会と称して居酒屋に集まっていた。
そのメンバーの一人にして、黒一点である啓路はハイボールの入ったジョッキを片手に唐揚げの皿を独占してテーブルの端、壁に背を預けて飲み会を眺めている所。
元々、参加する気は無かったのだがコウとりんの二人に引っ張られ、デスクに齧りつこうとすればうみこにブースから蹴り出されてここに居る。
彼女曰く、いい加減家に帰れ、らしい。
「この唐揚げ旨いな」
「あー!キヌさん一人でズルいですよ!私にも唐揚げくださーい!」
「酔ってんな、篠田。まあ、レモン掛けないんなら何でも―――――」
「あ、私唐揚げにはレモン派なんで!」
「うおお!?掛けるなって言った側から掛けてるんじゃねぇよ!?あ、ちょ、待、レモン汁跳ねた!」
悲鳴を上げる啓路を尻目に目が座っているはじめは唐揚げを貪り始める。スポーティな彼女の好物はお肉なのだ。
「ち、畜生め……俺は酢豚にパイナップルとか、肉に掛かってる林檎ソースとかは苦手な方なんだよ」
「それ、前にも言っとりましたよ?」
「そうか?…………まあ、食えない訳じゃないんだが…………やっぱ別に食べたいよな」
「えー?でもパイナップルはお肉を柔らかくするとか聞きましたよ?」
「確かそれも誤植だろ?火ぃ通したらパイナップルの成分が壊れて意味無かったはずだ」
「キヌさんってちょいちょい豆知識ぶっこんできはりますよね?調べてはるん?」
「いいや?何ていうか、いつの間にか頭の中にインプットされてる、的な?別段、自分で覚えようとか、知ろうとして調べてる訳じゃ無いさ」
さらりと言ってのける啓路だが、彼は時折妙な知識を持っている事が多かった。
例えば、タコ殴り。これは、そのままでは固いタコの肉を柔らかくするために殴る様を表した言葉である、とか。
先程のパイナップルにしたってそうだ。割とそんな知識がスルっと出てくる。
「なぁにぃ?まぁた、ケイちゃんが雑学披露でもしたの?」
「げっ、遠山。おい誰だこいつに飲ませたの」
「ご、ごめんね啓路君。りんちゃんがどうしてもって…………」
「滝本……いや、お前を責めたりしねぇよ。それより、
出来る女、遠山りん。彼女は、絡み酒であった。それも、啓路が逃げようとする程度には面倒くさい絡み方をしてくる。
どうにかこうにか四苦八苦して、彼女をコウへと押し付けて彼はハイボールのジョッキを呷った。
こういう時にこそ、タバコを吸いたくなるのかもしれないが、生憎とこの店は禁煙。そもそも、彼はこういう集まりでタバコを吸う事は無いのだ。
「あ、鬼怒川さん」
「涼風か。どうしたよ?楽しんでるか?」
「はい。といっても、私って未成年だからお酒飲めないんですけどね…………」
「まあ、法律があるわな。けど、飲めないならというか、飲まないなら飲まない方が良いんだけどな」
「お酒、ですか?」
「ああそうさ。酒もタバコも手を出さないなら、出さない方が良い。金もかかるし、体にも悪いからな」
「でも、鬼怒川さんってどっちもしてましたよね?」
「ははっ、まあそうだな。口ではどうあれ、癖になっちまってるし仕方ない」
お前は吸うなよ?とほんのり酔った啓路は、青葉へと笑みを向けて最後の唐揚げ(レモン汁付き)を頬張った。
「すっぺぇ」